【NEWS】
★現在4日遅れで公開しています。ご意見・ご感想はMLA掲示板へどうぞ。
★2/25に中公文庫より『森博嗣の道具箱』が発行。
★3/14にメディアファクトリーより『MORI LOG ACADEMY 9』が発行。
★3/14に講談社文庫より『θは遊んでくれたよ』が発行。
★4/25に幻冬舎より『工学部・水柿助教授の解脱』が発行。
★4/25に角川文庫より『どきどきフェノメノン』が発行。
★4/25に中公文庫より『クレィドゥ・ザ・スカイ』が発行。
★5/30頃に文藝春秋より『銀河不動産の超越』が発行予定。
★5月刊の予定だった講談社ノベルス『カクレカラクリ』は発行延期。
2008年05月05日(月曜日)
【HR】 眠くなるとき
GWは雨は降らないという予報だったが今日は一日中雨だった。理由は、スバル氏が出かけたからだ。
朝からパスカルが察知して、もう心配そうな顔をしている。呼んでも来ない。気もそぞろである。9時頃に、スバル氏を駅まで送っていった(パスカルではなく僕が)。やはり、そのあと大雨になった。
小説の仕事を片づける。「α」は6000文字書いて、完成度101%。どうかな、もう終わると思うけれど……。「スカイ・イクリプス」2校を最後まで読み、「MLA10」のゲラは30%まで読んだ。そういえば、またページ数を少し減らせたようだ。「節制するブログ」と呼んでほしい。
工作は、ガレージで細かい作業。本当は今日は、レディ・マドキャップの試運転をする予定だったけれど、雨で延期。
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午後、少し小降りのときに、パスカルの散歩にいった。パスカルは歩かず。帰ろう帰ろうとする。でも、途中で柴犬に出会って気合いが入ったらしく、なむなむ言いながら歩いていた。
今日は少し寒いくらいだった。一日中なんだか眠かった。寝不足ということはなくて、きちんと睡眠時間はとっているが、眠いか眠くないかは、睡眠時間には無関係だ。ただ、眠いときに眠ることができるのは、健康に良いと思う。躰に逆らわないことが健康法なのでは、と思う。でも、眠くなっては困るときももちろんある。
模型を作っているときに眠くなることはまずない。でも、模型の本を読んでいると眠くなる。小説を書いていて眠くなることはないが、小説を読んでいるとときどき眠くなる。講義をしていて眠くなることはないが、講義を聴いていると必ず眠くなる。ようするに、インプットすると眠くなるようだ。ものを食べた場合にも当てはまる。
商品を売る人は眠くならないだろう。即売会などで売り場に座ったり、バイトをしたことがある人はわかるはず。でも、商品を見て回り、買おうとしているときは眠くなる。オークションの画面を見ていると、僕はすぐに眠くなってしまう。これも、インプットをしようとしているからだろうか。
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乗り心地の良い高級車は、ドライブしていると眠くなる。ミニクーパとかポルシェは眠くならない。足が硬いからだ。モビリオは、最初からオプションでスポーツサスペンションにしてもらった。まえのモビリオを運転していると頭が痛くなったからだ。硬いサスのおかげで今は頭痛はしないし、眠くもならない。
【算数】 ロート
ロートは、漏斗という日本語だから「ろうと」と平仮名で書くのが正しい。でも、レンガやメガネみたいに、カタカナ表記が多い(ここまで【国語】)。円錐を逆さまにした形で、下に穴があって管が続いている。小さい口の容器に液体を入れるときに使う道具だ。
お風呂の底の栓を抜くと、お風呂の水が流れ落ちる。このとき、どんなスピードで水は流れるだろう。たとえば、水が半分の深さになるまでの時間と、残り半分がなくなる時間は同じではない。それは、お風呂が深いときの方が、水が流れるスピードが速いからだ。だから、急いで水を抜きたかったら、湯に人が浸かっている方が短い時間で落ちる。
つまり、容器の深さによって、出口にかかる水圧が決まり、この水圧が、出口から水が流れる速度を支配している。同じ水量のものでも、縦長で深い容器の方が水が早く落ちる。
水の深さは、流れ出る水量によって変化(減少)する。その流れ出る速度が、水の深さによって変化(減少)する、という相互関係である。数学的には、微分方程式が成立し、これを解くと水位変化曲線が得られる。
円柱のロートと円錐のロートを比べてみよう。体積が同じで、深さが同じ円柱形のロートと、逆さまになった円錐形のロートにいっぱいに水を入れる。最初は深さが同じだから、流れ出る水のスピードは同じだ。しかし、同量の水が出た場合、円柱の方が速く水位が低くなる。したがって、次の瞬間には、円錐形の方が水が早く流れ出る。水が早く落ちるため、いずれは水位が追いつき、両者は再び同じ深さになる。このときには、水の残量は円錐形の方が少ない。その後は、円錐形の方が水位が低くなり、流れ出る速度は逆転して、円柱の方が速くなる。さて、最終的にはどちらのロートがさきに水がなくなる?
