2008年02月04日(月曜日)

【HR】 思い出の値段

 今日は、起きたら9時だった。ぐっすり寝られた。天気が良く暖かくなりそうだ。ちょっと筋肉痛を感じたが、これはここ数日の作業のせいである。体調は全然悪くない。スバル氏によると、もう花粉が飛んでいるらしい。マスクをそろそろした方が良いかな。
 まず、小説の仕事。「月刊PHP」のエッセィを推敲して発送。これは終わり。「ジャーロ」の連載は4000文字書いた。完成度は35%くらいか。「MLA9」のゲラが届いた。1週間で見る予定。庭園鉄道の文章手直しは終了。担当編集者数人から「編集会議に載っていましたね」というメールをもらった。そうか、編集者は読んでいる雑誌なんだな、と思う。

 スバル氏とホームセンタへ。木材を何本か購入。それから、土を100kg以上買った。帰宅してガーデニング。掃除もできた。昨年作った小さな線路の周囲に土を盛りつけ作業。土はまだ足りない。春に緑になるように、今度は草も買ってこよう。とても暖かかった。日差しも眩しい。春はもうすぐか。スバル氏が植えたチューリップも芽を出している。
 ガレージ内の工事は今日はお休み。昨日ペンキ塗りをして、少しまだ軟らかい感じの手触りだったから。冬だからしかたがない。

 スバル氏が、ある刺繍が入ったジーンズをオークションで買おうとした。2万円なら出しても良いと入札したけれど、結局2万3千円まで上がって落札できなかったそうだ。「残念だったね」と言うと、「もう1つ刺繍の模様違いがあって、そちらは12万円くらいするんだよ」と話す。若い頃に、それが限定品で売り出されたときのことを彼女は覚えていて、懐かしかったらしい。「あのとき買っておけば良かったな」と言うので、「だったら、どうして12万円の方を買わなかったの?」ときいたら、「ジーンズに12万円はちょっとねぇ」とおっしゃっていた。僕的には、2万円のジーンズはお金が惜しいと感じるけれど、思い出の品に12万円は安いと思う。そう話したら、「今度買おう」と意気込みを語っていた。
 今の若者は、欲しいものがもの凄く沢山あって、その中から好きなものを選べる。遊ぶものも食べるものも選択肢が多い。僕たちが若い頃は、選べるほどなかったし、買えるものも今よりもずっと高価だったから、とても買えなかった。そういう人間が今、お金を持っている世代になったわけだ。
 新しいおもちゃを発売しても馬鹿売れはしない。安くしないと駄目だし、競合商品が多すぎるからだ。しかし、ブリキのおもちゃの復刻版を出すと、高くても売れるから意外に良い商売になる。若いミュージシャンがなかなか稼げないのに、昔のスターバンドが再結成してライブで稼ぐのも同じだろう。
 学生から「先生はどうしてそんな偉そうなことばかり言えるんですか?」と質問されたときの答は、「やったね、君だって言えるじゃないか」である。

【算数】 計算する癖2

 前回、計算する癖について書いた。しかし、計算することでどちらが得かという判断ができるような場面は滅多にない。もしそんな場面があるなら、誰でも計算をしているはずなのだ。
 計算しても無駄だから計算しなくなるのだと思う。では、計算する癖をつけることで何が得られるのか?
 結果だけを求めていないだろうか。計算とは本来は結果を求めるものだが、実は付随するものがある。ここに気づいてもらいたい。
 1つは、計算の途中で表れる数字である。1日にこのくらいと仮定すれば、1年でこれだけになる、という計算をすれば、その仮定した数字が、少なくともデータになる。これを覚えていると、あるとき、その実際のデータに出会う機会があって、「そうか、それだったら……」という発想が瞬時に立ち上がるだろう。自分の中にそのデータを持っていない人は、この発想を逃すかもしれない。
 2つめは、計算の方法に関するものである。何をどう仮定し、どのような精度で(あるいは範囲で)予測ができるか、ということは、実際に計算をしているうちに身につく「感覚」である。こういったバランスは、あるときは「金銭感覚」とも呼ばれるが、もちろん金銭だけではない。たとえば、日曜大工をすれば、「力学的感覚」が有効な場面があるし、時間配分を見積もったり、あらゆる未来予測に役立つ。身近な事象を統計的に捉えることも、非常に有効である。数字に置き換えない限り、予測ができない問題はとても多いことに気づくだろう。
 そして、最も大切なことは、自分のデータや概算の誤差を把握すること、すなわち、客観的な自己評価、つまり「自覚」である。

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