2007年08月31日(金曜日)
【HR】 視線移動について
もう秋雨前線? 残暑は? みたいな急展開。
午前中に、音楽漬けで仕事。短編執筆は10500文字で終了。手直しは後日。「φ」のゲラは90%まで。いずれも、明日か明後日で終わるので、来週は少しのんびり、講演のための準備や工作をするつもり。ゲラは、あと「少し変わった子〜」の2校。執筆は、9月中旬に「銀河不動産」の連載。後半は「タカイ×タカイ」に取りかかりたい。
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幻冬舎コミックスの「冷たい密室と博士たち」(浅田寅ヲ画)と「迷宮百年の睡魔」(スズキユカ画)が9月に文庫になるので、最近そのゲラを読んだ。いずれもシリーズ2作めで、1作めは既に文庫になっている。どちらも大変魅力的な絵で、読むたびに発見がある。やはり「読む」ことは、いつまでたっても「描く」ことには追いつけない、と感じる。「書く」ことでも、「描く」ことほどには至らない。「描く」ためには、「書く」よりも、さらに対象に接近し、焦点をしっかりと合わせ、手で触れるように観察しなければならない。大変な作業だと思う。ゲラを読んでそう感じたのだが、自分の書いたあとがきを読んだら、既に同じことを書いていた。
浅田寅ヲ氏の描く犀川や西之園は、僕のイメージとは全然違うのだが、違い方がまたとても面白い。こういったキャラクタのイメージのギャップには、僕はまったく抵抗がない。そもそも、作者と読者のイメージだって一致していないのだから。
一方、スズキユカ氏の描くミチルは、非常にイメージが近い。ただ、僕との違いを探せば、スズキ氏のミチルに対する愛情の大きさだ。僕のそれより格段に大きい。ここに、「描く」ことの基本的な動機を見ることができる。
ちなみに、皇なつき氏の描く紅子たちもイメージが比較的近い。特に、仕草が似ている。こちらは、皇氏の考証力によるものだと感じる。
S&Mシリーズ、Vシリーズ、百年シリーズが漫画になり、もうすぐスカイ・クロラシリーズがアニメになる(もちろん、アニメのキャラ設定はずっと以前から見せてもらっている)。いずれのビジュアル化も、作者としては、「恵まれている」という言葉が適切だろう。
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これも「迷宮〜」のあとがきに書いたことだが、映画のカメラは、実際の人間がもの見るときよりも動きが遅い、と僕は思う。人間はもっと目まぐるしく視線を移動させることができる。焦点を合わせる速度も速い。映画を見ているとき、特に動きが速く緊迫した場面になるほど、そのカメラワークの鈍重さが気になる(速いと見にくくなるからしかたがないが)。ところが、漫画では、非常に現実に近い素早さで視線を動かせる(というより、そう表現できる)、と僕は感じている。この点が、アニメにない漫画の長所だとも考えている。たぶん、小説でもこれは有利に働くだろう。
僕の小説の視線移動が比較的速いのは、僕自身がこのように落ち着かない視線でものを見ているからだろうか。同じことを、小説の方の「迷宮〜」(文庫版)の解説で、綿矢りさ氏が書いていた。日本のものはよく知らないが、海外の翻訳ものでは、視線移動が速いものは珍しくない。
お昼から研究関係の打合せで4時間ほど外出。帰宅後、スバル氏とホームセンタへ行き、苗をまた買ってきた。これを夕方植えた。良い季節になった。
【体育】 走り高跳びの不思議
いちゃもんをつけるつもりはまったくないので、心静かに読んでいただきたい。単なる、素朴な疑問です。
陸上競技の走り高跳びでは、ほとんどの選手がバーに対して真っ直ぐに向かっていかない。横から回り込むように、斜めにバーを跳び越える。ハードル競技では、跳ぶときには、走る方向に対して直角に障害物が置かれている。棒高跳びでも真っ直ぐにアプローチする。走り高跳びも、本来はそうだったはずだが、なにかの理由があって、斜めに跳び越える方が有利だということになったと思われる。
真っ直ぐ(バーに直角に)跳ぶ場合、選手が走った軸に沿って、垂直の断面を考えると、バーは1点(正確には小さな円)になる。選手は自分のジャンプの最高地点をここに一致させることが課題になるだろう。一方、斜めにアプローチしたときは、断面は同じ1点(正確には楕円形)だが、バーの前後が同じ高さで障害として存在することになる。極端な話、バーに対してもの凄く小さな角度でアプローチしたら、バーが低くても跳び越えられなくなってしまう。
たとえば、ボールを投げて、バーを越える競技をした場合は、明らかに正面から真っ直ぐに(バーに直角に)投げる方が有利だ。斜めになると、ボールの大きさの分、ボールが越える部分のバーが見かけ上長くなり不利である。
この考え方のどこに誤りがあるだろう? つまり、人間がジャンプして跳び越えるときには何故バーに対して斜めにアプローチするのか、と考えてみよう。即答できますか? というよりも、どうして誰もこの疑問を口にしないのか、という点も不思議だ。
(答を求めないし、メールおよび掲示板書込み禁止)
2007年08月30日(木曜日)
【HR】 さきを見る難しさ
朝方雨が降った。今日も水やりをしなくて良い。人に優しい天気である。
音楽を聴きながら仕事を片づける。短編はまた2500文字書いて、完成度75%。この「スカイ・イクリプス」の短編は、yorimoでオンライン連載の予定だが、9/21から始まるとの連絡があった。週刊連載で、約1カ月かけて短編1作、合計5作くらい、といったペースになる見込み。今書いている3作めは、ネット公開の2作めになる(1作が中公ノベルス記念号に掲載されるため)。
「φ」のゲラは80%まで見た。順調。12月に予定されていた「工作少年の日々」文庫版が発行が遅れて来年1月に変更になった。12月は4冊も発行が重なっていたので、ちょっと楽になるか。
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お昼頃、スバル氏とショッピングに出て、ホームセンタで苗を20個くらい購入。夕方これを植えた。ずっと雨が降ったりやんだりの天気で、湿度は高いが涼しい。
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出版界、あるいはマスコミは、時間に余裕のある予定を組まない、という傾向があるようだ。どうも、〆切から逆算して、ぎりぎりのスケジュールを組みたがる。それが効率が良い、と考えているようだが、大きな間違いだと思う。
たとえば、なにかを作るとき、それに関連する仕事を人に依頼することになるわけだが、人それぞれに自分の仕事を持っているので、当然スケジュールを調整することになる。〆切が迫っているような仕事は簡単には受けられない。特に、才能があって引く手あまたの人ほど調整は難しいだろう。すると結果的に、切羽詰まった仕事であるほど、たまたまそのとき仕事が可能な人に依頼しなければならなくなる。頼みたい人に依頼するのではなく、頼める人に仕事が行く、ということになる。
一方、依頼される側からすれば、明日までにやれ、と言われるよりは、来月まで、あるいは半年後に、と言われる方が、引き受けやすいし、また引き受けた場合も良いものができる可能性が高くなる。作業時間は同じであっても、その仕事が頭の片隅にあれば、ときどき思い出すし、思いついたことをストックできる。ものを作るには、こういった絶対的な時間の余裕が必要なのである。
スケジュールを立てる人間が、基本的に「創作」というものを理解していない。たぶん、「そんな良いものはいらんから」と考えているのだろう。たとえば、雑誌の編集部は、次号のことしか考えていないし、文芸の編集部も、半年もさきに出る本のことは頭にない。そういうふうに仕事が回っているのである。TVも同じだった。1年もさきの計画を練るような人は少ないみたいだ。「場当たり的」と言われてもしかたがないと思われる。
これは、何なのだろう。そんなに未来を見ることが難しいのだろうか。
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1年もさきのことを考えたところで、その頃には、自分は同じ部署にいる保証はない、そんな悠長なことは考えていられない、ということかもしれない。組織の中にいる個人には、そういった焦りと諦めがある。だからこそ、組織のリーダが、もっとさきを見て、組織の構成員に計画的な仕事をさせるのが役目ではないか。
長期的な展望は個人的なものに限られ、組織への貢献はあくまでも短期的なものだ、という考えが一般的になっているとしたら、それは組織の存亡に関わる問題である。誰も組織の存亡など知ったことではない? そうかもしれない。しかし、年金騒動もそうだが、社会的なトラブルの多くは、結局はこのメカニズムで生じているように観察される。
【社会】 すべてが宣伝か?
