2008年02月29日(金曜日)
【HR】 立体が好き
暖かい日になった。13℃くらいだろうか。こんな日ばかりだったら良いのに。
午前中に小説の仕事を片づける。「スカイ・イクリプス」第7話を書き始める。まずは2000文字。幻冬舎から「工学・水柿助教授の解脱」のゲラが到着したので、すぐに10%を読んだ。
今日はまだ2月だ。閏年で1日多い。そもそも2月は短いから、作家のようにノルマで賃金を得ている人は、時間が短い分大変だ。一方、月給をもらう人は2月は割得である。29日があることで、前者は1日得した気になるし、後者は1日損をした気分なるのではないか。どちらだっていいか。はい、そうですね。
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パスカルも一緒にホームセンタへ行った。車に乗るときぴーぴーと喜んだ。尋常ではない。エスカレートしている感じだ。乗るまえから、「今日は行けるよ」という言葉で察知し、もう足許を走る走る、階段も上り下りを10回くらいするのだ。そんなにハッスルするからか、車に乗って最後の一騒ぎをしたあとは、ぐったり疲れてしまうのである。
ホームセンタではまた土を100kgほど買ってきた。草や花も20本くらい購入。暖かくなると、毎年これである。
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工作は、2月にずっと作っていたものが、2つくらいほぼ完成したので、デッキで走らせて遊んだりした。次は、ちょっと大きな重工作を予定している。たぶん、3月いっぱいかかるだろう。同時に、機関車の修理などもいくつか計画がある。暖かくなったら、塗装したいものも多い。
「スカイ・クロラ」の映画の関係で、人形と飛行機のフィギュアの発売が既に予告されている。もともと、立体のものが好きな方なので、こういうのは嬉しい。
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模型を作るということが、立体なのである。自分で絵も描く方だが、どんなに好きなものでも、絵や写真を入手したいと思うことはほとんどない。たとえば、どんなに好きなキャラクタでも、2次元のグッズにはまったく興味が持てない、という具合である。
一方で、漫画や映画は、2次元だとは認識していない。それは動いているものだ(僕の場合、漫画も動く)。立体がイメージとしてある。小説も同じく動く。写真やイラストは滅多に動かないが、そこにちょっとした文字があったり、台詞があると、たちまち動いたりする。立体のものは、動力があるものは明解だが、そうでなくても、こちらの視点が動かせるという有利さが、「動く」に匹敵する立体の性質だと分析できる。このあたりは、人によってそれぞれなのだろうけれど。
【国語】 ニュアンス
これは、まえにも書いたことがある。「ニュアンス」という言葉はフランス語だが、辞書によれば、「色、音、調子、意味、感情などの微妙な差異」とある。用法として、「微妙なニュアンスが伝わらない」が挙げられている。同じものではなく、違うものなのだが、その差がわかってもらえない、という意味だ。また、辞書には「陰影」「濃淡」ともある。「ニュアンスをつける」といった使い方になるだろう。これは「アクセント」や「コントラスト」とも似ている。
ところが、実際に会話に登場する「ニュアンス」は、これらとは違う意味に多く使われているようだ。「違い」という意味ではなくて、単に「微妙な意味」「より精度の高いイメージ」の意思伝達のような意味合いではないだろうか。「わかるかな、僕の言っているニュアンスが」とか、「そういった意味ではなくて、もっとこれこれこういったニュアンスなんだけれど」とか、そんなふうに使われている。小説を読んでも、この意味で使われている方がむしろ多い。僕も、「これは違うんだけれどな」と思いながらも、そちらの意味で「ニュアンス」を使うことがある。何故なら、ほかに適当でずばりの言葉が日本語にないのだ。
そもそも、文芸というのは、文章の芸術なのであって、言葉を辞書にあるとおりの正しい用法で使う必要はどこにもない。これは、最初に作家になったときに担当編集者から言われたことだった。夏目漱石だって、独自の誤用を多用していたことは有名である。言葉を普通と違う意味で使うことで、新しいイメージが生まれる場合も多い。
それでも、「ニュアンス」が出るたびに、「違うな」と後ろめたい。だから、「イメージ」や「雰囲気」に直すこともある。ただ、どうしても「ニュアンス」しかないな、と思うときがあるのだ。わかってもらえるだろうか、このニュアンス。
2008年02月28日(木曜日)
【HR】 いつでも買える時代
晴天。9℃くらいあったらしいけれど、風は冷たかった。明日から暖かいらしい、とこればかり。
極秘プロジェクトの仕事を午前中に片づける。「クレィドゥ・ザ・スカイ」2校は校閲からの指摘がなかったので校了とした。4月は25日に3冊の発行が重なることが判明。中公の「クレィドゥ」はもう終わっているのに、ほかの2冊、角川の「どきどきフェノメノン」文庫と、幻冬舎の「工学部・水柿助教授の解脱」は、まだ初校ゲラが来ていない。
お昼から、研究関係で3時間ほど外出。日差しは眩しいくらいだった。4時頃帰宅したが、とても明るい。風が強いので、パスカルは散歩で元気溌剌だった。
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今日スバル氏と話したこと。この頃は、ネットやオークションが発達して、欲しいものを探し回らなくても、すぐに見つけられるようになった。珍しいものでも、限定品でも、たいていのものは苦労なく手に入る。逆に、なくなってしまうことを心配して、慌てて買わなくても良くなったといえる。なくなるようなものは、最初から目立たないマイナなものだけだ。
たとえば、本。いつでも買える状態で、そこにあることがわかっているのなら、わざわざ購入して自分の手許に積んでおく必要がない。読む寸前になって買えば良いのだ。ただでさえ家にはものが多すぎるのだから、いつでも買えるようなものは、「買うまえの状態」で家の外にストックする方が得策である。結局は、そういう社会にどんどんなっていくはず。
特に、小説や音楽や映画などの情報商品はこれが顕著だ。メディアという物体に価値があるのではない。コンテンツを自宅に保存しておく時代はもうすぐ終わる。それを鑑賞するときだけ、ダウンロードすれば良い。本もDVDもまもなく売れなくなるだろうね、という話をした。
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買えるもので欲しいものは、お金さえ出せばなんでも手に入るようになった。今では当たり前のことだが、これまでは成り立っていなかった。珍しくて見つからないものは既にない。限定品なんていうものの大半は、欲しい人間よりも品物の方が数が多い。全然焦ることはなくなった。
そういう世の中にいると、たとえば、個人がたまたま作ったような、世界にただ1つのもの、つまり、商品として生産されたものではない品の価値が高まってくる。同様に、自分で作ったものが、かけがえのないものになってくるだろう。つまり、「誰が作ったのか」という付加価値が、相対的に高くなるのである。
【図工】 テープ
子供のときには、工作にはセロテープ(セロファンテープ)が不可欠だったが、今はもうこれを使う機会はまずない。僕も、工作室にセロテープは置いていない。そのかわりに、工作によく使うテープを取り上げてみよう。
まず、最も多用するのが、マスキングテープである。僕の場合、1カ月に数本は確実に消費する。色を塗るとき、塗料がついては困る部分に貼って、表面を隠すためのものだ。太さの違いで8種類くらい持っているし、シャープさの違いでグレードがある。安価なものは、工作中のちょっとした仮止めにも使うことができる。
その次が、ビニルテープ。これは、電気配線などの絶縁に使ったり、応急処置(たとえば防水)などにも使える。ただ、永久にこれで固定をするといった使い方はできない。色以外に、テープのグレードがある。安いものは柔軟性がない。
3番目が両面テープだろう。これも各種ある(たぶん、10種以上持っている)。接着剤と同じように手軽に使える。材料によっては、接着剤よりも両面テープを使った方が確実な場面も多い。テープが厚くてクッションになるものもあって、振動を吸収するので、ラジコンなどで多用される。
ほかには、飾りのラインを入れるためのテープくらいだろうか。ガムテープなどは工作にはまったく使わない。
「テープ」といえば、録音をするためのものを示した時代があった。30〜10年くらいまえだろうか。この頃、さすがに通じなくなりつつある。
2008年02月27日(水曜日)
【HR】 楽しみいろいろ
晴れ渡ったものの、北風が強くまだ寒い。夕方には雪も降った。明後日くらいから暖かくなるらしい。もう少しの辛抱か。体調はだいたい戻っているものの、花粉のため低調。
午前中は工作をした。吹き付け塗装。この作業の場合、マスキングといって、塗ってはいけないところをカバーする作業が時間的に9割以上を占める。実際に吹き付けている時間は非常に短い。これは、多くの作業の時間配分を象徴していると思う。すなわち、影響が及んではまずいところに対するケアが、ものごとを進めるうえで一番労力がかかるものだ。逆にいえば、そういった影響を一切気にしないで行動すれば、たった1割のエネルギィで同じことができる(できると感じる)。もう少しつけ加えると、これが「若さ」というパワーの理由だったりする。良い悪いの問題ではなくて。
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午後は、「スカイ・クロラ」関係のことで、大勢の人が来宅。中公のN倉氏も一緒。いろいろ楽しみなことばかりだ。まあ、僕は今さらなにもすることがなくて、今は短編を書くことくらいだけれど。
SACDについては、SACDで聞きたいアルバムが出たら、デッキを買うつもりなのだが、今のところ、そういった事態にならない。SACDを試すために曲を選ぶなんてことは、僕には本末転倒になる。オーディオ趣味の人には、えてしてこの傾向がある。つまり、このシステムにはこの曲が合う、という方向性だ。それも楽しみの1つだろうけれど、音楽を楽しんでいるというよりは、エクイップメントを楽しんでいるといえる。ここのホールは音響が良いから、ここのホールで聴けるコンサートに行く、みたいなものか。僕の場合、音は悪いホールであっても、聴きたいライブの方へ行くだろう。けれど、趣味の広いジャンルの中で、むしろツールや手法が目的になることの方がメジャかもしれない。たとえば、僕のアンプ作りなんかは、明らかにこの方向だ。それでも、アンプのために曲を選んだことはまだないが。
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「スカイ・イクリプス」は第7話のタイトルを決めて書き始める準備ができた。第8話も既にタイトルは決まっている。3月中にあと2編を書き上げる予定。極秘プロジェクトももう少しだけ仕事が残っている。
以前の日記シリーズ(幻冬舎から出ている5冊)がなかなか手に入らない、というメールをいただく。そう、この「MLA」もいずれそうなるだろう。小説と違って、とにかく部数が少ない(1/10くらい)し、すぐに絶版になる可能性が高い。小説なんかいつだって買えるのに、と僕は思うのだが。
スバル氏が、パスカルのことを「この子、よく寝るよね」とおっしゃっていた。そうかな、スバル氏とだいたい同じくらいだと思うけれど。
【社会】 寿命と時間感覚
平和な世の中が続き、医療も進歩したため、平均寿命はどんどん延びている。これは世界的な傾向だけれど、特に日本は増加率が高い。この50年で20歳くらい伸びている。これは、比率にすると、3割以上増えたことになる。
そうなると、50年以上まえに決められた規則で、人間の時間に関するものは、意味合いに変化が生じる。たとえば、成人は20歳だが、もともと成人前後の人生は時間的にせいぜい1:2だったものが、今では完全に1:3になった。しかも、この成人も18歳に引き下げられようとしている(世界的には18歳が普通だ)。
会社の定年は、もともとは55歳だったけれど、もうとてもそんな状況ではなくなってきた。60歳、あるいはそれ以上に、じわじわと上がっているようだ。個人の住宅は、普通は1度建てれば、それで一生が終わりだったが、これもやはりこれからは違ってくるだろう。最も顕著なのは、子供を育てたあとの時間が長くなったということだ。軽く倍増している。これがライフスタイルに与える影響は大きいものと思う。
犯罪を犯した場合の刑期も、人生に対する比率からすれば、3割アップしても良いのかもしれない。昔は15年の刑期といえば、残り人生の大半だった人が、今では、まだまだそのさきがあるので、罰としては相対的に緩くなっているだろう。
話は違うが、サザエさんを見ると、現代の年齢層とかなりかけ離れていることに気づくはずだ。アナゴさんは20代の設定である。キャラクタが今の年齢よりも上に見えるのは、寿命に関する相対的な感覚の差によるものかもしれない。
2008年02月26日(火曜日)
【HR】 奇跡的に良い時期に
スバル氏が美容院へ行く日なので、雪が降りだした。やがて雨になるものの、非常に寒かった。
留守番の間に映画を見た。よしもとばなな氏が送ってくれたDVDだ。良かった。素晴らしい芸術に接すると、自分の刃が研がれる気分になれる(明らかに錯覚だが)。映画監督で世界で1人といわれたらこの人、という監督の新作である。それが誰かはここには書かないけれど、かつて映画関係のエッセィで1度だけ書いたことがあるので、わかる人にはわかるはず。
映画といえば、「スカイ・クロラ」の公開日が発表になった。8月2日だから、あとだいたい5カ月後だ。結局、最初の予定どおりになった。これから、どんどん露出してくるのだろう。キャラの絵などは、もう1年以上まえから見せてもらっていたわけだし、今回発表になったトレーラの声の主も聞いているし、ほかにも知っていても言えないことが沢山あって、不自由な状態が長かったけれど、だんだん肩の荷が降りていく。もう1カ月か2カ月の辛抱だ。それにしても、けっこう秘密のまま進められるものだな、と感心するしだい。
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ネットの信憑性について少しだけ書こう。マスコミなどがときどきネットを参考にして資料を作るようだ。市場を調査するには、こんなに便利なものはない。けれども、ある特定のものについて調べるとき、これほど間違いの多い情報ソースもほかにない。誰が書いたのかわからない、出典もわからないものがどんどんコピィされ、あっという間に多数になってしまう。この世界に長くいる人間ならば、いかにガセが多いかを知っているから問題はないにしても、新しくここへ来た人は充分に気をつけた方が良い。
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「銀河不動産〜」のゲラを最後まで見た。イラストを1枚仕上げた。秘密プロジェクトも数時間かけてかなり進捗。「θ」文庫で小さなチェックあり。「MLA9」2校の結果を電話で伝えて校了。「クレィドゥ〜」文庫2校が到着。「どきどきフェノメノン」文庫の初校が少し遅れる見込みと連絡あり。「工学部・水柿助教授の解脱」単行本のゲラももうすぐだ。短編の執筆はまだできず。
このところ、文庫の重版が重なっている。特に、「φ」が大量重版で、これは過去に例がない早さだった。いよいよ総発行部数が1000万部に近づきつつある。今年秋頃と予想してきたが、たぶん、夏くらいで越えることになりそう。内訳としては、50%が文庫、40%がノベルス、10%がハードカバーという比率にだいたいなる。まさかここまで来るとは予想していなかった。小説執筆終了までにあと200万部くらいは伸びるだろうか。最終的には1300万部くらいには届くかもしれない(控えめな数字で)。
