2008年02月16日(土曜日)
【HR】 最初に対処法を語る
晴天だが気温は低い。南側の庭にあったスバル氏が作った雪だるまはついに消えた。しかし、北側のデッキにはまだ1週間まえの雪が残っている。あと数日で10℃を超える日が来るらしい。待ち遠しい。体調はゆっくり良くなっている。まだ健康とはいえないが。
![]()
昨日ネットで注文したデジカメのデッキ(ステーションというらしい)がもう届いた。アマゾンで買おうと思ったら、入荷に数日かかる、とあったのでメーカのサイトで注文した。定価だけれど、早く確実なことには価値がある。それから、まえのデジカメ用に昨年買ったばかりのバッテリィは、なんと、新しいデジカメでも使えるタイプだった。良かった、同じメーカにして。
スバル氏と書店とコンビニとスーパへ。コンビニは振込をするため。あっという間だった。銀行や郵便局よりずっとコンビニエンスになったようである。
午後は、工作室で塗装作業をした。シンナを使うので換気に注意して作業をする。吹き付けという作業は、僕が子供の頃は「高価」で簡単にはできなかった。手動の霧吹き器でやっている人もいたけれど、かなり難しい作業だった。こういう些細なことで、良い社会になったな、と思う人だ、僕は。
そうそう、天賞堂ではハンダゴテのヒータだけを500円で売っていた。これを買ってきて、先日切れてしまったハンダゴテを直した。100Wが3本になってしまった。これは、もったいないのか、もったいないからしたことなのか。
![]()
中央公論新社からもうすぐ発行される「森博嗣の道具箱」の見本が届く。帯がない。素晴らしい。スバル氏も「帯なんてシステム、やめれば良いのにね」とこの本を見ておっしゃった。僕はなにも言っていない。内心笑顔。この本は、人にプレゼントできる。解説は平岡幸三氏。
![]()
学生から悩みの相談を受けたときなどに、まず対処のし方から話す、という傾向が僕にはある。それも、間髪入れず答えるらしい。ところが、悩み相談というのは、そもそも事情をゆっくり聞いてあげたり、「それは大変だね」と慰めてあげたりすることの方にウェイトがあるものだ、と最近気づいた。僕の場合、「人に相談するからには、どう対処をすべきか、というアドバイスを求めているだろう」と素直に考える。自分が人に相談するような場合は、例外なくそういうときだからだ。
したがって、たとえば、体調も悪く、嫌なことも多く、いろいろ作業が上手く捗らなくて困っている、と相談を受ければ、「では、作業量を減らしなさい」と言い、その作業を誰に任せるか、どう周囲に割り振るか、などを瞬時に計画する。相談してきた人は、励ましてほしいのかもしれないし、僕がどう思っているかを聞きたかったのかもしれない。
僕が相談者の状況をどう考えているのか、ということを僕は一切言わない。どういった事情なのか、も尋ねない。どうすれば良いかを真っ先に提案してしまうのだ。学生からは「冷たい先生」だと思われていることだろう。それは全然かまわない。ただ、おそらく過去にスバル氏と喧嘩になった理由の大部分がこれではなかったか、と今になって多少反省するところである。
![]()
デジカメが変わったから、写真がちょっと目新しい感じ。
【国語】 富士山だけ違う
「富士山」だけが、人間の「富士さん」のように呼ばれていることに気づいた。
たとえば、「磐梯山」と「番台さん」は、アクセントが違う。つまり山の「阿蘇山」と人間の「阿蘇さん」では、必ず区別ができるように発音されているのに、「富士山」だけが、人間の「富士さん」と同じアクセントなのだ。この理由は何だろう? 富士山だけが、擬人化されるほど親しみを持たれているのだろうか?
ここで思い出したのだが(そして、書くのは3回めだ)、僕は3歳のとき、保育園に行き始めた。その頃、平仮名を教えてもらい、数字も教えてもらった。「富士山」という言葉を聞いて知っていたので、それを僕は「ふじ3」と書いた。それが保育園の先生には、とても印象的だったらしく、家庭訪問のとき、僕の母にそのことを話した。僕はそのとき、恥ずかしかったのか、テーブルの下にいて、そのテーブルの天板の裏に、白いクレヨンで「ふじ3」「やまもと3」と書いた。山本さんというのは、先生の名前である。
その後、漢字の読み方を教えてもらったときも、「人が人りいます」のように、同じ読みなら、適当に使って良いものだと考えた。つまり、「3」のときと同様に、平仮名よりも簡単に書ける漢字にこそ存在理由を見出したのだ。保育園の先生は、間違っていることは教えてくれたけれど、どうしていけないのかは、上手に説明してくれなかった。
平仮名もアルファベットも「表音文字」だが、漢字と数字は「表意文字」なのである。数字の3を平仮名で「さん」と書いても間違いではないが、その逆はできない、と説明してくれたら良かったのに。