マイナなものを除けば、雑誌のほとんどは広告で成り立っている。「何部発行」という見かけの数字だけが重要であって、実際には全然売れなくてもかまわない。読者から金を集めてもどうせ元は全然取れない。広告料を得るために雑誌が存在するのだ。だから、絶対に売れないようなとんでもない部数を印刷し、書店の棚に並べる。立ち読みされるから、広告としてはそれなりに機能している、ともいえる。実売数はびっくりするほど低く、けっこう名の知れた一般紙でも1万部以下というものがいくらでもある。プラモデルなどのマイナな専門雑誌の方が何十倍も多く売れているのだ。
たとえば、商品を客観的に比較・評価するようなことは、一般紙にはできない。何故なら、広告に頼っているからだ。こうして、読者にとって最も知りたい情報が抜け落ちていく。そして、ますます売れなくなる。売れなくなったら、廃刊にして、新しい雑誌を創刊すれば良い、と考えているのかもしれない。
これは、TVも同じだろう。(NHK以外は)視聴者からはもともと金は取れない。視聴率という見かけの数字が広告料に影響するだけだ。「大勢が見ていて、TVには社会への影響力がある」という幻想をスポンサに見せさえすれば広告料が入る。
この頃のニュース番組などでは、「特集」として取材された内容の多くは、単に特定の企業の宣伝である。新しい商品を開発した、新しい店を出した、なにかイベント打った、その「舞台の裏側に密着」といった感動の物語を見せる趣向のようだが、ヤラセよりも酷いと思う。これが「報道」だろうか? 報道番組ならば、客観的に見て、それがどれほどのものだったのか、せめて一般人にアンケートを取るなりして調べる方法がいくらでもあるだろう。しかし、そういったことはできない。スポンサ(あるいはそれになりうるもの)の悪口は絶対に書けないのだ。
マスコミは結局、金が出るところに尻尾を振っている、という姿が見える。昔からそうだったのかもしれないけれど、この頃は、もうそれがおおっぴらになった。恥ずかしい、と感じることさえなくなったかに観察される。
日本の企業はこんなに素晴らしい、という宣伝をすれば、それで株価がどんどん上がっていく、という時代があった。誰が誰に金を払っているのか、誰が生産し誰が消費しているのか、ということを考えると、いずれは破綻するだろうな、との結果しか見えてこない。
2007年08月29日(水曜日)
【HR】 またもスチームアップ
朝は雨。おかげでとても涼しい(31℃くらい)。9時くらいには雨も上がって晴れ間も見える。水やりが不要で嬉しい。ガレージでアンプの配置を変えて、いつもと違うアンプで音楽を聴きながら執筆。まず、「スカイ・イクリプス」の短編を2500文字書いて、完成度50%。「φ」のゲラは65%まで見た。幻冬舎コミックスの文庫化でゲラやカバーのチェックをした。11時頃に仕事は一段落。
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外が曇り空で涼しそうだし、体調もまあまあ良いので、機関車の試運転をすることにした。故障している機関車を中古で手に入れ、レストアをしていたものがある。まだ火を入れていない。これを初めてスチームアップすることに。
ガレージでさっそく準備を始めたが、なんと機関車の水タンクが水漏れすることが判明(こんなところはチェックしていない)。簡単には直せない部分だ。しかたがないので、ボイラに入れる水だけで圧力試験をすることにした。非常の場合は、漏れているタンクに水を入れて対処すれば良い(漏れるといってもしばらくは水が留っているので)。
石炭も調子良く燃えて、順調に圧力が上がった。しばらくぶりだったらしく、シリンダが少し固まっていたものの、やがて動き出した。結局、メインラインを2周ほど走らせることができた。水タンクさえ直せば、楽しく遊べそうだ。力も強く、特に音が良かった。2時間くらいで終わって片づける。
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汗をかいたので、シャワーを浴びた。そうそう、機関車に油を注しているとき、立ち上がって棚に頭をぶつけて、小さな怪我をした。いつものことだ。髪の毛があったから、これで済んだ。小さい頃からよく頭に怪我をしている。額にも4針縫った傷痕がある。髪の毛がなかったら大怪我になっていた、というものが多い。髪の毛というのは、そもそもそういう役目のものだから、自然に任せて伸ばしておく方が安全だ。額を出すような髪型が普及したのは、帽子や兜で防御をするようになったからだと思う。若いときほど毛が多いのは、やはり活溌だから怪我が多いためではないだろうか。シェルティもおっちょこちょいで怪我が多い犬種だから、毛が長いのではないか。そういうデザインなのだ。
機関車を運転すると、いつもすっかり体調が良くなる。不思議である。汗をかいて躰が軽くなるからかもしれない(そんなはずはない)。午後も雷が鳴ってまた雨が少し降った。おかげで、夕方の水やりもしなくて良くなった。
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警官が人を射殺して、そのあと自殺した。この警官に退職金が支払われることに抗議する電話やメールが多いそうだ。射殺した時点で懲戒免職処分は確実であり、退職金が支払われないのが自然との意見である。妥当な意見だと僕も思う。警官の遺族が、この退職金をすべて被害者の遺族へ手渡すと表明している、との情報もあるが、それはまったく無関係だ。結果的に被害者へ金が渡るのならば退職金を出しても良い、という理屈はない。それよりは、警察が直接見舞金なり賠償金なりを支払う方が多少は筋だ、と思う。珍しく時事ネタということで。
【理科】 空気2
空気の8割は窒素で、人間が必要な酸素は2割しかない、という話を前回書いた。通常は20%ほどの酸素だが、これを多くするほど、呼吸が楽になると単純に考えて、大失敗をした例がある。
宇宙船の中は、人間が生きるためだけに空気が必要である。余分なものを持っていくと重くなるから、コクピット内の酸素濃度を高くすれば効率が良い。何十年もまえ、宇宙開発が始まった頃にはそう考えられ、実際に非常に高い酸素濃度の空気を使っていた。ところが、アメリカで大事故が起こった。宇宙を飛んでいるときではなかったが、コクピットに人がいるときに火災が発生したのだ。原因は、電気のスイッチかリレーの火花だとあとでわかる。とにかく、ちょっとした火でたちまち大惨事となってしまう。コクピットにいた飛行士は脱出できず、全員死亡した(脱出できなかったことも問題だが)。以後、宇宙船で用いられる空気には、窒素と酸素をブレンドしたものを用いることになった(それでも、自然の空気よりは酸素濃度がずいぶん高く、その代わりに気圧が低い)。
まえにも書いたが、酸素が燃えるわけではない。「燃える」とは、物質が酸化すること。つまり、酸素と結びついて(化合して)熱を発することである。
スキューバダイビングのときに背負っているアクアラングも空気を圧縮したものだ。酸素だけではない。ただ、酸素濃度が少し高いものもあるらしい。
2007年08月28日(火曜日)
【HR】 コンセントは凄い
