2008年05月17日(土曜日)

【HR】 スペシャル&ベスト

 6時には目が覚めた。楽しいことがある日は必ず目覚めが良い。たとえば、新作機が出来上がって、今日は飛行場で初フライトだ、という朝なんかがそうだ。そして、そういう日は必ず晴天になる。
 1年に2回開催されるスペシャル・オープンディ。僕の庭園鉄道、欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線へ、全国からモデラが集まる日。しかし、今日はその中でも特別な日である。

 このスペシャルオープンディが最初に開催されたのは2005年の秋だったけれど、そのときに、大阪の木内善範氏が7年かけて製作されたシェイという特殊な機関車を持ってこられた。弁天ヶ丘線で初運転をしたのだ。僕はもともとシェイという機関車が大好きで、その中でもそのミシカル#2という機関車が一番好きなタイプだった。その話を木内氏としたところ、なんと、彼が僕のためにもう1台同じ機関車を作ってくれることになった。信じられないような幸運だった。

 そして、その機関車が2年かかって完成し、今日やってきたのだ。2機めとはいえ、こんなに短期間で完成したのは、最も複雑な工作が必要なエンジン部を、大阪の佐藤隆一氏が作られたからだ。この機関車の特徴は、T型ボイラのシェイであること。たぶん、この大きさでT型ボイラのシェイは、現在日本に2台しかないだろう。
 今回の参加者は12名のモデラ。奈良からは86歳の片岡十一氏が初参加で、井上昭雄氏よりご高齢でびっくり。皆さん、本当にお元気で、暑い中(最高27℃)一日中機関車で遊び尽くした。
 一番のハイライトは、木内氏の1号機と、新しい2号機の重連(ダブルヘッダ)だった。たぶんこの写真をウェブで公開したら世界中から感想メールが来そうな夢のレア・ショットだ。夕方5時に無事に終了し、事故もトラブルもなく解散になった。

 しかし、本当は朝10時に木内氏が到着し、弁天ヶ丘線の半径3mのカーブにシェイを通す試験をしたところ、ジョイントが干渉するトラブルが見つかり、本日の走行は無理かと思われた。まず、ここで、何が原因かを突きとめたのが凄かった。次に、佐藤氏が僕の工作室の旋盤を使って、取り外した部品を削ってその場で修正された。これらにトータル2時間ほどかかっている。そうした対処が陰であったから、そのあとの滑らかな快走となったのだ。技術者とはかくあるべき、と思った。「現場で対処できる力」こそ技術者の本領である。
 念願の機関車が来たことで、本当に嬉しい。この10年間で一番嬉しい日になった。皆様、お疲れさまでした。木内氏はもちろん、この場を作っていただいた星野氏にも、大感謝。

 そういえば、数日まえに、ネットオークションで、昭和4年に島津製作所が製造した電気機関車の模型を落札した。架線集電で走るもので、非常によくできている。ただ、バリコンとコイルを使ったコントローラが付属していて、その使い方がわからない。悩んでいたところ、今日、井上さんに見てもらったら、「ああ、そりゃ、鉱石ラジオだよ」と一言。つまり、電車には無関係の装置だったのだ。でも、そのラジオもまた大変貴重なもので、両方とも井上さんに預けて、レストアしていただくことになった。こちらも、願ってもない幸運。

【社会】 災害に思うこと

 サイクロンと地震の大災害が報道されている。他国のことではあるけれど、しかし、日本も台風では伊勢湾台風、地震では阪神・淡路大震災が、いずれも何千人もの死者を出している。それほど昔のことではない。
 こういった被害の情報を聞くたびに浮かぶのは、「それは防げたはずだ」という思いである。現在の技術をもってすれば、その災害は未然に防げたはずなのだ。崩れた建物を見るたびに、「あの構造では崩れて当然」ということがわかる。きちんと構造計算をして、地震に対するごく普通の対処がなされていれば、おそらく失われた人命のほとんどを救うことができたはずだ。その対処をしなかった責任が、どこにあるのか、という議論はしたくないが、少なくとも防げることだけは確かなのだ。自然の猛威だからしかたがない、というものでは全然ない。
 そうした対処がなされない最も大きな理由は、「貧しさ」である。余計なところにお金は回せない、という社会的事情はたしかにある。しかし、それはまた、安価で手軽な対処方法を編み出せない技術者・研究者の責任でもあり、同時に、経済的な利潤を求めることを最優先に考えている企業の責任でもある。
 技術者は何をすべきか。それは、まだまだこれからも考え続け、研究をし続けることだ。また企業は、遠い未来にわたって自分たちの生産物の品質に誇りを持つべきだ。
 もう一度繰り返そう。これらの悲劇を防ぐことができるのは、科学技術以外にない。そして、対処の方法は既に見出されている。

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