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2004年08月06日

はじめまして。ササイエイスケです。

 WEBダ・ヴィンチに、舞台、映画など多方面で活躍中の俳優・篠井英介さんが初登場! ということで、連載第一回目の今回は、篠井さんの自己紹介から。
 篠井さんを語る上で欠かせないキーワード・女形。篠井さんが、歌舞伎における女形でも、いわゆる俳優でもなく、「現代劇の女形」を志した理由とは一体何だったのでしょう?

1_1.jpg どうして舞台俳優になったのでしょうか。
 まず、着飾る願望があったような気がします。といっても、5つくらいの子供ですから、変身願望というようなものでしょうか。
 僕は、『ウルトラマン』にも(※1)『スーパージェッター』にもなりたいと憧れたほかに、(※2)『鏡獅子(かがみじし)』の獅子の精のように白頭の毛をつけて、紅白の牡丹の造花の小道具を持ちたいとも思ったのです。奇妙でしょうか? いいえ、誰でも自分独自の変身願望の1つや2つ、妄想したことがあるでしょう。
 そして、僕にとって重要なのは、『鏡獅子』の勇敢な獅子の舞の(※3)前シテは、気高い女小姓だということです。
 歌舞伎舞踊の大曲『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』は、江戸城大奥で、将軍から余興を所望された奥女中の弥生が、踊りを披露するうちに、手にした彫りものの獅子頭の魂が乗りうつり、獅子の精となってゆくという物語です。舞踊ですから設定はあるものの、それほど設定にはこだわらず、もっぱら前半は美しい女形舞踊の姿態を、後半は勇ましい荒事風の豪快な所作を堪能すれば良いのです。
 僕にとって、これは『仮面ライダー』の変身以上の魔力をもって、心奪われる格好よさでした。いえ、今でも僕は、本邦の芸能の白眉といってもいいほど、格好いい演目だと信じています。男が女を演じてうっとりと酔わせておいて、一転、同一人物が百獣の王となってみせる格好よさは無類ではありませんか。
 また、女形舞踊の双璧ともいえる(※4)『娘道成寺』には、全曲上演の機会は少ないものの、実は、後ジテがあって、鐘の中で嫉妬の念によって変身した女は蛇体となって現れます。こちらは女の蛇の精ですが、鬼女ですから恐しくも中性的でもあり、やはり壮快で格好いいのです。
  子供の頃の僕は、『娘道成寺』を真似して、母のタンスから一番朱の多い長襦袢を引きずり出して身につけ、悦に踊ってみせていました。(これは最近、亡祖父が録ってくれていた8ミリのフィルムを弟がDVDにしてくれて再見。ほんとに踊っている自分に驚いたものです。)

 庶民の娯楽であった歌舞伎が、見物人の血を沸かせるために格好よく出来ているのは当たり前です。そんな民族のDNAを持った子供の僕が、性の変身のその格好よさに魅了されたのも全く不思議ではないではありませんか。
 男が女に、そして、その逆もまた変身の最たる願望で、アジアでは古来神々までも性を取り替える自由さがあります。神様でさえやっているんですから、格好良くて、おまけに神聖にさえ思えてきます。そこで、ご存知のように芸能も、能・狂言、歌舞伎(祖は阿国という女の男装踊り)は、男が女の役も演じる伝統となります。
(※5)文楽も、基本は男の演じる芸能で、男の人形使いが女の人形も操り、物語を語る男の大夫は、登場人物のすべてのほか、森羅万象まで語って聞かせるすごさです。(各地の村の祭りに男衆が女装する習慣があったりして……。)
 こうなると我が国の芸能は、男が女を演じる歴史ともいえるわけで、これに携わったプロは、それこそ命がけで女を演じきったはずなのです。

 当時5歳だった僕は、女の着物を着て人前で踊ることが、格好よくて楽しかったのでしょう。家族は面白がって囃したて、高じた僕は踊りを習いたいとねだります。日本舞踊とはつまり、歌舞伎舞踊が市井に広がったものですから、当然、女形舞踊として男の子も(※6)『藤娘』(※7)『手習子』をお稽古します。特に幼いときは、男女ともに女の役から習うのが常です。理由は、その男子が、後々立役(男役)になっても、小さい頃に女形の勉強をしておくと、色気と柔軟さが身につくと言われているからです。
 僕が全く最初に習ったのは「♪てんてんてんまり てんてまり♪」で知られる童謡『毬と殿さま』でした。先生が、「はあい。あんよをお嫁さんのあんよにしてぇ。」とくり返しおっしゃったのを憶えています。あんよとは足の事ですね。「お嫁さんのあんよ」とは足を内輪に、つまり八の字の形にして歩いたり、「決め」のポーズをとったりしなさい、との意味です。そうするためには、少しひざを曲げていないと上手く出来ません。姿勢をまっすぐにしつつ、ひざを折って立ち、歩く。これを先生は「お腰を入れて」とか「お腰を折って」とか言いました。40年も前のことですが、古風な師匠は、今もこう言って指導しているに違いありません。

