2008年01月31日(木曜日)

【HR】 複雑なものほど作りやすい

 昨日よりは少し寒い。でも晴天。
 スバル氏と一緒に荷造りをして、クロネコへ持っていって発送してきた。パスカルも一緒。朝、「今日は一緒に行けるよ」と教えてしまったため、もうずっとついて歩いて、「さあ行きましょう行きましょう」と煩い。荷造りをしている間も、ぐるぐる走り回っていた(パスカルが)。

 もう10日くらい組み立てていたキットの機関車がようやく形になった。ほとんどの部品を一度は仮付けした、という意味で、完成ではない。もう一度ばらばらに分解して、今度は塗装をしながら組み立てる。これにまた10日くらいかかるだろう。道具がたちまち手許に沢山集まるので、2日に1度はすべての道具を片づけるのだが、気がつくとまた机の上が道具で溢れる。今日はたまたま近くにあった道具を並べて記念写真を撮った。この機関車をここまで組み立てるには、この倍以上の数の道具を使う。

 模型の作品展やコンテストなどを見ていると、若い人(といっても40代くらいだが)の作品はとても複雑である。もの凄く細かい表現に挑戦している。実物にどこまで迫れるのか、というスーパ・ディテールの世界だ。挑戦する対象も、やり甲斐のある複雑なタイプが選ばれる。とにかく細かいし、一般の人が見てもその凄まじさが理解できる。「よくここまでやったな」と感心することになる。
 ところが、名のあるベテランの作品になると、複雑さはまったく感じられない。むしろ、シンプルな対象を選んで作る。シンプルなものを作っても、シャープさが表れ、凄みが出るのだ。これは、よく模型を知っている人が見ると驚嘆ものだが、一般の人が見てもわからないだろう。なによりも凄いのは、作品を見ただけで、誰が作ったかわかる点である。
 芸術作品というのは、「よくここまでやったな」という「労力」を評価するものではない。労力をかければ誰にでもできることではなく、「これは、こいつにしかできない」と見た人に思わせるものでなくてはならない。
 労力をかけた作品は、それを見ただけで微笑ましく、そして作った人を褒めてあげたくなる。「凄い、よくここまでやったね」という祝福をしたくなる。一方、その段階を越えた一流の芸術作品とは、見たときに恐ろしくなる。作った人が恐くなる。褒めようとか、祝福しようとか、そういった気持ちにはなれない。ただただその人間の存在を感じるだけだ。
 これはつまり、作り手の欲望の現れだろう。若いときには、「認められたい」「褒めてもらいたい」という気持ちがあるから、それが作品に表れる。その動機が消えて、ただ静かに自分を見つめつつ作られた作品は、そういった媚びがなく、近づきがたい孤独の「美しさ」が表れる。

 自分のことを棚に上げて書いているが、1ついえることは、複雑なものほど作りやすい、褒めてもらえる作品ほど作りやすい、ということだろう。そういったものは、労力と時間さえかければ、ある程度は誰にでもできる。しかし、美はそこにはない。

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