2008年04月24日(木曜日)
【HR】 保守と革新
雨の一日。午後には晴れる予報だったが、晴れず。寒くはなく、暑くもない。塗料が届いたけれど、今日はちょっと無理だ。FM東京からシンディ・ローパーの最新アルバムのCDが届いたので、今日はずっとこればかり繰り返し聴いた。5回聴いたかな。
「α」は6000文字を書いて、完成度は60%。今書いているのは9月に講談社ノベルスになるもの。5月の講談社ノベルス「カクレカラクリ」は予定日には出ない。1カ月以上遅れる見込み。カバーイラスト担当の山田章博氏が入院しているため。7月刊の「τ」のゲラは15%まで見た。
講談社で7月発行予定の「庭園鉄道趣味(仮題)」の編集がようやく動きだした。昨年に原稿を渡していて、早くゲラが見たいとお願いしていたが、まだ見せてもらえない。遅すぎる。早くページ数を確定してもらい、足りない分を書き下ろすつもりだ。
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ガレージで機関車の改造を始める。新しい給油装置を取り付けるためだ。もの凄く迷った。度重なる改造で、無駄な部分ができている。改造した段階では、安全を見て徹底的な改造ができなかった。改造が成功しない可能性があるからだ。それらの改造が成功を重ねたからこそ、安全を見ていた部分が無駄になった。それらをすべて今やり直して最適なものを求めるか、それとも、調子良く作動している部分は残して、最低限の改造に留めるのか(こうすると無駄がますます増えるが)。じっくり考えたが、今回も後者を選択した。徹底的に直すのには時間がかかるし、調子を崩す危険性が高い。こういった悩みというのは、常にどんな分野でもあるものだろう。
つまり、今回は「保守」だったわけである。このように、保守を支持し続けると「無駄」が蓄積する。その場その場では最適な選択をしていても、結果的に無駄になるのである。「革新」を選択するには、よほどの不具合があって、しかも余裕があるときに限られる。きっと、社会も同じだろう。
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ところで、「調子が悪い」ことをもの凄く深刻に口にする人がいるが、それがその人のデフォルトなのではないか、と傍から見ていて思うことが多い。僕は調子が悪い状態が自分のデフォルトだと考えていて、調子が良い状態は特別だと認識している。しかし、世の中の人を見ているかぎり、「今調子悪くて」と口にする人は、悪い状態でいる時間の方が長く、「今調子良い」と口にする人は、良い状態の方が長いように思う。僕の場合も、調子が悪い時間は幸いごく短い。どうして、それがデフォルトだと考えるのかは不明。単に性格だろうか。
【国語】 ルビの影響で?
ルビというのは、漢字の読み方を記したものである。「振り仮名」「読み仮名」ともいう。2006年7/22と、2007年5/15に書いたので参照のこと。一般の書籍では、小さい「っ」や「ゅ」などがルビには使われない。僕もデビューするまで気づかなかった。
縦書きの場合、ルビは漢字の右横に記すが、1つの漢字が、仮名にすると3文字、4文字になることがあるので、スペース的に苦しくなる。漢字の大きさよりも、ルビの方が長くなってしまう場合も多い。漢字が1文字のときは、少々ルビがはみ出しても支障はない。しかし、熟語などで漢字が並んでいて、ルビも連続するときは困ったことになる。
もともと、漢字と読みが対応した位置に記す方法が多いみたいだ。たとえば、「西之園」などのルビは「にしの その」のように並んでいる。「之」だけがルビが1文字だから変な間隔になる。「台詞」のように熟字訓のときは、「せ り ふ」と等間隔にルビが並ぶ。「だいし」と読むときとは、並び方が異なる。
たとえば、「山吹早月」は「やまぶきさ つき」である。なんだか、ルビだけを読むと「やまぶきさ」が姓で、「つき」が名前に見えるが、ルビというのはあくまでも補助的なものなので、そんなに目くじらを立てることもないだろうか。ここまでは、べつに問題はないとしよう。
ところが、「海月及介」の場合は、さらに変だ。ルビは「くらげきゅうすけ」と普通なのに、なんと本文の漢字の方が「海月及 介」になる。これは、「きゅう」が長いから、漢字の方でスペースを入れて調節したのだ。どうなんだろう、これっておかしくない? 補助的なものによって元の方が変わってしまうって、不自然な気がするのだ。本を沢山読んでいる人が築き上げたシステムだから、これで良いと思う人が多いのだとは思うけれど、不思議な美的センスだな、と僕は感じる。