2008年04月14日(月曜日)

【HR】 何が嬉しいのか

 朝方に雨が上がって、抜けるような晴天になった。とても暖かい。これでは植物が育たないはずがない。
 午前中に小説の仕事を片づける。新作の執筆は5000文字進み、完成度は15%。ちょっと書きすぎた。「スカイ・イクリプス」のゲラを見始め、今日は1/8まで。

 お昼頃、スバル氏の買いものでダイエーへつき合う。書店も回ったが僕はなにも買わず。100円ショップにも寄った。ここでしか売っていない商品があるため。それから食料品売り場へ。
 庭掃除を1時間ほどかけてした。主に落ち葉拾い。パーゴラにつたっているクレマチスや蔓薔薇などがまた勢力を広げている。こうしてみると、鉄道のような人工物はすぐに完成しても、植物が形を整えるのには何年もかかることがよくわかる。ようやく、いろいろな樹や草が、思うような形を成しつつあるかな、と思えるからだ。たとえば、地面の苔なんかも、知らないうちに広がって立派になっている。細くて添え木をして支えていたものが、もう何メートルもある大きな樹になっているのだ。
 まだ蚊がいないから、この季節は庭で活動がしやすい。でも、もっと寒いときに準備をしておかないと駄目なことも多い。今からでは遅すぎる。ようするに、活動がしやすくなるときを待っていては、なにごとも大成しないということかも。

 庭でパスカルを僕が抱っこして、スバル氏が毛を切った。足の毛が長すぎて、モップみたいに地面に接していたからだ。
 工作はお休みで、土日で稼働した機関車たちの整備をした。今回、故障などのトラブルもなく、修理もない。とても順調なオープンディだった。また、次回に備えよう。

 人間というのは、自分の持ちものが増えると嬉しく感じる。たとえば、お金が貯まったり、コレクションが増えると満足できる。これと同じように、自分の能力が増えると嬉しい。なにかの技能がアップしたり、知識が豊富になったりした場合だ。何故だろう? つまり、「成長」のイメージだからだろうか。それとも、お腹がいっぱいになるような感覚だろうか? 昔は、太ることが良いことだったが、たぶん同じ理屈だと思う。どうせ、最後は無に還るものなのに、一時的でも「蓄積」は心地良いものだ。「消費」も楽しいけれど、一般に、お金を払う代わりになにかが得られる。本能的な「欲」というものはすべて、自分にとって、なんらかのものが増える行為だとも思える。広い意味での生産行為ともいえるか。

 僕はコレクションには興味がないが、たとえば今一番嬉しいと思うのは、やはり工作で納得のいくものができたときで、子供の頃に比べたらこんなに上手になったのだ、と感じることだ。

【体育】 ボールの回転

 一般にボールは回転しながら飛ぶ。回転しないで飛ぶこともあるが、むしろ難しい。ちょっとした力の差で、たいていはどちらかへ回転してしまう。子供の質問で、「何故、地球は回転しているのですか?」なんてのが多いが、止まっている状態の方が奇跡的なだけである。
 ボールを普通に投げると、ボールの前から見たとき、下から上へ模様が流れるような回転をしている。ボールから手の指が離れるとき、このような力をボールに与えてしまうからだ。この回転によって、ボールの飛び方は違ってくる。
 ボールが回転していると、ボールの表面に触れる空気がこれにつられる。ボールに当たった空気は、ボールの上を通る流れと、下を通る流れに分かれるが(もちろん左右にも分かれるけれど)、この分岐する位置が回転によって移動するし、上下に分かれる空気の量もアンバランスになる。たとえば、飛行機の主翼の断面も上下で非対称になっているため、上下に分かれる空気のバランスをわざと崩して、気圧差を生じさせることで揚力を得ている。これと同じように、上記の方向に回転するボールも空気によって揚力を得る。だから、遠くまで飛びやすい。回転がある方が、伸びが良いボールになる。逆に、この回転を少なくする投げ方をするのがフォークボールなどの「落ちる球」だ。また、回転を横方向に与えたものがカーブやシュートになる。
 卓球やテニスでも、カットといってラケットを下げながら打ったボールはこの回転が付き、球が浮いて落ちにくい飛び方になる。逆にラケットを上げながら打つと、ネットを越えて鋭く落ちる回転になる(ドライブをかけるというのかな)。
 これは「理科」ではないか、とも思ったが、理屈が詳しく説明されていないので、「体育」にした。

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