2007年09月23日(日曜日)

【放課後】 何をしていたのか

 小学生のときは、授業が終わっても、明るいうちは学校のグラウンドで遊んでいた。一番多いのは野球だったと思う。ということは、一人ではない。ほかにも男子が大勢いた。でも、場所がそんなにあるわけではないので、公園へ移動して、やったこともある。人数が揃わないときは、キャッチボールをしていた。ボールを使わない遊びをした覚えはほとんどない。
 友達の家へ遊びにいったり、また友達が遊びにきたりすることも、ときどきあった。しかし、家に来ても、遊ぶことがない。工作をしたいけれど、友達と一緒にはできない。当時はゲームなどはないから、家で遊べるようなものがなかったのだ。
 工作ができるのは、お小遣いでなにかの部品を買ったときで、それは1カ月に1回のことだった。そうすると、数日間だけは早く帰ってきて、自分の部屋に籠もっていた。
 小学校のときはクラブには入っていなかった。そういうものがあったかどうかも覚えがない。僕の通っていた小学校は2000人も生徒がいた。そのわりには、グラウンドの取り合いにはならなかったように思う。変だなあ。みんなとは違う行動をしていたのだろうか。
 学校はあまり好きではなかった。どの先生も好きではなかったし、学校のイベントも全部嫌いだった。給食も食べたくなかった。でも、たぶん周囲からはそんなふうには見られていなかっただろう。学級委員には何回も選ばれたけれど、全然嬉しくなかった。自分で立候補するようなものには一度も立候補したことはない。そういう子供だったから、学校が終わったらすぐに教室を出た。ただ何故か、グラウンドにはいられたみたいだ。グラウンドには、親しい友達だけが残っていたように思う。というか、そういう友達とだけ親しくなったのかもしれない。


2007年09月14日(金曜日)

【放課後】 のエッセイ by 太田忠司

 今はもう、いないかもしれない。でも僕が子供の頃、放課後の校門前には魔術師がいた。
 ランドセルを揺らしながら門を出たときに彼らの姿が見えると、わくわくとした気持ちが沸き上がってきたことを覚えている。今日はどんな魔法を見せてくれるのだろう? そんな期待を抑えられなかった。
 彼らは道路の隅に座り、地面に魔法の道具を並べ、子供たちが出てくるのを待っている。すでに気の早い子供が一番前に陣取っていたりする。ある程度の子供が集まると、魔術師はおもむろに声をあげる。
「さあ見てごらん」
 手にしているのは屏風のように折り畳まれた厚紙。それを開くと画が描かれている。鉄人28号だったかエイトマンだったか覚えていないけど、そんなような画だ。
「これを一度畳んでもう一度開くと、ほら!」
 再び開かれたとき、まったく違う画がそこにあった。子供たちの間から歓声があがる。
「こんな不思議な画が、たった百円。百円だよ」
 値段は正確ではない。ただ子供たちが小遣いで買えるぎりぎりの価格だったと思う。だからみんな、こぞって手を挙げた。
「おじちゃん、それ、ひとつくれ!」
 僕もひとつ買って家に帰り、親には見つからないよう家の隅でこっそりと(見つかったら無駄遣いしたと怒られるに決まってる)絵を見た。帯状に裁断された紙が組み合わされていて、屏風を開くときに持つところを変えるだけで違う画が現れるようになっていた。どうやったらこんなものが作れるのか、不思議だった。
 別の日には別の魔術師が、色のついたヒヨコを籠に入れて子供たちを待っていた。赤、黒、青、見たこともないヒヨコに子供たちの眼は輝いた。拳より大きなリクヤドカリが盥の中で動き回っていたこともある。
 簡単に竜の画が描ける筆というのもあった。筆に墨を付け、穂を紙に強く押しつける。そのまま軸を回転させながら動かすと、竜の体が見事に描き出された。
 すべては魔法だった。だから、解けるのも早かった。絵の変わる屏風は、あっけなくバラバラになった。ヒヨコやヤドカリは、すぐに死んでしまった。魔法の筆は……別にその筆でなくてもおなじように描けることに気付いた。
 魔法は消える。だから、なんども魔法にかかった。
 あの魔術師たちは今、どこにいるのだろう?