2008年03月23日(日曜日)
【社会】 綺麗事の演出
10年くらいまえだったと思うけれど、衛星通信を使って授業をしてほしい、という依頼があった。学内にその設備が導入されたので、それを使用している実績がほしい、みたいな話だ。そこで実現したのは、隣の大学とテレビ電話で話をしながら、双方の学生が講義を受けられる、というものだった。しかし、その隣の大学は、車で15分も走れば行ける距離なのだ。なにも衛星を使ってやらなくても良いのではないか、と思えたが、そういう疑問の声は何故か出なかった。
一方では、大学のコンピュータの端末室は、朝9時から夕方5時までしか使えない。国際化を叫びながら、これでは、地球の反対側とチャットもできないではないか、という意見を述べたことがあるけれど、まったく聞き入れられなかった。
パソコンを使った教育をどのように行っているか、という視察団をアメリカへ送ったりしていたので、そんな金があったら、パソコンかソフトが買えるだろう、と感じたが、そういう意見は出なかったようだ。
僕が若い頃には、1990年代には宇宙ステーションが実現する、と言われていた。それがなんのかんのと遅れて、ようやく今頃になって形が整ってきた。こういうとき、必ず小学生や中学生を何人か集めて公開のイベントを行い、「子供たちの夢」みたいなことを大人が押し付ける光景が見られる。衛星放送を使った講義と同じく、マスコミ向けのサービスなのか、自己満足なのか、わからないけれど、「そんなことをするためのものか?」という声は発するべきであろう。
だいたいが、予算を取って行われる企画は、このように「見せかけ」の綺麗事を演出して、花火のように拍手をして「綺麗だなぁ」で終わってしまうのである。