2007年12月23日(日曜日)
【HR】 この頃ちょっとメモります
布団を落とさずに寝られた。8時起床。スバル氏がいないので、パスカルが待っていた。大喜びだ。さっそく、散歩に連れていく。天気は午前中から晴れて、風もなく穏やかな感じ。寒くない。
今日も、工作をしながら、庭で機関車を走らせながら、音楽を聴きながら、ペンキを塗りながら、パスカルと遊びながら、えっと、何が本業だったっけ、というようなぼんやりとした生活。執筆予定の短編は、まだタイトルが決まらないので、書き始められない。こういうのを重複表現で「まだ未定」という。
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そうそう、「沢山考えたタイトルの案をノートにメモしているのですか?」という質問メールが多数(17通も!)あったが、幾度か既に書いているように、僕はメモを取らない人間なので、ノートというものはない。ときどき、文字の見え方をチェックするために、画面に出して、タイトルの文字の姿を各種フォントで眺めることはある。けれど、そのあと消してしまう。つまり、何百という案が他人にアウトプットされたことはない。もちろん、いつでもその場で100くらいは思い出して挙げることは可能だと思うけれど、幸い、僕は締切に遅れたことはないので、途中経過を見せなければならないような事態に陥ったことがない。
メモを取らないと、忘れてしまうものも多い。というか、大半をすぐに忘れる。つまり、忘れてしまうようなアイデアは、大したものではないのだ、という自然淘汰に任せている。なかには、あまり良くないと思えるのに、いつまでも引っかかって忘れられないものもあって、そういうのは、いずれ形を変えて花開くことがある。忘れないものは、どこか印象的であり、つまり、使える可能性が高いのだ。
約束やスケジュールもメモをしないで、すべて記憶していたけれど、最近は忘れてしまうことが多くなったので、大事なものはメモをすることにした。模型の設計図も描かないで、寸法をすべて頭に入れているけれど、この頃、間違いが多くなってきたので、やはり主要な部分だけ数字を書き留めることにした。
打合せのときなんかも、僕は手帳などを出さない。そもそも手帳を持っていない。相手は手帳を出して書いている場合が多い。いい加減な態度だ、という印象を与えるとまずいと思って、手帳を出してメモをする振りをしていた時期もあった。最近は、忘れることがあるので、項目が多数になるような場合は、「今の話、あとでメールしてね」と言うこともしばしば。
本当に頭が悪くなったと思う。大学に入った頃に一番それを感じた。一番頭が良かったのは小学生のときだと自分では思っている。子供のときに考えたイメージを今でもときどき使うことがあるくらい、その当時の貯金は多い(利息で大きくなったのかも)。
べつに、メモを取るなという話をしているのではない。人それぞれやり方が違う。ただ、メモを取ることで安心して忘れてしまう傾向が(少なくとも僕には)ある。アイデアを書き留めると、その後あまり思考が展開しない。書くことで固定化し、思考を停止したいためにメモを取っている人が多いと思う。
本当に考えているときのメモは、言葉ではなく、落書きのようなものだ。曼陀羅のようなイメージになることが多い。あとで見ても、何を考えていたのかわからない。言葉や2次元の図になるような思考は、比較的簡単な部類だと思われる。
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夕方、東京からスバル氏が戻ってきて、ピロシキを食べた。パスカルはまたも大暴走。
【国語】 変則的な読み方
漢字の熟語には、ときどき変則的な読み方がある。もちろん、それなりに経緯や理由があるのだろうけれど、こうした例外があるだけで、国語が嫌いになってしまう子供も多いことだろう。
たとえば、「女房」は「にょうぼう」と読むが、漢字からすれば「にょぼう」ではないか。普通「女」は「にょ」なのに、どうしてここだけ「にょう」になるのだろう。「女王」も大勢が「じょうおう」と発音しているが、これは辞書には「じょおう」とある。大勢がそう読んでしまったから「にょうぼう」に変わったのだろうか。
「相殺」は「そうさつ」と読みたくなるが、「そうさい」が正しい。でも、どうして「殺」を「さい」と読むのだろう。「風情」の「風」はどうして「ふう」ではなく「ふ」なのだろう。「読経」は何故「どくきょう」ではなく「どきょう」なのだろう。「遊説」の「説」は、どうして「ぜい」なのだろう。そんなこといったら、「左右」はどうして「さう」じゃないのか。「発足」なんかも、近頃もう「はっそく」が多数になってしまったのは、やはり変則的すぎたからではないか。
まあ、それは良いとして……。
「老若男女」は、「ろうにゃくなんにょ」である。言いにくかっただけかもしれないが、やりすぎではないか。「ろうにゃくだんじょ」でも発音は難しくないと思うのだ。
なんか、わざと読み間違えやすくしている気がしないでもない。けれど、こういうのが、いわゆる「文化」なのだろうなあ(しみじみ)。あんまりこの方面には関わりたくない、と思っていたのに、作家になったりしたので、この歳になって毎日が「国語」の勉強である。小学校の先生よりは、ATOKの方が少し「人に優しい」けれど……。