2008年01月23日(水曜日)

【HR】 段取りに尽きる

 久しぶりに雨になった。乾燥していたから、植物はありがたいのでは。
 起きてすぐに小説の仕事を片づけた。「スカイ・イクリプス」第6話の推敲50%、「クレィドゥ〜」のゲラは70%まで。
 仕事が終わって、スバル氏と買いものへ。今日はパスカルは留守番。「留守番」と聞くと、尻尾が下がり、走り回って喜ばない。帰ってくると、プレーリィ・ドッグのように立ち上がって大喜びする。
 昨日のケーキの残りを食べた。「本日中にお召し上がり下さい」とあったので、多少気にはなったのだが、スバル氏に尋ねたら、「そんなもん、気持ちの問題だ」とおっしゃった。それで心強くなり、昨夜食べるのをやめ、今日に持ち越した。その方が自分の体調にも良かったと思う。

 イギリスのキットの組立てはまだ中盤で、説明書を読みながら作っているが、どの項目も、「この段階では仮組みし、確かめるだけにする。まだ接着してはいけない。それはもっと後だ」と書かれているので、どこまで作っても、まったく出来上がらない。このまま最後まで確かめ続けることになりそうだ。しかし、工作というのは、たいていこのとおりなのである。一番難しいのは、どの段階で最終的な(不可逆な)手順を実行するか、ということ。工作に限らない。ほとんどすべての作業が、この「段取り」に尽きる。
 仮の作業、確かめるだけの作業はいくらでもできるし、簡単でもある。しかし、仮ではない本番の作業を実行してしまうと、もう取り返しがつかない。それを行ったことで、次の作業が制約され、どんどん動きにくくなる。あるときは、順番が間違っていたことに気づき、最悪の場合は、せっかく作ったものを壊したり、作り直したりしなければならないことになる。これが手順の失敗だ。この失敗をさせないことが、プロジェクトのリーダの役目だが、個々の作業を行うこと(労働)に比べると、その見極めは一般に、はるかに難しい。
 ただ、どうすればその順番を間違えないで進められるのかというと、これはもう、めちゃくちゃ考え抜くか、それが無理ならば、仮組みを繰り返し、確認行為を少しでも数多く行う以外にない。

 イギリスから昨日届いた機関車のラジコンのメカを調べた。不調は受信機のようだ。年が明けてから修理をした蒸気機関車3台も出番を待っている。このように地道に工作を進めるうちに遊びのポテンシャル・エネルギィが上がってくるので、そのうち雪が降っていても走らせたりしてしまうのだ。ラジコン飛行機を雪の中で飛ばしたことが何度かある。機が熟すというのは、絶好のチャンスが来るという意味ではなくて、もうこれ以上待ちきれない状態のことらしい。
 星野公男氏がイギリスへ旅行されていたが、またお土産が届いた。本当に嬉しい。

【国語】 会話と文章の違い

 人と話した内容を録音し、これを文章に起こす機会が、僕の仕事ではわりと多い。たとえば、講演や講義を録音し、それを文章にしたものがある。聴いている人たちがその場にいて、その人たちにわかるように話す。ところが、あとで文章になったものを読んでみると、情報が欠落していたり、代名詞が多くて曖昧だったり、誤解を招きやすい表現だったり、酷いときには、まるで間違っていたりする。しかし多くの場合、その場ではそれで通じてしまっているのである。
 記録を前提として話をすることもある。対談などがそうだ。文章になることを意識して話をするわけだが、それでもやはり話したとおりそのままでは、読めたものではない。手を加えて、読める文章に直さなければならない。
 書く文章と読む文章に差がない、という人が沢山いる。あるいは、話が上手い人は、そのまま文章も書ける、と考えている向きもある。これらは、完全な思い違いで、書く文章は会話とはまったく別物といって良いし、また、話が上手い人はえてして文章が下手だ。
 何が違うのか?
 会話はその場にいる人にだけ伝われば目的が達成される。相手の顔を見て話ができたり、あるいはレスポンスがすぐにあったりして、話す内容にフィードバックできる。
 文章でも、読む相手や読む時間が限定されているものは、会話に近いものでも目的を達成できる。しかし、読み手が特定できない、いつ読まれるかわからない(20年後かもしれない)場合であっても意味が伝わるように書くことは、それなりの難しさが伴う。
 相手がどう受け止めるのか、という発想が常になければならない。間違えて読む可能性をいつも考える必要がある。頭の半分は、いかに表現するかを考え、もう半分は、それがどう伝わるのかを予想する、それが文章を書く作業だ。実は、会話でも同様の処理が行われている。ただ、相手の可能性をどこまで広げられるか、という範囲の差が極めて大きい。

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