一日曇り空で涼しかった。水やりをしたし、バキュームで掃除もした。ゴミも出した。線路のメンテナンスもできたし、工作も30分ほどした。壊れた椅子を直し、機関車のタンクの修理。朝起きたときは体調が今ひとつなのだが、いろいろ作業をしているうちに調子が出てくる。起きるなり絶好調という人はいないかもしれないけれど。
「φ」のゲラは50%まで。「スカイ・イクリプス」の3つめの短編を2500文字書いた。やはり、ガレージの書斎の方が仕事が捗る。これは、たぶん音楽のおかげだと思う。スバル氏が「日経パソコン」の4枚めのイラストを仕上げたので、これも送った。そろそろ講演会のパワーポイントを作らなければならない。
お昼過ぎに、中央公論新社のM松氏が来訪。「クレィドゥ〜」ノベルス版と、「フラッタ〜」文庫版のゲラを取りにきてくれた。「森博嗣のTOOLBOX」のデータもCDに焼いて渡した。今後のことでいろいろ打合せをする。
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ボタン電池というのがある。薄っぺらい小さな電池で、時計やカードタイプの電子機器によく使われている。見るからに容量が少なそうだが、消費量も少ないためか、けっこう長持ちする。なくなった場合、お店で購入するときに、ナンバを覚えていかないと、同じくらいのサイズのものが沢山あるので困る。乾電池は、たいてい単1〜単5の5種類を識別していれば問題ないし、大きさも全然違うから、間違うことはまずない。ボタン電池は、どうしてこんなに沢山の種類があるのだろう。統一できなかったのは何故だろう。消費者にとっては非常に不便だ。
メディアの統一に至っては、もうお話にならないくらいばらばらだが、統一したところで、つぎつぎと世代が代わっていくから、しょうがないといえばしょうがない。テープがディスクになり、そのうち回転するものも消えて、という具合である。あと10年もしたら、ディスクで使えるのはフリスビィくらいなのではないだろうか(少なくともすべてフリスビィよりはマイナにはなるだろう)。ICタイプのメモリも、コネクタの規格が変わるだろうから、安心はできない。たとえば、「2012年まではサポートします」というような方針を公開してもらえると少しは参考になるのだが。
自分はもうこのメディアで良いのだ、と個人的に決めてしまう人は多いだろう。若い人はそうでもないが、僕くらいの年齢になると、自分が生きている間は、この性能で既に充分だ、というものが増えてくる。そう考えて決めてしまっても、ハードに耐久性がなくて故障したりするとやっぱり困る。バッテリィパックがなくなるとか、接続コードが入手困難になるとか、いろいろ周辺で支障を来す。そもそも、個人が自分の手許にデータを置いておく、というようなシステム自体が消える可能性も高い。インターネットは基本的にその方向だ。
しかし、乾電池の規格も凄いけれど、家庭用の100Vコンセントはずっと変わらない。トイレットペーパだって、たいていどれも上手く使える。
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話は違うが、ファンメールで、「森先生はAだそうですが、Bはいかがですか?」といったパターンの質問メールが来ることが多いが、このうち90%は「いえ、Aではありません」が答である。
【算数】 腸の表面積
2006年7/29にフラクタルについて書いた。「海岸線の長さ」をどうやって測るのか、という問題からこのような考え方が生まれたわけである。
ところで、人の腸の表面積がテニスコートと同じくらいあるとか、人の脳の表面積は新聞紙と同じくらいあるとか、こんな文章をよく見かける。これらは、皺が寄っているものをぴんと伸ばすと、それくらい大きな面積になる、という意味である。しかし、上記の海岸線の場合でもそうだが、そもそもぴんと伸ばすとはどんな状態なのか、によって結果にかなりの差異が生じるだろう。これは【理科】ではない。
海岸線に糸を沿わせておき、その糸を真っ直ぐに伸ばすのならば、糸の長さはだいたい決定できるけれど、海岸線にどこまで糸を沿わせるのか、という部分が結果に支配的だ。たとえば、その糸が、直径2mもあるもの凄く太いものなのか、それともミクロン単位の極細なのか、それによって対象の捉え方が異なってくる。
腸や脳の場合は、これが表面の組織だ、というレベルが細胞で定義できるのかもしれない(よく知らない)。たぶん、だいたいどの文献でも同じくらいの数値が載っているのは、部分的にでも実際に伸ばして測定したデータがあるのだろうし、その組織を自然に展開した状態を基にしている、とは想像できる(それでも、水分を含んだ場合と乾燥した場合でも相当変化するのではないか)。だが、もっともっと拡大して微視的な形状まで捉えれば、皺はさらに細かくなっていくだろう。その皺まで伸ばしてぴんと張るのかどうか、ということで結果が違ってくるはずだ。物体の表面とは何か、という定義にまで行き着く。その位置はおおよそ定義できても、表面状態は測るスケールによる。
2007年08月27日(月曜日)
【HR】 一撃離脱
午前中に研究関係の用事で4時間ほど出かける。それ以外は、いつもと同じ日だった。
ここ数日、名古屋は日本で一番気温が高い。それでも、朝方は涼しく、水やりも気持ちが良い。一番暑い時間帯は昼寝をしているのが良い、と思うが、なかなかそうもいかないだろう。
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ホームセンタでまた花の苗を買ってきて、夕方に植えた。8月の後半はとにかく植物が水を欲しがっているのがよくわかった。水さえやれば生き返る、という状態が続いていた。
工作室では、機関車のメンテナンスを少し。車検のようなもの。秋になれば運行が盛んになるので、今のうちにチェックをしておく。気がつかないところでボルトが緩んでいたり、ということはままある。通常は飾りの部分なので、気づかずにいる。線路上に部品が落ちている、なんてことはたまにある。実物の鉄道だったら大問題になるわけで、点検に大変な労力がかかるものと想像。
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信条としているわけではないが、ものごとをし終わったあと、その結果を見届けるようなことをしない癖がある。「一撃離脱」といえば聞こえが良いだろうか。つまり、弾を放ったのち、それが当たろうが外れようが、自身にはあまり影響がない、と考えているのか、じっくりと弾筋を追って、相手に与えたダメージを見極めることはしない。撃ち放った時点で、自分にできることは終わっているわけだし、すぐに次の作業に取りかかった方が時間的なロスがない、とたぶん本能的に感じているためだろう。
模型を完成させた場合にも、出来上がったらそれでもう目が離れている。もっというと、完成するちょっと手前で既に離れている。完成品がどのように活躍するのかを観察するよりも、次の作品のことしか頭にない。人からどう評価されようがほとんど気にならない。完成間近の時点で自己評価は終わっているのだ。
