2008年02月28日(木曜日)
【HR】 いつでも買える時代
晴天。9℃くらいあったらしいけれど、風は冷たかった。明日から暖かいらしい、とこればかり。
極秘プロジェクトの仕事を午前中に片づける。「クレィドゥ・ザ・スカイ」2校は校閲からの指摘がなかったので校了とした。4月は25日に3冊の発行が重なることが判明。中公の「クレィドゥ」はもう終わっているのに、ほかの2冊、角川の「どきどきフェノメノン」文庫と、幻冬舎の「工学部・水柿助教授の解脱」は、まだ初校ゲラが来ていない。
お昼から、研究関係で3時間ほど外出。日差しは眩しいくらいだった。4時頃帰宅したが、とても明るい。風が強いので、パスカルは散歩で元気溌剌だった。
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今日スバル氏と話したこと。この頃は、ネットやオークションが発達して、欲しいものを探し回らなくても、すぐに見つけられるようになった。珍しいものでも、限定品でも、たいていのものは苦労なく手に入る。逆に、なくなってしまうことを心配して、慌てて買わなくても良くなったといえる。なくなるようなものは、最初から目立たないマイナなものだけだ。
たとえば、本。いつでも買える状態で、そこにあることがわかっているのなら、わざわざ購入して自分の手許に積んでおく必要がない。読む寸前になって買えば良いのだ。ただでさえ家にはものが多すぎるのだから、いつでも買えるようなものは、「買うまえの状態」で家の外にストックする方が得策である。結局は、そういう社会にどんどんなっていくはず。
特に、小説や音楽や映画などの情報商品はこれが顕著だ。メディアという物体に価値があるのではない。コンテンツを自宅に保存しておく時代はもうすぐ終わる。それを鑑賞するときだけ、ダウンロードすれば良い。本もDVDもまもなく売れなくなるだろうね、という話をした。
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買えるもので欲しいものは、お金さえ出せばなんでも手に入るようになった。今では当たり前のことだが、これまでは成り立っていなかった。珍しくて見つからないものは既にない。限定品なんていうものの大半は、欲しい人間よりも品物の方が数が多い。全然焦ることはなくなった。
そういう世の中にいると、たとえば、個人がたまたま作ったような、世界にただ1つのもの、つまり、商品として生産されたものではない品の価値が高まってくる。同様に、自分で作ったものが、かけがえのないものになってくるだろう。つまり、「誰が作ったのか」という付加価値が、相対的に高くなるのである。