2007年12月10日(月曜日)

【HR】 散らかる言い訳

 昨日よりもっと暖かい晴天だった。朝はゆっくり起きて、庭掃除をして、さあ仕事でもするか、と思ったらもう11時だった。落ち葉を入れたゴミ袋が8つくらい溜まっている。ゴミの日は明日。

 仕事のまえにスバル氏とホームセンタとショッピングセンタへ。年末の工作の材料を沢山仕入れてきた。今日はパスカルは留守番。月曜日だったけれど、どこも賑わっていた。日差しが暖かく、模型飛行機が飛ばしたくなるような空を見ながら帰ってくる。
 工作室で作業をしながら、ときどき書斎へ上がって、小説を書いた。「水柿君」は4000文字進んで、完成度は80%。「タカイ×タカイ」2校ゲラは最後まで読んだ。 「工作少年の日々」は夜に電話で伝えて校了。

 このところ、工作は快調で、やる気が充実している。そのかわり、ガレージも工作室も目一杯散らかっている。なんとか、少しでも片づけて、場所を有効に使いたいのだが、なかなかそんな時間もない。片づけるような時間が惜しい。まあ、整理というのは、パソコンでいったら、バックアップみたいなものだろう。バックアップが得意だとか、好きだとか、そんな人間がいても良いが、バックアップを取るもの自体がなければ活かされないし、価値のないものをバックアップしてもしかたがない。ようするに、価値あるコンテンツを生産して初めて、そのバックアップを取ることに価値が生じるのだ。整理整頓をすれば、すっきりとしてやる気がわくことはある程度は事実だけれど、整理されているからといって良い仕事ができるというものでは全然ない。バックアップをちゃんと取っていれば良い小説が書けるのか、というのと同じだ。だから、整理術みたいな些末なことを大袈裟に言うのは、ちょっといかがかと僕は思う。情報を出し入れするだけの仕事しかしていない人間には有効かもしれないが、と思えてしまう。創作とは混沌から生まれるものだ。

 お歳暮の時期で、出版社から次々と届く。それでも、日本のこの習慣、そろそろ下火になっているのではないか。そのうち、お歳暮を贈ったり受け取ったら犯罪になったりしないかな、と想像したりもする。ちなみに、スバル氏は送られてきた品物を見て、森家で消費できそうにないものは、すぐに彼女の実家へその箱のまま転送している。このまえ、「いっそのこと、うちの実家へ直接送ってもらうようにしようか」などとおっしゃっていた。たしかに、そうしても「気持ち」だけは受け取れるが……。いわゆる、大阪的合理化である。

【国語】 熟字訓

 1字の漢字ではなく、熟字(熟語ともいうが)の漢字に訓読みをつけたものをいう。たとえば、よく例に挙げられるのは、「今日」と書いて「きょう」と読むようなもの。「今」が「きょ」で「日」が「う」と、文字に読み方が当てられているのではない。ここが特徴だ。ほかにも、「大和(やまと)」「七夕(たなばた)」「欠伸(あくび)」「煙草(たばこ)」などがあり、地名や人名にもかなり多い。また、名詞以外でも、「可笑(おか)しい」「相応(ふさわ)しい」など、小説によく登場するような例も多数。熟字訓は、当て字とは違う。また、訓読みが漢字ごとに明確に分割できるものも、熟字訓ではない、とされている。
 音読みができるものもあるが、訓読みしかないものも多い。外国人にとっては、例外的な読み方と捉えられるから、「日本語は難しい」というときに、よく槍玉に挙げられるところだけれど、日本人にとっても難しいだろう。特に、音読みすると、少々意味が異なるような場合もあって困る。「今日」を「きょう」と読むか「こんにち」と読むかで意味が違う。あるいは、「浴衣」を「ゆかた」と読むか「よくい」と読むかでも違う。
 自分の書いた小説がゲラになると、編集部がつけたルビがある(基本的に、最初の原稿の段階でルビを振るようなことは僕の場合はほとんどない)。このとき、小さなルビが、漢字の横のどの位置にあるか、という細かい点に着目すると、熟字訓が意識できることがある。つまり、熟字全体に均等に割り振られているか、それとも1字ごとにルビが振られて間隔が不揃いか、の違いだ(もちろん、わからない場合もある)。
 僕の登場人物の名前には、熟字訓がけっこう多いかも。小鳥遊(たかなし)や海月(くらげ)がそうだ。

« 2007年12月09日 | 2007年12月11日 »