2008年05月04日(日曜日)
【HR】 穴あきジーンズ
昨日より少し涼しい爽やかな晴天。GWに雨が降らないなんて珍しいのでは。
朝はまず庭で水やり。パスカルは毎日毎日同じことで飽きもせず遊ぶ。趣味の幅が狭いな。まあ、犬のことはいえない。
「α」は5000文字書いて、完成度95%に。「スカイ・イクリプス」2校は7/8まで見た。明日終わる。「MLA10」のゲラも10%ほど読んだ。4月に出た3冊の感想がメールで沢山届いている。感謝。
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昨日塗料を剥がしたものを、今日は再塗装。デッキでウレタンを吹いた。先週、ホームセンタでデジタルのキッチン秤を購入したので、それを使って重さを測りながら塗料を調合した。少量でも誤差がなく混ぜられるので、一気に沢山作らなくても良いから便利。3月に花粉のために購入したマスクが余っていたので、それをして作業。でも、風があったし、マスクも汚れなかったから、必要なかったかも。
飛行機の塗装は、重くならないように、と気を遣うのだが、機関車は重量についてはまったく気にしなくて良くて、この点ではとても気楽。飛行機を作るときも、一番難しい工程は塗装だった。プラモデルもそうだし。
昨日、塗装剥がしをして疲れてしまい、夕方ぐったりしていたのだが、冷蔵庫にアイスクリームがあったから、それを食べたら、急に元気になって、またやる気が出てきた。暑かったこともあって血糖値が下がっていたのか、と気づいた。今日も、アイスクリームを食べようかな、と思ったけれど、そんなに疲れていないし、躰も軽いので、やめておく。こういうのは、冷凍温存。
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今日穿いているジーンズは膝に穴があいている。ファッションではなくて、長く穿いているから、自然にすり切れたのだ。スバル氏に話したら、「捨てたら?」と軽く言われた。でも、汚れる仕事をするときは適しているしな、と毎日穿いている。つまり、毎日汚れる仕事をしていたりするのだ。こういう穴があいたジーンズはほかにもあって、どういうわけか、必ず穴は左の膝である。どんな癖が自分にあるのだろう、と考えてみたが、不明。
模型には「ウェザリング」という技法がある。塗料が剥げていたり、錆びついていたり、煤や油で汚れている感じ、ようするに「使用感」や「風化」を再現することだ。新品の模型を汚して古く見せるのである。これがファッションとして普及するのでは、と昔僕は予想していた。ジーンズを色褪せさせたり、ほつれさせたり、穴があけたりものが、その後やはり流行った。自動車をぼこぼこに凹ませるとか、アクセサリィを錆だらけに見せるとか、もう少し幅があっても良いように思うけれど。
【国語】 文字の大きさ
ワープロで文字の大きさが自由に変えられるようになったのは、つい最近のことだ。ほんの10年ちょっとまえまで、まだ「倍角」なんてやっていた(Macは最初から文字サイズが可変だったけど)。
ネットの文章は、比較的簡単に文字サイズが変えられる。個人のブログなんかを見ても、強調のために大きな文字を使う人は多い。そういう僕も、HP「浮遊工作室」の「近況報告」のページを見てもらえばわかるが、文字サイズが不統一なこの「賑やかな文章」が好きな方だ。かつての日記は、ボールドを多用した。今は、その名残が「機関車製作部」のレポートにある。このMLAで、それをやめたのは、シンプルな方が読みやすいという人が多数だったからだ。
強調したいときは、かつてはアンダーラインや傍点などが使われた。カラーの時代になると、文字色を変えて強調することが増えた。文字サイズを変えることは、読み手の方に抵抗があったものと思う。でも、だんだん増えつつあることは確か。読みにくいという人がいる一方で、読みやすいという人も増えているみたいだ。
今後は、「動く文字」がどんどん増えてくるだろう。踊っていたり、揺れていたり、回っていたり、各種のパターンが考え出されて、さらに目まぐるしく賑やかになることだろう。「鬱陶しい!」と年寄りは感じるにちがいないが。
強調以外にも、たとえば人の会話などで、大声のときはサイズを大きく、囁くときは小さく、というテクニックも面白い。そんなこといちいちやっていられないかもしれないが、非常に直感的な気はする。既に常用している作家はいるだろうか。
2008年05月03日(土曜日)
【HR】 苦労なんて簡単
日射がクリアな晴天。29℃くらいあった。風が爽やか。世間はGWらしい。緑地公園にいるのか、右翼の宣伝カーが流しているらしい「燃えよドラゴンズ」が風に乗って微かに聞こえた。
朝はパスカルと水遊び。とにかく、散歩よりも水遊びがしたいみたいだ。でも、スプリンクラは嫌いだ。
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午前中に小説の仕事を片づける。「α」は5000文字書いて90%まで。「スカイ・イクリプス」2校は5/8まで。「MLA10」のゲラが届き、羽海野氏の表紙イラストも見せてもらった。ゲラ校正とあとがきは締切が7日と言われたが、少々無理なので、I子氏にお願いして14日にしてもらった。たぶん、9日くらいにはできるだろう。僕の場合は、9日にできる仕事は、14日の締切でちょうど良い。誰かが突然死んで葬式があるかもしれない。病気になるかもしれない。それくらいの余裕は必要だ。「庭園鉄道〜」のごく一部のゲラも届いた。調整が必要な部分だけ。全体は後日とのこと。この仕事にかかれるのは2週間後くらいか。
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スバル氏の買いもので、車を運転し、駐車場で待つ間にゲラを読んだ。風が気持ち良く、仕事に適した環境だった。
昨日、機関車の試運転が不調だったので、それを直して再挑戦、とも思ったけれど、デッキで塗装剥がしを始めてしまった。GWは天気が良さそうなので、また塗装をしよう、そのまえに剥がそう、というわけである。つまり、再塗装の準備。3時間くらい、ひたすらヘラで塗料を削ぎ落とした。長時間続けたので、手(握力の筋肉)が疲れた。
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こういった単純作業は大好きだ。先日も書いたが、僕は24歳で国立大学の助手になった。技官や事務官ならば残業手当があるが、助手から上は教育職なのでこれがない。教授から依頼された仕事をする場合もあるけれど、基本的に自由で、出勤簿もなければ、勤務時間という意識もない。
なにもしなければ、なにもしないで過ぎていく。だから、教授から仕事が来ると、それが嬉しい。「やることがある」という状況は、考えなくて良いし、ただこなせば成果が出る。精神的にとても楽な状況だ。
毎日毎日、今日は何をするか、自分で考える。明日は何を、明後日は何を、来年は何を、10年後は何をするのか、全部自分で決めて、そしてそのとおりに実行する。実行できたかどうかを見ているのも自分以外にいない。誰も怒らないし、誰も褒めてくれない。こういう仕事を「苦労がない」と言う人もいるだろう。たしかにそうかもしれない。しかし、それだったら、苦労があった方がずっと精神的に楽だ、と僕は思う。
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苦労なんて簡単だ。苦労するものがあれば、それをやっていれば、ノルマを達成したり、時間が過ぎたりして、ちゃんと「終わる」し、終わったら、評価もされる。苦労を与えられることは、幸せな状況だ。まるでゲームのように。
僕は、土日も祭日も、お盆もお正月も休まなかった。仕事が終わることなんてない。苦労をした覚えもない。何に苦労をすれば良いのか、いつも考えていた。自分に問わなければならなかった。何をするべきか? どうやってするのか? 何故するのか? はたして価値はあるのか?
