2008年01月12日(土曜日)
【HR】 パスカルの不思議
雨。しかし冷え込んではいない。パスカルはシャツで着痩せして散歩に出かけていった。
早く工作がしたいので、まずは小説の仕事を片づける。「銀河不動産」の手直しを50%。既に15000文字になっていた。それから、「θ」の手直しは90%まで。あと1日。「θ」はオビのコピィをチェックした。「道具箱」のカバーネーム(裏表紙のあらすじのこと)も確認した。「D&D」の注釈も連絡があった(親切にもエッセィ中のワードに説明を付けてくれるのだ)。「タカイ×タカイ」の感想メールがもう沢山届いている。毎度のことだが、感謝。
JAMの事務局からバッジが届いた。機械・金属産業労働組合のことではなく、日本鉄道模型の会のこと。僕は会員ではないけれど、過去3年、コンベンションに参加しているからである。2008年のコンベンションのエントリィの案内も来た。今年は参加するかどうか、まだ迷っている。
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午後からようやく工作開始。昨日の続きで、蒸気機関車の整備作業。だんだんプロジェクトが拡大し、ほんの少しの手直しだったものが、ちょっとした改造になってしまった。まだ、2日ほどかかるだろう。「そうやって少しずついじっていくうちに本当に自分の機関車になる」とベテラン氏から言われたことが、最近よくわかる。自動車の改造なんかをする人も同じ感覚だろう。恋人や奥さんは改造できないから、なかなか自分のものにならない、なんて言わないように。その場合は心配は無用だ。知らないうちに自分が改造されているから。
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パスカルが、2階のスバル氏の部屋の前で、彼女のスリッパを守る話を書いたが、これについて、少し実験を行い、その真相に迫ってみた。
スリッパを前にしてじっと伏せているパスカルを呼んでも、なむなむと唸ったまま来ない。そこで、僕は少し後退して3mほど下がった位置から呼んでみた。すると、尻尾を振って駆け寄ってくるのだ。とても嬉しそうだ。もう一度、3m前進して同じことをすると、また唸ってしまう。どうも僕がいる場所に原因があるらしい。
ちょうどそこは階段を上がった場所で、僕は階段のステップに足を下ろして腰掛けている。ここでパスカルをよく抱き上げていた。もしかして、高いから恐かったのかもしれない。その場所で呼ばれると、そこで抱っこをされる。それを恐れているのかも。スリッパは単なるシンボルかもしれない。なおも、実験は続く……。
【社会】 罪と罰
専門ではないので、どんなふうに考えたら良いものかな、とときどき一人で考える。
罪を犯したとき、その人の責任はどのように評定されるのか。たとえば、酒を飲んで車を運転し、事故を起こす。相手の車に1人乗っていた場合と、5人乗っていた場合では、結果が異なってくる。同じ行為でも、1人を殺した場合と5人を殺した場合では、やはりその人が負うべき罰は違うのだろうか。そもそも、運良く事故を起こさなかったときは、罰を受けないのだから、問われる罪に「偶然」が介入することは事実である。
当然ながら、ケースバイケースだからこそ、法律が定める罰にも幅があるわけだし、個々に裁判も行われる。なるべく客観的に判断すべきであるけれど、やはり判決は「意図」や「行為」だけでなく「結果」に左右される。同じことをしても、運悪く最悪の「結果」になってしまったときには刑罰も重くなる。
たとえば殺人の場合、被害者がどれほど世間的に良い人だったかということが、加害者の罪に影響するだろうか? どんな命も価値は等しいという立場ならば、被害者に関する(加害者との関係以外の)情報は無用だ。遺族がどれだけ可哀相か、ということで犯人の刑罰が左右されるのは正しいだろうか?
生きているときはこうだった。死ぬ直前までこうだった。これから、こんな楽しみがあったのに、といった情報によって、「こんな幸せを奪った悪人は許せない!」と憎悪を増幅させること、それによって罪を重くしようとする行為は、「仕返し」あるいは「リンチ」の精神に近づいていないか。それ自体が罪の一種ではないのか?
あまり自信はないけれど、裁判ではそういった人情的なものを含まない判断をすることが、法治社会として僕は正常だと感じる。陪審員(量刑を決めるから裁判員?)の制度が始まると、この点については多少心配になるところだ。