2008年02月22日(金曜日)

【HR】 暖かいと嬉しい

 14℃まで上がった。ぽかぽかの晴天。庭で遊んだ。体調も良くなった。 
 小説の仕事は午前中に。「銀河不動産〜」のゲラは1/2まで。「D&D」の残り3回分を書いた。あとは推敲。「θ」文庫のカバーゲラが来たのでチェック。「MLA9」の2校も届き、校閲の指摘箇所だけを確認した。これも終わり。

 お昼頃に、機関車をガレージから出して、ゆっくりと走らせる。最初は枝が落ちていたり、砂利があったり、線路上に障害物が多いため、スピードが出せない。1周すると、それらがなくなるのでスムーズに走れるようになる。花粉が飛んでいるからマスクをして運転をした。とても気持ちが良い。

 光文社のK村氏が来宅。「ジャーロ」連載のゲラをわざわざ取りにきてくれた。少しだけお話をした。
 2週間ほどまえに、講談社から変な手紙が届いた。ある本を手違いで送れなくなった、会員の皆様にご迷惑をおかけしました、という謝罪文だった。しかし、その本は聞いたことのないものだったし、いったい自分は何の会員なのだろう、と首を傾げるばかり。「ダ・ヴィンチ」のI子氏が来たとき、この手紙がテーブルに置いてあった。「私のところへも来ました」と彼女も言う。ということは、推理作家協会あたりかな、という推測を2人でした。今日、K村氏がその手紙に目を留め(ずっとテーブルに出ていたわけだ)、それは本格ミステリ作家クラブの本だとわかった。会員全員に送る予定だったものらしい。
 さっそく、K村氏に会費を払っておいた(「ジャーロ」が同クラブの事務局なのだ)。会費を払うこと以外、活動に参加したことがないのだが。

 K村氏に庭園鉄道に乗ってもらった。とても気持ち良く走れた。パスカルやスバル氏も乗った。パスカルは、電車を追いかけわんわんと吠えた。珍しいことだ。あまりに気持ちが良い気候なので、近所に散歩に出かけた。マスクをしているので快調である。パスカルは途中でばててしまった。スバル氏は近所の家を見るのが好きなようだ。また、家を塗り直したい、みたいなことをおっしゃっていた。2年まえに塗ったばかりなのに。
 チョコレートを少しずつ消費しているが、まだまだ1ヶ月分はある。ニュースは食品の安全性に関する問題を報道している。僕が子供の頃、こういうニュースは多かった。あの頃に比べれば、今はまだずっとましである。しかし、生協っていうのは、もともと安全性を売りものにしていたのに情けないことだ。対処を考えるとしたら、とにかくなんでも安いものを求めようとする日本人の意識をまず変える必要があるだろう。値上げをしないことが「庶民の味方」みたいに報道されがちだが、そういった思い込みが招いたものではなかったか。

【理科】 技術とは何か

 「技術がある」という表現は、どんな意味だろうか?
 たとえば、加工技術であれば、より高い精度で工作できることを示しているように感じる。要求された条件を満たすような品物を確実に製造できることが、すなわち技術力だと考えている人は多いように思う。しかし、必ずしもそうではない。
 設計図にあるとおりに誤差範囲でものを作ることは、それほど難しくはない。極端な話をすれば、それだけの設備があれば可能である場合が多い。では、設備がすなわち技術力だろうか? それは単に「生産力」ではないのか。
 技術というのは、簡単にいえば、「機能を実現する」ための技である。こんな機能を持たせたい、と発想し、では、そのためにはどうすれば良いのか、と考えるとき、技術が必要になる。
 まず、考えに考えて、設計図を描く。ここに1つの技術力がある。しかし、この段階ではまだ実現していない。まず、それが作れないかもしれない。また、たとえそのとおりに作れても、うまく動かないこともある。なかなか設計図どおりにはいかない。予期せぬ不具合が生じるからだ。ここで、技術者は「何が悪いのか?」と考え、対処をする。この問題解決の段階に、技術の大半がある、と僕は思う。これは、高精度にものを作れることとは、まったく別の力だ。
 技術とは、精度良くものを作れることではなく、精度のばらつきを予測し、どんな結果が得られるのかを知っていることである。作る過程において、想像力と経験によって育まれるものであって、教室で教えられる情報以外の要素が大きい。
 これは「図工」だろう、と思う人が多いかもしれない。しかし、僕の中では、この感覚が「理科」なのである。
 技術は個人のものであるけれど、それを体系化し、共有しようとするのが工学である。工学のレベルになれば、教室で教えられるが、それ以前の技術の大半は、製造の現場から離れることはまだ難しい。

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