そういうわけで、塗装をひたすら剥がすような仕事、ヤスリで金属を削るような仕事って、ただ没頭していれば、ちゃんと「終わり」が来る。それだけでも癒される。奇跡的に楽しい仕事だと感じてしまうのだ。
【体育】 危険なスポーツ
スバル氏が、「ハンマ投げ」と「やり投げ」について、「あんな危ないものを、子供が学校でやるわけでしょう? なんか考えたらいいのに」と苦言を呈していた。たしかに、今どき「槍か?」「弓矢か?」みたいな気は少しする。
しかし、そういう見方をすれば、野球のバットだって危ない。ゴルフのクラブはもっと殺人的だ。スポーツで誤って人を殺してしまった、という事故はけっこうあるのではないか。闘牛を見て、「あんな危ないことしなくても」と思う人は多いだろうし、日本古来の祭りでも、「怪我人が出ない方がおかしい」なんてものは珍しくない。もちろん、やりたい人が覚悟のうえでやるのは良い。けれど、関係のない人まで巻き込まれるのは問題だし、それが普通の中学や高校で行われているとしたら、「大丈夫なのか?」という心配も一理ある。
どうして、もっと剣玉とかお手玉とか、怪我をしにくいものがスポーツにならないのか不思議だ。それはたぶん、スポーツの多くが「戦い」を模擬しているし、戦闘能力を鍛えるために生まれたことに関係しているだろう。「平和の祭典」なんていっているが、元を辿れば、そこはかとなく戦争ムードなのだ。
しかし、これはスポーツに限らない。多くのゲームが、戦略的なものを模擬している。それは、現代のゲームでも同じで、内容は全然平和的ではないものがほとんどだ。
もちろん、それが悪いわけでは全然ない。まったく問題ない。気をつけてやりましょう、というだけ。
普通の人がいきなり真似をしたとき、一番危ない(ように見える)のは、スキーのジャンプではないだろうか。あれって、着地のスロープをもっと低く伸ばしたら、いくらでも、何百メートルでも、飛び続けることができると思う。2分くらい滞空していたら、凄いだろうなあ、と思いながら観ているのだが、あまりにも危険すぎるか。
2008年05月02日(金曜日)
【HR】 試運転は不調
昨夜、ほんの少し雨が降ったようだ。朝から曇り空。パスカルがとても元気で、庭で鳥を追いかけて走る走る。しかし、スプリンクラを回すと、元気がなくなってしまう。
今日は機関車の試運転をする予定なので、早めに小説の仕事を片づけた。「α」は5000文字書いて85%まで。「スカイ・イクリプス」2校は3/8まで読んだ。映画の関係で取材の申し込みが2つ来た。ぎりぎりになって来るのだ。普通なら断るところだけれど、しかたがないか。
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レディ・マドキャップをスチームアップするためガレージから出す。まず、灰受けを取り外して、前回の灰を落とした。これをするときは、機関車を持ち上げないといけないが、片方ずつ上げて、レンガを差し入れ、浮かせるのである。
蒸気圧はすぐに上がって、運転が可能になった。今回は新しく取り付けた給油器のテストである。しかし、配管の一部から軽微な蒸気漏れがあった。そのまま試験を続行したが、どうも油が上手く送れない。蒸気漏れのせいかどうかはわからない。圧力を変えたり、方々のジョイントを外してチェックをした。エラーがあるときは、できるだけ多い条件でデータを集め、原因を推理する必要がある。
走るのに支障はなかったので、5周ほど庭園を回った。ほかには不具合はない。しかし、ガレージに戻ったあと、ポンプも不調になった。こちらも分解して確かめる必要があるか。
というわけで、課題を残した結果だった。仕事が増えてしまったが、ちっとも上手くいかないから、こんなにのめり込んでいるともいえる。
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そのあと、電気機関車に殺虫剤を載せて走り、庭を見回った。昨日いなくなった毛虫がまた出てきたので、退治できた。やはり昼間は出てくるのだ。殺気を感知して逃げたわけではなかった。
疲れたので、昼寝も30分くらい。体調は悪くない。
夕方も庭で高い犬の声がする。子犬でもそんな鳴き方はしない、という声だ。これは、パスカルが水で遊んでいるときの声である。スプリンクラは駄目だが、ホースで水を出すと、ハッスルのスイッチが入る。
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そういえば、国会で議長を部屋へ入れないという実力行使をした党がある。何だろう、長年の負け組に染みついた下品さだろうか。いくら正しいことを言っていても、行動がこれでは馬鹿馬鹿しく見えてしまう。税金を道路ばかりに使うのと同じくらい、エネルギィの使い方を間違えている。そんなことをさせるために、国民は投票をしたのではないだろう、と僕は思うがいかがか。
【社会】 長続きしなければエコではない
エコバッグをスバル氏も使っている。しかしそのバッグ、いつまで使えるのだろう? 1つのバッグで何年も持ち堪えられるだろうか。重量物を運ぶので、すぐに壊れそうだ。壊れなくても、新しいデザインのものが欲しくならないだろうか。短期間で取り替えてしまったら、それはもうエコバッグではない。少なくとも1年くらいでは元が取れないように思われる。
そもそも、マイバックなんか買わないで、あのポリ袋を何度も繰り返し使えば良かったのではないか。どうして新しいバッグが必要なのか? 何故そんなものをわざわざ作ったのか? それを作って売る姿勢が、全然エコではない。
割り箸は自然破壊だから自分の箸を持ち歩く、という運動がかつて流行った。そのために新しい箸が売れた。その箸を今でも持ち歩いている人がどれだけいるだろう?
環境に優しいハイブリッドカーも、最低でも購入したら10年以上は乗り続けなければ意味がない。新しい車を買うよりは、古い車にずっと乗り続けることの方がエコだ。住宅だって、新しく省エネハウスを建てるよりも、古くなっても住み続けることがエコである。
省エネやエコを売りものにしている商品に飛びつくことは、結局は地球に優しくない。とにかく、新しいものを買わない。そして新しいものを作らない。必然的に、経済はどんどん低迷する。この不況こそが、エコだし、地球に優しい。
環境を考えるうえで、最も重要なことは「維持」や「持続」であって、「導入」や「刷新」ではない。「ビジネスチャンスになる」という発想自体が、既にエコではない。
2008年05月01日(木曜日)
【HR】 毛虫もお家へ帰る?
