2008年01月14日(月曜日)
【HR】 発見と理解とネタばれ
今日はまた少し冷え込んだ。天気は良い。午前中から、機関車の整備。それから工作もけっこう重いものを。
この頃、昔に読んだ模型工作の名著を読み直しているのだが、当時は理解できなかったことが、今はわかる、という発見が多い。小説などの物語で生じる新しい感覚ではなく、あるかないかの顕著な違いだ。情報量と精密さの差ということだろうか。
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古い機関車には、外見だけではどうしても機構が充分に理解ができない部分がある。動かしてみても、その意図が見えないものもある。だが、いずれも気まぐれでそうなったものではなく、なんらかの理由が必ずある。それが思わぬところからわかったとき、実に面白い。つまり、自分の思考がそこへ回らなかったことが愉快なのだ。
たとえば簡単でわかりやすい一例を挙げよう。真っ直ぐに作れば良いところが、少し斜めになっている。力学的に考えれば有利なことはない。工作もむしろ面倒だ。きっと風変わりなデザインにしたのだな、とその場は解釈する。修理をする段になって、そこにスパナを入れると、ボルトを締め付けるときのストロークがぎりぎりだ。当の部分が斜めになっているおかげで、やっとスパナが使える、ということに気づく。なるほど、人間というのは頭が良いな。簡単に作り直せる部分ではないので、設計図面の段階でここまで思い至ったのだ。これは凄いぞ、と感心する。
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別の話題。10年くらいまえに、このインターネットが普及し始めたとき、本を読むことが好きな人たちが書評なるものをアップして、本の案内をするようになった。しかし、ミステリィの場合「ネタばれ」がある。これが非常に警戒され、うっかり書評を読んでしまい、ネタばれ部分を知ってしまった人が怒って抗議をする、なんてトラブルが方々であった。だから、みんなとても神経質になって、ネタばれがあるときは警告をし、別ページにするなどの工夫をしたものだ。
ブログが一般化した現在では、この「ネタばれ」という概念さえ知らないと思われる人が、感想をアップしている。あらすじを後半まで丁寧に書いてしまう人も多い。「自分の日記に何を書こうが勝手だ」と考えているのだろう(これは明らかな思い違いだが)。
それでも、トラブルの話はあまり聞かなくなった。僕も、この頃は腹も立たない。どうせ個人の書評なんか一般の人は誰も読まないのだ。みんながせっせと自分のブログを書いて、友達のページはタイトルと写真だけざっと眺めて適当にコメントする。そのほかは検索結果の関連する数行だけ読む。今のネットは、噂はもの凄くゆっくりとしか伝達しないし、ほとんどの情報は広まらなくなった。ようするに、ネタばれの実害は、昔のネットに比べればはるかに小さくなった、といえるだろう。良いか悪いかの意見ではない。
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さて、繰り返すが、ネタばれとは、狭義ではトリックや犯人やオチを語ってしまうことだが、僕はもっと広義に捉えていて、誰が登場するのか、何が起こるのか、どの場所なのか、とにかく読まなければ語れないものを明かすことは、すべてネタばれだと考えている。
この仕事を11年してきて知ったことは、読者の過半数はネタばれを望んでいて、内容を知った方がその本を読みたくなり、したがってネタばれをした方が本が売れる、という事実である。繰り返すが、良いか悪いかの意見ではない。