2008年04月16日(水曜日)

【HR】 プロフェッショナル

 連日、クレープレモンを食べていたが、今日でなくなった。天気は曇。夜から雨になる。
 朝から庭仕事をした。草取りを1時間ほど。軽く水やりも。僕が一人で庭に出ていると、家の中でパスカルがわんわんと鳴く。スバル氏はこれを「怪しい人がいる!」と訳しているが、そうではなく、パスカルは水やりのときに一緒にいたいので、「さあ、庭に出ましょう!」というのが僕の訳。
 小説の仕事は午前中に片づけた。執筆は7000文字書いてしまい、完成度は28%。書きすぎ。明日はもっとペースダウンしよう。「スカイ・イクリプス」のゲラは3/8まで見た。市民講座の応募だが、pdfで送ってくる人が数人いた。テキスト形式で、メール中にコピィしてもらっても、添付ファイルでも良い。pdfの人は再度、よろしく……。現在100作くらい来ている。「早い方が良い」なんて書いたせいだろうか。

 今回の市民講座には無関係だし、また、このMLAのことでもない。講義や講演をするのが、僕の仕事だった。だから、少なくともプロだと自覚している。講義というのは、自分の知識を自慢するためにする行為ではない。教えてやって気持ちが良い、ということはまったくなく、むしろ反対で、僕は講義や講演のあと、だいたい気分が悪くなる。
 10を知っていても、1しか話さない。厳選して、シンプルにしなければ伝わらないからだ。したがって、不完全なため誤解が生じたり、また知っている人から見れば「それは厳密にいえば間違っているだろう」「お前は知らないのか?」と思われたり、といった危険性があっても多くを語ってはいけない。そもそも、仕事とは自己主張ではなく、人に好かれるためにする行為でもない。
 よくできる学生は、そんな講義のあとに「先生、あれは間違いではありませんか?」と言ってくるので、「そのとおり、よくわかったね」と褒める。そんな学生には、講義など必要ないのだ。彼には申し訳ないが、照準はそこには合っていない。
 仕事というのは、得られた賃金に値するようなものを返す行為である。楽しいから、好きだから、憧れていたから、という動機で仕事をする人間には、その自覚が欠けていると僕はときどき感じる。自分の満足が優先されがちだからだ。
 たとえば、このMLAを書くことで、僕は1年間に約900万円をいただいている。長編を1作書けば、印税だけで何千万円にもなる。某社がスポンサになった作品では、宣伝料として1000万円を(印税とは別に)いただいた。金額を書いたのは、こういった場合のプレッシャを想像してもらいたいからだ。このプレッシャこそ、仕事の本質ともいえる。生半可な気持ちでするわけにはいかない。1をするために10も100も考える。成果に対してどんな批判が来るか、すべてシミュレートする。何が褒められるかも、もちろんすべてわかる。想定外のことなど起きないくらい計算しなければ、とても作品を手放すことはできないだろう。プロフェッショナルというのは、そういうものだと僕は理解している。

 推理作家協会から、住所に郵便が届きません、というメールをいただいた。まえの住所からの転送を4月からやめたからだ。しばらく会費を払った記憶がないので、「会費が未納だったら払いますので、口座を教えて下さい」ときいたところ、協会が発行したアンソロジィに僕の作品が掲載されたから会費は免除、とのこと。ああ、そうだったのか……。「無償で作品を提供した」と過去に書いたことがあるが、これは不正確だった。お詫びを兼ねて記す。

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