2008年03月09日(日曜日)
【HR】 視点と台詞
朝から暖かい。いよいよ本当に春か。
「スカイ〜」第8話は今日も1500文字。毎日ここで止めている。ゆっくり書こうというチャレンジ。「どきどき〜」のゲラは55%まで。どうも変なゲラで、ルビがやたら不自然なのだ。編集部に問い合わせ中。だいたい、ゲラ校正というのは、禁則処理をし、漢字の表記を直すことがほとんどの作業だが、これに今回はルビのチェックが加わって作業量倍増である。文庫化に際して文章を書き直すようなことは、僕の場合まずない。
暖かいので、庭で水やりをしてから、機関車を出して走らせた。線路には異常なし。ポイント関連もすべて点検できた。3月はまだないが、4月になれば乗客が急増するだろうから、車両の点検もそろそろしなければならない。夕方の5時になっても太陽が眩しく、暖かかった。
お昼頃、スバル氏が子供たちとショッピングへ出かけていった。スバル氏のミニではなく、長男S氏の車で。僕はパスカルと留守番。パスカルは「たっち」ができなくなってしまった。犬にもスランプがあるようだ。工作室で金属に穴あけとねじ切りを多数こなす。暖かいだけで、作業が進む。
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小説を書いていて、あるいは読んでいて、頻繁に「あれ?」と思うのが視点である。どこから見ているのか、というカメラの位置だ。漫画ではこれがわかりやすい。コマごとに視点が変化するが、たとえば、AとBの2人が話をしているときに、Aが話す場面は、BからAを見た構図なのか、それともAの後ろからBを捉えた構図なのか、でだいぶ違ってくる。映画やアニメでも同じ。
漫画の場合は、話している人間をコマに入れないとわかりづらい。音声が使える映画やアニメは、話している人物を画面に入れなくても良い。つまり、Aが話しているとき、それを聞いているBをずっとカメラで捉えることができる。
このように、ドラマや小説で視点を意識してしまう人は、それを作る側に回ってもやっていけるかもしれない。
ちなみに、映画を作りたかったら、小説を書きたかったら、映画を見るよりもドキュメンタリィ映像を、小説を読むよりもエッセィなどを、すなわち映画や小説以外のものに多く接した方が、視点や転換の技法を学ぶという意味では勉強になるのではないか、と僕は思う。その理由は、僕がそういったもので学んだからだ。
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ところで、TVドラマ(あるいは吹き替えした洋画)は、映画に比べると台詞が聴き取りやすい。お芝居に近い明瞭な発声だ。アニメも、TVのアニメはお芝居に近いしゃべり方をする。わかりやすく、また感情が籠もっている(ように聞こえる)。しかし、そうとうオーバなのだ(特に、「はっ」というようなリアクション)。映画になると、話し方がより自然になる。抑揚がない、相手だけに聞こえる音量の普通の話し方になる。聞き取りにくいけれど、格段にリアリティがあって、僕はこちらが好みだ。聞き取れなくても、字幕を出してくれれば良いとさえ思う。一般に、第三者が話している言葉って、かなり聞き取りにくいものだ。洋画の吹き替えやTVアニメのしゃべり方は、お芝居を見ているみたいで、伝統芸能としては認められるけれど、僕にはリアリティが感じられず、感情移入の障害になることもある。
【社会】 やっていけるのか?
「こんなところに、こんなものを作って、やっていけるのだろうか?」と思ったことが誰にもあるだろう。たとえば、田舎に大きなショッピングセンタを作っていたりするのを見たときだ。いろいろな理由がある。
1)一時的には集客があるから、そのときに元を取ってしまう。
2)人気があるうちに、周囲の土地が値上がりし、そこを売って元が取れる。
3)赤字を出すことが目的である。
4)なにも考えていない。
街中に作られるものは1)のケースが多い。かなり短期決戦で計画されている。昔よりもずっと動きが早い。効率が悪くなったときには素早く売ってしまう。その差額を短期で稼ぐわけだ。郊外やリゾートに作られるものは2)が多い。周囲に住宅地が作られたり、別荘地ができたりする。ただみたいな土地が売れるのだ。人口が増えればさらに活気が出る、ということはまずなく、土地が半分も売れたらもう商売としては終わりである。3)のケースは、お堅い博物館や、僻地に作られる美術館などに多い。税金対策として作られているものだから、入館者などはなから期待していない。たとえば、森博嗣が山奥に模型博物館をオープンさせた、みたいな想像をしてみよう。展示物は経費で落とせるし、トータルの事業として赤字が出れば、税金を一銭も払わなくても良いのだ(真似をしないようにしよう)。4)は、ときどき出没するお洒落な雑貨店やペンションなどである。とにかく、「自分のお店を開くのが夢だった」みたいは感じで微笑ましい。こういう人は、「頑張って働けば道は開ける」と考えているようだが、もともと無理なことをしているのだから、滅多なことで道は開けない。一度開きさえすれば、夢は叶ったわけで、もう満足、というスタンスにも見える。