2007年08月23日(木曜日)

【HR】 真実と無知

 朝4時頃、嵐のような風雨の音で起きた。パスカルが吠えているので見にいった。スバル氏も起きていて、既にパスカルと一緒だった。雨はとてもありがたい。今日は水やりをしなくても良いな、と安心して、また寝直した。7時に起きたが、まだ雨。ネットで雲の動きを見ると、あと数時間は雨が続く模様。気温は低い。屋外もクーラが効いているみたいだった。
 雨の中へ散歩に出るため、パスカルがレインコートを着るときがやってきた。コートとはいっても、犬用のTシャツだ。お腹の毛が汚れないだけでも効果がある。この格好でスバル氏と出かけていった。普通に歩いたらしい。でも、帰ってきてリードを外しても、まだじっとしていて、「早くこれを脱がせて下さい」という顔をした。

 スバル氏と繁華街へショッピングに出かける。デパートで久しぶりにピンクハウスの店を見た。スバル氏はなにも買わず。僕は、カールヘルムのシャツやTシャツを6枚ほど買った。書店にも寄った。大きな書店だった。スバル氏が満足げ。それから、パンを買いにいき、地下で食料品を買ってから帰宅。「今日は当たりだった」とスバル氏がおっしゃっていた。
 午後は晴れたけれど、それほど暑くならず。「フラッタ〜」のゲラは60%まで。そろそろ短編の執筆か。

 マスコミが報道する内容とは、マスコミの記者が知りえたことであって、必ずしも真実ではない。記者が取材をし、そこで知ったこと、感じたことが記事になる。これは、間違っていない。そもそも報道とはそういうものだ。それらに対して、「何も知らずに書いている」との批判もまたよくあることで、その内容に詳しい当事者たちが持っている情報と、記事が食い違っていることも多いだろう。
 森博嗣に取材して書かれた記事で、間違いがあったという経験を幾つかしたが、これもある意味ではしかたがないことだ。報道側は、通常、当事者に事前に記事内容の確認をさせない。あくまでも、記者が感じたことを自由に書く、という姿勢なのである。もちろん、できるだけきちんと調べて真実に近いものを報道してもらいたいとは思うけれど、この報道の精神は尊重されるべきとも理解している。ただ、誰が書いたものかを常に明らかにしてほしいし、事実と食い違いがある可能性を、大衆は認識している必要がある。なにしろ、この頃は、報道される情報を無条件に鵜呑みにする人間が沢山いる。またマスコミ側も、当事者(あるいはそう名乗る者)から発表されたことをそっくりそのまま伝えて、「これが真実です」という顔をしている。こういった点で、現在の報道の姿勢は、非常に中途半端になっているように僕は感じている。

 ちなみに、このMLAは、僕が知ったことについて僕が感じたことを書いている。真実ではない。間違いも沢山ある。たとえば、僕は模型や鉄道の専門家ではない。出版業界のことも、日本経済のことも、深くはまったく知らない。「大勢に影響を与える立場なのだから、正確に書いてほしい」というクレームがあってもおかしくない。しかし、「知る」ことは、ここが合格ラインですというボーダなどない。どこまで知ればものが言えるのか、という規定はできないだろう。誰もが、自分が知っている範囲で考えて発言しているのである。幸い、そういったクレームが直接来ないのは、マスコミよりは「影響を与える立場」ではないという証拠であって、その点では幸運だと思う。
 小説中のキャラクタの台詞に対して、上記のクレームをもらったことがある。「犀川先生は大勢の読者に影響を与える立場にある人です。その人物がこのように無知では困ります」というものだ。これは非常に微笑ましい意見だが、微笑む以外に対処はない。1つだけ真実を書こう。人間は全員、例外なく無知である。

« 1つ古い記事「数字のつく言葉」 | 1つ新しい記事「空気」 »