2007年11月28日(水曜日)
【HR】 手品とミステリィ
今日も曇だけれど、昨日より暖かいかも。相変わらず。
午前中に小説の仕事を片づける。「日経パソコン」の6回分を一気に書いた。推敲は後日。「活字倶楽部」のアンケートもちょっと書いた。「D&D」も少し書いた。yorimoの校正をした(もう第2話になっているはずだけれど、これは12月中に終わる。急に1回分が増えたため)。ちょっと仕事しすぎ。
![]()
スバル氏が千葉へコンサートに出かけていくので、お昼まえに駅まで送った。帰ってきたら、ちょっとだけ晴れたので、玄関先で日曜大工を始め、1時間半ほど作業をした。機関庫の工事だ。出来上がってくるにしたがって、だんだん重くなるから、知らないうちに持ち上がらなくなってしまう。気をつけないといけない。長時間すると疲れるし仕事が粗雑になるから、1日2時間くらいが適度。
![]()
ミステリィをよく読んでいる人は、ミステリィでない本を評して、「なにも考えずに読める本」とか、「気楽に読み流せる本」とか、「特に内容もない本」などと言うことがある。僕は、本格ミステリィも含めて、ミステリィこそ、何も考えずに気楽に読める本であって、特にテーマといったものも気にせず、さらっと軽く読めるエンタテインメントだと思う。考えたかったら、もっと頭を使う本はいくらでもあるし、気楽に読めない本も沢山ある。内容が重い本は実に多い。小説で比較しても、純文学の方が内容が重いことが多く、気楽に読めない場合が多い。
手品がそうだが、あれも、なにも考えずに楽しめるエンタテインメントだと思う。本格的な演劇や伝統芸能に比べると、やはり気楽に見ることができる。ミステリィというのは、そういうものだろうか。見ているだけで、ちょっと不思議な気がして、ちょっと驚かされて、ちょっとどきどきして、と気楽に楽しめる。じっくり構えて「見破ってやろう」なんてつもりで見るものではないだろう。そんなに本気で読めば、不思議でもないし、驚くこともないし、どきどきもしないからつまらないし、粗が目立つだけだ。
手品は最後に種明かしをしないのが普通だけれど、ミステリィは種明かしをするのが普通みたいだ。手品でも、わざと種を明かして観客を笑わせるものがある。何故、種を明かすと笑いを誘うのかというと、見ている人はそれで安心でき、わからない状態よりは自然に笑顔になっているからだ。しかし、種明かしによって、ぐんとスケールが小さく見えることは避けがたい。だから、手品では全部の種はけして明かさない。ミステリィではトリックが明かされてから再読する人がいるけれど、種を明かした手品を、ビデオを巻き戻してもう一度見るようなものだろう、と想像する。
手品とほかのエンタテインメントを組合せたりしたら、見ている方は気が散るだろうか。たとえば、手品とコメディとかである。「手品に余計なものを持ち込むな」という批判が本格手品ファンから起こるかもしれない。「手品だと思って見ると、肩すかしを食らうだろう」なんて人に忠告する人もいるだろうか。しかし、ショーとして、手品以外の面白さを取り入れたものは実際には多い。純粋に手品だけでは、エンタテインメントとしての新しさが不足するからなのか。いずれも、僕には特に意見はない。単なる自由思考。