2008年04月26日(土曜日)
【HR】 想像力について
天気予報が大外れで、午前中はずっと雨だった。パスカルの散歩が大変だったみたいで「私たち2人ずぶ濡れ」とスバル氏談(2人か?)。
スバル氏と一緒に駅まで出た。僕は新幹線に乗るため、スバル氏はデパートと、長女M氏と待ち合わせるため。タクシーを降りたところですぐに別れた。GWがもう始まったのかな。ずいぶん混雑している。
午後は、模型店へ行った。残念ながら買うべきものがなく、手ぶらで店を出る。この頃、こんなのが続いているなぁ。日本の模型店はもう駄目なのか。そもそも、模型店に置いてあるような、いわゆる「商品」では駄目だ、ということだと思うけれど……。
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夕方、清涼院流水氏のお宅を訪問。初めてである。ご招待を受けたので、のこのこと出かけてきた。そこで2時間ほどお話をしたあと、近くのホテルの中華レストランへ移動して、そこでさらに4時間ほどおしゃべりをした。清涼院氏は、メールではずいぶん昔から親しいやりとりをしているものの、初めて直接お会いしたのは、つい昨年10月のこと。今回が半年ぶりの2回めである。しかし、また来月も会いましょう、という約束をして別れた。
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今日1つ気づいたことがある。想像力というのは、「力」の文字がつくくらいだから、能力なのだと思うけれど、考えてみると、上手に想像することができる、という力ではなく、つまりは「想像し始めることができる力」なのだ。行動力もそうである。行動が上手にできることではなく、行動を起こすことができる力のことだ。決断力も判断力も、正しい決断や判断ができる力というよりは、単に決断や判断が早いことを示している。結局のところ、「力」というのは、所詮はごり押しする「力」にすぎないのか。ようするに「技」ではないわけだ。技術力という言葉などではじめて、上手にできるという意味になる。おそらく、想像能力、行動能力、決断能力、判断能力というふうに使うと、少し意味合いが違ってくるのだろう。
他人に対する思いやりがないとか、人の迷惑を顧みないとか、そういったものはほとんど、「思い込み」という「想像力の欠如」が原因だが、これは想像が下手なのではなく、想像しないことに起因している。逆に言えば、「想像してみよう」と思い立てば解決する問題であって、力のあるなしよりは、ほんのちょっとだけ思い出す余裕か、自己評価の目があればこうはならない。客観視を怠った状況といえる。
また、想像力が意味するところのもう1つは、目先のことだけではなく、ほんの少し未来を予測する発想である。
他人に対して思いやりがないのも、ほんの少し未来の自分の立場を考えていないからだし、ミスを隠そうとして、事態を悪化させてしまうのも、やはり近未来予測ができていないことが原因だ。これらも、「少し想像したらわかるだろう」という力の不足による。
【理科】 理科の先生
数学の先生よりは少し若く、少し常識人だけれど、隠しきれないオタクっぽさがあったのが理科の先生たち。
中学生になったら、「理科」は、「物理」「化学」「生物」「地学」という学科に分かれて、それぞれ違う先生に教えてもらうことになった。そのどの先生も実に個性的だった。「科学者」というイメージを漂わせている。汚れた白衣で、薬品の匂いがしていた、というわけではないが、どことなく、身だしなみをかまっているような様子が薄く、好きなことに没頭しているふうに見えた。数学の先生たちが、仙人みたいだったのとは、少々方向性が異なり、普通の人間なのだけれど、平均的ではない、ずれている、世捨て人、みたいな感じなのだ(実際のところは不明)。
企業の研究所を辞めてきた、という物理の先生は、自分は貴族だと主張していたけれど、全然そうは見えなかった。化学の先生は、授業中によく鼻歌をうたわれた。生物の先生は病気がちだった。地学の先生は、あるアイドル歌手のファンクラブの会長さんだった。例外なく、知識量が凄く、教えることに陶酔している感じが面白かった。
高校に入ったら、理科の先生はぐんと常識人になった。これは、数学の場合と同じだ。物理の先生は役者をしていて、何度かその演劇を観にいったことがある。僕が小説を書いたあと、それを読まれて、手紙をいただいたこともあった。