2008年01月19日(土曜日)

【HR】 多いほど良いのか

 この頃、朝起きると9時だ。地球の時間が少し進み気味ではないだろうか。天気は良いが、風が冷たそう。
 午前中に小説の仕事を片づける。「クレィドゥ〜」のゲラを30%まで。「スカイ・イクリプス」第6話は1500文字書いて完成度25%。FM東京のサイトのチェックが少し。スバル氏は「銀河不動産」のイラストを描いていた。
 ホームセンタへパスカルを連れていった。久しぶりにカートに乗せて店内を一緒に回ったが、とても大人しくしていた。ときどきカートに乗った犬と出会うけれど、吠えたりはしない。むしろ、カートに人間の赤ちゃんが乗っていると、少しだけ鼻息が荒くなる。今日もミニストップへ寄った。
 スバル氏が最近、煎餅に凝っていて、毎日いろいろ食べている。「これだけ食べて、よく太らんと思うわ」と高笑いしていた。子供の頃は、この世に煎餅なんてものがどうしてあるのだろう、と僕は思っていた。それくらい美味しくないものだと感じたからだ。この頃は、お茶を飲んだとき1枚くらいなら食べる。ちょっと美味いなと思うことはたしかにある。でも、まあ、なくても良いかも……。饅頭よりはまだ僕寄りだが。

 一生のうちに一度も触らないもの、一度も見ないもの、一度も概念にさえならないものが、沢山あるはずだ。自分が関わるものの方がずっと少ない。そういったものが存在するのは、自然の一部にしか自分が踏み込まないからだし、自分以外の大勢の人間がいて、人によってさまざまだし、そんな人たちのためにあるものだったりするからだ。
 よく「できるだけ多くのものに触れたい」という言葉を耳にする。「多い」ことの方が「少ない」ことよりも上位である、という価値判断は常に正しいだろうか? 例は悪いが、たとえば、結婚相手は多い方が良いだろうか? 犬が好きだったら、できるだけ沢山の犬を飼う方が楽しいだろうか? 友達は少しでも多い方が良いのだろうか? 子供は沢山生まれた方が良いだろうか?
 生きている時間は限られているから、多いほど1つに関われる時間は短くなる。では、時間が多ければ、それで良いのだろうか?

 今日は、古い機関車の一部を分解整備。すぐに手が真っ黒になってしまう。ガレージでは水しかない。お湯で手が洗えない。だから、母屋まで行って石鹸で手を洗わなければならない。ガレージでお湯を使えるようにすべきだったかな。

【国語】 「その」と「あの」

 「見かけない人を見たら、その人は誰?と声をかけ合いましょう」という標語を街で見かけた。これは、たぶん「あの人」の間違いだと思う。英語だったら、「その」なのだが、日本語ではおかしい。
 「その」と「あの」あるいは、「そこ」と「あそこ」は、どう違うのか?
 子供のとき、自分に近いものは「この」「ここ」であり、少し離れていれば「その」「そこ」であり、ずっと遠くだったら「あの」「あそこ」を使う、と習った。しかし、これは正確ではない。
 たとえば、電話をしているとき、相手のすぐ近くにあるものは、「それ」である。自分からはるかに遠いところにあっても、「あれ」ではない。
 上の標語の例では、怪しい人が、お隣の人と話をしているとき、少し離れたところから、お隣の人に「その人は誰?」と尋ねたイメージになる。その2人のところまで自分が近づくと、「この人」になる。いずれにしても、お隣の人と怪しい人は距離的に近い。「あの人」になるには、話している相手から対象が遠くなければならない。
 自分が名古屋にいて、東京にいる相手と電話をしているとき、名古屋は「ここ」であり、東京は「そこ」である。静岡の話をすると、「あそこ」になる。この場合、「そこ」よりも「あそこ」の方が距離的に近い。
 自分と相手が川の両側にいれば、「こちら」と「そちら」しかない。相手も自分と同じ側にいれば、「こちら」と「あちら」しかない。

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