本当に奇跡的に良い時期にこの仕事をしたと思う。作家が儲かるなんて認識していなかったし、だいいち、日本で今どんな作家が売れているのかさえ全然知らなかった。ほんの少しのバイトのつもりで始めたことだったけれど、ある意味、その無心さが良かったのだろうか、などと勝手な分析をしている(運が良かったなんていうのは、分析にはならないから)。
これからは、出版におけるヒットはさらに小規模になるだろうし、出版というビジネス自体が縮小されていくだろう。今から作家になっても、儲かる確率が下がっている。ただ、「儲けなくても良い」というのであれば、自分でネット配信するなど、世間の注目を集めることは以前よりは簡単になった。ビジネスとして成り立ちにくい、というだけだ。もちろん、やめておきなさい、なんて余計なお世話は言わない。
【理科】 技術力の続き
電動ゲートが雷で壊れて、それをあるメーカに直してもらった話は既に書いた。立派なパーツを使いこなし、コンピュータによる綿密な設計をしていても、現場の問題を解決できないことは多々ある。検定を受けて「技能」が認められる人が大勢いるメーカでも、僕が定義するところの「技術力」が不足している場合が少なくない。もう少し噛み砕いた表現でいうならば、「センス」がないのである。
簡単な例を挙げよう。鉄道模型は、一般に2本のレールから電気を取る。だから、機関車にはモータとギアしかない。車輪を通して電気をもらい、これでモータが回って車輪を動かすだけだ。理屈はもの凄く簡単であって、誰が作っても動くものが作れるだろう、と普通に考える。
ところが、これを一度でも自分で作ってみるとわかる。スムーズに走る機関車を自作することは、大変に難しい。どこが難しいのか、その説明自体が難しいくらいだ。電気的な接触、メカニズムの調整、バランス、運動時の挙動の予測、などなど、数々のファクタが影響する。入門してから数年はかかるだろう。僕はまだ全然駄目である。技術力、あるいはセンスを持った人が作れば、音も静かに走る。
個々の部品をとにかく精度良く作ることが、問題を解決する一番手っ取り早い方法だ。それこそ、センスがなくても、精度を高めることによって、ほとんどは上手く機能する。それが「精度」というものが定められた理由でもある。だから、とにかく精度を上げれば、最低限機能するものは得られるかもしれない。それも技術の1つであることはまちがいない。ただ、それだけが技術ではない、ということが、少しでも技術を身につけるとわかってくる。
2008年02月25日(月曜日)
【HR】 レモンケーキ疑惑
体調もかなり良くなってきた。今日は、朝からスバル氏と出かける予定だった。
デパートへ行き、そこで例のごとく別れて、僕はハンズへ。塗料や接着剤を沢山購入。あと金属材料も持てるだけ買った。今まで使ったことがない接着剤を3つ購入したが、ときどきこういったチャレンジをしている。使い慣れたもので充分なのだけれど、材料自体が時代とともに変わっていて、特に、プラスティック関係で、過去に使わなかったものが出回ったりするので、たまに接着剤も変えて、確かめるわけである。新しい製品の特徴といえば、とにかく匂わないものが増えたことか。僕としては、匂わないものの方が恐いが。
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井上氏から荷物が届いた。先日、古い機関車を送ったからだ。井上氏は、子供の頃にそれを買ってもらったという。70年もまえの話である。そのおもちゃがすべてのきっかけだったとのこと。だとしたら、日本中の模型ファンが井上氏から受けた多大な恩恵のルーツともいえる。今回お送りしたセットをリストアしてもう一度走らせるつもりだ、と手紙に意気込みを書かれてきた。
さて、そのお返しが凄かった。昨年、天賞堂でレトロな機関車を偶然手に入れたのだが、それにぴったり似合う客車が2両送られてきたのだ。スタンダードゲージという大変珍しいモデルで、1番ゲージより幅が少し広い。どう見ても、僕が送ったものよりも、もらったものの方が立派なので、スバル氏が「わらしべ長者だね」とおっしゃった。このほかにもう1両、ライブスチームの機関車もいただいてしまった。とても嬉しい。
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話は変わって、僕がレモンケーキのことをここに書いたせいで、それに関するメールが近頃非常に多い。大勢の人が、森博嗣のことだからグラマシーニューヨークだろう、と見当をつけて、レモンケーキを買って食べた、と書いてきた。これは間違いなのだが、しかし、そのレモンケーキの方が美味しい可能性もあるので、単純には否定はできない。今日、グラマシーニューヨークへ寄って、レモンケーキを見てきた。しかし、それよりもっと美味しそうなオレンジのケーキがすぐ隣にあったので、そちらを買ってしまった。帰宅後食べたが、充分に美味しい部類だけれど、普通だ。僕はこれくらいで人に送ったりはしない。例のレモンケーキの方が美味しい。
そういうわけで、秘密にしているのも方々に迷惑がかかりそうな雲行きなので、珍しく書いておくが、まず「レモンケーキ」という名称ではなかった。これはスバル氏に「いいかげんに覚えなさいよ」と今日も叱られたが、「クレープレモン」という名前らしい。セットではなく、1個ずつでも買える。それから、お店はハーブスというところで、この店はこのケーキ以外は、普通だ。お店としては、グラマシーニューヨークの方が「当たり」が(特に生クリーム系で)多いと僕は思う。
でも、グラマシーで今日、そのオレンジのケーキを1箱買ったとき、同じ値段でレモンケーキのセットもあったから、「こちらと半分ずつにできませんか?」と尋ねたら、断られてしまった。単体売りしていないのだ。あとで僕が「けちだね」とスバル氏にこぼしたら、「森博嗣の方がけちだと思う」と彼女は言った。正しい。
そういうわけで、グラマシーのレモンケーキは食べていないから、最初の「そっちの方が美味しい」という可能性は依然否定されていない。レモンケーキ疑惑はますます混迷を深めたかに見える。
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「銀河不動産〜」のゲラは7/8まで。イラストの仕事が1つあって、下描きだけした。ペン入れは明日。極秘プロジェクトも進めている(どうして極秘なのにここに書くのかというと、このブログには、関係者に仕事の進捗状況を知らせる目的があるためだ)。
【算数】 確率と履歴
たとえば、1/10の確率で当たりが出るくじがあったとする。Aさんは、このくじを引いて当たりを出した。Bさんも、このくじを引いたが、はずれだった。くじは引くごとに元に戻すため、確率はいつも1/10である。さて、2人が再度チャレンジした場合、AさんとBさんのどちらが、当たりくじを引く確率が高いだろうか?
もちろん、これはAさんもBさんも同じである。確率は誰が引こうが、何回引こうが、いつも同じ、1/10だ。
ところが、こう考える人は多いはずだ。10回に1度しか当たらない。それが「1/10の確率」の意味である。だから、既に当たりくじを引いたAさんは、あと9回は当たらないはずだし、Bさんは、これから当たりを引く可能性がまだ残っているので、今度はBさんの方が当たる確率が高い、と。
この考え方は、実は世の中にかなり蔓延っている。たとえば、「1度失敗したら、もう大丈夫だ」なんて言う人がいる。あるいは、「幸運を使い切ってしまった」という言葉も耳にする。しかし、将来の確率に、これまでの履歴が影響するかどうかは、履歴によって変化する事象でないかぎり、ありえないのである。
当たりくじがまだ残っていて、しかも引いたくじを戻さないシステムであれば、はずれを引くたびに、次の確率は上がる。これが「履歴によって変化する事象」である。しかし、たとえば、宝くじのように、全部が配布されてから当たりが発表されるものは、次回はまたリセットされるわけで、いくらこれまではずれが多かったからといって、当たる確率が高くなることはない。
逆に、過去に当たったものに対して、「ついている」「つきがある」という理由で、確率が高くなるように言う人も多い。「この場所では過去に当たりくじが出ている」とか、「つきがあるうちに勝負した方が良い」といったものである。根拠はまったくない。
当たり前のことを書いたが、当たり前のことを書いた方が反響があるので、首を傾げつつ。
2008年02月24日(日曜日)
【HR】 人形を探して
朝は、屋根や地面が白かった。風も冷たくて寒い。
ストーブで躰を暖めながら仕事をする。「銀河不動産〜」のゲラは3/4まで。「D&D」の第9回〜第12回を推敲して発送。次は、「スカイ・イクリプス」の第7話の執筆になる。このうち、ゲラは、パスカルを連れてスーパへ行き、駐車場で待っている間に読んだ。
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スーパのビニル袋が有料化されるらしい。もの凄く良いことをしたみたいに宣伝しているけれど、しかし、スーパで買いものをすればわかるとおり、ほとんどの商品はビニルにカバーされ、発泡スチロールの容器に入っているのだ。昔はなかったもので目立つのはペットボトルである。外側のビニル袋の1枚や2枚、これらに比べたら大した量ではない。そういう小さいところへ消費者の目を向けさせ、大きな問題を隠している、といった構図は世の中のいたるところにある。もちろん、有料化は悪いことではない。いつでもできた最も簡単で当たり前の、もの凄く小さな一歩をようやく進めたにすぎないし、威張れるようなものでは全然ない、ということ。
僕はペットボトルも買っているし、とても便利だと思う。けれども、これを廃止する、日本はこれを使わないことにしよう、と政治家が主張したら、たぶん賛同するだろう。それが正論というものだし、やるのならそれくらいの改革を実行するのが政治の本分ではないだろうか。
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買いものにいくと、雑貨屋などにファンシィなものが並んでいる。スバル氏が好きなので、僕もよく眺める。そういったところで探すものというと、庭園鉄道の乗客である。つまり、人形だ。大きさ的には、30〜45cmくらいのもの(1/6〜1/4スケール)と、9〜15cmくらいのもの(1/20〜1/12スケール)だ。ところが、未だかつて、「これは使える!」というものに出会ったことがない。なかなか似合うものがない。イメージ的に似合わない、ということもあるし、サイズやプロポーションが駄目だという場合もある。ありそうでないものだ。
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リアルなプロポーションのフィギュアは売っているけれど、ミリタリィだったり、タレントものだったりして、ファッションが奇抜すぎる。電車に乗るような、もっと普通の人間のフィギュアが欲しいのだが、これがない。このまえ、韓国のスターのフィギュアがわりと一般人的で使えるかと思ったけれど、めちゃくちゃ高かったので、断念した。
ブライスなんかを(これはさらに高価だけれど)よく使っているのは、僕の庭園鉄道の車両の多くがナローゲージのため、頭でっかちでコミカルなプロポーションをしているので、バランスが取れるように(僕が)感じるからである。でも、さすがに人間以外の縫いぐるみなどは使いにくい。何が自分にとってのリアリティなのか、と自問するところである。
【図工】 接着剤が乾くまで
工作をしているとき、接着剤が硬化するまでの待ち時間が実に待ち遠しい。子供の頃は、我慢ができなくて、何度も失敗したものである(今でも失敗ばかりだが)。
接着剤が乾くまで、じっと手で押さえているわけにもいかないので、テープで仮固定したり、木材ならまち針などで留めておいたり、あるいは固定用の道具を使って押さえたり、またはそのためだけに固定ジグを製作したりもする。だんだん大人の工作になってくるわけだ。
木工用ボンドなどの水性の接着剤は、水分が材料に染み込むため、材料が変形する。困った問題である。また、それ以外の接着剤では、溶剤が気化して固まるものが多く、これらは一般に硬化するほど収縮するので、材料を引っ張る傾向がある。やはり、期待した形よりもやや歪んでいる結果になる。飛行機の翼などを作るときは注意が必要だ。
2液を混ぜ合わせるエポキシ接着剤は、気化するものがないので、収縮しない。これが一番正確な接着ができる。しかし、とにかく使用が面倒である。混ぜないといけないし、固まるまでに時間がかかる。
画期的だったのは、瞬間接着剤だ。これは、模型飛行機の製作には素晴らしい威力を発揮する。これが登場したおかげで、一部にエポキシを使う以外、他の接着剤の出番がなくなったほどである。なにしろ、指で押さえているうちに、固定されるのが素晴らしい。欠点はといえば、やや不健康なことと、そして、押さえていた指まで瞬時に固定されてしまうことである。
2008年02月23日(土曜日)
【HR】 マナーはサイン
今日は日差しは暖かいのに、北風が強い。旅人のコートを狙った争奪戦の様相を呈している。どこにも出かけず。体調もあまり良くない。
小説の仕事は午前中に。「銀河不動産〜」のゲラは5/8まで。そのほか、細かい確認を幾つか。「D&D」の推敲は明日。少しでも長く寝かせる方が良い。このケータイサイトを読んでいる人から、メールをいただくが、そういう人の中にはこのMLAが読めなかったり、僕のHPを見られなかったりする人がいるようだ。もう少しすれば、そういった不自由も取り除かれるだろうか。
午後、ようやく躰が暖まってきて、少し動けるようになった。工作を2時間ほどした。このところ、重工作はしていない。小さなものだけ。そろそろ次のプロジェクトに入りたいのだが。つくづく自分は腰が重いと思う。
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日頃、けっこう年寄り向けの悪口を一般論として書いている僕だけれど、しかし、実際には、目上の人に対して礼を省いてはいけない、と常々考えている。職業や性別を問わず、自分よりも上の人には、必ず敬語を使うべきである。よほど親しくなっても、そのままで良い。変な例だが、たとえば恋人や家族になっても、そのままであるべきだと思うくらいだ。
一方では、服装はどうでも良い。どんなラフな格好、あるいは派手な格好をしていても、僕は気にならない。ただ、やはり僕よりも上の世代は、これをかなり気にする人が多い。だから、そういう人たちが沢山いるところへは、あまり奇抜なファッションで行かない方が良いだろう、とは思う。これらは、あくまでも気遣い、心遣いであって、それをしなければならないとか、逆にそれをすればもう大丈夫だとか、というものではない。
世間の常識とされるものでも、よく考えると道理が通っていないもの、現代の実情に合っていないものが散見される。それらは改め、合理化されるべきものだ。しかし、常識とされるものの中には、存在理由がたしかに認められるものがある。礼儀やマナーは、僕は後者だと感じている。無駄なようで、実は非常に便利なサインであって、気持ちを伝えるのに有用な言葉の1つといえる。利用価値が高いと感じる。
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この頃、いろいろなお茶を飲んで思うことだが、どれも、沢山のものを混ぜすぎではないだろうか? そうやって個性を出さないと商品としてアピールしない、という理由はわかるが、しかし、お茶というのはこんな複雑なものではなかった、と僕は思う。結局、シンプルないつものブランドを買ってしまうのだ。ミステリィや小説にも、同じことがいえそうな気がする。
【社会】 土木は不景気に強い?
