2008年02月29日(金曜日)
【HR】 立体が好き
暖かい日になった。13℃くらいだろうか。こんな日ばかりだったら良いのに。
午前中に小説の仕事を片づける。「スカイ・イクリプス」第7話を書き始める。まずは2000文字。幻冬舎から「工学・水柿助教授の解脱」のゲラが到着したので、すぐに10%を読んだ。
今日はまだ2月だ。閏年で1日多い。そもそも2月は短いから、作家のようにノルマで賃金を得ている人は、時間が短い分大変だ。一方、月給をもらう人は2月は割得である。29日があることで、前者は1日得した気になるし、後者は1日損をした気分なるのではないか。どちらだっていいか。はい、そうですね。
![]()
パスカルも一緒にホームセンタへ行った。車に乗るときぴーぴーと喜んだ。尋常ではない。エスカレートしている感じだ。乗るまえから、「今日は行けるよ」という言葉で察知し、もう足許を走る走る、階段も上り下りを10回くらいするのだ。そんなにハッスルするからか、車に乗って最後の一騒ぎをしたあとは、ぐったり疲れてしまうのである。
ホームセンタではまた土を100kgほど買ってきた。草や花も20本くらい購入。暖かくなると、毎年これである。
![]()
工作は、2月にずっと作っていたものが、2つくらいほぼ完成したので、デッキで走らせて遊んだりした。次は、ちょっと大きな重工作を予定している。たぶん、3月いっぱいかかるだろう。同時に、機関車の修理などもいくつか計画がある。暖かくなったら、塗装したいものも多い。
「スカイ・クロラ」の映画の関係で、人形と飛行機のフィギュアの発売が既に予告されている。もともと、立体のものが好きな方なので、こういうのは嬉しい。
![]()
模型を作るということが、立体なのである。自分で絵も描く方だが、どんなに好きなものでも、絵や写真を入手したいと思うことはほとんどない。たとえば、どんなに好きなキャラクタでも、2次元のグッズにはまったく興味が持てない、という具合である。
一方で、漫画や映画は、2次元だとは認識していない。それは動いているものだ(僕の場合、漫画も動く)。立体がイメージとしてある。小説も同じく動く。写真やイラストは滅多に動かないが、そこにちょっとした文字があったり、台詞があると、たちまち動いたりする。立体のものは、動力があるものは明解だが、そうでなくても、こちらの視点が動かせるという有利さが、「動く」に匹敵する立体の性質だと分析できる。このあたりは、人によってそれぞれなのだろうけれど。
【国語】 ニュアンス
これは、まえにも書いたことがある。「ニュアンス」という言葉はフランス語だが、辞書によれば、「色、音、調子、意味、感情などの微妙な差異」とある。用法として、「微妙なニュアンスが伝わらない」が挙げられている。同じものではなく、違うものなのだが、その差がわかってもらえない、という意味だ。また、辞書には「陰影」「濃淡」ともある。「ニュアンスをつける」といった使い方になるだろう。これは「アクセント」や「コントラスト」とも似ている。
ところが、実際に会話に登場する「ニュアンス」は、これらとは違う意味に多く使われているようだ。「違い」という意味ではなくて、単に「微妙な意味」「より精度の高いイメージ」の意思伝達のような意味合いではないだろうか。「わかるかな、僕の言っているニュアンスが」とか、「そういった意味ではなくて、もっとこれこれこういったニュアンスなんだけれど」とか、そんなふうに使われている。小説を読んでも、この意味で使われている方がむしろ多い。僕も、「これは違うんだけれどな」と思いながらも、そちらの意味で「ニュアンス」を使うことがある。何故なら、ほかに適当でずばりの言葉が日本語にないのだ。
そもそも、文芸というのは、文章の芸術なのであって、言葉を辞書にあるとおりの正しい用法で使う必要はどこにもない。これは、最初に作家になったときに担当編集者から言われたことだった。夏目漱石だって、独自の誤用を多用していたことは有名である。言葉を普通と違う意味で使うことで、新しいイメージが生まれる場合も多い。
それでも、「ニュアンス」が出るたびに、「違うな」と後ろめたい。だから、「イメージ」や「雰囲気」に直すこともある。ただ、どうしても「ニュアンス」しかないな、と思うときがあるのだ。わかってもらえるだろうか、このニュアンス。