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たぶん、この傾向が、作家になって小説を書いた場合にもそのまま継承されているようだ。作品を書き上げたら、たちまちそこから意識が離れる。誰がそれを読もうが、どう評価されようが、まったく自分からは遠い。完成した作品は(ゲラ校正を除けば)二度と読み返さない。その話をしたら、驚かれたことがあるので、なるほど、それは普通ではないのか、と認識した。
ただし、例外として、自分に影響を与える人物から、これこれこの部分が良かった、と言われると、その部分を読み直すことはある。そのときは、その人物になったつもりで読む。これは他人の心理のトレースであって、別の意味で興味があるところだ。新しい創作に近いものを感じるので、そうしている。
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「φ」のゲラは昨日と今日で40%まで見た。この文庫は解説を西尾維新氏にお願いしたのだが、それが今日届いて拝読。感謝。
もらったサンプルCDは6枚を2回ずつ聴いた。のべ240曲くらいになる。聴いているうちに、「あれ、これは駄目だな」と曲の始まりで感じると、ほぼ90%の確率で日本人の曲だったりする。変だな。
今日は、スーパでCDショップが閉店セールをしていて、2枚買うと50%引きだったので2枚買った。店に流れている音楽が音が割れていて酷かったので、店員に「あれは消した方が良い」とアドバイスした。おそらくオーディオ装置の故障だろう。店員も「やっぱりそうですよね」と頷いていた。これでは閉店になるな、という気もした。スバル氏があとで、「文句言ってやんの」とちゃかしたけれど、僕としては良いことをしたと思ったしだい。
【国語】 それほど
最近、ちょくちょく見かける使い方だ。こんなふうである。「美味しいという噂を聞いて食べにいったが、それほどだった」
もちろん、本来は「それほどでもなかった」と言っていたものであるが、省略されて短くなったらしい。否定文が消えたので、知らない人間が聞くと、「それほど」だったのなら、「噂どおり美味しかった」の意味だろうか、と逆に受け取る可能性は高い。そうではなく、「それほど」だけで、「それほどでもない」を表しているのである。会話だったら、通じるかもしれない。また、「それほど……、という感じだった」くらいの表現ならまだ通じる。
こういった省略形の新語はどんどん出てくるし、やはり通じなくて広まらないものも多い。
やや古いところでは、「なにげに」というのが広まった。「なにげなく」が本来だったのに、やはり否定の部分を省いて、意味はほぼそのままだった。不思議だ。
また、ちょっとまえから、「微妙」という言葉が、否定的に使われている。「微妙だ」というのは、本来は、「美味しいか美味しくないか、微妙なところだ」というように使ったが、今は「微妙だ」といえば、「今ひとつ美味しくない」の意味で使われている。つまり、「微妙に〜ない」の後ろの否定文を省いたわけで、上記の例と同じかもしれない。「世界一か日本一か微妙な味」といった場合、どちらの意味に取られるだろう。
さらに「とんでも」も、「ない」を省いて用いられたものが散見される。たとえば、「とんでも系」のような使い方である。これは、もともとは「途でもない」つまり「途方もない」の意味だった。とすると「途方も系」と言い換えられるだろうか。そのうち、「もったい系」なんてのも登場しそうである。
2007年08月26日(日曜日)
【HR】 泣き叫ぶ子供から
昨夜は遅くまで読書。起きたら7時半。パスカルはもう散歩から帰ってきていた。とても清々しい朝で、空気がからっとして気持ちが良い。水やりをして、草取りをして、それから線路の点検を少し。長女M氏が使うので仮書斎をあけ渡し、またガレージの書斎に戻った。昨日届いたサンプルCDを4枚聴いた。1枚に20曲も入っているから、長く聴けて良い。
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スバル氏の実家から電話があって、新聞に僕の本の宣伝が載っていた、という知らせだった。このように、新聞に載ると、(部数が圧倒的に多いこともあって)意外なところから「見ましたよ」という声が届く。しかし、ほぼ例外なく、「読みました」や「買いましたよ」ではない。新聞の広告効果とはこのようなものだ。すなわち、「宣伝が載っていたね」という噂が広まるだけで、「商品が売れる」こととは大きな関連がない。
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スバル氏と長女M氏と3人で、近所の大型書店へ。1000台はあるスペースに、今日は400台くらいは駐車していた。さすがに日曜日、しかも夏休み最後の。だいたい、こういう書店に入ると、中でぎゃあぎゃあ泣き叫ぶ子供が一人はいるものだが、今日は店の前で風船を配ったり子供相手に遊ばせていたので、わりと静かだった。僕の新刊が「新刊コーナ」に置いてあったので、見ないようにして遠ざかった。
人が多いところで、もの凄く喚き散らす子供がいて、父親や母親も怒っているのか諦めているのか、煩いままにしておく場面をしばしば見かける。周囲にいる人はみんな「なんという親だろう」と迷惑がっているわけだが、しかし、「私が叩いてあげましょうか」と申し出るほどの積極性もないし、まあ、自分がこの場を立ち去れば良いだけなので、あまり干渉したくはない。店の人も、商売の邪魔になるとも言いにくい(デパートなんかだと対処するようだが)。
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僕も煩いなとは思う。僕の子供たちは、人前では泣かなかったので、恥ずかしい親の立場は経験がない。しかし、たとえば犬がわんわん鳴いているのなら腹も立たないし、逆に、わんちゃんが可哀相にと思うだろう。泣き叫ぶ子供の親には、あの声は「ああ、元気に泣いているなあ」という程度にしか聞こえないのだ。これは子供を育てると、たぶん理解できるだろう。犬を飼えば、犬の声が煩くなくなるのと同じだ。聞こえる音とは、その人間の心に処理されたものである。
たぶん、人前で泣き叫ぶ子供というのは、家でも泣き叫んでいるし、おそらく家では両親も喚き散らしている、そういう家なのだろう。そういうことがわかる。あれが日常なのである。
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かつては、煙草でもくもく煙を吐くことも日常だった。酔っ払ってところかまわず熟睡してしまうことも日常だった。でも、大勢が迷惑だと感じるものは、社会がルールとして排除してきた。大勢が我慢できないことは、ルールで規制される、ということ。ルール化に至るのは、迷惑を発している本人が例外なく自分の行為を迷惑だとは認識していないからだ。