大学には建築学科と土木学科がある(土木は、土木工学科と工がつく場合が多い)。どこが違うのか、一般の人はほとんど区別をしていない。しかし、両方の分野は明らかに区別されていて、建設会社の中でも、土木と建築は分かれている。
一般に、建築は建物(人が入って利用する構造物)だけを造る。土木は道路、橋、ダム、トンネルなどを造る。鉄道だったら、駅だけは建築が作るが、ほかはすべて土木が作る。
建築は景気に左右されやすい。これは、建築の施主(仕事を依頼するところ)の多くが民間だからだ。一方、土木は不景気に強いといわれてきた。土木の施主はほとんどが官公庁である。景気が悪くなると、内需拡大のために予算が投入される。税金を使い、借金をして、仕事を作る。それだけのお金が業界へ流れ、労働者に仕事が回り、景気が良くなったように見せることができた。今も状況はあまり変わっていない。ただ、多少は問題になりつつあるようだ。いくらなんでも、借金をしてまですることか、と疑問に持つ人は多いだろう。
道路を作りすぎだ、という意見はかなりまえからあった。多少理屈のわかる人間なら、当然気づいていたはずだ。ようやく最近になって、マスコミも政治家も取り上げるようになった。思うに、急に騒ぎだしたのは、なんらかの「重し」が取り除かれたことが理由だろう。その重しとは、景気が良かったときに、その恩恵に浴していたところが、利益の一部で築いた構造だったはずである。だから、重しがなくなったことは、とりもなおさず、もう儲からなくなった証拠ともいえる。
2008年02月22日(金曜日)
【HR】 暖かいと嬉しい
14℃まで上がった。ぽかぽかの晴天。庭で遊んだ。体調も良くなった。
小説の仕事は午前中に。「銀河不動産〜」のゲラは1/2まで。「D&D」の残り3回分を書いた。あとは推敲。「θ」文庫のカバーゲラが来たのでチェック。「MLA9」の2校も届き、校閲の指摘箇所だけを確認した。これも終わり。
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お昼頃に、機関車をガレージから出して、ゆっくりと走らせる。最初は枝が落ちていたり、砂利があったり、線路上に障害物が多いため、スピードが出せない。1周すると、それらがなくなるのでスムーズに走れるようになる。花粉が飛んでいるからマスクをして運転をした。とても気持ちが良い。
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光文社のK村氏が来宅。「ジャーロ」連載のゲラをわざわざ取りにきてくれた。少しだけお話をした。
2週間ほどまえに、講談社から変な手紙が届いた。ある本を手違いで送れなくなった、会員の皆様にご迷惑をおかけしました、という謝罪文だった。しかし、その本は聞いたことのないものだったし、いったい自分は何の会員なのだろう、と首を傾げるばかり。「ダ・ヴィンチ」のI子氏が来たとき、この手紙がテーブルに置いてあった。「私のところへも来ました」と彼女も言う。ということは、推理作家協会あたりかな、という推測を2人でした。今日、K村氏がその手紙に目を留め(ずっとテーブルに出ていたわけだ)、それは本格ミステリ作家クラブの本だとわかった。会員全員に送る予定だったものらしい。
さっそく、K村氏に会費を払っておいた(「ジャーロ」が同クラブの事務局なのだ)。会費を払うこと以外、活動に参加したことがないのだが。
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K村氏に庭園鉄道に乗ってもらった。とても気持ち良く走れた。パスカルやスバル氏も乗った。パスカルは、電車を追いかけわんわんと吠えた。珍しいことだ。あまりに気持ちが良い気候なので、近所に散歩に出かけた。マスクをしているので快調である。パスカルは途中でばててしまった。スバル氏は近所の家を見るのが好きなようだ。また、家を塗り直したい、みたいなことをおっしゃっていた。2年まえに塗ったばかりなのに。
チョコレートを少しずつ消費しているが、まだまだ1ヶ月分はある。ニュースは食品の安全性に関する問題を報道している。僕が子供の頃、こういうニュースは多かった。あの頃に比べれば、今はまだずっとましである。しかし、生協っていうのは、もともと安全性を売りものにしていたのに情けないことだ。対処を考えるとしたら、とにかくなんでも安いものを求めようとする日本人の意識をまず変える必要があるだろう。値上げをしないことが「庶民の味方」みたいに報道されがちだが、そういった思い込みが招いたものではなかったか。
【理科】 技術とは何か
「技術がある」という表現は、どんな意味だろうか?
たとえば、加工技術であれば、より高い精度で工作できることを示しているように感じる。要求された条件を満たすような品物を確実に製造できることが、すなわち技術力だと考えている人は多いように思う。しかし、必ずしもそうではない。
設計図にあるとおりに誤差範囲でものを作ることは、それほど難しくはない。極端な話をすれば、それだけの設備があれば可能である場合が多い。では、設備がすなわち技術力だろうか? それは単に「生産力」ではないのか。
技術というのは、簡単にいえば、「機能を実現する」ための技である。こんな機能を持たせたい、と発想し、では、そのためにはどうすれば良いのか、と考えるとき、技術が必要になる。
まず、考えに考えて、設計図を描く。ここに1つの技術力がある。しかし、この段階ではまだ実現していない。まず、それが作れないかもしれない。また、たとえそのとおりに作れても、うまく動かないこともある。なかなか設計図どおりにはいかない。予期せぬ不具合が生じるからだ。ここで、技術者は「何が悪いのか?」と考え、対処をする。この問題解決の段階に、技術の大半がある、と僕は思う。これは、高精度にものを作れることとは、まったく別の力だ。
技術とは、精度良くものを作れることではなく、精度のばらつきを予測し、どんな結果が得られるのかを知っていることである。作る過程において、想像力と経験によって育まれるものであって、教室で教えられる情報以外の要素が大きい。
これは「図工」だろう、と思う人が多いかもしれない。しかし、僕の中では、この感覚が「理科」なのである。
技術は個人のものであるけれど、それを体系化し、共有しようとするのが工学である。工学のレベルになれば、教室で教えられるが、それ以前の技術の大半は、製造の現場から離れることはまだ難しい。
2008年02月21日(木曜日)
【HR】 平和な世界
今日は12℃まで気温が上昇。明日は13℃らしい。1日に1℃ずつ上がっている。温暖化だ。このままの上昇率でいくと、3月末には危機的な状況になる。しかし、それくらいの勢いで暖かくなってもらいたいものだ。花粉は困るけれど。
午前中に小説の仕事を片づける。「銀河不動産〜」は3/8まで。「D&D」のエッセィを1回分書いた。あと3回分。「森博嗣の道具箱」の平岡氏の解説だが、イラストが2枚掲載されている。これも平岡氏が描かれたものだ。ロットリングを使われたものと思う。あまりにも完成度が高く、手書きのものに見えない。
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庭に出て植物を眺めていると、もうあちらこちらに春の準備が発見できる。なんとなく、新しいものが出てくること、それ自体が喜ばしいものに感じられる。この感覚はとても不思議だが、生命というのは、きっとそういうふうにプログラムされているのだろう。暖かくなってきたら、またガーデニング熱が上がるものと予想される。
今日も良い音でスピーカを鳴らしている。今までわりと気に入っていたアンプの1台が、新しいスピーカと相性が悪いことがわかった。べつに普通に鳴るのだけれど、しばらく聴いていると駄目だとわかる。スピードがないような感じ。インピーダンスが違うから、トランスの影響かもしれない。難しいものだ。
SACDについてはまだ思案している。今日はCD関係の雑誌を買ってきて、今SACDで何が聴けるのか、を少し調べてみた。想像よりは多かったものの、しかし、アーティストが非常に限られる。これでは、高いデッキを買う意味がない(僕の場合であるが)。ひとまず、安いデッキ(といっても10万円程度はするけれど)を買って試しに聴いてみるか、と思案は続く。
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今年は、昨年までよりは小説の仕事が楽になっている。もちろん、そうなるように計画したからだ。まず、長編の執筆が例年より25%減。連載などの仕事も40%減。ゲラの量は変わっていないから、全体として15%くらい楽になっているだろうか。予定では、来年には全体で30%減になる見込みで、とても楽しみにしている。
それで浮いた時間を何に使っているかというと、すべてインターネットを観る時間になっている。海外のコンテンツがほとんどで、方々を探して観ている。時間をかければ面白いものが発見できる。情報が多すぎるために行き着くまでの時間が昔よりも多く必要になったのは事実。日本にも、稀に有用なサイトがあって、「この国にはブログしかないのか」という嘆きの合間に、ほっとすることがある。まだまだ捨てたものではない。
自分が何が好きかとか、今日は何を食べたとかではなく、世界に発信できる普遍的なコンテンツをネットにアップしてほしい。そういった誠意の集積が、嫌味ではなく正しい意味での「平和な世界」を築くだろう。
【算数】 対称な数字
形の話である。1桁の数字で対称な形をしているものはどれか?
1は、上の庇が無視できれば対称だが、今回は除外することにする。すると0と3と8の3つだけになる(3も8も、フォントによっては明らかに上下が違う場合があるけれど)。このうち、3は、水平軸で上下が対称になる。0と8は、垂直の対称軸もある。
では、2桁の数字(10から99までの整数)では、対称な形のものはいくつあるだろう?
まず思いつくのは、30や33や38、で、いずれも上下対称である。さらに、80や83や88もそうだ。このうち、88は、左右対称にもなっている。ようするに、上に挙げた0と3と8の組合せということになる。
ところが、これらのほかにも対称の形をした2桁の数字が2つもあるという。さて、それは?
