2007年12月22日(土曜日)
【HR】 見ない人たち
布団が昨日から新しくなった。羽毛で軽い。寝るときは暖かかったのだが、夜中に目が覚めて、ちょっと寒いなと思ったら、毛布の上の掛け布団がベッドからそっくり落ちていた。軽すぎて、なくても気づかないのである。うーん、これもちょっとなあ。
色塗りの仕事は、案の中から選んで、本命を作画。お終い。小説の執筆は明日から。この「執筆」だが、最近は「しゅっぴつ」と言う人が増えたように思う。「十手」もこの頃は「じゅって」なんて言うし。
小雨が降っている。工作室で木工を少しずつ進め、音楽を聴いたり、本を読んだりしている。
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僕は、取材を受けた場合なども最近はほとんど写真を撮らせない。人物が写っている写真を見た人は、その人物にしか焦点を合わせないので、ほかの情報が欠落するからだ。そこに書いてあること、そこで説明されていることが、人物の写真が1枚あるだけで台無しになることが多いと感じている。結局、その人の顔しか見ないし、記憶しない、というのは多数の人の傾向である。
TVなどでも、スタジオに余計なゲストを招いて、番組を盛り上げているつもりなのかもしれないけれど、結局、主題は伝わらない。どんな大切な内容のVTRが流れても、スタジオのゲストの顔とコメントで帳消しになる。その方が視聴率が取れるのかもしれないが、大衆の傾向を利用しているだけのことで、つまり、お酒が好きな人にはお酒を飲ませ、お金が欲しい人にはお金を渡して、話を聞いてもらうようなものだ。視聴率を取ることが目的になっているからこうなるのかもしれないが、どんなに良い話でも、姿勢が間違っているし、非常に下らないものばかりになる。
取材したレポータの姿を映す必要など全然ない。逆効果だ。そいつがいるから、見えるものが見えなくなる。こういうのに慣れてしまった人は、レポータがいないと注目できない、説明がないと写真や映像を見ない、つまり自分から見ようとしない人間になるだろう。もしかして、既に大勢がそうなってしまったのかもしれない、と感じる。
人間が写っていない写真が見られない。文章がない写真集を長時間見ていられない。説明がない展示物は見られない。ボーカルがない音楽が聴けない。誰かが解説していないと、自分の感動が確かめられない。そういう人が多いのだ。子供のときの育ち方の問題もあるだろう。
僕は既読の小説は二度と読まないが、絵や映像は何度も見る。展覧会に行けば必ず画集を買う。映画を見れば必ずパンフレットを買う。1枚の絵には、小説1作に等しい情報量があるので、短時間ではとても理解できないし、映画も2時間では、そこに盛り込まれたすべてを見ることができないからだ。
数年まえに「猫の建築家」という絵本を出したのだが、僕はこれを本格ミステリィだと考えている。仕掛けやオチに気づかない人が非常に多く、活字に慣れている人たちが、いかに絵を見ないかということを思い知った。先日、家に遊びにきた小学2年生の子にこの本をあげたら、その子は、ぱらぱらとその場で読んで、たちまち「あれ、ここはどうして?」と質問した。子供の観察眼は、本当に鋭いと思う。文字を読み、人の話を聞くことで、成長するほど目が見えなくなるのだな、と思った。
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中央公論新社のN倉氏が、塗り絵を取りにきてくれた。色のサンプルも決めた。「森博嗣の道具箱」の2校も来た。
【社会】 金券と領収書
プリペイドについては、2006年8/23に、ICカードについては、2007年9/8にそれぞれ【社会】で書いた。プリペイドよりも、ICカードは補充ができる点がアドバンテージである。支払った分をきちんと消費する割合が圧倒的に高いだろう(業者側はその分、損になるが)。
先日、東京でSuicaをチャージしようとしたら、領収書を出せることに気づいた。そうか、やはりこのチャージの時点で、既に支払っているのだ。Suicaにチャージした領収書は、交通費という「経費」で落とせるだろうか。今やSuicaは、どんなものにも使えてしまう。本や漫画も買えるし、弁当も買える。しかし、電車賃に消えた場合との区別は難しい。
デパートなどで売っている商品券はどうか? 商品券を購入するときに領収書がもらえるのか、商品券を使ったときに領収書がもらえるのか。カードだって、銀行から引き落としをせず、商品券で支払うことができるものがある。いったい、どこで本当にお金を使った、と判断されるのだろうか。カードを使って商品を受け取ったとき? 商品券を買ったとき? その商品券でカードの支払いをしたとき? もしかして、領収書はその3回、すべてもらえるのだろうか? 消費税がどこで取られるのかも詳しく知らない。いずれにしても、複雑になることは確かだ。
商品券は、金券ショップで売買できる。若干値段が下がるものの、わりと高い率で回収できてしまう。1万円分の商品券を購入し、その領収書で消費したことを証明し、実は9000円くらいの現金に換えることができるわけだ。税金を5割近くも取られる高収入の人(あるいは組織)ならば、これで4000円の得になる(節税などと言う人がいるはず)。また、この方法でいわゆる「裏金」も作られるだろう。金券だけをチェックしても無駄で、今ではネット・オークションがあるから、物品でも同じように現金化が可能だ。
こういった抜け道を許してしまう(この場合は所得税とか公的予算とかの)システムに問題がある、ということになるのだろうか。