2007年12月21日(金曜日)
【HR】 バックグラウンドの虚実
朝、昨日届いた新しい機関車の運転をした。やはり新しいものは、それなりに良くなっている。工夫と改善が積み重なるわけだ。このサイズでは、今までで一番素晴らしい走りっぷりだった。嬉しい。白いボディの蒸気機関車は、僕のものでは初めてかも。
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遊んだあと、落ち葉拾いをして、そのあと貨物列車でゴミ袋を回収した。機関庫のドアの大工仕事を少し進めた。アメリカの踏切の看板をもらったので、ガレージの外壁に取り付けた。スバル氏は母屋に貼ったら、とおっしゃったのだが、やはり「景観」を考慮して、あまり目立たないところに収まった。
仕事は、まず塗り絵。これは、「スカイ・クロラ」の戦闘機「散香」のカラーリング。何故、そんなことをしているのかというと、ようするに映画に登場するものはフィギュアが当然製作されていて、それとは別に、カラーリングが異なる限定バージョンを作ろうという企画なのだ。明日、N倉氏がそのためにまた名古屋まで来る。
「日経パソコン」のイラストは、スバル氏が最後の第60回のものを仕上げたので、これを発送。2年半に及んだ連載は、これですべて終わった。「yorimo」に連載の「スカイ・イクリプス」の校正も。今日も、重版の連絡が多数。
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多くの作品は、作品自体に価値があるのであって、それがどのような経緯で作られたのか、といった履歴とは切り離して評価されるべきものだ、と僕は考えている。作品に限らない。仕事も同じ。誰がやったのか、どれくらい苦労したのか、はどうだって良い。無関係だ。結果を見て、取るか取らないか、それだけの判断だと常々思う。
だから、苦労話が僕は嫌いだ(聞くだけ時間が惜しい)。成功した人間の一部は、自分が苦労人だと力説する傾向にある。特に、小さな成功の場合ほど多い気がする。けれど、そんなの聞かされても、同じ苦労をすれば成功するなんてことはまずない。それは「ノウハウ」でもなんでもない。多くは、もっと褒めてもらいたい、という心理からなされるものであって、ようするに自慢だ。
ただ、例外もある。たとえば、ちょっとした「言葉」や「意見」がそうだ。論理的に説明するような文章は、その内容に価値があるけれど、短い言葉や意見の場合、それをどんな人物が口にしたのかということで価値が変動する。たとえば、F1ドライバが「雪道は恐いな」と言うと、「おおっ」と思ったりするわけである。つまり、語り手のバックグラウンドが、言葉の価値を左右しているのだ。
小説に登場するキャラの台詞も、こんな具合にきっと増幅されるのだろう。このため、小説を読む人は、フィクションの中に、自分を導く真理を見つけようとする傾向がある。でも、小説を読み慣れない人間からしてみると、架空の人物の台詞なんか、まったく重みがない(どうせ作りものだ)。だから、ノンフィクションの中で真理を探そうとする。両方の人たちからファンメールをいただくので、違いが際立って僕には見える。
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西尾維新氏に特別講義をしていただいたおかげで、5日間のんびり休めました。感謝。