2007年09月13日(木曜日)
【体育】 の戯曲 by 太田忠司
○夏の終わりの午後、喜蔵と妻の妙子が縁側に出て蝉時雨を聴いている。
喜蔵「昨日の野球のテレビ中継、あれは、いささかつまらなかったな」
妙子「あら、ご贔屓のチームが勝ちましたのに」
喜蔵「勝敗の問題じゃない。最後まで試合をしてくれなかったのが不満なんだ」
妙子「そうでしたの? 雨でも降ったんですか?」
喜蔵「いや、9回の表まで試合をしたら、それでゲームセットになってしまった」
妙子「それはでも、先攻のチームが負けていたからではありませんの? 最終回でも逆転できなかったら、もう勝敗は付いてますもの。それ以上試合を続けても意味がありませんわ。だから9回の裏はしないで終わらせる。そう決まっていると聞いておりますけど」
喜蔵「おまえの言うとおりだ」
妙子「でしたら……」
蝉の声が止む。喜蔵はグラスの麦茶を一口飲む。
喜蔵「勝敗が決まったら、それ以上試合を続ける意味はないことくらい、わしもよく知っとる。これでも五十年以上、野球を見続けてきた人間だ。だがな、この頃そういうことが、妙にその、気に入らんのだよ」
妙子「そういうこと、と言いますと?」
喜蔵「勝敗が決まったからといって、さっさと止めてしまうことだ。なんというか、不公平な気がする。お互いがそれぞれ9回ずつ戦って勝敗を決するというのが正しい姿じゃないかと思えてならんのだ」
再びグラスを口に運ぶ喜蔵。空になったグラスに妙子が冷えた麦茶を注ぐ。
喜蔵「わかっとるよ。わしが理屈に合わんことで文句を言っとるのはわかっとる。だがな……だがなあ……」
空を仰ぐ喜蔵。
妙子「あなたの仰ること、わかりますわ」
喜蔵「追従を言わんでもいい」
妙子「いいえ、追従なんかじゃありません。わたし、あなたと四十年も一緒におりますもの。きっとあなたと同じようなことを思っているひとも、他にいると思いますわ。昨日の試合を見て不満に思ってるひとが」
喜蔵「いるかな?」
妙子「いますとも」
喜蔵「そうか、いるか」
喜蔵の顔がほころぶ。
蝉の声が再び始まる。老夫婦を包み込むように、蝉は鳴き続ける。