酒を飲んで交通事故を起こす不祥事が跡を絶たない。そういった事故を起こした場合には、運転ができないように免許を取り上げるわけだが、それよりも、酒を飲まさないことにすれば良いと思う。酒が買えない、酒が飲めない、という罰を与える。つまり、酔っていないときには、運転は駄目だと判断ができても、酔ってしまったらその判断ができない人間なのだから、これは、運転免許を取り上げても運転をする可能性がある。もっと別の悪いことをする可能性も大きいから、酔わさない方が安全である。酒を飲むためにライセンスが必要、などという社会はいかがか、という気持ちを既に超えて、客観的に見てそうした方が良いと思う。たとえば、20歳未満の飲酒は禁じられているが、この理由の1つは「判断力が充分ではない」というものであり、つまり、酒を飲んで問題を起こすような大人は、子供と同様に飲ませないことにするのが正しい、との考え方も成り立つだろう。
【音楽】 直感より遅れてくる感動
これは【音楽】には限らないけれど、わかりやすいので音楽で書こう。
新しい作品に出会ったとき、「お、良いね」とすぐに感じるものは、のちのちそんなに「良い」ものではなくなることがほとんどで、逆に、最初は「え、何、これ」と少々受け入れがたい作品の方が、あとで非常に「良い」ものになることが多い。ようするに、直感を信じていると見誤る、という経験則ができてしまうのである。
こういった経験を重ねるうちに、直感も修正される。70%くらい「良い」と思えるけれど、残り30%くらい「わからない」部分があるものを、「良い」と感じるようになる。だから、100%「良い」ものに対しては、「なんとなく、もの足らない」みたいに否定するようになる。
美術作品でもまったく同じだし、映画でも、また小説でも少なからずこの傾向ある。ただ、作品に接する時間が短い、という点で、音楽や美術品は際立つ。音楽なら3分くらいだし、絵画や彫刻作品になるともっと短くなる。同じ曲を最初に10回繰り返して聴いたり、絵の前に立って1時間じっと見つめていれば、評価は変わってくるかもしれない。映画は2時間だし、小説を読む時間はもっと長いから、作品に触れているうちに見えてくるものがあって、その分のちのち評価が覆ることが少ない、ということだと思われる。
人間でも、30分だけ話すなら、もの凄く魅力的な人、というのはいる。写真を撮るだけなら絶世の美人、なんていう人もきっといるだろう。それが、時間が長くなると、いろいろ欠点が見えてきてしまったり、良い点が強すぎて鼻についてしまったりする。難しいものだ。
一口食べただけで美味しいものと、何度も繰り返し食べたくなるものは、やはり別のようだ。ただ、一口食べたときに、「不味いな」と思われてしまうと、繰り返し食べてもらえなくなる。これらを見越して、どのような狙いで作品を作るのか、ということが作り手のデザインだ。
最初にぱっと立ち上がる良さを犠牲にしても、繰り返し見られる、長い時間触れられる、というような作品の機能を、僕は「耐久性」と呼んでいる。できれば、耐久性のある作品を作りたい、と考えているのだが。
2007年08月25日(土曜日)
【HR】 ブログを毎日書くには
7時起床。今日は水やりをした。日中は37℃くらいあるけれど、夕方は風が涼しい。蝉がだいぶ静かになってきた。そろそろ、ホームセンタで草花の苗を買ってきて植えたい季節だけれど、スバル氏に「もう少し我慢して」と窘められている。
そういえば、昨日、スバル氏が「池にもの凄く大きなオレンジ色の蛇がいる」と呼びにきた。池にときどき蛇が来ることは目撃していたが、そんなに大きくて変な色の蛇は見たことがない。大きな蛙が住み着いているから、蛇に食べられてしまうとか、パスカルが噛みつかれるとか、スバル氏は心配したようだが、見にいったら、オレンジ色はまあ彼女のいうとおりだったものの、大きさは断面直径2cmくらい、長さ1mくらいで小さかった。蛇は自分よりも大きなものを飲み込むけれど、あの大きな蛙は無理だろう。見ていたら、池から出て、逃げていった。子供のときから蛇は何度も見たし、青大将なんかにも遭遇したことがあるけれど、僕の周辺では蛇で被害にあった者は一人もいない。蜂の方がずっと恐いと思う。
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朝、まずパスカルをシャンプーした。スバル氏と2人がかり。わりと大人しかった(スバル氏がではなく、パスカルが)。その後は、涼しいリビングで昼寝をしていた(パスカルが)。スバル氏がショッピングに出かけていくため、駅まで車で送った(僕が)。
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「フラッタ〜」のゲラを最後まで見た。「少し変わった子」ノベルスの2校が届く。次は、「φは壊れたね」文庫版の初校だ。短編の執筆はまだ。もう、「ゾラ・一撃・さようなら」の感想メールが届き始めた。感謝。エフエム東京からCDが10枚くらい送られてきた。1月から音楽関係のエッセィ連載をするので、そのための資料に、というわけ。洋楽のサンプルCDで、新曲が1枚に20曲くらい入っているみたいだ。こうなったら、夜はガレージで仕事か。また、むらむらとアンプを作りたくなってしまったが、もう少し我慢しよう。
パスカルに毎日ブラシをかけてやるが、このところ毛があまり抜けなくなった。夏も終わりか。週末で長女M氏が帰ってきたら、パスカルがもの凄く喜んだ。
夕方の水やりは、とても清々しかった。これからどんどん日が短くなってしまうから残念だ。特に、飛行機で遊ぶときにそれを痛感する。機関車は夜でも走れるけれど、飛行機は見えなくなると飛ばせない。
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毎日毎日よくも書き続けられるものだ、と言われることが多いが、毎日長文のブログを書いている人はけっこういる(しかも無報酬で)。ようするに、考えていれば、考えていることを書けば良いし、行動していれば、それについて書けば良い。考えてもいないし、行動もしていないと、ちょっと書きにくい。あと、毎日同じことしか考えなかったり、同じ行動しかしなかったりすると、やっぱり書きにくくなる。だから、そうしないようにすると、続くかも。
【社会】 ニュースで思ったこと
横綱の病気:謹慎しろと言われたので、引き籠もって、拗ねているだけなのでは? どうでもいい感じ。
警官のストーカ:これはちょっと凄いな、と久しぶりに思った。警察がどう責任を取るかを注目したい。
高校野球:毎夏、必死になって盛り上げようとしているマスコミ。球児たちは人生が狂って被害者かも。
首相のインド訪問:東京裁判について際どい発言があったと思うんだけれど、何故か全然問題にならず。
デパートの合併:少なくとも消費者には関係なし。会社のメリットも微妙。すべては銀行のためなのか。
公務員の飲酒運転事故:酒を飲むための免許を作ったらどうか。事故を起こしたら、飲めなくするのだ。
派遣会社のピンハネ:つまり「ピンハネ費」という名称にしておけば明瞭だった、ということだろうか。
飛行機炎上:同じ現象であっても、人が死ななかったというだけで、こんなにも明るく捉えられるのか。
組閣:ようするに、政治家も官僚も、背中の入れ墨は「人事命」「ポスト命」なのだ。金よりも人事だ。
円高:円安よりは基本的に良いと思うのだが。なにかというと、企業の立場からの経済評価ばかりでは。
安倍総理:辞めなかったのはちょっと偉かったかも。国民の「審判」で選ばれた人間ばかりなのだしね。
2007年08月24日(金曜日)
【HR】 憧れの仕事が危ない?