(この程度の簡単な問題で、答をメールで送ったり、掲示板に書き込まないようにしましょう)
2008年02月20日(水曜日)
【HR】 飼い主馬鹿
春が近いかな、という感じ。体調はまあまあ。でも、花粉が飛ぶので、しばらくこれ以上に良くはならないだろう。
オークションで珍しい機関車を入手した。日本製だが、戦前のおもちゃで、アルコールを焚いて蒸気で走るライブスチームである。井上昭雄氏がこのタイプを好まれていて、似た形の機関車を何機も作られているので、もしかして、と思って入手したところ、井上氏が長年探されていたモデルだった。もちろん、即プレゼントすることに決定。喜んでもらえて、とても嬉しい。箱が当時のもので、蓋の裏に使用上の注意が書いてあった(漢文みたいな文章で)。
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スバル氏が買いものに出かけたので、留守番をしながら仕事をした。「銀河不動産〜」のゲラを1/4まで見た。「θ」文庫のゲラは、電話で結果を伝えて校了。今週は「D&D」を書こうと思い、音楽を聴きつつ、内容を考えているところ。明日くらいから書き始められるか。
出版社とのトラブルは、毎年この春先の時期が集中しているように思う。これは、この時期に僕の機嫌が悪い、ということは全然なくて、たぶん、出版社で異動があったり、年度末だったりするのでごたごたしている時期なのだろう。浮き足立っている感じがする。
今日も沢山荷物が届いたけれど、スバル氏が留守のときに荷物を受け取ると、なんとなく得をした気分になるのはどうしてだろう。彼女の手を煩わせたくない、という気持ち以上に、なにかしら仄かに嬉しかったりするのだ。そういうときは、もちろん、こっそりガレージに荷物を運び入れ、人目につかないようにするのである。「また買ったの?」という目を避けるためである。
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夕方はパスカルを乗せて、駅までスバル氏を迎えにいった。パスカルは相変わらずR2-D2の真似をするのだが、機関車製作部の最新レポートでこれを世界に向けて発信することにした。空振りに終わることは必至だ。実は、これは全然上手く真似ができていないときのもので、もっと似ているのだけれど、カメラを向けられると、高いピーという音を出さなくなるのである。非常に残念だ。
よく「うちの犬は○○ができる」というので、TVに登場させる「飼い主馬鹿」がいるけれど、まったく寸分違わず、R2-D2もこれらと同じである。1つだけ弁解できるとしたら、「親馬鹿」よりは「飼い主馬鹿」の方がやや許せるかな、ということくらいか。
【国語】 最薄
ケータイのコマーシャルで、「世界最薄」というのがある。これは、普通なら「さいはく」と読むところであるが、わざと「さいうす」と変な読み方をしているのだろう。しかし、それが変だと気づかず、日本中にこの用法が広まる気配があり、大いに心配している(嘘)。
こうなると、「最強」は「さいつよ」になるし、「最高」は「さいたか」になるし、「最長」は「さいなが」になるし、「最速」は「さいはや」になる。これらは、案外いけそうな気がするから、やっぱり広まりそうだ。
でも、「最大」を「さいおお」では、「最多」と区別がつかない。「最小」は「さいちいさ」、「最少」は「さいすくな」で、これは逆に区別がつくが、かなりシュールになってくる。
「最終兵器」は「さいおわへいき」になるし、「最前線」は「さいまえせん」になるし、「最高値」は「さいたかね」になるだろう。あ、最後のはこれで良いのか……。そう、「最安」なんかも、「最安値」があるから、既に「さいやす」で使われているかもしれない。
たしかに、「最広」を「さいひろ」といえば、通じやすいと思う。「最硬」を「さいかた」といえば、これもなんとか通じるような気もする。「最若」を「さいわか」、「最細」を「さいほそ」というのもわかりやすい部類ではある。いずれも、音読みだと伝わらないだろうから、これらは使う価値はあるかもしれない。
さらに出てきそうなのは、「最ヤバ」「最マジ」「最キモ」くらいだろうか。
2008年02月19日(火曜日)
【HR】 ありえないこと
まだ本調子ではないが、まあまあ。今日も晴天で9℃くらい。明日は11℃の予報だ。楽しみ。
午前中にスピーカが届いた。庭で箱から出して、まず段ボール箱や発泡スチロールを解体。箱を保存しておけば、あとで運んだり売ったりする場合に有利なのだが、そういった考えは僕にはまったくない。コンピュータも電化製品も模型も、すべて箱から出したら箱をすぐに捨てる。あとは出しっ放しである。
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良い音がした。買って良かった。がんがん鳴らしながら、仕事をする。「銀河不動産〜」の初校を1/8まで見る。「日経パソコン」第59回のゲラも確認。PHPの雑誌に書いたエッセィもゲラが昨日来たが、ちょっとびっくりするものだった。
このエッセィは、依頼では「原稿用紙4枚」という指定だった。僕は原稿用紙には書かないが、この範囲に収まるように(つまり20文字で改行した場合に61行〜80行の範囲になるように)原稿を推敲した。通常、エッセィは言葉を削る方向で推敲する。最初は長くなりがちだが、シェイプアップして短くするのである。
これを送ったところ、編集者から「少し短いから7行〜16行ほど長くしてほしい」という指示が来た。世の中には非常識な人間もいるものだと思ったが、編集部に派遣されたバイトの人かもしれない。たぶん、ものを書く仕事がどういうものか知らないのだろう、と思い、べつに怒ったりはせず、「修正は無理です。ボツにしていただいてもけっこうです」と返事をした。すると、いちおうの謝罪が来て、「こちらで調整します」という返答だった。調整ができるのなら最初からそんな要求はするな、とは思ったけれど、もちろんこれ以上関わりたくないので黙っていた。
今回ゲラが来たのだが、なんと、文章の9箇所に勝手に改行を入れて、行数を稼いでいるのだ。これには呆れた。訂正を出したものの、あまりに酷いので、編集長に抗議をした。編集長は謝罪してきたが、おそらく「文芸」というものを理解していない部署なのだろう。この場合も、僕は個人を恨むことはない。こういったことを許す組織に問題があると考える。今回も原稿料は受け取らず、PHPの仕事は今後一切しないことにした。このように、トラブル再発を避けるためには自分のやり方を変えるしかない。
過去にも、書いたものに対して「長くしてくれ」とか「短くしてくれ」と言われたことが数回あるが、それを言うのならば、何文字で何行に収めろ、と最初から条件を明示してもらいたいものだ。指定の条件どおりに一度書いたものを、フォーマットの都合で直すなんて、「ありえない」ことである。額縁が大きめだったから、もう少し絵も描き足してくれ、と画家に要求するのと同じだ。どうしてもそれが必要ならば、もう一度締切をもらって、最初から違う作品として書き直すしかない(それをしたことも1度だけある)。それくらい、こちらは言葉を選び抜き、文章を最適化し、完成したものを送り出しているのである。それがプロではないか。
また、勝手に改行を入れたりする行為は、明らかに「改竄」であって、これは著作権にも関わる不当な行為だ。言語道断というか、問題外である。笑いたくなるほど呆れたレベルといえるだろう。
それで腹を立てて不機嫌かというと、全然そんなことはない。これくらい、出版界では日常茶飯事のことと理解している。まったくつき合いきれない世界だ。なるべく早く足を洗いたい。
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素敵なサウンドで音楽を聴いているので、今はナイス。工作も快調にできたし、機関車製作部のレポートも書き始めたし、体調も戻ってきたし、今日はとても楽しかった。
【社会】 値上がりが普通
物価が上がりそうな気配である。しかし、振り返ってみると、僕が生まれてから成人するまでの20年間は、それこそ10倍も20倍もものが値上がりする時代だったから、「ものの値段は上がるものだ」という頭がそもそもある。その後の30年間は、まったく物価が上がらないから、なんか不自然だな、とずっと違和感を持っていた。
若い頃に比べて、同じ値段で比べれば、あらゆるものが格段に高品質になっている。食べものなんか、本当に美味しくなったし、機械は高性能になったし、どこもかしこも快適になった。つまり事実上どんどん値下げしてきたようなものだ。
趣味のものは特に安くなっている。よく書いているのは、工具や電化製品だ。10分の1くらい安くなった感覚である。とにかく、昔はとんでもなく高かったのだ。どうしてこんなに安くできるのか、と首を傾げる30年間だった。
こうした値下げは、安い労働賃金を海外に求めたり、あるいは、機械化による合理化を進めたり、そんな工夫がなしえたものである。しかし、それらもいずれは達成されるから、当然頭打ちになる。それが今の状況だ。したがって、また元のとおり値上がりしていくだろう。むしろ今までが不自然だったと考えた方が良い。
省エネについても、僕が大人になってから、もの凄く技術が進歩し、あらゆる分野でどんどん省エネが推し進められた。これは素晴らしいことだ。しかし、これも達成されつつある。もう頭打ちになりつつある。だから、やはりエネルギィ問題はこれから再度深刻になるはずだ。
簡単にいうと、やれることはほとんどもうやってしまったのである。
2008年02月18日(月曜日)
【HR】 可愛い写真を撮るには
体調は85%くらいになった。晴天。気温はまだ8℃くらいだが、だんだん暖かくなる兆し。昨夜は、夜1時過ぎまで本を読んでいた。
昨日コンビニで買ったお茶のペットボトルが、あまり見かけない変わった形だった。キャップの周囲に溝があって、口からこぼれたものを受け止めるようにデザインされているみたいだ。しかし、少し飲みにくいな、と思った。今朝、よくよく見てみたら、単にキャップの部分が陥没している(ボトルが変形していた)だけだった。引っ張ったら、普通の形に直った。こうした勘違いから生まれるアイデアもあるので、馬鹿にしてはいけない。
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秋葉原で見られなかったモニタ・スピーカだが、どうも気になるので今朝購入することを決意し、ネットで注文。明日届くようだ。30kg以上あるから、また持ち上げるのが大変だが、これはしかたがないか。iPodをメインアンプに繋いで聴く方式は、ガレージで作業をするときは便利だけれど、スピーカの前で聴く場合は、やはり音質が不充分だ。CDで聴くときには、D/Aコンバータを使っているからだろう。プリアンプの差ということになる。
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「ジャーロ」の連載のゲラを見た。今日は、文藝春秋のI井氏とH馬氏が来宅。「銀河不動産の超越」を5月にハードカバーで出すので、その打合せ。ゲラも持ってきてくれた。本のタイトルは、このシリーズの第1話のものだ。最終話の「銀河不動産の羅針」と迷っていたが、前者にした。「Compass」を使った映画の宣伝を見たからだ。それから、また絵本を作ろうか、という話もした。来年くらいかな。
工作も2時間ほどできた。色塗りと、次の工作の準備で材料を揃えたり、寸法を測ったりした。デッキの雪が氷になってまだ残っている。このまえの雪の被害として、屋根から落ちた雪の衝撃で、ポイントマシンをカバーしていたプラスティックケースが粉々に割れたのと、別の箇所でアルミで作ったカバーが凹んでしまった。その場に居合わせたら、怪我をしたかもしれない。あまり機会はないだろうけれど、気をつけなければならない。
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パスカルの写真について沢山メールをいただく。「私も犬を飼っているけれど、なかなか可愛らしく写真が撮れない。どうすれば可愛く撮れますか?」という質問がわりと多い(1カ月に数通ある)。これは難しい。というのも、僕もこれと同じ悩みを持っていて、今のところ解決していない。一度もパスカルを可愛く撮れたことがないのである。
ようするに、飼い主(あるいは親)というのは、そういう特殊な目で普段見ているのだ。だから、撮った写真を見ると、「こんなふうじゃない」と違和感を抱く。しかし、写真は常に正しいのだ。ありのままを写している。したがって、ギャップはいつまでたっても埋まらない道理なのである。
【理科】 6Pスイッチ
スイッチにはいろいろな種類があるが、電気の接点の数で分類すると、一番簡単なのは2Pというタイプで、これは、2つの接点があって、それを電気的につないだり、離したりする。電気といえば、通常は2本のコードがある。コンセントも穴が2つだ。電球もモータも2本のコードがあって、それらが電源に両方つながらないと電流が流れない。そのいずれかに2Pスイッチを挟むことで、ONとOFFができる。逆にいえば、2本のコードのうち1本は、常に繋がりっぱなしということ。
もう少し複雑なもので、3Pスイッチがある。これは、1つの接点が、2つの接点のどちらか一方につながるようにできている(いずれにもつながらない中立の状態になるものもある)。片方の接点を使わなければ、2Pスイッチとしても使用できるから、上位互換である。
2Pスイッチが2つ並列になっているのが4Pスイッチ。同時に2つのコードをつないだり、切り離したりできる。また、3Pスイッチが2つ並列になっているのが6Pスイッチだ。これは、2つのコードを、同時に切り換えることができる。
さて、モータと電池の間に6Pスイッチを挟むと、モータをどちらの方向へも回すことが可能になる(逆転スイッチという)。また、モータ1つに乾電池2つを使い、6Pスイッチによって、2つの電池を直列にしたり並列にしたりできる。つまり、モータへの電圧を2段階に切り換えることができる。これら(逆転スイッチと電圧切換スイッチ)の回路図が描けるだろうか?
6Pスイッチが3つあり、これに電球と電池を用いる。3つのスイッチのどれか1つだけに触り、他の2つのスイッチがどんな状態であっても、電球をつけたり消したりできる回路を考えてみよう。
(メールおよび掲示板書き込みを禁止します)
2008年02月17日(日曜日)
【HR】 躾は自由のため
体調はだいぶ回復して、今75%くらい。まあまあ。少し良くなったので今日はゲラを見た。「θ」文庫2校を確認。「ジャーロ」の連載のゲラが届いた。このほか、極秘プロジェクト関連の仕事も来ていて、これには1週間以上かかる。
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工作は今日も細かい塗装作業。ラッカとエナメルを使っている。筆塗りが多かった。次の工作の準備で道具の整備も少しだけ。機関車はバッテリィのチェックをした。外は凄く寒そうだ。ときどき晴れるので、一度だけ出てみたけれど、風が冷たかった。
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人間も犬も、ほんの少数しか育てた経験がないのだが、躾を特に厳しくしなくても、愛情を注げば良い子が育つ、と僕は今は考えている。動物も人間も、愛情を感じれば必ず愛情で応えるようだ。その能力があれば、という条件だが。
ただ、良い子に育つといっても、それは親あるいは飼い主にとっての良い子だったりする。
躾というのは、躾をする側にとってもけっして愉快な行為ではない。まして、それを受ける方は、いったいどうしてこんな仕打ちに遭うのか、と理不尽に感じるだろう。そのときその場では理解ができないことが普通だ。人間の子ならば、言葉が通じるようになれば、ある程度は説明することができる。そうなれば、あとは信頼関係で、言うことを信じてもらえれば、躾はとても楽になる。さらに成長すれば、本人が学習すれば良いだけのことになるから、躾は必要ない。子供も犬も、小さいときほど叱らなくてはいけないのは同じだ。
犬は理屈がわからないから、それがいけないことだと怒って(怒る振りをして)教えるしかない。たとえば叩いたりするのは、未来に不利益があることを、目前の不利益で代用して教える行為だ。しかし、どうして、そんなことをする必要があるのか?
