2008年01月12日(土曜日)

【社会】 罪と罰

 専門ではないので、どんなふうに考えたら良いものかな、とときどき一人で考える。
 罪を犯したとき、その人の責任はどのように評定されるのか。たとえば、酒を飲んで車を運転し、事故を起こす。相手の車に1人乗っていた場合と、5人乗っていた場合では、結果が異なってくる。同じ行為でも、1人を殺した場合と5人を殺した場合では、やはりその人が負うべき罰は違うのだろうか。そもそも、運良く事故を起こさなかったときは、罰を受けないのだから、問われる罪に「偶然」が介入することは事実である。
 当然ながら、ケースバイケースだからこそ、法律が定める罰にも幅があるわけだし、個々に裁判も行われる。なるべく客観的に判断すべきであるけれど、やはり判決は「意図」や「行為」だけでなく「結果」に左右される。同じことをしても、運悪く最悪の「結果」になってしまったときには刑罰も重くなる。
 たとえば殺人の場合、被害者がどれほど世間的に良い人だったかということが、加害者の罪に影響するだろうか? どんな命も価値は等しいという立場ならば、被害者に関する(加害者との関係以外の)情報は無用だ。遺族がどれだけ可哀相か、ということで犯人の刑罰が左右されるのは正しいだろうか? 
 生きているときはこうだった。死ぬ直前までこうだった。これから、こんな楽しみがあったのに、といった情報によって、「こんな幸せを奪った悪人は許せない!」と憎悪を増幅させること、それによって罪を重くしようとする行為は、「仕返し」あるいは「リンチ」の精神に近づいていないか。それ自体が罪の一種ではないのか?
 あまり自信はないけれど、裁判ではそういった人情的なものを含まない判断をすることが、法治社会として僕は正常だと感じる。陪審員(量刑を決めるから裁判員?)の制度が始まると、この点については多少心配になるところだ。

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