今日も明け方にざっと雨が降ったので、朝は水やりをしなくて済んだ。毎日がこんなふうだったら、めちゃくちゃ親切な夏なのに。今日は36℃の予想で、やはり日本中で名古屋が一番暑かったが、名古屋が暑くなるのは、これから秋にかけて、つまり残暑である。関東はもう涼しくなるだろう。
午前中に小説の仕事を片づけた。「フラッタ〜」のゲラは80%まで。執筆はまだ始めていない。
お昼には、スバル氏とホームセンタへ。花の苗を一箱買った。こんな時期に買う人は少ないし、商品も少ない。そろそろ夕方が涼しくなったので植えてみるか、ということで……。
昨日デパートで買ったスコーンが美味しい。突然だが。どうも、最近、杏のジャムに厭きたとか。ま、それくらいは書いても、波風は立たないと思う。
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近頃の若い人を見ていて、また1つ特徴的なことを見つけてしまった。それは、仕事に対してなんらかの憧れを持っている、という点だ。つまり、自分が好きな仕事がしたい、自分の趣味と一致する仕事を見つけたい、やりがいのある仕事を選びたい、というふうに考えている人が多い。これは、どんな時代にもあったかもしれないけれど、これまでの日本では、そういった選択の余地はなかった。仕事とは、とりあえず食うために行う労働であって、雇ってくれるところで働くことができればラッキィだ、という状況が長く続いていたのだ。やはり豊かな世の中になったせいだ、と簡単な分析はできないとは思うけれど、平均的には、そういうことによる結果かもしれない。
憧れの仕事にうまく就けない場合の問題は、特に言及するほどのものではない。それはごく普通のことだ。昔からあった。むしろ問題なのは、憧れの仕事に就けた場合である。
自分が望む職種に就けたため、「仕事にはまってしまった」若者が散見されるのである。彼らは一見幸せそうに見える。彼ら自身も最初は幸せだと感じ、ますます一所懸命仕事に打ち込む。ただ、傍から見ていると、安い賃金で重労働を強いられている様が観察される。ちょっと頭を冷やして、自分がしていることがどの程度の「労働」かを認識した方が良くないか、と思うことがしばしばだ。そして数年もすると、思ったとおり、疲れ切って別の職場へ移る者が非常に多い。このため、どんどん新しい人間がその「憧れの職場」へ供給され、それで回っているのだ。経営者にとっては極めて好都合な条件であることはまちがいないが、これは正常だろうか?
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たとえば、僕が若い頃、建築の設計事務所がそうだった。仕事を覚えるまでは、月給などろくに出ない。食事ができるだけの小遣いしかもらえないのに、休みもなく働かされる。そうやって仕事を覚えるのだ、と言われていた。まるで「弟子入り」のようなものだ。傍から見ていると、「憧れを利用した若い労働力の搾取」ではないか、と感じられた。少しまえは、SEがそんなふうに見えた。今はどうだろう。漫画家やアニメータはどうだろう。是非、憧れの職場で頑張っている人は自覚してほしい、仕事とはすべて「労働」である、ということを。
【理科】 空気
空気とは何か。我々の周りに存在する気体の名称である。これが、地球の周囲に溜まっている。
水蒸気(水分)も多いけれど、これを除いて考えると、だいたい空気中の1/5が酸素であり、4/5が窒素である(体積比である)。おおまかにいうと、ほぼこの2つの気体で空気は構成されている。人間が生きていくために必要な酸素が20%程度ということ。この比率は、8000mくらいの高さまでほとんど変わらないらしい。
排気ガスなどで問題になる二酸化炭素はどれくらいあるのか。実は、たったの0.03%しか含まれていない。酸素の1/700くらいで、もの凄くちょっとしかないのである。アルゴンなどの方が多く、その30倍の0.9%くらい。いずれにしても、酸素と窒素以外のものは1%以下。このほか、ネオン、ヘリウム、クリプトン、水素、キセノンなどがほんの少しずつ混ざっているのが空気である。
ところで、「ガス」というのは、「気体」のことだ。だから、空気はガスである。我々はガスを吸わないと生きていけないが、吸ってはいけないガスもある。
この頃、「空気を読む」という言葉が流行っている。少しまえはほとんど使わなかった表現だ。以前は、「雰囲気を掴む」と言っていたように思う。ややニュアンスが違う気もするが。
2007年08月23日(木曜日)
【HR】 真実と無知
朝4時頃、嵐のような風雨の音で起きた。パスカルが吠えているので見にいった。スバル氏も起きていて、既にパスカルと一緒だった。雨はとてもありがたい。今日は水やりをしなくても良いな、と安心して、また寝直した。7時に起きたが、まだ雨。ネットで雲の動きを見ると、あと数時間は雨が続く模様。気温は低い。屋外もクーラが効いているみたいだった。
雨の中へ散歩に出るため、パスカルがレインコートを着るときがやってきた。コートとはいっても、犬用のTシャツだ。お腹の毛が汚れないだけでも効果がある。この格好でスバル氏と出かけていった。普通に歩いたらしい。でも、帰ってきてリードを外しても、まだじっとしていて、「早くこれを脱がせて下さい」という顔をした。
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スバル氏と繁華街へショッピングに出かける。デパートで久しぶりにピンクハウスの店を見た。スバル氏はなにも買わず。僕は、カールヘルムのシャツやTシャツを6枚ほど買った。書店にも寄った。大きな書店だった。スバル氏が満足げ。それから、パンを買いにいき、地下で食料品を買ってから帰宅。「今日は当たりだった」とスバル氏がおっしゃっていた。
午後は晴れたけれど、それほど暑くならず。「フラッタ〜」のゲラは60%まで。そろそろ短編の執筆か。
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マスコミが報道する内容とは、マスコミの記者が知りえたことであって、必ずしも真実ではない。記者が取材をし、そこで知ったこと、感じたことが記事になる。これは、間違っていない。そもそも報道とはそういうものだ。それらに対して、「何も知らずに書いている」との批判もまたよくあることで、その内容に詳しい当事者たちが持っている情報と、記事が食い違っていることも多いだろう。