一日曇り空で気温も上がらず、25℃前後。屋外でも過ごしやすいので、庭仕事を沢山した。鋸で木の枝を切ったり、ハサミで剪定をしたりした。スバル氏とホームセンタへも行き、久しぶりに苗を買った。これからの季節に備え、虫対策の品々を購入。
小説の仕事は午前中に片づけた。「α」の執筆は4000文字進んで完成度80%まで。「τ」のゲラを最後まで読み、引き続き「スカイ・イクリプス」の2校ゲラは1/8まで読んだ。「MLA10」のゲラは少し遅れるとの連絡があった。しかし、これらはすべて5月前半が締切。このうえ、「ジャーロ」の連載もある。
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ガレージでは、色を塗り終えた機関車の組立て作業に没頭。今回、塗料を替えて塗り直したのは耐熱性アップのためだったが、とても綺麗なので、ほかの部分も全部新しい塗料で塗り直したくなった。塗ることは簡単だけれど、剥がすのが大変なので、やるとしたら1週間はかかる。でも、たぶんやり直すことになるだろう。給油装置を取り替えたレディ・マドキャップの試験も、明日か明後日に行う予定。
夕方は涼しかった。バキュームで落ち葉や種を拾った。明日はデッキの掃除をしよう。そうそう、昼間に沢山毛虫が集まっている枝を見つけて、スバル氏も悲鳴を上げていたが、殺虫剤を買ってきたので退治しようと思ったら、もういなかった。枝の葉を食べ尽くし、先に集まっていたのだが、そこで立ち往生していたわけではなく、ちゃんと夜はどこかへ帰っていくのだな。やっぱり動物って馬鹿ではないな、と感心してしまった。
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スプリンクラが300円で売っていたので、買ってきた。芝の真ん中に置き、水で回してみた。パスカルが遊ぶのではないか、という期待があったのだが、パスカルは近づかず。まあ、予想どおりといえば予想どおり。その近づかない様を見て、心和みたかったために買った300円。
写真は、映画「スカイ・クロラ」のグッズで、箱の方はティッシュ。ボールペンの方は傾けると飛行機が中でスライドしていく。どうしたら手に入るものかは知らない。
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スバル氏は、自分が嫌いな芸人が少しでも画面に登場すると、そのチャンネルを即座に換えてしまう。ほかの人(たとえば僕)がTVを見ていても気にしない。しばらくすると、またそのチャンネルに戻して、「もう大丈夫かなぁ」と覗いたりするのである。その間だけ、目を瞑るとか、耳を塞ぐとか、はっきり言って、TVから自分が離れてしまえば良いと思うのだが……。
【理科】 理科ができる奴
数学ができる奴に比べると、数学以外の科目ができる奴というのは、べつに特別でもなんでもなく、ごく普通の人である。たとえば、理科ができる奴というのは、単に「ああ、好きなんだなぁ」というふうに見られるだけで、微笑ましくはあっても、凄さというものはない。社会ができる奴も同じで、「そんなに勉強しなくても……」と苦笑してしまうくらいだ。ようするに、オタクっぽくなってくるだけで、能力的にどうこうという差異は感じない。むしろ性格的な差異を感じさせるわけである。数学以外では、唯一語学ができる奴だけは、ちょっと「才能かな?」と思うことがある。英語がぺらぺらくらいでは駄目で、10カ国語くらいが書けて(しゃべれるくらいでは普通)、新しい言語もたちまちマスタする、みたいな人がいるのだ。あと、5教科以外の、体育、音楽、美術などは、やはり才能的な差異を感じる。だから、数学と語学は、運動神経と同じような差異があるのだろう。
理科の場合、オタクっぽさでいうと、やはり筆頭は地学だと思う。なにしろ、先生がとびきりオタクだった。鉱物を愛してやまない感じで、化石を部屋の棚に並べていたら、重さで家が傾いたという話をされていた。しかも、嬉しそうに……。
次が生物ではないだろうか。でも、地学ほどではない。不思議だ。そして、化学や物理になると、そんなにオタくっぽさも感じなくなる。どうしてかというと、アピールする機会がそもそもないし、密かにそれができる奴がいたとしても、周りに気づかれない。「あ、あいつ、そうなの」くらいの感じで、普通の人が、実は物理マニアだったりする。しかも、電気が好きだとか、試験管が好きだとか、かなり狭い範囲に特化されていることが多い。
そういうわけで、理科ができる奴というのは、そんなに書くほど面白いわけではないのだ(書いたけど)。
2008年04月30日(水曜日)
【HR】 今日も調子が良い
さらに気温が上がって、28℃くらいかな。昼間はTシャツでいられる。気持ちが良い。暑いのは好きだ。
やりたいことがあるためか、窓からの日差しのせいか、今日も7時まえに起きた。すぐに仕事を始め、「α」を5000文字書いて、完成度76%。「D&D」の4回分を推敲してFM東京へ発送。ここまで済ませても、まだ9時まえ。それから、「τ」のゲラをあちこち持ち歩き、少しずつ読んで、90%まで。これは明日終わる。ばりばり。
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今日は、塗装をしたかったのだ。気温も湿度も絶好だし、風もそんなに強くない。11時頃から準備をして、工作室の外のデッキで2時間ほど作業をした。今日はコンプレッサとスプレィガンでウレタンを吹いた。失敗もなく、非常に満足な結果になって、気分も良好。このように上手くいくと、ほかにもなにか塗りたくなってしまう。
スバル氏のショッピングは、車を運転しただけで、駐車場で待っている間にゲラを読んだ。窓を開けていても、暑いくらいになる。素晴らしい。
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昨日、K城氏からもらったケーキを、今日2回も食べた。スバル氏も食べている。なんとか2人で消費できた。小さなシュークリームが集まったケーキだったから名付けるなら「シュークリーム集」か。このタイプを初めて見たのは10年くらいまえかな。イギリスとアメリカから雑誌が届いたから、それを読みながら、コーヒーを飲みつつ食べた。音楽もがんがん。
2つの大きな工作はどうにか山を越えた。レディ・マドキャップは、組立ても終わり、明日にでも運転ができる状態。コッペルの方も、明日にも組立てができるが、ウレタンの強度が出るまで2日くらい待とう。GWは、また石炭を燃やしたい。楽しみだ。さて、次なるプロジェクトは?
