2007年08月20日(月曜日)

【社会】 公害

 英語では、public nuisance(社会的な迷惑行為)あるいは、pollution(汚染)というが、日本人のイメージとしては、工場が出す煙や排水などで大気や水が汚れてしまい、そのために出る被害。たぶん、水俣病とか、光化学スモッグとか、この近辺だと、四日市とか、あるいは記憶に新しいところでは、アスベストとか、そんなワードを思いつく。
 大勢が被害に遭うという点で「公害」と呼ぶようだが、しかし、加害者はたいていの場合は工場、企業、つまり「民」である。それを容認・放置した「公」にも責任はあるけれど、そもそもは「民」が悪い。それに対する徹底的な責任追及は、日本の場合はあまりなされない。組織がやったことは、あくまでも個人の責任ではない、という思想が日本人にはあるかのようだ。また少なくとも、昔の日本では、大企業は「公」に近い存在だった。「個」は文句が言えず、我慢するしかなかった。それが「公害」の「公」の意味かもしれない。たとえば、構造設計における偽装によって大勢が被害を受けたが、あの事件も「公害」だろうか? それと同じレベルのものを、「公害」と呼んで、まるで自然災害の類するもののように許してきた歴史が今は見える。
 もちろん、あとになって原因がわかることも多い。これが疑わしい、と絞り込まれても、明確に立証ができない、といった場合、「因果関係が不明である」という理由で放置される。「疑わしきは罰せず」ということらしい。しかし、それは罰する罰しないの問題だ。人命に対して危険性があるもの、しかも大勢に被害が及ぶ可能性が少しでもあるものは、因果関係が明らかになるまでは、少なくとも保留すべきではないか。保留というのは、放置するのではなく、使用を差し控える、という意味だ。「疑わしきは使わず」は安全の原則である。これだけのことができなくて、多くの被害を出してきた歴史も見える。

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