2008年04月18日(金曜日)
【HR】 本の買い方
雨は峠を越えて、小雨か曇。
午前中に小説を書いた。今日はセーブして6000文字。完成度は40%。ゲラの方は5/8まで。ともに順調。明日と明後日がまたオフなので、一時中断となる。そのほか、細かい確認が幾つか。契約書にサインして発送も。
お昼頃、スバル氏と銀行とショッピングセンタへ。書店にも寄ったが、1冊として手に取るほどのものはなかった。
ショッピングセンタの中にある書店というのは、どうかしているんじゃないか、と心配になるような品揃えのところがままある。なんというのか、どういう人がここへ来るのだろう、と思える感じというか。雑誌のコーナでも、僕が読めそうなものが1冊としてない(だいたい、月刊誌は40〜50冊は気にして毎月内容を見ているのに)。よくもここまで避けられるな、と思う品揃えである。
かといって、もの凄く大きな書店へ行っても、ない本は絶対にないわけで、たとえ端末で検索ができても、やはりないものはない。案の定ないのである。そういう珍しい本というのは、ネット書店にもない。どこにあるのかというと、専門店に置いてあったり、出版社に直接注文しなければならない。少なくとも書店に注文するときのような不安はなく、確実に買えるので不満はない。でも、見て買うことはできないわけだ。
海外の模型だって、ネットオークションだって、通信販売だって、実物を見て買うことはできないけれど、これまで、実物が届いてがっかり、といった失敗をした経験は一度もない。ただ、一般の書籍だけが、中身をぱらぱらと眺めてから買うという習慣になっているだけだ。特殊な書籍(専門書、古本など)は、やはり見ないで買っている。つまり、書店で本を買うという現在の状況が特異なのであって、今後は、町の書店は減ってくるわけだし、実物を見ないで買う世代がどんどん増えるだろう。
ちなみに、僕は紙に印刷された文字よりも、液晶画面の文字を読む機会の方がずっと多い、という生活をもう20年以上続けているためか、紙の上の文字を読むことが苦手だ。とても目が疲れる。反射が気になるし、長時間続けると頭が痛くなる。細かい文字なんか本当に読みにくい。これと同じように、「紙の本が読みやすい」という意見も、単なる習慣によるものだ。今の子供たちは、「紙の漫画は読みにくい」とか、「色のついていない絵は見る気がしない」と言っているそうだ。静止画離れの世代なのである。
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昨年作った蒸気機関車の塗装が今ひとつ気に入らなかったので、もう一度分解して別の塗料(色は同じだが)で塗り直すことにした。今日は、そのための分解をガレージで行った。手が真っ黒になった。雨が降っているうちに準備をして、晴れた日に、外で塗装をしよう。
【社会】 お金はメディア
前回の続きかも。
商売というのは、利潤を求めるための行為であるから、商品の値段は、それを仕入れたり作ったりするよりも高く設定されている。その分が利潤になる。どんなに「出血大サービス」「赤字覚悟で」なんて謳っていても、トータルで損をするようなことは絶対にしない。口では「安くご提供して、お客様に喜んでもらうことが私たちの仕事です」なんて言っているけれど、「安く」すれば、その分、客が増えるから「増収」になる、と見込んでいるだけだ。
もちろん、だからといって、それが悪いわけではない。どんな商売も、いかなる仕事も、この道理で行われている。資本主義の基本だ。
そもそも、持っているものを交換し合うような動物というのは地球上に人類しかいない。共産主義というのは、自然界の動物の群れの営みに根ざしたシステムに近いものを感じるが、資本主義は、まさに人間の頭脳が考え出したもの、というふうに見える。
ものを交換してお互いが得をする、という方法を知ったのは、未来予測が可能な知能があったからだ。「お金」なんて単なる紙切れなのに、これによって交換行為の時間的ずれを克服したし、また、知恵を絞り努力をすれば、生活を維持する水準をはるかに越えた価値を手にすることができ、またその価値を作り出す意味も生じる、という具合に歴史を作ってきたわけだ。
一方では、交換が不当なものにならないように、騙したり、搾取したり、強引に奪い取ることを禁じるルールを作った。
お金のために破滅する人間もいるけれど、お金はあくまでもメディアである。どこに価値があるのか、そのコンテンツを知っている人は、お金で失敗することはまずないだろう。