もし、子供も犬も、家から一歩も外に出ずに、他人と関わらないのであれば、躾など不要である。つまり躾は、対外的(あるいは社会的)なルールを教える行為なのである。そして、それを学習すれば、外へ出ていったとき本人が受ける障害が減少する。別の言葉でいえば、「自由」が得られる。
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人に吠えついたりしないように犬を躾れば、どこへでも連れていくことができる。犬はそれだけ行動範囲が広がり、いつも飼い主と一緒にいられるようになる。その自由を手に入れるために躾をするのだ。これは、人間の子でも同じ。ちゃんと社会のマナーを教えられた子は、どこへでも行ける。その子の将来の自由度は格段に広がる。たとえば、正しい言葉遣いができれば、どこへ行っても恥ずかしい思いをしない。マナーを知っていれば、それが必要な場所で臆することもない。
子供や犬が小さいときに、可愛いから、可哀相だから、という理由で躾を疎かにしても、それは親あるいは飼い主にとっては、まったく不利益がない。ただ、それだけ子供や犬を不自由にしていることになる。犬の場合は、独り立ちしないから、それでも良いのかもしれない、とは思うが。
【算数】 テーブルのガタ
脚が4本あるテーブルや椅子は、脚の長さが不揃いだったり、床が平面でなかったりすると、がたつくことがある。3本しか脚のないものは、どんな場合でもがたつかない。カメラの三脚はこの理屈で成立しているツールだ。これは、同じ直線上にはないいかなる3点も、それらを含む平面が1つだけ必ず存在する、という幾何学法則に基づいている。
さて、3本脚のテーブルはがたつかないので、立ち方は1つしかない。4本脚のテーブルは、がたついて、立ち方が2つある。すなわち、今浮いている脚が床につくと、2つめの立ち方になる。では、5本脚のテーブル(正5角形の頂点に脚があるとする)ががたつくとき、立ち方はいくつあるだろうか?
さらに、正n角形の頂点にそれぞれ脚があるn本脚のテーブルについても考えてみよう。(例によって、この問題に関することをメールで書いてきたり、掲示板に書き込まないように)
2008年02月16日(土曜日)
【HR】 最初に対処法を語る
晴天だが気温は低い。南側の庭にあったスバル氏が作った雪だるまはついに消えた。しかし、北側のデッキにはまだ1週間まえの雪が残っている。あと数日で10℃を超える日が来るらしい。待ち遠しい。体調はゆっくり良くなっている。まだ健康とはいえないが。
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昨日ネットで注文したデジカメのデッキ(ステーションというらしい)がもう届いた。アマゾンで買おうと思ったら、入荷に数日かかる、とあったのでメーカのサイトで注文した。定価だけれど、早く確実なことには価値がある。それから、まえのデジカメ用に昨年買ったばかりのバッテリィは、なんと、新しいデジカメでも使えるタイプだった。良かった、同じメーカにして。
スバル氏と書店とコンビニとスーパへ。コンビニは振込をするため。あっという間だった。銀行や郵便局よりずっとコンビニエンスになったようである。
午後は、工作室で塗装作業をした。シンナを使うので換気に注意して作業をする。吹き付けという作業は、僕が子供の頃は「高価」で簡単にはできなかった。手動の霧吹き器でやっている人もいたけれど、かなり難しい作業だった。こういう些細なことで、良い社会になったな、と思う人だ、僕は。
そうそう、天賞堂ではハンダゴテのヒータだけを500円で売っていた。これを買ってきて、先日切れてしまったハンダゴテを直した。100Wが3本になってしまった。これは、もったいないのか、もったいないからしたことなのか。
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中央公論新社からもうすぐ発行される「森博嗣の道具箱」の見本が届く。帯がない。素晴らしい。スバル氏も「帯なんてシステム、やめれば良いのにね」とこの本を見ておっしゃった。僕はなにも言っていない。内心笑顔。この本は、人にプレゼントできる。解説は平岡幸三氏。
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学生から悩みの相談を受けたときなどに、まず対処のし方から話す、という傾向が僕にはある。それも、間髪入れず答えるらしい。ところが、悩み相談というのは、そもそも事情をゆっくり聞いてあげたり、「それは大変だね」と慰めてあげたりすることの方にウェイトがあるものだ、と最近気づいた。僕の場合、「人に相談するからには、どう対処をすべきか、というアドバイスを求めているだろう」と素直に考える。自分が人に相談するような場合は、例外なくそういうときだからだ。
したがって、たとえば、体調も悪く、嫌なことも多く、いろいろ作業が上手く捗らなくて困っている、と相談を受ければ、「では、作業量を減らしなさい」と言い、その作業を誰に任せるか、どう周囲に割り振るか、などを瞬時に計画する。相談してきた人は、励ましてほしいのかもしれないし、僕がどう思っているかを聞きたかったのかもしれない。
僕が相談者の状況をどう考えているのか、ということを僕は一切言わない。どういった事情なのか、も尋ねない。どうすれば良いかを真っ先に提案してしまうのだ。学生からは「冷たい先生」だと思われていることだろう。それは全然かまわない。ただ、おそらく過去にスバル氏と喧嘩になった理由の大部分がこれではなかったか、と今になって多少反省するところである。
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デジカメが変わったから、写真がちょっと目新しい感じ。
【国語】 富士山だけ違う
「富士山」だけが、人間の「富士さん」のように呼ばれていることに気づいた。
たとえば、「磐梯山」と「番台さん」は、アクセントが違う。つまり山の「阿蘇山」と人間の「阿蘇さん」では、必ず区別ができるように発音されているのに、「富士山」だけが、人間の「富士さん」と同じアクセントなのだ。この理由は何だろう? 富士山だけが、擬人化されるほど親しみを持たれているのだろうか?
ここで思い出したのだが(そして、書くのは3回めだ)、僕は3歳のとき、保育園に行き始めた。その頃、平仮名を教えてもらい、数字も教えてもらった。「富士山」という言葉を聞いて知っていたので、それを僕は「ふじ3」と書いた。それが保育園の先生には、とても印象的だったらしく、家庭訪問のとき、僕の母にそのことを話した。僕はそのとき、恥ずかしかったのか、テーブルの下にいて、そのテーブルの天板の裏に、白いクレヨンで「ふじ3」「やまもと3」と書いた。山本さんというのは、先生の名前である。
その後、漢字の読み方を教えてもらったときも、「人が人りいます」のように、同じ読みなら、適当に使って良いものだと考えた。つまり、「3」のときと同様に、平仮名よりも簡単に書ける漢字にこそ存在理由を見出したのだ。保育園の先生は、間違っていることは教えてくれたけれど、どうしていけないのかは、上手に説明してくれなかった。
平仮名もアルファベットも「表音文字」だが、漢字と数字は「表意文字」なのである。数字の3を平仮名で「さん」と書いても間違いではないが、その逆はできない、と説明してくれたら良かったのに。
2008年02月15日(金曜日)
【HR】 新しいデジカメ
朝から車で出かけたが、2時間ほどで戻った。風邪は良くなりつつあるけれど、まだ全快ではない。必要以上に着込んで、暖かくしている。
今日から新しいデジカメに切り換えた。標準で4GBもメモリがある。こんなことで驚くなんて時代遅れだけれど、今まで使っていたものの32倍だ。普段撮っている小さい写真だと、10年分くらい入ってしまう計算になる。パソコンと繋ぐときに、充電も同時にできるデッキ(アダプタ付きスタンド)をこれまで使っていて、今回もそれが欲しいと思い、さっそくネットから注文しておいた。5000円くらいのものだ。それがないと、バッテリィをいちいち取り出して充電しなければならないという不便さ。まえの機種では手振れの写真が多かったが、補正機能があるとどれくらい違うものか、と期待。
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僕の場合、写真というのは人に見せるためのものなので、ネットで取り扱う場合が多く、大きなサイズは不便だ。いつも一番小さい画像サイズで撮っている。高解像度はまったく必要ない。
自分のための写真というものをほとんど撮らない。自分の目で見た記憶で充分だからだ。たとえば、ブログで公開しないような場所へ行くときにはカメラを持っていかない。趣味のもので写真を撮り始めたのも、ネットで公開を始めてからのことだ。だから、昔の写真もほとんどない。
それから、写真集を作るとか、雑誌などで依頼されたとか、そんな場合も、20枚使うのなら20枚しか撮らない。大めに撮っても1枚か2枚だ。いつか使えるだろうから、というストックはしない。必要になれば、カメラを持ってその日に撮りにいく。過去に撮ったものを再利用することはあるけれど、将来のために撮り溜めることはない。だから、このMLAが今年で終了したら、デジカメを使う機会は激減するだろう。
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新しいデジカメはボタンが少ない。タッチパネルなのだ。機関車を運転すると、手に油がついているから、ちょっと触りにくい。そういえば、昨年お客さん用のトイレをリフォームしたが、そのトイレの操作ボタンの文字が、半年くらいで消えてしまった。それだけ、手が油っぽい人が沢山触れたのではないだろうか。庭園鉄道で遊んでいるときは、そのトイレを僕も利用している。庭に一番近いからだ。
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天賞堂で塗料を買ってきたので、塗装がしたいのだが、気温が低すぎる。工作室をエアコンとファンヒータで暖め、少しだけピースコンを使ってみた。スプレィ缶とピースコンでは、全然感覚が違う、別ものといって良いのに、同じ「吹き付け塗装」と説明されてしまうのは、ちょっと解せない。
【社会】 大人のコンテンツ
日本の子供の学力の低下が各方面で話題になっている。これについては、何度かここでも書いた(たとえば、2007年の4/16や4/26の【社会】参照)。一言でまとめるなら、「ゆとり教育」の成果であって、僕は悪い状況だとは捉えていない。
さて、小学校から高校、あるいは大学の一部も含まれるが、「教えてもらえること」というのは、つまりは「メディア」なのである。わかりやすくいえば、それは「道具の使い方」なのだ。それを知っていれば、自分の自由のために、面白いことができる、楽しいことに遭える、という手堅い手法を伝授するのが教育である。道具の使い方自体は、そんなに面白いものでも楽しいものでもない。面白く楽しいものだと騙すことには、僕は反対だ。苦労をしてでも、自分に有益なものが得られるはずだ、という予感を与えることの方が大事だろう。
しかし問題は、どんな面白さ、楽しさがあるのか、という点である。ここが実は学問のコンテンツなのだが、それを知っている、あるいは得ている大人がそれほど多くはない。大人たちの多くは、あくせく働いて、子供を巻き添えにしてこじんまりとした楽しみに終始しているだけに見える。子供から見ると、大人になったらどんな楽しみがあるのか、それが想像できない。家族で遊園地へ遊びにいくとか、仲間と飲んで騒ぐとか、それくらいが人生の楽しみならば、それはもう今現在、子供でも手の届くことであって、頑張って勉強して獲得するような目標とは思えない。
学校の先生は、そのコンテンツを持っているだろうか? たとえば、先生がなにか夢中になって研究をしているとか、そういうのがコンテンツである。子供たちに上手く説明ができなくても、本当にコンテンツを持っていれば、子供たちにそれが伝わる。大人や社会は、そんなコンテンツを子供に見せることができるだろうか?