 こうして僕は、女形への歩みの一歩を、文字通りに踏み出したわけです。
 思春期の頃、中学校の校則による男子の坊主頭が嫌で、お稽古を休んだり(何故だか丸刈で着物をきることがひどく恥ずかしかったのです。今思えば、これでは変身できないと感じていたのかもしれません。)したものの、踊りは大好きで、弟達とチャンバラをしたりしつつ、胸の中には縫い取り(刺繍)の大振り袖や、ゆらゆらするかんざし簪(かんざし)を夢想していたのだろうと思います。
 僕は、本当に幸せなことに、男が女を演じることを禁ぜられるどころか、学ぶことができました。これは今思うと、古典芸能の家の子弟以外では考えられない、ほとんど奇跡のようなことです。時代を考慮してもです。
 今でこそ、両親にも環境にも感謝していますが、当時の僕は、望むことは叶うのだと思い込んでしまったのです。芸術家にとって信じ込むこと、あてどなかろうが自信が必須要素なのは、現在の僕にはわかるけれど、こんな小さな頃に得た確信は、疑いがなく、強くて純粋です。「女の踊りが上手」だといううぬぼれで、本当に職業としての女形になれてしまったのだと、現在の僕は、何だか自分に感心してしまいます。

 歌舞伎の女形ではなく「現代演劇の中での女形」。それが今の僕の仕事です。さて、もちろんこの40年の間に難関はあったものの、僕はかなり真っすぐに夢を叶えてこられたのではないでしょうか。
 踊りを習わせてもらえた当時、世は高度成長期でテレビが家にきたり、食べ物も豊かになって、僕と同世代の人達の中には、何でも手に入る、文明は発達しつづける、と思ってしまう性分の人も多いでしょうね。それでも各人、壁にぶつかったり、岐路に立たされたりで、人生はままならぬこともすでに知っている事でしょう。
 再度言わせてもらえば、僕は幸せです。子供の頃なりたかったモノになっています。
この先はともかく、現時点でこんな幸せはないでしょう。そして僕は、この女形という職業に自信と誇りをもっているし、まだこの先の夢も欲もあるのです。

1_2.jpg※1【スーパージェッター】
昭和40年に生まれた、日本で初めての本格的タイムトラベルSFアニメで、筒井康隆や豊田有恒、眉村卓らを輩出した不朽の名作。
(スーパージェッター公式サイトhttp://www.s-jetter.tv/)

※2【鏡獅子(かがみじし)】
歌舞伎舞踊。長唄。新歌舞伎十八番のひとつ。本名題『春興(しゅんきょう)鏡獅子』。大奥の腰元が、鏡開きの祝いに神前の手獅子を持って踊るうち、その精が乗り移って舞い狂う。前半のあでやかな娘の踊りと、後半の能「石橋(しゃっきょう)」を取り入れた豪快な獅子の狂いが好対照。

※3【シテ】
能の主役。ひとつの演目が二部形式になっている複式能では、通常は同一人物が演じるが、前半の役を前シテ(前ジテ)、後半の役を後シテ(後ジテ)と呼ぶ。

※4【娘道成寺】
歌舞伎舞踊。長唄。本名題『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」。通称、『道成寺』『娘道成寺』。1753年、江戸中村座で初世中村富十郎が初演。能の「道成寺」に取材した道成寺物舞踊の代表作。僧安珍に恋をした清姫が、安珍を追いかけて道成寺までやってきて、鐘の中に隠れた安珍を蛇体となって鐘ごと溶かし殺したという伝説をその背景とする。

※5【文楽】
「文楽座」の略で、「文楽座」が明治末期に、唯一の人形浄瑠璃専門の劇場となったところから、人形浄瑠璃の通称。

※6【藤娘】
歌舞伎舞踊。長唄。五変化舞踊、本名題『歌へす余波大津絵(かえすがえすなごりのおおつえ)』。1826年江戸中村座初演。大津絵にある藤の枝をかついだ娘の姿を舞踊化したもの。

※7【手習子】
歌舞伎舞踊。長唄。本名題『杜若(かきつばた)七重の染衣(そめぎぬ)』。1792年江戸河原崎座初演。寺子屋帰りのおしゃまな町娘の姿を描いたもの。

投稿者 davinci : 2004年08月06日 00:00