2008年03月14日(金曜日)

【社会】 予見どおりになる社会

 僕が社会人になった頃は、まだ会社を辞めることはかなり特別なことだった。それ以前は、一度勤めた会社に「骨を埋める」ことが一般的であり、会社も社員も、それを当たり前のことだと認識していた。けれど、だんだん転職が一般的になり、会社を辞めることに対する抵抗が、社会的にも小さくなった。20年くらいまえの好景気の時代には、それが美化されたりしたし、いよいよ日本も欧米並みに実力主義になった、ともてはやされたように思う。大学の推薦で就職した学生が、会社を簡単に辞めてきたり、一度就職した卒業生が大学院に入り直す、といった例も増えた。転職も離婚も、あっという間に市民権を得た感じだ(表現が不適切)。
 人を使う立場から見ると、単なる「労働力」であれば、誰でも同じであり、人が変わっても問題はない。むしろ、新しくなった方が都合が良かったり、バイトの人間の方がリスクがない、という利点は大きい。一方で、仕事はそういった「労働」ばかりではない。人はノウハウを蓄積する器だ。文字どおり「人を育てる」ことが仕事のうちでもあり、これを無視するわけにはいかない。
 安い賃金の労働力が得られることと、ノウハウを持った人間が高い賃金を求めて逃げていくこと。この2つが、完全に定着したのが、その後の20年間だったと思う。トータルとして、安いものが作れるようになったけれど、ノウハウが蓄積しにくく、企業の技術力は衰えたかに見える。ワーキングプアなど、心配されたことも、予想どおり顕在化している。
 予想されているのに、手を打たなかったところは、「でも、そのときはしかたがなかった」「いずれなんとか好転するだろう、と思った」と語る。僕が見るかぎり、社会の問題というのは、起こって初めて気づく、というようなものはほとんどなく、必ず何年もまえにそうなることが予見されている。少数の人が予兆から未来を予測して警告する。大多数は「今と過去」しか見ていないので、警告は聞き入れられず、したがって予見のとおりになる。

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