2007年12月08日(土曜日)

【HR】 達成感は被支配の証

 昨夜遅く、アンプ(何号機になるのかな)が出来上がり、これを鳴らした。思いのほか素晴らしかった。本当に良い一日だった。今日も寝覚めが良く、朝から庭掃除。燃えないゴミと燃えるゴミもまとめた。日差しがとても暖かい。

 パスカルをシャンプーした。バスルームでスバル氏と二人がかりで洗うのだ。パスカルは大人しくじっとしているので、難しいことはない。気持ちが良かったのではないだろうか。
 思い切って、昨日直したばかりの蒸気機関車の試運転をすることに。石炭を燃やしてしばらくすると圧力が正常に上がり、蒸気漏れもない。修理した部分が完璧だったので嬉しくなる。これで、しばらく走って遊んでいたが、途中で脱線した。その後も走っていたら、また同じ場所で脱線。この衝撃でシリンダの下のパーツが折れてしまった。これは、簡単に直せるけれど、調べてみたところ、脱線した原因がこの機関車の特有の致命的欠陥だと判明した。どうしたら良いものか、と新たな問題が浮上。このように、はてしなく次から次へと問題が持ち上がるところが面白い。いつまでたっても達成感はない。まるで研究と同じだ。とにかく、今日は最高に楽しかった。

 子供たちにドミノを並べさせたり、世界記録に挑戦させたりして、ものごとを達成したときの感激を味わわせようとしているのを見かける。けれども、本当の達成というのは、そういった「終わり」ではない。終わりがあるのは、それが「与えられたもの」だからである。
 自分で問題を見つけて解決してくとき、自分で考えてものを作り上げていく場合には、けっして達成や終わりはないだろう。1つ解決したときには、新たな問題が目の前に現れるからだ。そして、よしこの次も乗り越えてやろうという決断をする、ここが一番エキサイティングな瞬間である。
 「終わった!」と嬉しくなるのは、それが仕事であり、与えられたノルマである証拠だ。「できた!」と嬉しくなるのは、それを誰かに見せようと思っているせいだ。まだ誰か他者に支配されていることを思い知ろう。達成なんてその程度のものだ。

 お昼に、スバル氏がもんじゃ焼きを作った。僕も彼女も初めてだった。ホットプレートが新しくなったため、初挑戦したのだ。もんじゃ焼きの素を買ってきて、説明書のとおりに作った。まあ、適度に美味しかった。
 午後は少し曇った。工作室で吹き付け塗装など。夕方は、また庭掃除を1時間ほどした。池の掃除もしたし。
 「水柿君」は5000文字書いて、完成度50%に。「タカイ×タカイ」2校は60%まで。「θ」のゲラが来た。それから、「工作少年の日々」2校も届いた。後者は校閲のチェック箇所だけ見る予定。スバル氏が「日経パソコン」第56回のイラストを仕上げたので発送。残りあと4枚である(僕はあと3枚)。「MLA8」の見本が届いた。今回のカバーは水色。レーシングカーは40年くらいまえの懐かしい形で素敵だ。

【理科】 身近な測定器

 生活の中に最も溶け込んでいる測定器は、物差しだろうか。一番メジャだ(駄洒落か)。ものの長さ、距離を測る器具である。この頃は、レーザを使った距離計がかなり安くなってきたから、そのうち携帯電話くらいに組み込まれてしまうかもしれない。
 その次は、重さを測る装置だろう。これはキッチンにあるもの、あるいは、体重計(ヘルスメータ)などである。
 次は何だろう? たぶん、温度を測るものがきっとあるはず。そして、もう少しマイナなものでは、湿度を測るものもある。
 さらに、電流、電圧を測るもの、明るさを測るもの、音の大きさを測るもの、加速度を測るもの、とだんだん趣味的になってくる。もちろん、要求される精度によって装置の規模はまったく異なる。機械的なものから電子的なものまで、いろいろな測定器具が存在している。
 重要なことは、物体の存在も含めてあらゆる事象が、測定によって観察されている、ということだ。人間の躰にも、目や耳といった測定器があって、これによって感じている。声が聞こえるのは、空気が振動したからであって、声を出した物や人の存在とは無関係だ(その証拠に、音を記録し、スピーカで再生できる)。同様に、目や耳で感知されたものも、最後は脳で処理される信号だ。つまり、現実とはすべて信号によって観察されている。
 コンピュータの登場によって信号の処理技術が飛躍的に発展した。現在「仮想」「バーチャル」と呼ばれている技術は、実は現実の再現であり、いずれは、現実とまったく同じものになる。

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