2007年12月14日(金曜日)
【HR】 変身したブタ
久しぶりに気持ちの良い晴天。朝は冷え込んだものの、日中は暖かい。庭で落ち葉を4袋ほど集めた。
午前中は、工作室で信号機を作っていた。だいたい金属加工は終わり、あとは塗装を残すのみ。次は、また機関庫の工事に戻って、明日から扉などを作るため、測量を行った。
お昼に、スバル氏とパスカルを乗せてドライブに出かける。書店とコンビニに寄った。今日も温かいチキンサンドを買って食べた。パスカルは車に乗るだけで嬉しいみたいで、特に散歩にいきたいわけではない。むしろ家に帰ってきたときに一番喜ぶ。
「日経パソコン」の残り2枚のイラストを下描きして、ペン入れも終了。これですべて終わった。スバル氏は第58回のイラストを仕上げたので、あと2枚。「水柿君」最終話は結局そのまま幻冬舎へ送った。PHPからエッセィの依頼があって引き受けた。締切は2月。あと、塗り絵の仕事(つまり、カラーリングを決めろとの依頼)があるので、明日はそれを考える予定。
![]()
「庶民の味方」については幾度か既に書いたが(2006年4/6と2006年9/19)、再び。
安売りの店のことを「庶民の味方」と呼ぶことが多い。たとえば、何万円もする超豪華なレストランと、下町の商店街にありそうな小さな定食屋を比べてみると、前者は、金持ちしか相手にしていない。つまり、金持ちから金をがっぽり取っている。後者は、比較的貧乏な人たちから金を取っている。石川五右衛門は、「義賊」などと呼ばれ、金持ちの家にしか盗みに入らなかったというが、これはどちらかというと、前者の高級レストランみたいなものではないだろうか。そうなると、こちらの方が「庶民の味方」のように思えるのだ。安い店は、貧乏な人からなけなしの金を搾取しているようにも考えられる。競馬場やパチンコ屋のそばにある飲み屋や屋台などを見るたびに、「あれがなかったら家に帰るかもしれない人から、まだ金を取る仕組みなのだな」などと思えてしまう。こういうふうに考えるのは、ひねくれているのだろうか。
スバル氏がデッキへ出るドアのロックを壊してしまった。折れてしまって直らない。しかたがないので、別の部屋のドアのものと取り替えた。そちらのドアは開かずのドアになってしまった。古い家なので、こういったことが頻繁に起こる。
![]()
トイレにブタの置物が5つある。うち4匹はKISSのメイクをしているが、1匹はパンダ模様だった。今ひとつ可愛くないな、と思えたので、こっそり工作室へ持ってきて、まず一度サーフェイサを吹き付け、次に白を吹き付けてから、塗り直してみた。3日ほどかかったけれど、完成したものをまたこっそりトイレに戻しておいたところ、スバル氏が気づいて、しばらく笑いが止まらなかった。見ているだけで笑えてくるようなものを作りたい、と常々思うのだが、こういうのは反則だろうか。スバル氏は、「ロフトで買い占めてくるから量産して」とおっしゃっている。
【国語】 中毒と禁断
「私は活字中毒です」と自称する人が、この分野には多い。どちらかというと、あまり文字を読まない人の方が世間では大多数で、そういう人は、ときどきなにかの気まぐれで本を読もうとしても、ちょっと活字が目に飛び込んできただけで気持ちが悪くなったりする。こっちの方がむしろ「活字中毒」に相応しいような気もするがいかがか。いや、これは「急性活字中毒」かもしれない。あるいは、「活字あたり」といった方が良いか。
「活字中毒」は、「アルコール中毒」や「ニコチン中毒」と同じようなイメージで使われているようだ。つまり、活字を摂取していないと落ち着かなくなる、という症状を訴えたいものと思われる。しかし、辞書によると、「中毒」というのは、「飲食物または薬物などの毒性によって生体の組織や機能が障害されること」とある。だから、やや意味がずれているような気がする。「活字依存症」の方が伝わるのではないか。活字を読まない人には、特に伝わりにくいと思う。たぶん、活字を読み過ぎて目が痛くなる症状のこと、くらいに想像されてしまうだろう。
「禁断症状」などもよく使われるフレーズだ。つまり、「活字中毒」の人が、忙しくてなかなか本が読めないときに、禁断症状になるらしい。摂取を中断することで起こす症状のことだ。一方、「禁断の実」というときの「禁断」は、神様が禁じていた、との意であるけれど、転じて、「今までになかったほど魅惑的な」というイメージで使われている。つまり、神様が禁じていたのは「快楽」である、という信仰心の欠如した解釈だ。だから、「禁断症状」も「禁断の症状」というだけで、なんだか人知れず素晴らしい感じになってしまう。