2008年05月09日(金曜日)

【国語】 鈍っていく言葉

 既に書いたとおり、「ちょー嬉しい」や「美味しすぎ」という言い回しは、最近では単に「とても嬉しい」「非常に美味しい」という意味でしかない。強調しているだけである。もともとは、前者は「超」であり、後者は「過ぎ」だ。これは、適切なレベルをオーバしてしまった状態を意味した表現である。たとえば、「超自然現象」というのは、「とても自然な現象」ではなく、「超能力」も「とても能力がある」ことではない。この従来の使用法だと、「超嬉しい」は、嬉しさを通り越して、もう素直には喜べない、気持ちが悪いくらいでむしろ嫌だ、という意味になる。また、同様に「美味しすぎる」というのも、現在の年寄り世代には、美味しさを通り越して、無闇に食べてはいけない、なにか躰に悪影響のある味だ、という意味に受け取られかねない。若い世代には、本来のその意味を知らずに使っている人が見受けられる。
 それは、まあ、べつに良いのだけれど……。
 このように、言葉というのは、表現がどんどん過激になる。逆にいうと、その言葉の持っていたもともとの意味は、しだいに控えめになっていく。オーバにオーバに言う方が面白いから、誰かが使う。すると、それをみんなが使いだし、普通の表現になってしまう。こうして、言葉は「鈍っていく」のである。鈍ってしまうからこそ、さらに鋭い表現が欲しくなり、よりオーバなものが使われることになる。例を挙げるなら、「非常に」も「とても」も「絶対」も「凄く」も、今では、多少強調しているだけで、「ありえないくらい」ではない。「ありえないくらい」も、全然ありえる範囲になった。
 この逆に、もともとの意味よりも、オーバになっていく表現はないだろうか、と考えた。まえに書いた「微妙に」とか、あるいは、「ちょっとねえ……」などは、今では「かなり」に近い。でも、鈍くなる例ほど多くはないようだ。

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