2008年02月17日(日曜日)
【HR】 躾は自由のため
体調はだいぶ回復して、今75%くらい。まあまあ。少し良くなったので今日はゲラを見た。「θ」文庫2校を確認。「ジャーロ」の連載のゲラが届いた。このほか、極秘プロジェクト関連の仕事も来ていて、これには1週間以上かかる。
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工作は今日も細かい塗装作業。ラッカとエナメルを使っている。筆塗りが多かった。次の工作の準備で道具の整備も少しだけ。機関車はバッテリィのチェックをした。外は凄く寒そうだ。ときどき晴れるので、一度だけ出てみたけれど、風が冷たかった。
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人間も犬も、ほんの少数しか育てた経験がないのだが、躾を特に厳しくしなくても、愛情を注げば良い子が育つ、と僕は今は考えている。動物も人間も、愛情を感じれば必ず愛情で応えるようだ。その能力があれば、という条件だが。
ただ、良い子に育つといっても、それは親あるいは飼い主にとっての良い子だったりする。
躾というのは、躾をする側にとってもけっして愉快な行為ではない。まして、それを受ける方は、いったいどうしてこんな仕打ちに遭うのか、と理不尽に感じるだろう。そのときその場では理解ができないことが普通だ。人間の子ならば、言葉が通じるようになれば、ある程度は説明することができる。そうなれば、あとは信頼関係で、言うことを信じてもらえれば、躾はとても楽になる。さらに成長すれば、本人が学習すれば良いだけのことになるから、躾は必要ない。子供も犬も、小さいときほど叱らなくてはいけないのは同じだ。
犬は理屈がわからないから、それがいけないことだと怒って(怒る振りをして)教えるしかない。たとえば叩いたりするのは、未来に不利益があることを、目前の不利益で代用して教える行為だ。しかし、どうして、そんなことをする必要があるのか?
もし、子供も犬も、家から一歩も外に出ずに、他人と関わらないのであれば、躾など不要である。つまり躾は、対外的(あるいは社会的)なルールを教える行為なのである。そして、それを学習すれば、外へ出ていったとき本人が受ける障害が減少する。別の言葉でいえば、「自由」が得られる。
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人に吠えついたりしないように犬を躾れば、どこへでも連れていくことができる。犬はそれだけ行動範囲が広がり、いつも飼い主と一緒にいられるようになる。その自由を手に入れるために躾をするのだ。これは、人間の子でも同じ。ちゃんと社会のマナーを教えられた子は、どこへでも行ける。その子の将来の自由度は格段に広がる。たとえば、正しい言葉遣いができれば、どこへ行っても恥ずかしい思いをしない。マナーを知っていれば、それが必要な場所で臆することもない。
子供や犬が小さいときに、可愛いから、可哀相だから、という理由で躾を疎かにしても、それは親あるいは飼い主にとっては、まったく不利益がない。ただ、それだけ子供や犬を不自由にしていることになる。犬の場合は、独り立ちしないから、それでも良いのかもしれない、とは思うが。
【算数】 テーブルのガタ
脚が4本あるテーブルや椅子は、脚の長さが不揃いだったり、床が平面でなかったりすると、がたつくことがある。3本しか脚のないものは、どんな場合でもがたつかない。カメラの三脚はこの理屈で成立しているツールだ。これは、同じ直線上にはないいかなる3点も、それらを含む平面が1つだけ必ず存在する、という幾何学法則に基づいている。
さて、3本脚のテーブルはがたつかないので、立ち方は1つしかない。4本脚のテーブルは、がたついて、立ち方が2つある。すなわち、今浮いている脚が床につくと、2つめの立ち方になる。では、5本脚のテーブル(正5角形の頂点に脚があるとする)ががたつくとき、立ち方はいくつあるだろうか?
さらに、正n角形の頂点にそれぞれ脚があるn本脚のテーブルについても考えてみよう。(例によって、この問題に関することをメールで書いてきたり、掲示板に書き込まないように)