2008年05月10日(土曜日)

【HR】 未来予測のすすめ

 昨日の夜から雨。今日も一日ずっと小雨。気温が低くなったので、ストーブをつけている。
 午前中に小説を書く。「ジャーロ」の連載を5000文字書いて、完成度は24%。「MLA10」のあとがきの推敲をして発送。

 お昼頃にスバル氏とショッピングセンタへ出かけ、僕はスリッパみたいな靴を購入。ガレージで履いているのだが、3000円もした。スポーツ用品だったが、こんなに高いものだとは知らなかった(スバル氏から「君の経済感覚は古い」と指摘された)。食料品を買ったあと、久しぶりにたこ焼きを食べながら帰った。昨日、N倉氏からもらったチーズケーキを今日も食べた。昼過ぎはガレージで昼寝。
 工作は2大プロジェクトが終了して一息ついているところ。そう、小説も長編が1作終わったから(手直しはまだだけれど)、残り14作になった。こちらもひと山越えた感じだ。

 夕方、「ダ・ヴィンチ」のI子氏が、「MLA10」のゲラを取りにきてくれた。今年中に書く予定の作品(漫画のノベライズ)の打合せも。再来週の取材(受ける方)についても約束をした。

 未来に対して備える場合、「もし○○だったら、どうするのか?」と考える。これは当然のことだ。いろいろなケースを想定し、そのそれぞれの場合に自分はどう対処するのか、という判断をしておき、場合によっては実際に準備もすることになる。
 ところが、そういう考え方がそもそもできない人がいる。スバル氏がそうだ。「もし○○だったら」と想像してごらん、と話すと、「どうしたら○○なんて事態になるのか」「本当に○○になるだろうか」「○○になるなんておかしいではないか」という方向へ考えが向かうようだ。そうではなく、それがあったとき、「自分がどうするのか」を考えてほしいのだが……。
 たしかに、「○○になっては困る」という場合もある。その場合は、そうならないように、今すぐ自分にできるかぎりの手を打つべきだ。しかし、自分の意志や行動に関係なく「○○が起こる」可能性があるとしたら、やはりその場合の対処方法を考えておくべきだろう。
 たとえば、ごく身近な例を無理に挙げてみよう。ネットオークションでいくらの入札をするのか、というとき、「誰かがもし、その値段を超えて入札してきたとき、自分はどうするのか」という判断ができれば、入札の値段が決められる。駆け引きがあるから、戦略的なものもたしかにあるけれど、問われているのは、最終的にはいくらまでなら自分は出せるか、という「自分の気持ちの予測」だけなのだ。相手の出方はまったく無関係である。それなのに、つい「こんなに出す人がいるかしら?」と考えてしまいがちだ。
 他人の未来についていろいろな可能性を想像し、それに対する自分の対処を予測しておけば良い。他人がそのいろいろな可能性のうち、どれをどのように、またどういう理由で選ぶのかを考える必要は全然ないし、予測することなど不可能だ。それこそ、余計な心配というものである。

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