格差がある社会では、教育効果は示しやすい。格差のあるその上へ自分が行けるかもしれない、という目標がわかりやすい。格差がなくなった豊かな社会では、子供たちに、もっと文化的な高みを見せる必要があるだろう。大人は何が凄いのか、を感じさせなければならない。そういった、人生のコンテンツとでもいうべきものを大人が持っていさえすれば、子供たちは自然にそれを感じ取るし、きっと勉学する理由を見つけるはずである。
簡単にいうと、子供に「勉強しろ」と言うまえに、大人がもっと勉強すべきなのだ。
2008年02月14日(木曜日)
【HR】 秋葉原で買いもの
朝、スバル氏とまた別れ、僕は秋葉原へ。
どうも、デジカメの調子が悪いので、やはり買い替える決心をし、ヨドバシカメラへ。またSONYにした。性能はあまり関係がなく、使い勝手が変わらない方が嬉しいからだ。SONY製は、かつてはAppleと相性が良かったので使っていた。だから、その名残。僕はSONYのデジカメをもう6、7台(もっとかな)買ったと思う。実はビデオカメラも今まで全部SONYだ。振り返ってみると、ウォークマンの名残ではないだろうか。
Macの新型はまだなかった。そろそろ、プラズマを替えても良いかも、と少し思った。50型でも、今のものの方が綺麗だし、デザインもすっきりしている。
このほか、真空管も数本購入。JBLの新しいモニタ・スピーカを見たかったがなかった。音を確かめたかったのだが。あと、細かいもの、スイッチとかコネクタとかをいろいろ探した。スバル氏からメールがあったので、東京駅で合流。
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大丸で買ったサンドイッチを電車の中で食べた。これがなかなか美味しかった。420円だった。安い。食べるものが安すぎる。ヨーロッパに行くと、イギリスとかフランスとか、どうも物価が高いように感じる。あれは、やっぱり高くても自給する、自国のものを買うようにしているからではないだろうか。模型も、イギリスやヨーロッパの製品は、アメリカのものに比べてかなり高い。
体調はだいぶ回復した。今週はのんびりと養生することにする。というか、明日から模型作りに専念しよう。来週は、「スカイ・イクリプス」の第7話を執筆する予定。また、再来週は3月分の「D&D」を書くつもり。この反対にするかも。ゲラは「θ」の文庫2校、「どきどきフェノメノン」文庫、「工学部・水柿助教授の解脱」単行本などがある。
雪が降ったのは9日で、スバル氏が雪だるまを作ったのは10日だが、今日、まだそれが夏みかんくらいの大きさで残っていた。雨も降ったし、晴れたら日に当たる場所だったのに、5日間も残るものなのだ。
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スバル氏が洗濯機のドアの取っ手を壊した。プラスティックが割れてしまったのだ。このまえのドアといい、またもである。具合が悪いうちに言ってくれれば良いのに、騙し騙し使うから、最終的な破壊にまで至ってしまうのだ。しかし、今回はその取っ手がなくても、なんとか開閉ができることがわかり、彼女もほっとしている。「次に買い替えるまで、これで我慢して使う」と強気の発言だった。
甘いお菓子が沢山届いている。また、ファン倶楽部では、メッセージを集めたサイトを作ってくれた。毎年のことながら感謝。そして、これも毎年書くが、僕は今までの人生で、VDのお返しとして「お礼」以上のことは一度たりともしたことがない。重ねてあしからず。
【理科】 重心
2/8の【算数】で重心について書いたが、物体には重心があり、空を飛ぶものに限らず、運動をするものは、この重心の位置がとても重要になる。
たとえば、自動車の重心は、ちょうど中央にはなく、前輪と後輪が同じ配分で重さを支えているわけではない。通常は、駆動する動輪に重さをやや多くかけた方が有利なので、重心は(前輪駆動ならば)前に寄っている。
飛行機の重心は、通常は主翼の中心のやや前寄りにある。主翼の断面が一番厚いところと一致していることが多い。
重心が同じ位置にあっても、重さが中心付近に集中しているものと、両端に重量物があるものでは、運動性がまったく違う。機敏な動きを要求される場合には、重心の近くに重量物が集まっている方が有利になる。
同じ重さでも、中心に重い芯があるボールと、周囲の皮の部分が重いボールを比べてみると、両方とも重心は中心にあるため、手で持っただけでは判別は難しい。ただ、それを回転させてみると違いが明らかになる。
人間の重心は胸の付近にある。高いところから飛び降りたとき、人間は頭から落ちる、とよくいわれているが、これは何故か? 「頭が重いから」というのは答ではない。何故なら、重いものも軽いものも落ちる速さはほとんど同じだ(空気抵抗がなければ、完全に同じである)。ガリレオがその実験をピサの斜塔で行ったという有名な伝説がある(フィクションだと思うが)。頭から落ちるとしたら、それは、空気抵抗の合力の中心が、重心よりも躰の下にあるからに過ぎない。服装や髪形、あるいは落ちていくときの動作、体形によっては、頭から落ちないだろう。
2008年02月13日(水曜日)
【HR】 ラジオ局とライブ
この冬最強の寒波らしい。たしかに風が冷たかった。体調は良くなりつつはあるが、まだ健康の半分くらいか。
スバル氏と一緒に銀座へ。有楽町の駅ですぐさま別れて、僕は天賞堂へ。模型は新製品も中古品も面白いものはなかった。やはり、この頃「もう欲しいものは日本にはない」という感覚が強い。洋雑誌1冊だけ買った。あとは(どこの模型屋でも買えるような)塗料と工具を調達した。少し荷物が重くなってしまった。
荷物を置きに某所へ寄ってから、タクシーでFM東京へ。1月からエッセィの連載「D&D」を携帯サイトで始めたのだが、これまでに担当のK西氏に会ったことが1度あるだけだった。FM東京は半蔵門の目の前にあるビルで、日本コンクリート工学協会とも近い。ご挨拶をしたあと、社内でスタジオやCDのライブラリィや編集室などを見せてもらった。べつに、取材というわけではない(というか、かつて取材をしたことがあったっけ?)。K西氏は、ずいぶんまえに名刺交換会に参加したことがあったらしい。そのときの森博嗣の名刺を持っていた(当時、彼はまだFM東京にはいなかった)。名刺交換会がこのように仕事に結びつく機会は、実は大変多いのである。
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次は、東京ドームへ。スバル氏はもう何度もライブでドームへ来ているが、僕は東京ドームの中に入ったのは初めてだった。
ポリスのライブを観にきたのだ。これまた珍しいことである。スバル氏と一緒にライブなんて、もしかして初めてではないか、と彼女と話し合ったのだが、結婚まえに1度だけあったし(つまり30年くらいまえになる。これは僕が覚えていた)、結婚後はクラシックなら1度あったらしい。そのときは子供も一緒だったとか(こちらはスバル氏の記憶。僕は忘れていた)。だから、2人でロックのライブに行くなんて、凄いレアな体験といえる。音楽の趣味がそれくらい違うからだ。まあ、ポリスがぎりぎりの接点だったということか。どちらかというと、スバル氏の方が好きで、僕は、「観てみたいかな」くらいの感じだった。でも、演奏された18曲(くらい)のうち、聴いたことのないのは1曲だけだった(もっとも、僕は曲のタイトルを記憶しない)。まあ、つまりヒットの多いグループではある。このライブのことは、FM東京の連載「D&D」に書くと思うので以上。
終わったあと、外がもの凄く寒かったけれど、地下鉄で帰った。風邪は少しずつ良くなっている。良かった、ライブに来られるくらいの体調で。
【算数】 いくつ?
何度も出ているテーマだが、際どいものを幾つか思いついてみよう。
1)メダカが1匹います。そこへクジラが1匹やってきました。さて全部で何匹になったでしょう?
2)富士山が見える公園の砂場で、太郎君は砂の富士山を1つ作りました。富士山は全部でいくつになりましたか?
ものを数えることは、簡単なようで難しい。「1つ」という状態を定義しなければならないし、それが同じように数えられる対象か、という判断も必要だ。たとえば、
3)ケーキを縦に半分にし、さらに横に半分にしました。ケーキはいくつになりましたか?
という問題は一見簡単かもしれないけれど、厳密にいうと、こぼれ落ちる小さな欠片をどうするのか、など、現実的に考えると難しくなるだろう。そもそも「半分」「切る」などの定義、あるいはその誤差をどこまで許容するのか、という議論にもなりかねない。このまま、ナイフを入れる回数を増やしていくと、たちまち欠片との区別もつかなくなる。
また、これが「ケーキ」ではなく、「1000円札」だったらどうなるのか。あるいは、「人間」や「地球」だったらどうなのか、ということを想像してみよう。対象が違うと、答が違ってくるなんて、算数としては変ではないか。算数とはもっと普遍的なもののはずなのに、と悩んでしまう。
ちなみに、砂の山と富士山は、1万倍くらい大きさが違うから、重さにすると、1兆(1012)倍ほどの違いがある。これは、ちょうど、キロ、メガ、ギガの次にくるテラである。コンピュータ関連の進歩を見てきた者には、そんなに大した差でもないかも、と思えてしまう。
むしろ、こんなに大きさが違っても、同じものだと数えられる人間の認識力の方が凄い。
2008年02月12日(火曜日)
【HR】 対談と特別運行
体調は悪化し、昨夜は2時間ほど早めに寝たのだが、熱があったみたいで(測っていないけれど)、大量の汗をかいた。それで少し楽になって、朝は気分がそれほど悪くない。でも、全然本調子ではなく、まだ喉が痛い。スバル氏は、「それは花粉だ」と言っているが、僕は違うと思う。今日は雨だし。
昨日、とあるスーパであったこと。若い従業員が、僕のすぐ近くで、他の年輩従業員に「おはようございます」と頭を下げて挨拶をしたのだ。たぶん、店内では従業員同士できちんと挨拶をし合うように、と指導されているのだろう。しかし、それは客がいる前では非常識である。客にはなにも言わず、身内に頭を下げるというのは、客に対して大変失礼なことだ。これは、お客さんのいるとき、家族に挨拶することでも同様である。このあたりの礼儀を、たぶんこれっぽっちも考えていない人なのだろうな、と面白かった。知らないその若者が悪いのではなく、教えない周囲の人がいけない、と思う。
昨日のI子氏との打合せの1つは、漫画のノベライズに関してだった。まだ直面した仕事ではないけれど、今年はこの仕事が大きなウェイトを占めるだろう。それから、このMLAの「学科」に原稿を一般から募集する企画についても話し合った。今のところ、1人が1回分だけを応募でき、審査は森博嗣が行い、採用は5人とする、そして5000円の図書券が賞品、くらいが決まっている。時期をいつにするかは未定。やる気のある方は、ネタを練っておいてほしい。本にもそのまま掲載される。
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お昼過ぎに、京極夏彦氏が来宅。新幹線でいらっしゃった。中公のN倉氏、N輪氏も同行。そのほかにも、ライタ氏やカメラマン氏ほか数名。天気が悪いので、庭園鉄道は無理かと思われたが、夕方には雨は上がり、なんとか運行が可能になった。京極氏は、欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線に和服で乗車した最初の人になった。まず僕が運転をして、京極氏は乗客で1周し、その次は、ご自分で少しだけ運転もしてもらった。自動で動くものを運転することはこれまでに経験がない、とのことだったが。
遊びにこられたわけではない。リビングで対談を2時間ほどした。彼との対談は、実に11年ぶりのことで、2度めである(1度めは、当時の「メフィスト」に掲載)。今回の対談のテーマは、押井守についてだ。この対談は、4月に中央公論新社から刊行される本に掲載予定。興味のある方はお見逃しなく。
そのあと、おしゃべりをさらに2時間ほど。京極氏とは、各出版社の担当編集者がかなりの割合で共通しているので、彼ら彼女らの噂話ができる。大勢がくしゃみをしたことだろう。面白い話が沢山聞けて楽しい時間だった。パスカルはとても大人しくしていた。
6時頃一行が帰られた。京極氏は明日も愛知県で某所へ行かれるとか。僕は明日は逆に東京だ。体調をなんとか治したいところ。
【国語】 いるかあるか再び
2005年10/20の【国語】で「いるかあるか」を書いた。この問題は、その後も何度かことあるごとに思い浮かぶ。TVでアナウンサが、「現在、現場付近は規制されてあります」なんて言っていると、「それは、います、だろう」と突っ込みたくなる。「いる」なのか「ある」なのか、わりと難しい。みんな無意識に使い分けているのだから、日本人って凄い。
「道具は片づけてある」はおかしくないが、「道具はかたづけている」はおかしい。「道具は片づけられている」は良いが、「道具は片づけられてある」はおかしい。やはり、主語が人間であれば「いる」が多く、ものであれば「ある」が多い。でも、「看板が立っている」であって、「立ってある」ではない。しかし、「看板が立てている」は変で、「立ててある」である。
両方使える場合も多い。「綺麗にしてある」「綺麗にしている」などがそうだ。これは、意味が少し違う。「店は開けてある」「店は開けている」なども両方可だ。前者は今の状態を、後者はいつもそうしている、という意味合いが感じられる。
これが、「います」「あります」になると、少しわかりにくくなるかもしれない。「靴はどこに置いていますか?」と「靴はどこに置いてありますか?」は、どう違うだろう? 前者では、相手の日頃の置き場所を尋ねているが、後者では、今の状態を尋ねていて、自分の靴がどこに置かれたかをきいているように聞こえる。
微妙な日本語を使えることを誇りに思おう。
2008年02月11日(月曜日)
【HR】 ミスがあったときの対処
朝から体調が悪い。喉が痛い。花粉かもしれないし、昨日の遊びの疲れかもしれないし、風邪かもしれない。
体調が悪いので、仕事しかできない。「ジャーロ」の連載の手直しを終えて、近況も書いて、編集部へ発送。お終い。それから、「MLA9」のあとがきの推敲をした。これも終わり。「MLA9」のゲラは、夕方に来宅した「ダ・ヴィンチ」のI子氏に手渡した。今年の計画についても打合せをする。
スバル氏と昼頃買いものに。ガーデニング関係のものを幾つか購入。今日は晴天でぽかぽかの陽気。しかし、庭の雪はまだ残っている。帰ってから、パスカルをシャンプーした。濡れたまま走り回ったので、大変だった。
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ミスがあったときの対処について書こう。もちろん、最初にすべきことは、同様のミスがほかにもないか、という調査である。そして、その確認が終わったら、将来に向けて、どのような手を打つかを決めることだ。
たとえば僕の場合、自分でミスをしたら、やり方を変える。誰かに仕事を依頼して、そこでミスがあったときには、その依頼方法を必ず変更する。同じ手順では、また同じミスが起こる可能性がある。その人が「今後は充分に気をつけます」といくら謝っても、変更は必要だ。これは、その人間を責めているのではなく、僕の依頼のし方が悪かった、と反省しているためである。その人は大丈夫でも、違う担当者になったら、またミスが出るかもしれない。人に伝達されたときには、「以後はしっかりやろう」という意気込みまでは伝わらないのである。
しかし、出版関係の仕事をして、これまでに、ミスがあったあとに方法を変更すると言ってきたところはない。スバル氏にそれを話したら、「世間ではそれが当たり前。特に文系の仕事とはそういうものだ」と言う。そうかもしれない。人の命が関わっているわけではないのだから、ミスがあれば頭を下げれば良い、というスタンスなのだろう。
技術系ではこんなことはたぶん許されない。スペースシャトルの事故のあと、「以後、充分に気をつけます」と幹部が揃って頭を下げ、謝罪文をいくら発表しても、それで済む問題だろうか? そんなことでは、人類はとても宇宙へ行けなかっただろう。
多少面倒かもしれないけれど、以後はシステムを改善し、チェック機構を増設するなり、なんらかの対処の証を見せるべきである。「そんなことをしたら仕事がまた増える」と言うかもしれない。それは、日頃から作業をよく観察し、省けるものを省き、安全ならば手順を省略する、という合理化が行われていればなんでもないことだ。こうした面倒なシステムでしばらく続け、安全が確認されたら、また別の合理化を考えれば良い。
「今後は、私が責任を持って確認をいたします」と口で決意を語るよりも、たとえば、「今後は、確認した者に捺印させます」といった手続きの変更だけでも良いので、「具体的な方策」を示すべきである。赤福だってそれをやったでしょう?