苗を買ってこなくなった。地面が見えているうちは、やはり植えたくなるのだけれど、緑でカバーされると、それを取り除いてまで植えようという気にならないわけだ。
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近所の傾斜地が、売りに出されていたけれど、買い手がなく、ついに、樹木を伐採して整地することになったようだ。そうした方が、宅地として売れやすい、ということらしい。低い方にコンクリートの高い壁を作り、土を盛って平地にするわけだ。本当に馬鹿みたいだ、と呆れる。せっかくの傾斜地なのに。せっかくの森林なのに。平たいところにしか家が建てられないと勘違いしている人が多いということだろうか。それとも、土木業者が仕事がなくて暇を持て余しているのだろうか。いずれにしても、現在の日本には、トータルとして建設業者が必要以上にいることは確かだ。僕の感覚では、たぶん半分くらいで充分だと思う。
【算数】 数学ができる奴
数学がもの凄くできる奴がいる。僕も、とにかく点を取れるものといったら、数学と物理が頼りで、ほかの暗記科目が全部0点でも、数学と物理で満点を取れば合格できるところを、ということで大学を選んだクチである。
それでも、そんなレベルではない。もっとできる奴がいる。僕の高校は、実力テストでめちゃくちゃ難しい数学の問題が出る。全校生徒の平均点は10点(100点満点)くらいになる。60点くらいを取ると、もうベスト幾つかに入るくらい上位になれるのだ。たとえば、文系志望だったら、東大を狙える奴でも、50点を取れれば良い方だった。5問しか問題はないから、3問を確実に取れるように時間を配分する、なんて姿勢でみんなが臨んでいた。
そういう中で、やはり満点を常に取る奴が数人いた。もっと凄い奴になると、万年筆で解答を書く、とか、2時間の試験時間のうち、最初の1時間は答案を伏せたまま見ない、なんて奴も数年に1人くらいいるのである。人間というのは凄いものだ。それくらい幅がある。
それから、そういう数学の天才は、ほかのことはなにもできないガリ勉タイプでは全然ない。運動部の主将をしていたり、音楽でバンドをしていたり、ほかの分野もむしろ人より秀でている。たぶん、普通の高校にはあまりいない人間かもしれない。
もちろん、先生よりも確実にできるし、授業を受ける必要もないから、先生は彼に「なにをしていても良いよ」という方針だった。
計算が速いわけでは全然ない。計算が速い奴はまた別にいた。5桁くらいのかけ算を即座にできるのだが、そいつは、そんなに数学が得意ではなかった。だから、あれはまた頭の使い方が違うようだ。
2008年04月29日(火曜日)
【HR】 時間がゆっくりの日
爽やかな晴天。気温はひと頃よりは少し低く(今日は25℃くらい)、清々しい。でも、明日からまた暑くなるらしい。僕は暑い方が好きだけれど。
7時まえに目が覚めた。起きてすぐ、まず庭で草取りをしたし、ゴミ出しをした。水やりもしたし、パスカルも飛びついた。
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小説の仕事が少し押しているので、アクセルを多少踏み込んでみた。「α」の執筆は4000文字進んで完成度71%。「τ」のゲラは65%まで見た。それから、「D&D」のエッセィ4回分(4000文字)を一気に書いた。推敲は後日。
途中でスバル氏から提案があり、パスカルをシャンプーすることに。洗っている間は、とても大人しい。終わると、家中を走り回る。ホビールームへはいつも勝手に入っているけれど、このときだけはドアを閉める。びたびたの躰を擦りつけながら走るからだ。
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洗ったあと、庭に出してやったら、気持ちが良いらしく眠ってしまうので、せっかく洗ったのに汚れるといけないから、とまた家の中に入れた。
工作は、昨夜、重要な配管を作った。その続きで、今日は残りの3本を銀ロウづけ。これでレディ・マドキャップの改造はほぼ終了。塗装関係では、明日の作業に備えて色の調合をした。オレンジ色だが、黄色を混ぜる量が微妙なので、仮に塗ってみてチェック。それから、昨日完成した機関車の試運転もした。とんとんと沢山作業を片づけた気がする。
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夕方、講談社のK城氏が来宅。「メフィスト」の編集長だった彼女だが、今は文三を離れ、「小説現代」の編集部にいる。講談社の100周年記念の本で依頼を受けていたが、その打合せ。だいたい話はまとまった。そのあと、スバル氏も一緒にタクシーで出かけ、イタリアン・レストランで食事をしてきた。名古屋で一番美味しかったかも。
今日はかなり沢山のことができた。仕事も進んだし、工作も進んだ。いつもの倍くらいできた気がする。その分、考える時間が短かったのだろうか。同じ時間のはずなのに不思議だ。ときどき、こういうときがある。次から次へ作業が進み、時間経過が遅く感じられる日が。明日も、この好調さを持続したい。
【国語】 国語の先生
先生シリーズの最後。国語の先生は普通の社会人だった。担任になったのも、国語の先生が多い。次が英語の先生だったかな。
漢文の先生だけは少し変わっていた。もう60歳を越えたおじいさんで、いつも腰に白い手拭いをぶら下げているのだが、朝は、若い女性が赤いフェアレディで彼を送ってくるのだ。校門で目撃した生徒が沢山いる。「あれは誰なんだ?」という話が広まった。まあ、順当なところでは「お嬢さんだろう」くらいだったが。ほかの先生にきいてもわからなかった。
この漢文の授業は非常に面白く、僕は国語の中ではだんとつに漢文が好きだった。なにしろ、言葉に切れがある。ようするに美しい日本語というか、鋭い日本語は、こういうところから生まれたのだな、といった感じがした。次に好きだったのは、古文である。試験はまったくできなかったけれど、古文を読むのは大好きで、作文を古文で書いたことがあるほど、真似をしたりもした。だけど、漢文の方が凝縮されている印象で、やはり歴史の長さが違うな、と思った。
