2008年01月18日(金曜日)
【HR】 布教活動はいかがか
パスカルのパン問題で険悪な空気になったが、長女M氏が教えてくれた子犬の動画で家庭は円満に戻った。パスカルの足はこれでもまだ細い、という話に問題がすり替わったせいだ。
「クレィドゥ〜」文庫のゲラは20%まで読んだ。「別册文春」のゲラも確認して発送。終わり。カバーやその他、確認が多々あった。今日は執筆をする時間は取れず。機関車製作部の今月のレポートを書いている。
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お昼頃、スバル氏とショッピングセンタへ。本とCDを購入。
工作は一段落したところで、今はガレージ内にもう1つ工作台を作る計画を練っている。大きな機関車を整備するためだ。スケッチを描こうかなという段階。イギリスから小さな機関車のキットも届いた。海外のものが本当に手軽に買えるようになった。素晴らしい。
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明日から暖かくなるそうなので、今日もなるべく外に出ないことにした。でも、パスカルが庭で高い声で吠えているので、見にいったら、スバル氏が水やりしていて、パスカルがそれに飛びつき、びしょ濡れになって走っていた。冬にやることか、と思ったが、パスカルは大好きなのだ。
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今日は宗教について少しだけ書こう。僕は宗教にはまったく興味がない。無宗教である。自分も墓に入るつもりはないし、葬式も含めて一切の儀式をするつもりはない。さて、それでも宗教が嫌いなわけではない。毛嫌いしているわけでもない。たとえば、観光地へ行けば、宗教がなければ作られなかったであろう造形、美術に触れる機会は多い。
誰が何を信じようが自由である。だから、宗教の存在は自由だ。宗教がもしマイナスのイメージを僕に与えるとしたら、唯一それは、他人に対して勧誘をする行為、つまり布教活動である。これだけは眉を顰めたくなる。
宗教に限らない。趣味でもそうだ。どんな趣味を持っていても自由だ。でも、誰彼かまわず会う人にその話ばかりして誘う人間は少し鬱陶しい。自分の子供、自分の妻、自分の夫、自分の恋人を溺愛し、また信じるのも自由だ。けれど、それを他人に理解してもらおうと熱心に語りかけることだけは控えた方が良いだろう。馬鹿だと思われるだけだ。つまり、宗教の場合もこれと同じような気がする。布教活動を目にすると、たちまちその宗教が胡散臭く感じられる。
なにも語らなくても、信者が幸せそうにしていれば、周囲から人が集まってくるはずだ。どうして布教活動なんかするのか? どうして幸せだと訴えるのか? 黙っていれば良いではないか。それが元で戦争になったりしている歴史もある。現代の宗教は、多少はこの点を学習したように見えるが。
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今日は新人作家とメールを少しやり取り。なんか悩んでいるみたいだった。まあ、一言だけアドバイスをと頼まれたので、「人気を維持したいのなら、読者の期待をことごとく裏切ることです」と書いた。もちろん、期待どおりでいるよりも、期待を裏切り続ける方がはるかに難しいとは思うけれど。
【図工】 沢山ある道具
同じ道具なのに沢山持っているものがある。ドライバ(ねじ回し)は50本くらい。ペンチも30丁くらいはある。ヤスリも30本はあるだろう。ノコギリも20丁以上はあるにちがいない。サイズや形状の違いもあるし、使用条件によって適材適所、いろいろなものが必要になるからだ。
非常に限られた場面でしか使われない道具も多い。金属のパイプを切るものとか、チェーンを切るものとか。もちろん、ドリルの刃などは、0.1mm単位でサイズが決まっているから50種くらいは持っていないと仕事にならない。タップやダイス、リーマも同様だ。たとえば、特定の穴を開け、リーマで整えたり、あるピッチでネジを切ろうと思うと、その道具代だけで5000円くらいは飛んでしまう。穴1つに5000円だ。将来、同じ大きさの穴を開けることがもう1度あれば、2500円になるけれど、そうそう何度もないだろう。
捨てるものはないので、道具はどんどん溜まっていく(なくなることもあるが)。出来上がるものよりも道具の方が総重量が多いのではないか、という状況になってしまう。僕の場合、たぶん軽く1tonは道具を持っているだろう。
それでも、毎日の工作で、「駄目だ、ちょうど良い道具がないな」と思うことがあるのだ。モンキィレンチなんか、ほんのちょっとの形状の違いで、使えるときと使えないときがある。ドライバも、柄が長すぎてスペースに入らないときもある。こうして、また新しい道具を買ってしまうのだ。
さて、一番よく使う道具は何だろう? それだけはまちがいない。万力(バイス)である。これを使わない日はまずないといっても良い。驚くべきことに、素晴らしい活躍をしているにもかかわらず、たった1つしかないのだ。たぶん、コストは既に1回1円以下になっているはずである。