2007年11月12日(月曜日)
【社会】 国庫
国から出る金、というものが沢山ある。もちろん、もともとは税金として集められたものであるけれど、それを使う人間には、そんな意識はない。たとえば、道路を作る建設業の人たちは、国からの仕事を請けているし、教育も医療も国からの補助が出ている。税金の無駄遣いをするな、と言いながらも、たとえばの話、自分の不注意でちょっと風邪を引いたくらいで病院へ行ったとき、「税金の無駄遣いしているな」とは誰も自覚していないだろう。
何度も書いたが、全体の母数が多いから、自分が使うくらい微々たるものだ、と考えがちである。つまり、国からのお金は、温泉のお湯のように湧き出るものだ、という感覚が誰にもある。湧き出てくるものは、使わなくては「もったいない」となる。残してはいけないものだ、と考えてしまう。
予算を取るために、多少大袈裟に理由を作文して申請書を作る。これがどんどんエスカレートする。また、それを審査する側も、自分の権限で金が動くことが、自分の力だと錯覚できる(現に人事など各種の見返りがある)。無駄なものでも良いから、とにかくその金を使おうとする。使うことが「業績」なのだ。けっして残してはいけない。金を使いきることが自分の立場を守るに等しい。金が残らないから、黒字には絶対にならない仕組みである。国の機関が赤字になるのは、無理をして努力をして赤字にしてきたからだ。
今ある「補助金」なるものの多くは、財政赤字を増幅するための補助にしか働いていない。