先生に関しては、特にどうという特徴もなかった。そうそう、沢山のクラブに入ったけれど、その顧問も国語の先生が多かった。ワンゲル部もそうだったし、高校のときの漫画同好会も国語の先生が顧問だった。運動部の先生が理系が多かったのと対照的だった。クラブの顧問の先生の家へ遊びにいったことも何度かある。国語の先生というのは、そういう「友達になりやすさ」を持った人が多かったのだろうか。それとも、国語を学ぶことの意味はそこ(たとえばコミュニケーションとか)にあるのだろうか。
2008年04月28日(月曜日)
【HR】 パスカル少し痩せる
朝から爽やかな晴天。午前中はスバル氏とパスカルを車に乗せてドライブ。模型店に寄り、塗料を購入。別宅にも寄り、それから安いガソリンも入れたし、コンビニにも寄った。
小説の仕事は、ゲラに多めに時間を配分し、「τ」を45%まで見た。「α」の執筆は4000文字進んで完成度67%。そのほか細かい処理が多数。明日からは「D&D」のエッセィを書く予定。近々、「庭園鉄道〜」のゲラが届くので、そちらの追加執筆もある。5月中旬締切の「ジャーロ」の連載小説もある。さらに「スカイ・イクリプス」2校ゲラが5/12締切、「モリログ10」の初校ゲラも来るらしい。かなりハードだ。「α」をそのまえに書き上げるつもりだったが、ゲラが一部締切変更になったため、少々予定を変更し、後回しにするかも(書き急ぎたくないし)。いずれにしても、1つのものを集中的にやって片づける、というやり方は、僕の場合は向かない。沢山のものを少しずつでも毎日した方が良いのだ。どれからも離れたくない、忘れたくない、ということ。工作もすべてこのマルチな状況で進めている。
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久しぶりに工作もできた。金曜日に塗装した機関車の組み立てに2時間ほど。塗装はかなり良い感じ。じっくりと腰を据えてやればできるじゃないか、と自分に言い聞かせる。ついつい簡単に済ませようとしてしまうのが悪い癖なのだ。
現在、工作関係では大きなプロジェクトが2つ進行していて、1つは、通販で買った塗料を使うもの。明後日くらいに吹き付けだろうか。色の調整を明日くらいやろう。そう、じっくりとやろう。もう1つは、佐藤さんが作ってくれた装置の取り付けだが、あとは配管だけになった(僕にはけっこう大変な工作)。ガスバーナを使う銀ロウづけなので、失敗はできない。1つずつ慎重にやろう。これも、この3日くらいが山場か。
でも、とにかくゲラを見ないと……、と少しでも時間があればゲラを見ている。どこへ行くにもゲラを持っていくゲラ人生。
そうはいいながら、また別の工作をしているわけで、東京でキットを幾つか買ってしまったし、どんどんプロジェクトは増えている。
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パスカルの体重を測ったら、このまえ同じ体重計で測ったときよりも400グラム減っていた。見た目も少し痩せた感じがする。とにかく、もの凄く元気で、動きが軽やかになっていることは確か。すぐに寝転がっていたのが、この頃、活動している時間も長くなった。お腹の調子も良さそうだ。今のところは、良い傾向。
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市民講座(4/1を参照)は、応募期間の半分くらい。現在、250作くらいが届いている。僕はまったく読んでいない。だから、内容のレベルについてはコメントなし。応募様式のミスがなくなったことは嬉しい。Wordの書類を添付してくる人もいるけれど、まあいいや。
【図工】 美術の先生
僕の母親は、息子にいろいろなことを習わせようとした。僕が自分の子供たちにそれをしなかったのは、僕自身が習い事が嫌いだったからである。さて、沢山の習い事(算盤、英会話、水泳、習字などなど……)で1つとして長続きしたものはないのだが、まあまあ悪くないな、と思った例外は「お絵かき」だった。これは、小学校低学年のときだったと思う。
その先生が「こうすれば良いかもね」と教えてくれることが、いちいち凄いと思えたからだ。そういう大人にそれまであまりお目にかかったことがなかったのである。だから、1年くらいは続けたような気がする。最後は厭きたけれど。
ところが、中学に上がって、2年生のときの美術の先生が、そのお絵かき教室の先生その人だった。けっこう有名な画家だったらしい。中学の先生が、小学校の先生と違うのは、みんな専門家だということ。音楽の先生は、どんな曲でもすぐにピアノで弾けたし、習字の先生は、「上手い字」ではなく「凄い字」を書いた。体育の先生は、柔道か剣道が7段か8段という人ばかりだった(そのかわり例外なく年寄りだが)。学科の先生も自信に満ちていた。こういうのは、子供にはもの凄く伝わるものである。その道のプロはやっぱり凄い、大人は凄い、と思った。
美術の先生が中でも凄かった。その先生が描いたものは滅多に見られないけれど、「上手い絵」ではなく「凄い絵」を褒めてくれる。「綺麗さ」よりも、「激しさ」や「新しさ」を求めるのだ。なるほど、これこそ芸術というものだな、と理解した。小学校のときの図工の教育は何だったのか、と子供ながらに振り返ったものである。
2008年04月27日(日曜日)
【HR】 僕の社会経験
新幹線に乗って東京へ。午前中は浜松町で鉄道模型のフリーマーケット。1時間買いものをした。10個くらい買っただろうか。わりと面白いものが多かった。
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お昼に、講談社のK北氏と会い、喫茶店で打合せ。レイアウトがまだ確定していないものの、ようやく「庭園鉄道趣味(仮題)」のゲラができてきた。全ページフルカラーで楽しい本になりそうだ。ただ、少しページ数が多すぎるので、もう少しコンパクトに収めてもらうことにした。隙間を埋めるために書き下ろす部分も多く、そういった作業がこれからある。なんとか予定どおり7月に出したい。
短編集の打合せも少し。僕は講談社で普通のハードカバーの本を出したことがない。箱入りしかないのだ。今回はどちらかというと、普通のハードカバーが良いな、という希望は伝えておいた。でも、これは出版社の意向もあるし、読者の希望もまた違うだろう。自分の意見を強く推すものではない。
「スカイ・イクリプス」の2校ゲラが戻ってきた。現在「τ」を見ているところなので、これのあとになるが、締切が押しているため、少しピッチを上げて見なければならない。ゲラ読みって、執筆より目が疲れるからなあ……。
