2008年01月28日(月曜日)

【HR】 もったいない、と思う年寄り

 昨夜、工作中に大失敗をした。ちょっと固いかなと思いつつネジを無理に締めたら、パーツがぽきっと折れてしまった。この経験はたぶん13回めくらいだ。「またやっちゃったよ」と思う。たいていの場合すべてがおシャカであるが、今回は、そのパーツを慎重に銀ロウ付けして1時間ほどのロスでリカバした。多少は技術力が上がっていて助かった。二度と無理に締めません、神様。
 起きたら10時だった。ぐっすり。昨夜少し頭痛がしたけれど、でも頭痛はいつものことだから、気にせず遅くまで工作をしていた、その疲れか。

 今日は、久しぶりにラジコン模型店へ行く。この頃、ラジコン関係の模型店は量販店ばかりになってしまい、お店の人に相談ができない場合がある。これこれこんなふうに使いたいけれど、それに合うような適当なメカはありますか?といった相談をしても、カタログを持ち出し、ぱらぱらと捲って首を捻るばかりである。つまり、メーカと製品名を言えばなんでも買える(しかも安い)けれど、特別な条件に対処してくれるような、いわゆる工作のノウハウみたいなものは完全に失われている、と感じる。情報を得たり相談をする場所は、今ではネットになってしまったようだ。品物を買うお店は安ければそれで良い、と消費者が望んだ結果なので、悪い状況ではないと思う。
 友人が話していたこと。若い頃はもっと物欲があって、あれも欲しいこれも欲しいと思った。この頃は、新製品も、雑誌を見て、どんなふうかわかれば、まあそれで良いかな、とそんなに欲しくなくなってしまう。買っても持っていても、このさきどうなるか、どこへ置くのか、それほど活用できないのではないか、と考えてしまう。若いときよりはお金があるから、買えないこともないのだが、どうも「どうしても自分のものにしたい」という気持ちが弱くなっている。これは年をとった証拠で、この状況に危機感を覚える、という話だった。
 「もったない」が美徳だと最近脚光を浴びているが、僕は「もったいない」が絶対的な善だとは思わない。若者に限らないが、ある程度は「浪費」すべきであるとさえ思うし、自分もいつまでも浪費できる若さを持っていたいとも考える。
 ただ、年齢を重ねると、今までの経験から将来のシミュレーションができてしまうようになる。いかにして、自分のブレーキをかわして走り続けるのか、という点が勝負だけれど、だんだん難しくなることは確かだ。

 FM東京のエッセイを2回分書き、4回が揃う。推敲は明日。1月のノルマはすべて終わったかな(なにか忘れていたりして……)。2月の仕事を前倒しで片づける予定。

【図工】 工作中の時間

 ものを作っている時間というのは、あっという間に過ぎてしまう。経験したことがある人は多いだろう。ほんの少しの工程なのに、気の済むまで加工をしていると、「あれ、もうこんな時間?」と驚くことになる。浦島太郎の気持ちはわからないけれど、竜宮城に工作室があったら、少しは理解できたと思う。
 それでもこの頃は体力が落ちたから、躰が警告してくれる。目が疲れるとか、肩が凝るとか、そういったサインだ。若い頃には、2日連続で寝ないとか、食事を4回連続抜いたとか、それくらい没頭できたものだ。
 工作はもちろんエントロピィを減少させる。粉々に砕いて細かい粉を混ぜて終わり、といった工作はないわけで、自然にはできない形を作り出すことに意味がある。たぶん、生物自体が、自然の中では奇跡的に整理された状態であって、「生きている」ことを表現するには「作る」しかない、と人間は昔から感じていたのだろうと想像する。そうでなければ、ここまで作らないだろう、と思えるものが沢山残っているではないか。
 さてしかし、常々思うし、また何度も書いていることだが、僕は自分が作ったものを「残そう」という気持ちがまったくない。作ったものを飾っておくこともしない。自分の子供たちに、受け継いでほしいといった発想も全くない。そもそも、自分が作ったものを、人から評価されたいとも思わないのだ。ただ作っている時間が楽しい。これは、スポーツや音楽と同じではないか、と最近思えてきた。

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