2008年01月13日(日曜日)

【HR】 元来が短気だから

 スバル氏が出かけるときはたいてい雨だ。もの凄い雨女で、嵐を呼ぶ女とも自称している。台風になったり、雪になったりする。新幹線がストップして、車内で数時間待たされたことも一度や二度ではない。僕が一緒のときは、一度もそういった被害に遭わないのだが。
 今日は、日曜日の晴天。数日まえにスバル氏が今日出かけることに決めた。珍しく晴だな、と思っていたら、もの凄い強風だ。でも、電車は動いたみたい。

 朝から小説の仕事を片づける。「銀河不動産」は完成。編集部へメールで送った。この作品は6月に単行本になる予定。文藝春秋では小説は2冊めになる。「θ」文庫の手直しも終了。こちらは3月刊。ゆっくりやっていたつもりだが、予定よりいずれも1日早いし、締切よりは数週間早い。

 工作は機関車(サファイア)の改造の続き。今日でほぼ完了した。コーキング材が乾いてからテストをすることになる。楽しみだ。次は、レディ・マドキャップにポンプを取り付ける改造工事になる。その次もその次も、そのまた次ももう決めてある。やりたいことがいっぱいだ。こんなことではなかなか死ねない。

 工作をしていて気づくことは、その日の最初に行う工程が一番慎重で丁寧だ、ということ。時間が経って調子に乗ってくるほど雑になりやすい。全般を見ても同じ傾向で、初めは丁寧にやっていたのに、どんどん近道を思いついたり、早く完成させようとしてしまう。ゴールが見えてくるほど、ラストスパートしようとするわけだ。注意が必要である。もっと職人のように、心静かに目の前の作業だけに没頭した方が、良い仕事ができると思う。僕の場合はであるが……。

 一方では、この反対のことが世間で多く観察される。もっと先を見て、合理化したらどうなのか、いつまでもこつこつ同じ作業を続けて、それで満足している。仕事をしているのだ、努力しているのだ、というつもりになっている、と思われことが多々ある。元来、僕がそういう短気な人間なのだろう。
 昨日の【社会】で書いた「罪と罰」の件でもそうだ。僕はたぶん、悪人に対しては徹底的に仕返しをしてしまう短気な人間なのだ。だから、冷静にならなければならない、といつも考えてしまう。自分を律する道理がないか、といつも探しているのだと思う。

【国語】 文字の不完全性

 英語は話すことは簡単だが、書くことが難しい。発音ができても、スペルが不規則で間違いやすい。とにかく覚えるしかない、という点では、日本の漢字に近い。しかし、日本には平仮名や片仮名があるから、この点では有利だ(発音記号がこれに相当するが)。仮名さえ知っていれば、言葉の発音どおりほぼ文字にすることができる。単純な表音文字がないところでは、文字の読み方の教育は、人間(あるいは機械)が発音して聴かせるしかない。日本人は、仮名を覚えれば、あとは独学で漢字の勉強ができるし、ルビがあれば、少なくとも漢字を読むことはできる。文字の読み書きができない人の比率が、世界でも日本は圧倒的に少ないが、これは平仮名のおかげである。
 さて、しかし厳密にはこんなに簡単ではない。たとえば、「先生」「宣誓」は同じ「せんせい」だが、アクセントが違う。関東と関西でも読み方は違う。また、同一の言葉であっても、単独の「切符」と「記念切符」の「きっぷ」はアクセントが違う。前後にあるもので発音は変化するのだ。これらは、文字には表れない。アクセントを独学で習うことは日本の場合はとても難しい。
 文字は、「意味を伝える」ことが主目的であるため、その方面では分解能を高め、情報量が多い。発音された言葉よりも、書いた文章の方が意味的にはより厳密になる。「せんせい」と聞いても「宣誓」か「先生」かわからないが、漢字にすればその誤解はない。しかし、実際は、前後の関係やアクセントによって、聞き分けられている場合がほとんどである。
 アクセントは時代とともに変化している。若い人の話し方を観察していると、いつも新しいものに出会う。でも、それらを文字では表せないことが多く、残念だと思う。
 もちろん、歌をうたっていても、そのメロディは文字には表れないわけで、元来文字は不完全な記号といえる。

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