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僕は今50歳だけれど、民間の会社に勤めた経験は一度もない。ずっと国家公務員だった。大学の先生は下積みみたいな期間がなく、最初からいきなり管理職といえる。助手だって、もう残業手当はつかない。学生と教授の間で、中間管理職みたいなものだ。企業や官庁の人とのつき合いも多いけれど、みんな偉い役職の人ばかりである。
だから、社会的な経験が一般的な社会人とは違っている。苦労がない、というふうに見られがちだけれど、管理職の経験を若いときからするはめになり、いきなり責任のある立場になるようなものだ。助教授は、もう教授とほぼ同等になるから、企業でいったら、部長くらいの感じで、事実上「上司はいない」といっても良い。首を切れるのは大臣だけだ。すべての決定権があるし、また、大学運営のほとんどすべてが見える立場になる。
ずっと、自分は「世の中を知らない」と思い込んでいたけれど、最近になって少し考えが変わった。むしろ、組織というものを非常に見やすい立場にいるのではないか、と。組織の問題点も見えるし、人間関係や利害関係や、あるいは人間の欲望、醜さが、非常に日常的に観察できる立場なのだ。こういう経験は、会社であれば55歳くらいになり、相当偉くならないとできないかもしれない。大きな組織では、なおさらそうだと思う。
そういった経験が「良かった」なんていうつもりは毛頭なくて、幸運でも不幸でもない。ただ、「見た」というだけだし、今はもう二度と見たくない。
【社会】 社会の先生
先生シリーズ第3弾。
社会の先生は、ほとんどお寺の住職さんだった。学校がそういう伝統のところだったからだ。だから、さすがに落ち着いた感じというか、いかにも穏和で人間ができているような、バランスの良い大人が、僕の社会の先生に対するイメージである。
社会は、最初は地理と歴史の2つだったと思う。歴史は、日本史と世界史で先生が違っていたから、3人いたのかな。僕は社会が不得意で、まったく良い点が取れなかったけれど、とにかく勉強といったら、社会の勉強ばかりしていた記憶がある。テストの前日だけだけれど……。ほかの科目は勉強するようなことがなかった(というより、なにをすれば良いかわからなかった)からだ。
だから、ノートを書くのはほとんど社会だし、テストの前にもノートをもう一度書いて、なんとか覚えようとした。残念ながら、まったく記憶できない、というか、どうも頭がそういうふうにできていなかったようである。
地理のO先生の授業は変わっていて、毎回、生徒が10人くらい、黒板を使って少しずつ先生をするのである。O先生はそれを見ているだけで、間違っていたら訂正し、多少補足をする、というだけだった。自分の順番が回ってくる日には、ちゃんと予習をしていかないといけないので、とても嫌だった。しかし、教えた日にやった分はちゃんと覚えられたので、あの教育方法は、なかなかのものだとは思った。
2008年04月26日(土曜日)
【HR】 想像力について
天気予報が大外れで、午前中はずっと雨だった。パスカルの散歩が大変だったみたいで「私たち2人ずぶ濡れ」とスバル氏談(2人か?)。
スバル氏と一緒に駅まで出た。僕は新幹線に乗るため、スバル氏はデパートと、長女M氏と待ち合わせるため。タクシーを降りたところですぐに別れた。GWがもう始まったのかな。ずいぶん混雑している。
午後は、模型店へ行った。残念ながら買うべきものがなく、手ぶらで店を出る。この頃、こんなのが続いているなぁ。日本の模型店はもう駄目なのか。そもそも、模型店に置いてあるような、いわゆる「商品」では駄目だ、ということだと思うけれど……。
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夕方、清涼院流水氏のお宅を訪問。初めてである。ご招待を受けたので、のこのこと出かけてきた。そこで2時間ほどお話をしたあと、近くのホテルの中華レストランへ移動して、そこでさらに4時間ほどおしゃべりをした。清涼院氏は、メールではずいぶん昔から親しいやりとりをしているものの、初めて直接お会いしたのは、つい昨年10月のこと。今回が半年ぶりの2回めである。しかし、また来月も会いましょう、という約束をして別れた。
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今日1つ気づいたことがある。想像力というのは、「力」の文字がつくくらいだから、能力なのだと思うけれど、考えてみると、上手に想像することができる、という力ではなく、つまりは「想像し始めることができる力」なのだ。行動力もそうである。行動が上手にできることではなく、行動を起こすことができる力のことだ。決断力も判断力も、正しい決断や判断ができる力というよりは、単に決断や判断が早いことを示している。結局のところ、「力」というのは、所詮はごり押しする「力」にすぎないのか。ようするに「技」ではないわけだ。技術力という言葉などではじめて、上手にできるという意味になる。おそらく、想像能力、行動能力、決断能力、判断能力というふうに使うと、少し意味合いが違ってくるのだろう。
他人に対する思いやりがないとか、人の迷惑を顧みないとか、そういったものはほとんど、「思い込み」という「想像力の欠如」が原因だが、これは想像が下手なのではなく、想像しないことに起因している。逆に言えば、「想像してみよう」と思い立てば解決する問題であって、力のあるなしよりは、ほんのちょっとだけ思い出す余裕か、自己評価の目があればこうはならない。客観視を怠った状況といえる。
また、想像力が意味するところのもう1つは、目先のことだけではなく、ほんの少し未来を予測する発想である。
他人に対して思いやりがないのも、ほんの少し未来の自分の立場を考えていないからだし、ミスを隠そうとして、事態を悪化させてしまうのも、やはり近未来予測ができていないことが原因だ。これらも、「少し想像したらわかるだろう」という力の不足による。
【理科】 理科の先生
数学の先生よりは少し若く、少し常識人だけれど、隠しきれないオタクっぽさがあったのが理科の先生たち。
