2007年12月20日(木曜日)

【HR】 身の毛もよだつ思考経験

 朝の布団の中は気持ちが良い。けれど、それよりも、「そうだ、今日はあれをやる日だな」とぱっと布団から飛び出せる毎日だと、幸せだ。毎日楽しく目覚めたいものである。
 晴天。まず庭で落ち葉をバキュームで吸う。パスカルが元気。植物もまだまだ緑のものがある。名古屋では日の入りは既に遅くなりつつある。夕方が遅くなったら、外で作業をするのには都合が良い。

 スバル氏とショッピングセンタへ。布団を大量に買った。車まで運ぶのが大変だった。フライパンも2つ買った。模型の雑誌が出ていたので購入。携帯電話の店にも寄り、スバル氏も僕も、同じ機種に変更する決心をしたのだが、在庫がなかったので、また今度にした。あとは食料品。
 午後は、工作室で塗装をしたり、穴を開けたり。今月ずっと作っていた信号機がほぼ完成して、夕方には、古いものと交換した。次は機関庫の工事になる。イギリスからの機関車は夜に届いた。

 最近はもうコンピュータのプログラムなんて滅多にしなくなった。一番したのは20代の後半で、このときは自分ほどこの仕事に向いている人間はいないだろう、と思ったほどだ。たぶん県下で自分よりプログラムができる人間はいない、というくらいの自信はあった。なにしろ、当時は人口が少ない三重県にいたから……。
 高校生のときに数学の難しい問題(「大学への数学」なんかに面白い問題があった)を解いたが、そのときだってこれほど考えなかったな、と思うことが、プログラミング中に幾度かあった。ほんのときどき、それくらい深いところへ迷い込み、もう考えに考えて考え抜くしか、この迷路を抜け出せない、という体験をするのだ。それは身の毛もよだつほど怖ろしいというのか、素晴らしいというのか、信じられないくらい面白い。「ここまで考えられるのだな」と思う一方で、「そうか、ここが人間の限界か」と垣間見える。
 たぶん、将棋やチェスの名人とか、あるいは、チョモランマの山頂を目指す冒険家とか、そういう人たちもこんな限界を見るのだろうな(たぶん僕より日常的に)と思ったりする。
 このような深い思考というのは、一度ふっとリラックスしてしまうと、たちまち見失ってしまいがちだ。これは未熟だからだと思う。息を止めていないと考えられないことだってあった。こんな領域へ到達しても、たしかに、思考の途中経過を他人に説明することはできない。言語や図形を超えているからだ。考えている自分でさえ、今なにをどうしているのか、整理して示せないことが多い。

 ところで、難しい頭脳労働をする人にかぎって、約束までに仕事を片づけるものだ。何故なら、できるかできないか予想できない場合、絶対に期日の約束をしない。締切を守る能力とは、つまり、自分の能力と作業量を見切ったうえで、無理な仕事を断る能力にすぎない。前者は思考力の差、後者は常識的な思いやりの有無。だから、締切が守れないのは、頭が悪いか、性格が悪いかのいずれかである。

【社会】 働く小説家

 西尾維新です。
 昨日は、小説家にとっての仕事とは何かと問題提起したところで締めましたが、これはひょっとすると不思議に思われるかもしれません。小説家にとっての仕事が小説を書くことや小説について考えることでなければ一体何なのかという話です。しかしよく考えてみてください。小説を書く。物語を作る。お話を考える。趣味でしょう、それは。
 趣味を仕事にするべきではない、とよく言いますが、しかし普通に考えて趣味はそのままでは仕事になりません。趣味を仕事にするための作業が必要で、そしてその作業こそが仕事なのではないかと僕は考えます。
 2日目の講義で小説家になれる確率を企業就職と較べましたが、小説家はある意味において個人的な会社であり、小説家になろうという行為は就職活動以外の何物でもありません。小説家は職人であり芸術家であり、そして社会人なのです。ここを心得違いしていると、痛い目を見ます。要注意。
 で、社会人としての小説家の仕事とは具体的に何かという問題ですが、しかしあまり具体的な話をしても逆にわかりづらいだろうと思うので、ここはひとつ、こんな言葉を紹介しましょう。『作家にとって読者や出版社はお客さまである。味方でもなければパートナーでもなく、主人でもなければ部下でもない、まして敵であるはずがない。』……わざわざ説明しなくともぴんと来るかたが大半だと思われますが、つまり小説家とはサービス業であるということです。お客さまである読者や出版社をいかにもてなすかという部分が、いわゆる『仕事』にあたるのだろうと僕は考えます。もちろん、最上のおもてなしを提供するためには、時には期待を裏切ることも必要です。
 社会性を有しないがゆえに小説家を目指すという入り口もあるにはありますが、しかし企業も国家も身分を保証してくれないこの個人的な職業を続けていくには、社会的信用を自分で築き上げるほかありません。ある意味、ほかのどんな職業よりも社会常識を求められると言っても決して過言ではないでしょう。
 では、最終回となる明日の講義では、小説家であり続けるということについて、話そうと思います。

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