2007年08月26日(日曜日)
【HR】 泣き叫ぶ子供から
昨夜は遅くまで読書。起きたら7時半。パスカルはもう散歩から帰ってきていた。とても清々しい朝で、空気がからっとして気持ちが良い。水やりをして、草取りをして、それから線路の点検を少し。長女M氏が使うので仮書斎をあけ渡し、またガレージの書斎に戻った。昨日届いたサンプルCDを4枚聴いた。1枚に20曲も入っているから、長く聴けて良い。
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スバル氏の実家から電話があって、新聞に僕の本の宣伝が載っていた、という知らせだった。このように、新聞に載ると、(部数が圧倒的に多いこともあって)意外なところから「見ましたよ」という声が届く。しかし、ほぼ例外なく、「読みました」や「買いましたよ」ではない。新聞の広告効果とはこのようなものだ。すなわち、「宣伝が載っていたね」という噂が広まるだけで、「商品が売れる」こととは大きな関連がない。
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スバル氏と長女M氏と3人で、近所の大型書店へ。1000台はあるスペースに、今日は400台くらいは駐車していた。さすがに日曜日、しかも夏休み最後の。だいたい、こういう書店に入ると、中でぎゃあぎゃあ泣き叫ぶ子供が一人はいるものだが、今日は店の前で風船を配ったり子供相手に遊ばせていたので、わりと静かだった。僕の新刊が「新刊コーナ」に置いてあったので、見ないようにして遠ざかった。
人が多いところで、もの凄く喚き散らす子供がいて、父親や母親も怒っているのか諦めているのか、煩いままにしておく場面をしばしば見かける。周囲にいる人はみんな「なんという親だろう」と迷惑がっているわけだが、しかし、「私が叩いてあげましょうか」と申し出るほどの積極性もないし、まあ、自分がこの場を立ち去れば良いだけなので、あまり干渉したくはない。店の人も、商売の邪魔になるとも言いにくい(デパートなんかだと対処するようだが)。
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僕も煩いなとは思う。僕の子供たちは、人前では泣かなかったので、恥ずかしい親の立場は経験がない。しかし、たとえば犬がわんわん鳴いているのなら腹も立たないし、逆に、わんちゃんが可哀相にと思うだろう。泣き叫ぶ子供の親には、あの声は「ああ、元気に泣いているなあ」という程度にしか聞こえないのだ。これは子供を育てると、たぶん理解できるだろう。犬を飼えば、犬の声が煩くなくなるのと同じだ。聞こえる音とは、その人間の心に処理されたものである。
たぶん、人前で泣き叫ぶ子供というのは、家でも泣き叫んでいるし、おそらく家では両親も喚き散らしている、そういう家なのだろう。そういうことがわかる。あれが日常なのである。
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かつては、煙草でもくもく煙を吐くことも日常だった。酔っ払ってところかまわず熟睡してしまうことも日常だった。でも、大勢が迷惑だと感じるものは、社会がルールとして排除してきた。大勢が我慢できないことは、ルールで規制される、ということ。ルール化に至るのは、迷惑を発している本人が例外なく自分の行為を迷惑だとは認識していないからだ。
酒を飲んで交通事故を起こす不祥事が跡を絶たない。そういった事故を起こした場合には、運転ができないように免許を取り上げるわけだが、それよりも、酒を飲まさないことにすれば良いと思う。酒が買えない、酒が飲めない、という罰を与える。つまり、酔っていないときには、運転は駄目だと判断ができても、酔ってしまったらその判断ができない人間なのだから、これは、運転免許を取り上げても運転をする可能性がある。もっと別の悪いことをする可能性も大きいから、酔わさない方が安全である。酒を飲むためにライセンスが必要、などという社会はいかがか、という気持ちを既に超えて、客観的に見てそうした方が良いと思う。たとえば、20歳未満の飲酒は禁じられているが、この理由の1つは「判断力が充分ではない」というものであり、つまり、酒を飲んで問題を起こすような大人は、子供と同様に飲ませないことにするのが正しい、との考え方も成り立つだろう。