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蛇足だが、僕は個人を恨んだり、攻撃したりしたことは一度もない。ミスがあっても、ミスをした人が悪いのではない、ミスを許したシステムに問題がある、と考える。非難するときは必ず、そのシステムの不合理さを訴えている。人が悪いとは考えない。スバル氏は「私は郵便局のあの係員が嫌いだ」とおっしゃっていたが、僕は郵便局員に悪い印象はまったく持っていない。そこが全然違うことは付記しておく。
【体育】 風邪の予防
滅多に風邪をひかないのだが、それはたぶん、自分の体調に関して人よりも敏感なのだと思う。とにかく躰が弱いからこうなった。ほんの少し調子が悪くなるだけで、満足に活動ができないため、いつもある程度の体調を維持していたい、と常に意識し、努力をしている。その結果、幸いにも風邪をほとんどひかないでこれまできた。子供の頃はもっとしょっちゅうひいていたが、成人してからは、数回しかない。
少し喉に違和感がある、というくらいで、もう徹底的に養生をする。暑いくらいの格好をして、なるべくじっとしている。気をつけることは、1)食べる量を減らす(水分は取る)。2)なるべく動かない(体力の消耗を防ぐ)。3)早く寝る(睡眠時間を多くとる)。の3点。薬は飲まないし、医者にも行かない。
この対処で、10回のうち9回は回復できる。通常は2日くらいで体調が戻る。大事なのは、最初の兆候に対して、早く手を打つことだ。しかし、この2日の間に、どうしても不健康な活動をしなければならない場合もある。こういったときは、上記の対処が遅れ、結果的に回復が3〜4倍遅くなる。ただ、それでもできるかぎり、1)〜3)を取り入れることには変わりない。
子供のときは、すぐに薬を飲まされた。すると、風邪の症状は一時的に治まっても、どうしようもなく気持ちが悪くなる。お腹が痛くなったり、別の不具合が出る。そして、またすぐに風邪をひくように思われる。
20歳になってから、薬を飲まないようにした。自然に治すように努めた。その結果、少しずつ風邪をひかなくなったようだ。
ただ、感染する風邪は別である。これは、とにかく暖かい空気の人混みを避けること。これに尽きる。
2008年02月10日(日曜日)
【HR】 雪で遊ぶ
朝、天気予報を見てみたら、今日の最高気温予測は8℃になっていた。たぶん、それよりも高くなりそうな日差しだった。どうも、直前でびびって控えめにする傾向が天気予報にはある。昨日の雪だって、前日まではちゃんと「雪」と予測していたのに、当日になって、「雨」に予報を変えてしまったのだ。残念!
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午前中はまだ一面の雪景色。スバル氏とパスカルが庭で大騒ぎしているので、僕も出ていった。雪だるまを作っているが、「さらさらの雪でうまく作れない」とおっしゃっていた。パスカルは、写真を何枚も撮られるから、もううんざりみたいな顔だった。
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部品を交換したばかりの小さい機関車を、庭にある線路の上の雪を退けて試運転。これはブタンガスが燃料の機関車だ。非常に調子良く走って面白かった。雪があるからムードも満点。
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これで気を良くして、大きな機関車も走らせようと思い立つ。しかし、5インチゲージの線路は、ガレージの東側が屋根から落ちた雪で50cmくらい下に埋もれているし、北側のデッキは積雪20cmでまったく解けていない。さっそくスコップを持ち出し、線路の雪を退けた。30分くらいの重労働だった。弁天ヶ丘線にはロータリィ除雪車があるけれど、残念ながら、マブチモータと電池で羽根を回すパフォーマンスはできても、こんな大雪には対応していない。
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13号機レディ・マドキャップを走らせた。1月にハンドポンプを増設したので、早く試運転がしたかった。石炭を燃やし、今日も快調に走った。ストーブ付きで走っているわけだから、運転は快適である。10周くらい走っただろうか。
こんなに遊べるとは思わなかった。もの凄く楽しかった。
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小説の仕事は、夕方に「ジャーロ」の連載の手直しを2/3まで進めたのみ。経理ミス問題については、今までの記録をすべて再出力してもらい、その書類が届いた。これからチェックをするところ。
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「先生は、なにごとにも拘らない、というのがポリシィだそうですが、そのポリシィに拘っていませんか?」という質問に対する答は「そんな細かいことに拘るな」である。
【社会】 あらゆるものの価値は下がる
「価値」という言葉は、人間の労力や時間の量を示すものだと考えて良いだろう。つまり、物理の仕事量に近い。品物にも価値があるし、権利や立場、あるいは名前や名誉みたいなものにも価値がある。一番これが数字になって比較しやすいのが「お金」である(「お」をつけたのは、ゴールドと区別するため)。
仕事をすると、その報酬として、なんらかの価値が手に入る。すぐに品物に替えてしまっても良いし、また将来のためにその価値を蓄えることもできる。しかし、貯金をすると、利息はつくものの、しだいにお金の価値は下がってくるのが普通だ。これは、仕事をしたという価値が、時間とともに薄れてくる、と考えれば良い。たとえば、「たった今これをやりました」と「昨年これをやりました」では、同じ仕事量であっても価値が違う。また、時間が経過するほど(経験や機械化によって)簡単にその仕事ができるようになるかもしれないので、古い仕事量の価値は相対的に下がる。品物も古くなると価値が下がるが、これと同じだ。借金をすれば、多めにして返さなければならないのも、(リスクが伴うことと)お金の価値が次第に下がるからだ。こうしてみると、インフレというのは、わりと自然な現象に見える。
だから、若くして大金を手にしたときも、基本的に稼いだその価値は時間とともに低下する。将来に向けて価値を落とさずに持ち続ける「労力」や「リスク」をかければ、価値を下げないことも可能だが、なんの苦労もなく価値を保持することはできない。
お金も品物も(あるいは土地も)どんなものも、時間とともに価値が下がる、と考えるのが自然である。その理由は何か、といえば、それは人間が生産を続けているからだ。新たな価値をどんどん生み出しているためである。
念のために書いておくが、以上のように僕は「想像」している。
お金を長く持っていると価値が下がる、と不安がる人がいるが、当たり前のことであり、損をしているわけではない。そんなことよりも、なにもしないとどんどん落ちていく「自分の価値」を気にした方が賢明である。
2008年02月09日(土曜日)
【HR】 雪が降った
昨日の予報は雪だったが、今朝見たら雨の予報に変わっていた。しかし、雪は降った。11時頃から降り始めて、あっという間に15cmくらい積もった。そんなじゃんじゃん降っている最中でも、天気予報は「弱雨」だった。僕は区の予報を見ているのだけれど、雪はこの付近だけなのだろうか。
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小説の仕事は、「ジャーロ」の連載の手直しを1/3だけ。「MLA9」のゲラは最後まで読めた。「θ」文庫の2校ゲラが届いている。こちらはしばらくあと。
雪が酷くなりそうなので、お昼過ぎにスーパへ買い出しに。このときは、まだ庭には3cmくらいの積雪で、道路は大丈夫だった。帰ってくるときには、道路も白くなり始め、ところどころ危ない状態。あと1時間遅かったら、出かけるのは諦めたと思う。予報では、明日は晴天で気温12℃とある。本当だろうか。
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パスカルは、雪の中ではとても目立つ。黒いから普段は写真が撮りにくいのだが、こういうときは、躰についた雪も目立つし、コントラストがはっきりして撮りやすい。しかし、外に出たのは、降り始めた最初のうちだけで、少し積もってからは、外に出なくなった。「汚れますから」みたいな感じ。セレブな犬である。でも、夕方の散歩はスバル氏と出かけていった。
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ガレージからロータリィ除雪車を出動させて写真を撮ったけれど、寒いからそんなに遊べない。明日もこの雪は残っているだろうから、また明日。例年なら、これだけ降れば数日は残るのだが、なにしろ明日は12℃の予報なので、どうなるのかわからない。
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昨日、S儀氏が40万円もするCDデッキを購入した話をしていた。SACDは「全然違う」とのこと。僕も迷っていたのだが、なにしろSACDで録音されたCDがほとんどない。たまにあってもクラシックだ。これではなあ、と躊躇している。また、最近はアナログブームでレコードを勧める人も多いけれど、あの雑音を我慢しなければいけないわけだ。やっとCDになって、あれが消えたと思ったのに、また戻るの? みたいに感じる。レコードはかなり沢山持っている方なので、いずれは聴くことになるだろうけれど。
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スバル氏は、夜は餃子を作った。どうしても食べたかったみたいだ。もともと彼女は餃子が好きで、2週間に1度は食べている。森家では、たいてい餃子の皮は僕が捏ねるのだけれど、今日は買ってきたものを使った。沢山作って冷凍にするらしい。
雪の日は静かで、ガレージで音楽を聴くのにもうってつけだ。イギリスから機関車のパーツが昨夜届き、さっそく交換した。今日はちょっと外で運転ができないから、また明日。本当に12℃?
【理科】 雪が降ると考える
雪が積もっていると考える。
まず、雪荷重のこと。あそこの体育館は大丈夫だろうか、といった心配だ。
次に、雪が積もったとき、どんな挙動を示すかを想像する。自重によって、下の方には応力がかかる。この圧縮によって、密度が増すだろう。温度によっては、水分の移動もあるか。積もるほど、下の方が高密度になる。こうした、雪の力学的性状は、実験をすればおおかたは把握ができるだろう。力学的に重要なのは、せん断抵抗応力である。つまり、ずれようとする力に対する抵抗性質だ。さらに、温度によって、各種性質が変わるはずなので、併せて測定する必要がある。
これらの情報が収集されれば、雪が降った場合に、どのように積もり、そしていつ、どんな形態で崩壊が起こるかを計算できる。たとえば、小規模なものであれば、屋根の雪はいつどの部分が落ちるか、山の雪崩がいつどのように発生するのかを解析的に予測できる。ここまでは、既に行われているはず。
さらに、崩れた雪が、どのように運動するのか、という問題になると、動的な離散モデルを用いた数値解析でしか解けない。精度が落ちるものの現在のコンピュータの計算容量ならば不可能ではないだろう。これによって、雪崩がどの範囲にまで影響を与えるのか、といった予測が可能になるだろう。
雪の日には、こんなことをぼんやり考える。
2008年02月08日(金曜日)
【HR】 実物を見て納得?