中学生になったら、「理科」は、「物理」「化学」「生物」「地学」という学科に分かれて、それぞれ違う先生に教えてもらうことになった。そのどの先生も実に個性的だった。「科学者」というイメージを漂わせている。汚れた白衣で、薬品の匂いがしていた、というわけではないが、どことなく、身だしなみをかまっているような様子が薄く、好きなことに没頭しているふうに見えた。数学の先生たちが、仙人みたいだったのとは、少々方向性が異なり、普通の人間なのだけれど、平均的ではない、ずれている、世捨て人、みたいな感じなのだ(実際のところは不明)。
企業の研究所を辞めてきた、という物理の先生は、自分は貴族だと主張していたけれど、全然そうは見えなかった。化学の先生は、授業中によく鼻歌をうたわれた。生物の先生は病気がちだった。地学の先生は、あるアイドル歌手のファンクラブの会長さんだった。例外なく、知識量が凄く、教えることに陶酔している感じが面白かった。
高校に入ったら、理科の先生はぐんと常識人になった。これは、数学の場合と同じだ。物理の先生は役者をしていて、何度かその演劇を観にいったことがある。僕が小説を書いたあと、それを読まれて、手紙をいただいたこともあった。
2008年04月25日(金曜日)
【HR】 楽しいペンキ屋さん
清々しい日になった。風がやや強い。朝はまずガーデニング。草取りに熱中。
11時頃にスバル氏を美容院へ送っていく。小説の仕事をする予定だったが、気候が最適なので、デッキで吹き付け塗装をすることにした。小さい機関車をオレンジ色に塗った。乾燥を待つ間に、ほかの工作も進める。さくさくと作業が進行して気持ちが良い。吹き付けはだいたい5回くらいは重ねる。1時間半ほどで終わった。まずまずの結果。塗装作業は本当に楽しくて、大好きだ。ただ、もの凄く苦手で、下手なのだ。少しは克服したい。
スバル氏をまた迎えにいき、書店で待ち合わせた。雑誌を探したがない。文庫でも欲しい新刊を探したがなかった。売り場面積は200平米はあるのだが、新発売のものは買えない店だったりする。
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小説の仕事は午後に少しだけ。「α」は3000文字書いて完成度63%。4月末の目標が70%なので、もう少し。「τ」文庫のゲラは25%まで読んだ。「スカイ・イクリプス」の2校が予定変更で早く来ることになった(締切も早まった)ため、スケジュールを組み替える。FM東京の「D&D」の第18〜21回のテーマを考えた。執筆は来週。
押井映画の影響で、「スカイ・クロラ」シリーズが何度か重版している。昨年の6月に映画の発表があってから、ほぼ部数が倍増していて、よほど今まで売れていなかったのだな、と再認識。だいたいこれまでの読者は、ほかのミステリィを読んで森博嗣を知っていた人だったわけで、このシリーズを読むと、「ミステリィじゃない!」という印象になりやすい。ニュートラルで読んでもらえるともう少しは新鮮だろうし、また、本なんかあまり読まない人に作品が届くとしたら、こんなに素晴らしいことはないだろう。そういう機能を持った本というのは非常に作りにくいからだ。普通のTV化や普通の映画化ではこうはならなかったはずで、「押井」の2文字の力であろう。
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夕方も草取りをしたし、水やりもした。緑が少ないときは雑草でも愛おしいものだが、本命のものが生えてくると、やはり雑草は抜かれてしまう。雑草というのは、最初は綺麗なのだ。そんなに悪くない。でも、たちまち伸びて花が咲いたあと、すぐに枯れてしまって汚くなる。そういうものを雑草と名づけたわけだ。ずっとあおあおとしていれば、抜かれたりはしないのに。
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オリンピックのことで、マスコミが中国をかなりバッシングしているように感じる。東京オリンピックのときの日本の方が、空気は汚かったのではないだろうか。公害も酷かったし、安保でデモも凄かったし、かなり危ない国だ、と諸外国から日本は見られていただろう。まあ、44年もまえと比べてもしかたがないけれど……。
聖火が問題になっているけれど、そもそもどこらへんが「聖」なのだろう? 何を訳した言葉かな? ギリシャ神話だろうか? だけど、チベットはチベットの人が望むようになることを願うし、いずれはそうなるだろう。
【算数】 数学の先生
中学に入ると、教科によって別々の先生で、その学科専門の先生が教室へ来る。そんな中で、数学の先生が最も個性的だった。次が理科の先生で、社会や国語の先生はとても常識人に見えた。たぶん、僕の学校がこんなふうに偏っていただけだろう。根拠はまるでない。
中学1年生のときは、代数のW先生と、幾何のK先生だった。W先生は60代、K先生は70代で、どちらも老人だ。W先生は剣道7段で二刀流の師範だという(僕は剣道部だったので見たことがある)。K先生は、職員室から教室までゆっくり歩いてくるので、職員室を5分もまえに出発するのだ。耳が遠いから、質問をしても一度では聞いてもらえない。
また、後期は幾何の先生がB先生に替わった。この先生は授業中によく短歌を詠まれた。突然閃いて、黒板にそれを書かれるので、思わずノートを取ってしまうのである。
それから、数学と理科の先生は、ほとんど東大出身だった。これもどうしてなのかわからない。どこから、そんな噂が流れたのかも知らない。あと、クラス担任は、ほとんど国語か社会か英語の先生だった。やはり常識人だからだろうか。校長や教頭も文系の先生だし。
高校へ上がると、数学の先生が一気に若返った。高2からは、全校生徒500名のうち成績上位200名がAからD組になる。そしてA〜Cの3クラスは理系志望で、クラス担当は全員数学の先生だった。もちろん全員東大出身だ(噂であるが)。中学のときの数学の先生に比べると、みんな若くて常識人で、「この人は凄いな」と思うことがあまりなく、なんだか少しつまらなかった。
僕は、大学で数学の講義を何年か受け持ったことがある。数学はもの凄く教えやすい(というよりも説明しやすい)学科だ。見通しが先々までクリアで、後ろめたい部分がない。けれども、面白い講義をすることは難しい。興味を持たせることが難しい。したがって、まったく関係のない話をついしてしまう。中学のときの先生の気持ちがよくわかった。

