2007年08月30日(木曜日)

【社会】 すべてが宣伝か?

 マイナなものを除けば、雑誌のほとんどは広告で成り立っている。「何部発行」という見かけの数字だけが重要であって、実際には全然売れなくてもかまわない。読者から金を集めてもどうせ元は全然取れない。広告料を得るために雑誌が存在するのだ。だから、絶対に売れないようなとんでもない部数を印刷し、書店の棚に並べる。立ち読みされるから、広告としてはそれなりに機能している、ともいえる。実売数はびっくりするほど低く、けっこう名の知れた一般紙でも1万部以下というものがいくらでもある。プラモデルなどのマイナな専門雑誌の方が何十倍も多く売れているのだ。
 たとえば、商品を客観的に比較・評価するようなことは、一般紙にはできない。何故なら、広告に頼っているからだ。こうして、読者にとって最も知りたい情報が抜け落ちていく。そして、ますます売れなくなる。売れなくなったら、廃刊にして、新しい雑誌を創刊すれば良い、と考えているのかもしれない。
 これは、TVも同じだろう。(NHK以外は)視聴者からはもともと金は取れない。視聴率という見かけの数字が広告料に影響するだけだ。「大勢が見ていて、TVには社会への影響力がある」という幻想をスポンサに見せさえすれば広告料が入る。
 この頃のニュース番組などでは、「特集」として取材された内容の多くは、単に特定の企業の宣伝である。新しい商品を開発した、新しい店を出した、なにかイベント打った、その「舞台の裏側に密着」といった感動の物語を見せる趣向のようだが、ヤラセよりも酷いと思う。これが「報道」だろうか? 報道番組ならば、客観的に見て、それがどれほどのものだったのか、せめて一般人にアンケートを取るなりして調べる方法がいくらでもあるだろう。しかし、そういったことはできない。スポンサ(あるいはそれになりうるもの)の悪口は絶対に書けないのだ。
 マスコミは結局、金が出るところに尻尾を振っている、という姿が見える。昔からそうだったのかもしれないけれど、この頃は、もうそれが大ぴらになった。恥ずかしい、と感じることさえなくなったかに観察される。
 日本の企業はこんなに素晴らしい、という宣伝をすれば、それで株価がどんどん上がっていく、という時代があった。誰が誰に金を払っているのか、誰が生産し誰が消費しているのか、ということを考えると、いずれは破綻するだろうな、との結果しか見えてこない。

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