2007年12月31日(月曜日)
【HR】 方法論などない
晴れ渡っているが、風が冷たい。この冬は、まだ氷が張るような朝はない。暖冬だろうか。
スバル氏がスーパへ行きたいというので、車を運転してつき合った。混雑はまったくしていない。この頃は、正月でも店が開いているから、特に買い溜めすることもない。おせち料理も必要がなくなったわけだが、季節感のメリハリのために残っている習慣である。カレードーナッツを1つ買って食べた。
午後は工作室で木工。寒いので、あまり外では遊べない。パスカルだけが絶好調で走り回っている。やはり気温が低い方が嬉しいようだ。帽子を被っていたら、大喜びして飛びついてくる。帽子を取れと言っているのか。
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今日初めてきいたスバル氏語。自分の部屋へ持っていくお菓子のことを「ネガシ」と呼んでいるのだ。寝ながら食べられるかららしい。誰に通じるのか、と尋ねたら、長女M氏には通じるとのこと。
工作の合間に、小説の仕事。「スカイ・イクリプス」第5話は完成。この短編集は8作を予定していて、5作めまでが単行本発行(6月)まえに公開される(読む人は少数だろうが)。3作が書き下ろしで、これは来年になってから執筆予定。「水柿君」最終話のゲラも読んだ。次は、「別册文春」の「銀河不動産」の連載最終話で、年明けの最初の執筆になる。連載がつぎつぎに終了しているわけで、肩の荷が降りた感じがして嬉しい。連載は「ジャーロ」と、FM東京の携帯サイトの「DOG & DOLL」だけ。
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ビジネスや人生のハウツーものが、書店に並んでいる。多くの人が方法論を求めているのだろう。僕も、これまでにこの種の本の執筆を何度か依頼されたことがあるけれど、どうも今ひとつ書く気がしない。こうすればうまくいく、なんてこと、僕にはわからない。誰にでも適用できる確実な方法なんて存在しない。なにごともケースバイケースである。
考えてみたのだが、僕が持っている唯一の方法論とは、つまり「方法論などない」というものだ。無理に1つ言うとしたら、「方法に拘るな」という方法だろう。したがって、なにを書いても、特定の方法論の否定はできても、代わりの道は示せない。役に立たないのである。
まず知らないうちに成功していた人がいて、その人が、自分は何故成功したのか、と過去を振り返る。そうして生まれてくるものが方法論であり、その信憑性はといえば、その人が成功したというたった一例の立証である。それを信じて、同じ方法によって成功する人も現れるだろうし、その方法では成功しない人も沢山出るだろう。両者の割合は、全体の平均とどれほど違うものか。多少の違いがあったとしても、他者の方法論を参考にしようという積極性がある人は成功する確率が高い、というだけのことではないのか。
僕が言いたいのは、方法論のほとんどは、「過去を振り返って気づいたこと」だという点である。基本的に、将来に目を向けた指針としては、根本的なスタンスが不適切だし、データ不足を感じる。
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さて、一年を振り返ったり、まとめたりしがちな季節。一番楽しかったことは何だろう、なんて考える暇があったら、来年、そしてもっと未来のことをせっせと考えよう。
人も世の中も一時も止まらない。常に進んでいる。問題は、どちらを向いているかだ。黙っていても、向いている方向へ進むだろう。
【図工】 創る力
先日の西尾氏の特別講義で、小説の執筆が学科では図工に一番近い、と述べられていた。これは、つまり「創作」だからである。小学校で習うのは、守るべきルールであったり、共有すべき知識であったり、各種の道具(記号、式など)の使い方であったり、ほとんどのものは自分にインプットするものだ。これに対し、図工だけが、主としてアウトプットの時間なのである。
間違いなくインプットされたか、ということを確かめるためにテストが行われる。この場合、正しいか正しくないかの判定が可能だ。ところが、図工でアウトプットされたものには、「これが正解だ」というものがない。先生が点数をつけるかもしれないけれど、その理由、判断基準は明確に示されない。
どんな絵が素晴らしい絵なのかということも、教えてもらえない。絵をどのように評価すれば良いのか、ルールはないからだ。本当は、作文もそういったものであるけれど、「小論文」という試験科目の悪影響なのか、テーマがどうとか、論理性がどうとか、文法がどうとか、そういった実に些末なことで文章を評価しようとするため、作文において最も大切な創造性は影を潜めてしまいがちだ。そもそも、小学校の先生は、絵や文章に才能がある人がなっているのではないので、教育は不可能、あるいは不充分にならざるをえない。
それ以前に、創作は教育できるものではない、ともいえる。
絵を沢山描くうちに、自分で「うまく描けたな」とか、「どうもこれは駄目だ」という自己評価の目が生まれる。他者の絵を多く見ることによっても、この評価眼は育つけれど、自分で描くことによって、まったく次元の違う視点が生まれるはずだ。これは、「今までにないものを見たい」という気持ちがあるためである。もちろん、作文でも、沢山書き続ければ同様の視点が生じるはずだ。結局、この自己評価の目こそが、創作の力である。