森博嗣に取材して書かれた記事で、間違いがあったという経験を幾つかしたが、これもある意味ではしかたがないことだ。報道側は、通常、当事者に事前に記事内容の確認をさせない。あくまでも、記者が感じたことを自由に書く、という姿勢なのである。もちろん、できるだけきちんと調べて真実に近いものを報道してもらいたいとは思うけれど、この報道の精神は尊重されるべきとも理解している。ただ、誰が書いたものかを常に明らかにしてほしいし、事実と食い違いがある可能性を、大衆は認識している必要がある。なにしろ、この頃は、報道される情報を無条件に鵜呑みにする人間が沢山いる。またマスコミ側も、当事者(あるいはそう名乗る者)から発表されたことをそっくりそのまま伝えて、「これが真実です」という顔をしている。こういった点で、現在の報道の姿勢は、非常に中途半端になっているように僕は感じている。
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ちなみに、このMLAは、僕が知ったことについて僕が感じたことを書いている。真実ではない。間違いも沢山ある。たとえば、僕は模型や鉄道の専門家ではない。出版業界のことも、日本経済のことも、深くはまったく知らない。「大勢に影響を与える立場なのだから、正確に書いてほしい」というクレームがあってもおかしくない。しかし、「知る」ことは、ここが合格ラインですというボーダなどない。どこまで知ればものが言えるのか、という規定はできないだろう。誰もが、自分が知っている範囲で考えて発言しているのである。幸い、そういったクレームが直接来ないのは、マスコミよりは「影響を与える立場」ではないという証拠であって、その点では幸運だと思う。
小説中のキャラクタの台詞に対して、上記のクレームをもらったことがある。「犀川先生は大勢の読者に影響を与える立場にある人です。その人物がこのように無知では困ります」というものだ。これは非常に微笑ましい意見だが、微笑む以外に対処はない。1つだけ真実を書こう。人間は全員、例外なく無知である。
【算数】 数字のつく言葉
前口上は前回と同じ。
「十姉妹(じゅうしまつ)」:多くの人が「十四松」だと思っているが、それは「おそ松くん」。
「十一面観世音」:顔が11ある。前左右に3つずつ、後ろに1つ、上に1つ。やや後方が手薄。
「十二因縁」:苦しさのレベルが12あるらしい。そこまで細かく分けられるのは、まだ余裕か。
「十三階段」:絞首台のこと。家の階段を数えてみよう。暗闇で階段を上るとき数えると効果大。
「十四事」:武術の種類。騎、刀、棒、射、鎌、槍、拳まで思い出して諦めた。あと7つあるはず。
「十五年戦争」:満州事変と日中戦争と太平洋戦争を合わせた名称。まとめ方が豪快すぎるぞ。
「十六大菩薩」:そんなに大菩薩はいるのか。小菩薩や中菩薩もいるのだろうか。
「十七条憲法」:たったそれだけで大丈夫だったのか、と素直な疑問を抱く子供は多いはず。
「十八金」:24分中に純金18分を含む合金。名古屋では高校から金城学園に入ったお嬢様の意。
「十九日」:「たわけ」の意。たぶん、もう通じない。
「二十日鼠」:二十日大根を食べる鼠のことではない。二十日兎も二十日団子を食べる兎ではない。
「二十(はたち)」:現在は「二十歳」の意でしか使わないが、もともとは「たこ焼きはたち下さい」や「背番号はたち」みたいに使用した。
2007年08月22日(水曜日)
【HR】 初釜
6時半起床。今日もあまり調子が良くない。昨夜遅くまでゲラを読み、ベッドでも本を読んでいたせいかも。でも、庭で水をやり、途中で思いついて、2種類ほど草を移植したりしているうちに、調子が出てきた。移動した草は、夏だから枯れるかもしれないけれど。
少し曇っていて、そんなに炎天にならないような感じがしたので、思い切って、新しい機関車を運転する決意をする。先月イギリスから届いた大きな機関車だ。初めて火をつけることを「初釜(はつがま)」なんて言ったりする。新車で購入したものだから、動いて当たり前ではあるけれど、それでもやはりわくわくする。
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この機関車は前部に水タンクがあるけれど、外部にも水タンクが必要なので、以前にタッパで自作した水タンクを接続し、これをトレーラ(僕が乗る車両)に載せた。最初にやることは、手動ポンプでボイラへの給水。4リットルくらい入っただろうか。ガレージから機関車を引き出して、窯に石炭を入れてから火をつける。このとき、通風を確保するため、コンプレッサを使って、煙突から強制排気させる。石炭は火を近づけても簡単には燃えない。着火材が必要だ。灯油を染みこませた木片や、キャンプ用品として市販されているものを最初は使って、全体がよく燃えるまで待つ。
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30分くらいでボイラの圧力が上がってきた。さすがに大きいから、いろいろ取り回しが楽だ。この間にオイルを入れたり、各部のチェックを済ませる。さあ、運転開始。最初から、非常に滑らかに動き出した。
庭のメインラインを10周ほど回った。ポンプは3系列装備しているが、いずれも動作は好調。走ると自分の排気によって火を煽るので、石炭がますます真っ赤になって燃える。圧力が上がりすぎて、安全弁が動作することも確認できた。問題なし。とても力が強く、また低速時のトルクがあって、運転しやすかった。大変満足。
汗をかいたので、シャワーを浴びてから、クーラの効いた仮書斎のソファベッドで昼寝をした。機関車はそのまま外に放置し、火が落ちて冷めるのを待つ。夕方、掃除をしてから片づけた。8月に蒸気機関車を運転したのは、たぶん生まれて初めてだと思う。詳しくは、機関車製作部の今月のレポートを(これから書くのだが)。これに間に合わせるために、初運転をしたともいえる。
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雷が遠くで鳴って、ほんの少しだけ雨が降ったりした。もっとざあざあ降ってもらいたい。夕方も水やりを結局した。
「フラッタ〜」のゲラは40%まで。杉浦守氏の漫画の解説を頼まれて快諾したが、今日作品が届いた。これは〆切は10月中旬。
【国語】 遺憾
この言葉は、子供の頃からよくTVで耳にしてきた。政治家などがインタビュアにマイクを突きつけられ、「遺憾に思います」などと言っていた。あるいは、「この件について、関係者は遺憾の意を表明している」などと報道されていた。
子供の僕には、不思議な言葉に聞こえた。「残念に思います」という意味に近いとは思うものの、少しニュアンスが違っているようだ。特に、「大変遺憾です」などと言うと、「とてもけしからん」「不当である」という響きに聞こえる。「残念」には、そこまで出しゃばった力が感じられないので、大人が使う「遺憾」はちょっと凄いな、と感じたのである。
