2008年04月04日(金曜日)

【HR】 らしくなくても

 暖かさを取り戻しつつある。麓の桜は散り始めているが、森家の桜はようやく2割ほど咲き始めたくらいか。
 7時に起きて、いきなり工作をした。たまにはこういうサイクルも良いかな、と試してみた。このように、ときどき生活のリズムを意識的に変えることにしている。せっかくの人生なのだから、いろいろ試してみないとね、みたいな。
 予定外でスバル氏とデパートへ行くことに。駐車場も空いていて、売り場も空いていた。パスカルはまた留守番。久しぶりにKHの店に寄って、シャツを6、7枚まとめ買いした。たいてい買うときはこんなふうで、その季節に着るものをすべて一度に買ってしまう。何十万円も買うことが多い。僕の場合、試着はしないし、店に入って5分くらいで買うものをすべて決める。帰ってきても、袋から出すことはなくて、そのままだ。買ったことを忘れて、その季節が過ぎても着ないものがあるけど、そんな場合は次の年に着ることになる。こうして無意識のうちに流行を外しているのかもしれない。

 帰ってきて、また工作を再開。今日は木工。わりと細かいものを作っている。
 パスカルがはしゃぎすぎて、ソファから落ち、手を痛めた。よくあるのだ。しばらく耳が下がってしまう(いつも下がっているのだが)。ものも言わなくなるし、ジャーキィもササミも食べなくなる。ショック状態みたいな感じだ。1時間ほどするとけろっとして立ち直っている。
 「スカイ・クロラ」シリーズの文庫の掛け替え用カバーの絵がもう出来上がってきた。早いなあ(というよりも出版界が異様に遅くて、いつもぎりぎりなだけだが)。長編執筆はまだ。引用を書いて、人物表も作ったから、もう書ける。

 「らしくない」という言葉をよく耳にする。ある人のイメージを他人が勝手に抱いて、そのイメージと本人の行動が一致しない場合を表現しているのだけれど、しかし、本人の知ったことではない。本人はいつも自分らしく行動している場合が多いのだ。また、自分に対しても勝手なイメージを持つことがあって、その場合も「これは自分らしくない」なんて言ったりするのだが、ようするに素直でないだけのことである。自分で決めたことは守った方が良いのは当たり前だけれど、守れないときだってあるだろう。「らしい」かどうかよりも、その場における判断の方が優先するのは自然。
 それから、よくある皮肉というか「やっかみ」みたいなもので、「いやあ、研究者っていうのは、金にならないようなことばかりやっていられて良いですなあ」とか、「お金があると、好き勝手なことができちゃうわけですねぇ」とか、たまに言われることがある。面と向かって言われる場合は、悪い印象は全然ない(微笑ましい会話の1つ)。ただ、陰で言う場合は明らかに「やっかみ」になるだろう。こういうときに切り返す言葉があるので、ここに書いておこう。「まあ、そのために研究者になったんですからね」「好き勝手なことがしたいから、お金を稼ぐんじゃありませんか?」

【社会】 花の街

 スイスやドイツの民家には、窓辺などに花が飾られている。そんな写真や映像を見た人は多いだろう。僕は子供の頃に、この印象がとても強くて、ヨーロッパの人はそんなに花が好きなんだな、と感心した。そういう目で見ていると、イギリスの庭園とか、オランダの水車の周囲とか、異様に花が多いのだ。
 ところが、現在の日本を観察すると、もの凄く花が多くなったことに気づく。どこの家にもたいてい花が飾られている。庭にも花がいっぱいだ。桜だって僕が子供の頃よりもずっと増えた(そもそも街の緑は昔の何倍も多い)。本当に花だらけである。ホームセンタにも花がいっぱい売られているし、みんながそれを買って、自分の家の庭や玄関先に飾っているのだ。
 これはつまり、かつてのヨーロッパに、今の日本みたいな豊かさが既にあったのだろう。べつに日本人は花が特別に好きなわけではない。お腹も膨れないし、なんの利益も産まないのに、「綺麗だから」という理由だけでそれを飾る。そういう「ゆとり」が生まれたのだ。
 昔は緑も少なく、また公害で都市は殺伐としていた。その後、「環境」という言葉が使われるようになり、どんどん綺麗になっていった。濁っていた川の水も綺麗になって、生物が棲める環境になった。一所懸命植えた樹が生長し、都市に大木が増えている。さらにそのあと、「アメニティ」という言葉が使われるようになって、より積極的な快適さを求めるようになった。
 僕は数年まえまで花が嫌いだった。自分の庭に花を植えるなんて考えもしなかった。今、それができるのは、多少は生き方にゆとりができたおかげだろうか。それ以外の分析は難しい。

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