眩しい晴天。春が近い気がするが、明日は雪の予報。本当だろうか。花粉のためか、頭痛がする。
午前中に小説の仕事。「MLA9」のゲラは80%まで。「ジャーロ」の連載は4000文字書いて完成度100%で終了。手直しにあと2日ほどかかるだろう。経理ミスは調査中。やはりほかにもミスがあったことがわかり、イラストレータに印税が振り込まれていないことも発覚した。しかし、対処はしてもらっている。過去のデータもチェックをしてもらっているところ。
ミスが発覚したときに、その原因、そして範囲など、素直に情報を公開すれば良いのだが、どうしても、繕おうとする。「いや、大したことではない」と思い込みたいし、そのように振る舞う。これがますます悪い方向へ転がり、ことを大きくする要因となるように観察される。
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夕方に、幻冬舎のS儀氏が来宅。美味しいティラミスをいただいた。4月に単行本になる「工学部・水柿助教授の解脱」について打合せ。このほかにも、いろいろ面白い話を2時間以上した。オーディオの話が多かったかな。
「セレブパッチ」の意味がわからなかった、というメールをいただいた。「パッチ」「パッチィ」は、パスカルのことである。僕が使っているものの20倍の値段のシャンプーで洗ってもらっている。「スバル氏」が誰なのかわからない、というメールは、もう定常的にいただく。ノーコメント。
ガレージの整備が一段落ついたので、また工作に戻ろうかと考えている。
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僕の場合、好きな飛行機や機関車はまず模型から入る。そうしているうちに、実機も見てみたいものだ、と稀に思うようになる。わざわざ見にいくことはまずないが、実機の資料を集めてみて、ああ、ここはこういう意味だったのか、こんな経緯があったのか、と納得することは多い。実機を見にいっても、そういった情報はそんなに見つかるものではない。まして、飛んでいるものや走っているものを見ても「音」くらいしかわからない。
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小説を読んだファンが、小説の舞台となった場所へ行ったりするのも、たぶん同じだと思う。その場所がお気に入りというわけではない。その場所を自分のものにしたいわけでもない。まあ、ちょっと小さな納得がしたいだけなのだろう。
ところで、僕は小説に登場させる場所は、実際の場所とは違うものを使っている。同じように見えるかもしれないが、場所を移動させたり、交換したり、向きを変えたりして、舞台を自分で再構成しているからだ。だから、その名前のところへ行っても、全然そんな雰囲気ではなかったり、違っているはずだ。
【算数】 重心
物体には重さがある。水平な平面で見たとき、その重さが釣り合う点が存在する。その位置で物体を支えると、どちらへも倒れようとしない位置である。これを重心(center of gravity)という。物体全体に働く重力の合力が作用する点だ。
たとえば、円であれば、円の中心がすなわち重心である。三角形であれば、各頂点と対辺の中点(二等分点)を結ぶ3本の線分が1点で交わるが、ここが重心だ。
飛行機がうまく飛ぶためには、この重心の位置が重要で、模型飛行機や紙飛行機を作ったら、必ず指で支えて、重心の位置を確かめる。調節するために、余計な重りを積んだりする。重くなっても、重心の位置を合わせることの方が、飛ぶためには重要だからだ。
物体を細かく分けて考えたとき、その小さな部分の重さと、ある点からの距離を乗した値(モーメント)を計算し、これを全体について足し合わせていく。すると、この合計がちょうどゼロになる点が重心である。つまり、沢山の腕がある天秤がちょうど釣り合う位置、という想像をすれば良い。
三角形の重心は、さきほど書いたとおりだが、これは頂点から対辺の中点へ引いた線分*の2/3の位置になる。どんな三角形でもこの比率になる。すなわち、三角形の重心は、どんなふうに三角形を立てても、その高さの1/3にある。
さて、たまには少し計算をしてみよう。
重心の位置で水平(底辺に平行)に三角形を切ると、上にできる三角形は、元の2/3の大きさだから、面積は4/9になる。一方、下にできる台形は残りの5/9だ。上の三角形の重心は、さきほど引いた線分*の2/3のさらに(下から)1/3の位置になるので、元の三角形の重心から(線分*を1とすれば)2/9の位置にある。一方、下の台形の重心は1/3の線分のどこにあるだろう? これは、4/9×2/9=5/9×c のcを求めれば良いので、8/81×9/5=8/45と求められる。したがって、1/3の線分の上から8/15の位置に台形の重心があることがわかる。難しかったかな……。
2008年02月07日(木曜日)
【HR】 またも経理ミス
今日は晴天で気温もかなり上がった。たぶん9℃くらい。いつもよりも薄いジャケットで外に出られた。
午前中に小説関係の仕事を片づける。「MLA9」のゲラは60%まで。「ジャーロ」の連載は今日も4000文字書いた。もう2万文字は越えている。予定どおり明日終わるだろう。yorimoの確認が来た。
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某社で、印税率が1冊だけ違っていることに(僕が)気づいた。数日まえに問い合わせたところ「入力ミス」だったらしい、と返事が昨日あった。発行時からずっと間違っていたようだ。現在まだ調査中である。昨年も同じく経理ミスが別の出版社であった。今回は額がずっと少ないけれど、そういう問題ではない。印税をもらう立場の人は、きちんと書類の数字をチェックする必要がある、ということだ。どこの出版社かは、作家の方から問い合わせがあれば答える。
そういえば、別の社で数年まえにこんなこともあった。雑誌連載の原稿料の振込額が前回より少なかった。ページ数が同じなのに変だな、と思って問い合わせたら、前回間違えて多く支払い過ぎたので今回調節して減らしました、という返答だった。今どき、お役所でもここまで杜撰ではないだろう。
ミスというのは、1つあれば、必ず多数あるものだ。たまたま1つ見つかったら、その1つ謝れば良いという問題ではないはずである。きちんとした対処ができるかどうかが信頼に繋がるだろう。僕の場合、その信頼についてはとうに諦めていて、だからこそ、この世界に長くいることは無理だと判断したのである。それでも、後進のために少しは正常になってほしいと願う。
今回のミスのおかげで、僕はその出版社のこれまでの入金を過去に遡ってチェックしなければならなくなった。それに3時間は確実に取られるだろう。念のために書くが、謝ってもらいたいのではない。こういうことがないシステムを是非確立してもらいたい。なんらかの具体的な手を打ってほしい。ちょっとしたチェック機構さえあれば簡単ではないか。
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スバル氏がまたメガネ屋さんへ行くというので、ショッピングセンタへつき合った。書店ではなにも買うものがなかった。この頃、読む雑誌はほとんど外国のものになってしまったからだ。バックナンバや古い書籍も買っているけれど、圧倒的に洋書が多い。日本語で読めて、これくらいコンテンツがある本がないものか、と常々思う。
パスカルがまた水遊びをして、ハリネズミに変身していたが、ちょうど来た郵便配達の女性に「ワンちゃん、パーマをかけられたんですか?」ときかれていた。何だ? 犬のパーマって……。
このMLAは、作家・森博嗣の「小説関係の仕事」である。本文中に何度もそう書かれているし、最初にもそう明言している。学説を唱えようとか、主義主張を訴えようとか、社会を啓蒙しようとか、人を教育しようとか、そういう意思はまったくない。原稿料をいただいて徒然に書いているエッセィだ。内容が真実かどうかも保障できない(嘘をときどき書いている)。ここを読んで、森博嗣にメールを送りたくなったが「小説関係のメアドしか公開していない」と誤認をする人がいたので、あらためて書いておく。「くどいぞ!」と大多数の人はお怒りになるものと思うけれど、あしからず。
【国語】 まめ
このまえ節分だったので、「まめ」について書こう。豆ではない。漢字で書くと「忠実」である。
「そういうことには、まめだよね」というふうによく会話に現れる。意味としては、「労苦をいとわずよく勤め働くこと」だろうか。これは広辞苑にあった2つめの意味だ。ちなみに、1つめには「まごころがあること」とあるし、3つめは「生活の役に立つこと」、4つめは「身体の丈夫なこと」の意味が書かれていた。僕が知る限りでは、この4つめの意味は、年輩者にはわりと使われている。でも、まごころや役に立つの意味では聞いたことがない。節分で豆を撒くのは、躰が丈夫になることを願ってだと子供の頃に学校で聞いたが、間違いかもしれない。「魔滅」に音が近いという説も聞いたことがあるが、本当かどうかは知らない。
「まめまめしい」という言葉もあって、誠実であることを強調した表現だが、これも今はほとんど聞かないように思う。
さて、現在では、「まめ」という言葉は、完全な褒め言葉ではなく、少々嫌味が込められているように感じる。特に、第三者のことを、「あいつは、まめだから」と言うときは、かなり嘲弄しているイメージが伴う。似たものに、「器用」とか、「真面目」とか「優等生」などがあるかも。
さて、「まめですね」と言われて素直に嬉しいかどうか、きっと年齢によって違うだろう。
2008年02月06日(水曜日)
【HR】 書店と脱サラ
冬空。曇っている。今日のゴミ出しは、なんでもありの日だったので、ガレージのゴミが片づいた。
午前中にまずペンキ塗りをして、それから小説の仕事。「MLA9」のゲラを40%まで見た。「ジャーロ」の連載も4000文字書いた。あと2日くらいで書き上がるかな。このほか、細かい確認が多数。
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お昼過ぎに、税理士さんが来宅。スバル氏が揃えた書類を出して、確定申告の打合せ。自分ですべてやっていたときのことを思い出すと、これほど大変な作業を人に任せられるのだから、嬉しくてしかたがない。ただ、どうしてこんなに複雑なシステムになってしまったのか、という税制の不合理さは、毎年思うところだ。いつまで続くのだろうか。
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パスカルを乗せて書店へ行った。もちろん、パスカルは駐車場で待っていた。特に欲しい本はなかったけれど、雑誌を1冊購入。
書店では、雑誌コーナでは立ち読みをしている人が多い。じっと同じページを開いて見ているから、明らかに内容を読んでいる。買うために内容を確かめる、というのではない。これは「万引き」と同じ行為になるのでは。たぶん、立ち読みしている大半の人はその自覚がないだろう。でも、これを黙認しないと書店はやっていけない、という意見もあるらしい。きっと、スーパの試食みたいな感覚だろう。まあ、雑誌自体が、売れても売れなくても関係ない(つまり広告料で成り立っている)メディアになってしまったから、これで良いのかも。
それから、「成功の秘訣」が書かれているかのようなタイトルの本がやたらと多い。僕が「こういう本、多いね」とスバル氏に言うと、「こんなのを買うというだけで、もう成功の望みはないよね」とばっさり、森博嗣みたいなことをおっしゃった。僕はそこまでは思わない。少なくとも本を買って読もうとするのは、それだけ向上心があるのだから、成功する確率は幾分高いのではないだろうか。さて、どちらだろう。
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帰りの車の中では、いくら稼いだら脱サラする気になるのか、というテーマで話し合った。たぶん、確定申告の影響だろう。600万円くらいの年俸を安定的にもらっている人を想定して、この1年間だけで副業によって稼いだ額がいくらだったら、本業の会社を辞めるか、という問題だ。僕は「1000万や2000万では辞められないと思う」と言ったが、彼女は「案外、500万円くらいでも辞めちゃうんじゃない?」という意見だった。本業、副業いずれも、収入の安定度というファクタが大きいし、自分の年齢や家族構成も影響するだろう。今の仕事に不満があるかどうかも支配的だ。
しかし、スバル氏の意見は一理ある。この頃の人は、仕事に生き甲斐を求めているから、金銭的に少々リスクがあっても、自分のやりたいものへ向かう、という傾向はあるだろう。僕だったら、年俸の10倍を副業で稼いでも辞めない。20倍でも、定年まで20年だったら、まだ迷うな。
【社会】 褒美と罰
子犬を躾るには、たいてい褒美を使う。良いことをした場合に食べものを与えたりする。すると、それが良いことだとわかり、いずれは食べものがなくても、それをするようになる。最初は、よしよしするだけでは、なかなか躾はできない。
人間の子供は、食べものよりも、褒められることの方がたぶん嬉しいのだろう(空腹ではない場合が多いし)。褒めてもらいたいから、という動機で良い子になっていく場合が多い。学校も褒美というものは、物体としては与えない。言葉や点数で褒められるくらいだ。
しかし、なかには、「褒められたってしかたがないよな」と考える拗ねた子供もいるかもしれない。そうなると、教育に支障が出る。学ぶ理由を子供は見失ってしまう。本人に将来を見る目があれば、もちろん学ぶ理由はある。つまり、褒美は将来に約束されているのだ。学んだ方が得なことは明らかだが、そんな「遠い褒美」が理解できるのは、それこそ思考力のある子である。特に幼いうちは、目の前の褒美でしか子供たちは動かないだろう。
昔の教育の現場には、「反褒美」すなわち「罰」があった。この頃の教育ではこれが制限されたため、「褒められる」価値を認識しない子に対して、教育者は打つ手がない(限られた)状況に陥っていることはたしかだ。イギリスだったか、小学校でおやつのご褒美を与えるシステムが試行されていたと思う。たぶん、成果は出ているだろうけれど、まるで犬の躾のように、そうまでしてやらせるのか、という議論には当然なるだろう。
TVのクイズ番組では、この頃ご褒美が頻出するらしい(スバル氏談)。正解したら食べられる、不正解だと食べられない、というシーンを1日に何度も見るという。点数だけでは駄目で、目先の具体的な利がなければ動かない(視聴者が興味を持てない)、というのは一種の「年齢退行」のように思われるけれど、つまりは、それほど褒美や罰則が「珍しい存在」になってしまったからではないか、とも推察される。子供のとき、日常的にあるものではなくなってしまったのだ。
僕個人の意見は特にない。人間はそれぞれ違う。その子を見て、その子に合ったやり方が必要だと思うだけだ。
2008年02月05日(火曜日)
【HR】 ユウチョな利用法
ゴミの日だから8時まえに起きたが、既にスバル氏が出してくれていた。なんだか、もう冬も峠を越えた感じである。でも、昨日ほど暖かくはない。曇り空。
「MLA9」のゲラを20%見た。「ジャーロ」の連載を4000文字書いて、完成度50%くらい。「日経パソコン」第58回のゲラを確認。庭園鉄道の本のためのファイルを再修正。仕事を片づけている。
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確定申告のために、銀行口座の記帳をネットでしたのだが、税理士さんに渡すためのプリンタ出力ができない。毎年この時期に使う古いレーザプリンタを出したけれど、紙を確実に送れないし、ドライバは頻繁に暴走する。まあ、プリンタという機械はこういうものだ。しかたがないので、スバル氏のところへファイルを送り、彼女のインクジェットで出力してもらった。30ページくらいあったし、やはり紙を巻き込むので、その場につききりで1時間ほどかかった。税理士さんにpdfファイルを送ることにすれば、こんな必要もなくなるのだが。
1つだけ記帳ができなかった銀行へ通帳を持って出かけていく。駐車場で待っていたが、スバル氏がなかなか戻ってこないので変だなと思ったら、ATMでやろうとしたら「通帳の磁気が弱まっていてエラーになった」とのこと。情けない。しかし、彼女に言わせると、「それでも郵貯よりはまだまし。腹が立ったときは、郵便局のサービスを思い出せば、たいていのことは許せる」らしい。そういう利用法があったか、と感心する。このまえは、整理券をもらって並んで窓口で振込みをしようとしたら、「ATMの方が手数料が安いからあちらでやって下さい」と言われたとか。それで、ATMでやろうとしたが、これが「もの凄くユウチョなシステム」で、しかも「なんかしゃべっているけど全然聞き取れない」代物らしい。あまりに時間がかかるから頭に来て、また窓口へ行った、という話をしていた。僕は最近、郵便局とは関わりがないので幸せである。そういえば、どんなに機械の調子が悪いときでも、プリンタのことを思い出せば、腹も立たないか。
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