ところが、不祥事を起こした人間が謝るときにも「大変遺憾に思います」と言う。これは、自分たちのことを遺憾に思っている、という意味である。「残念です」よりはやや強い反省が感じられるけれど、しかし、上記の相手を非難するときと同じ言葉である点が、いかにも日本語らしい。外国人が聞いたら、どっちなのかわからないだろう、と心配になってしまう。このあたりが少々遺憾である。
ちなみに、「憾」というのはほかではあまり使わない漢字だが、「うらむ」と読む。「遺」は「のこる」なので、つまり、「うらみがのこる」ということ。「残念」と似ているが、「念」の「おもい」よりは「憾」の「うらみ」の方が強い、という道理か。
ところで、「遺憾なく」という言葉がある。通常、「遺憾なく発揮された」のように使われ、「思い切り」とか「充分に」というような意味である。「残念なく」という言葉はないが、「躊躇なく」などは同類だろうか。
2007年08月21日(火曜日)
【HR】 遠く対岸を望む
7時起床。少し躰が怠い。たぶん、先週の集中ゲラ読みの後遺症だと思われる。
朝はまず水やりをする。僕が水やりをすると、パスカルは走らない。なるべくはしゃいで走らせないようにしている。脚を痛めるからだ。曇り空で、日差しがそれほどでもない。35℃くらい。もう少し涼しかったら機関車を出したが、体調のこともあるし、見送った。
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ゲラは「フラッタ」文庫版に移り、20%まで。「日経パソコン」第47回のゲラを見た。「森博嗣のTOOLBOX」の文庫が中央公論新社から来春出る。以前に「日経パソコン」に連載したエッセィを収録したもので、エッセィ集のうちでは最もふざけないで書いた内容だ。今回文庫化にあたり、平岡幸三氏に解説を書いていただけることになり、今日その解説が届いた。一介のモデラが綴った駄文に、世界のKozo Hiraokaが寄稿して下さったのである。謙遜や誇張では全然ない。模型の世界では誰も森博嗣など知らないが、Hiraokaの名は世界中のモデル・エンジニアが知っている。今年の5月に我が庭園鉄道を訪問いただき、先週のコンベンションでもお目にかかれた。とにかく非常に嬉しい。作家になって良かったな、と稀に思うのはこういうときである。
今年は、講談社から「悠悠おもちゃライフ」の文庫が出て、また暮れには集英社から「工作少年の日々」が文庫になる。上記の「森博嗣のTOOLBOX」が来春に発行されると、エッセィ本が3冊文庫で出揃う。いずれも工作系の内容のように装っているけれど、その実は違う。僕はそんなに工作が得意でもなく、もちろん機械や電気は専門外だ。良くいえば一般向けの話題になっている。このためか、ようやく最近、エッセィのファンという方からメールを沢山いただくようになった。
エッセィや日記を読んでいたが、ためしに小説を読んでみた、という人、その反対に、小説ばかり読んでいたが、この頃エッセィや日記を読み始めた、という人から、メールをいただくと何故か少しだけほっとする。
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振り返ってみると、人生という旅路の途中で、ときどき川を渡ることがあった。自分は本来はこちら側だが、ためしに向こう側へ行ってみるか、というときがたまに訪れる。なんとなく、今まで足を踏み入れなかった領域へ恐る恐る片足を入れてみる、そんなときがあるものだ。そして、それがきっかけとなって、広大な新天地が目の前に開けることもあって、なかなかに楽しく、突然変異による進化論を信じたくもなる。
僕は、常に「自分はこうなんだ」と決めつけず、いつでも軽く川を渡れる旅人でいたいと願っているけれど、川にもいろいろあるわけで、ちょっとやそっとでは渡れない大河の岸に立ち、遠く対岸を眺めるだけのことだってもちろんある。「若い頃だったら(もっと上流だったら、あるいは体力があったら)渡れたのに」と悔しく思うこともしばしばだ。アドバイスは「渡れるうちに渡っておこう」かな。
勘違いしないでほしい。エッセィを読めという意味で書いたのではない。人にすすめられて川を渡ると、溺れる確率が高いので注意しよう。大事なのは、「渡ってみようか」という最初の思いつきなのであって、人から言われたらもう多くは台無しである。
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お昼頃、スバル氏と書店へ行き、雑誌を何冊か購入した。それを読んでいたら、そのままソファベッドで2時間ほど昼寝。起きたら体調が良くなっていた。夕食は、餃子だった。もの凄く珍しく、スバル氏が作った餃子だ。彼女は餃子が好きなのだが、自分で作ることはまずない。
僕だけかなぁ、出来合いの餃子って、どれも今ひとつ美味しくないと感じるのは。
僕だけかなぁ、蚊に刺されて、かゆみ止めを塗っても、ほとんど気休めだと感じるのは。
僕だけかなぁ、アイデア商品って、アイデアの凄さより、値段の方が何倍も凄いものばかりだと感じるのは。
【理科】 マッハ
音速については、2005年10/30に書いた。また、同年12/10には、飛行機のプロペラの先が簡単に音速に達する話を書いた。音速は1秒間に340mほど進む速さで、時速に直すと1200km/hくらいである。新幹線の4倍くらいだし、旅客機の巡航速度よりは速い。
音は空気の振動が伝わる現象だ。振動するのは、空気がバネのように伸び縮みするからであるが、この場合の伸び縮みとは、つまり体積が膨張したり収縮したり、という意味。この性質は、風船を膨らませると体感できる。
バネを直列に沢山つなげて、その片方の端をちょっと押してみる。すると、端のバネが縮み、それが伸びようと反発すると、その次のバネを押す、というようにつぎつぎと伸び縮みが伝わっていく。これが弾性波と呼ばれるもの。あらゆる物体は力を受けると変形し、それに応じてバネのように反発する。固体の場合は、形を保持しようとするバネと、体積を保持しようとするバネがあって、そのいずれもで弾性波が伝わる。地震にP波とS波の2種類があって、伝わる速度が異なるのは、この2種類のバネのためだ。また、液体と気体では、体積を保持しようとするバネだけが働く。形を保持するバネはない。
マッハ2というのは、音速の倍の速度のことで、今日のジェット戦闘機などには音速の何倍も速く飛ぶものがある。音速を超えると、空気に圧縮が伝わるよりも速く前進することになる。たとえば、マッハを超えて近づいてくる飛行機からは、音が聞こえない。音が聞こえたときには既に到着している。
簡単にいうと、飛行機の前にある空気に、縮む余裕を与えないことになるわけで、空気が固くなってしまったように振る舞うため、衝撃波と呼ばれる波の壁のようなものが生じる。この対策として、マッハを超える飛行機の主翼は斜め後ろへ向かって伸びている。低速ではグライダのように主翼は真横に出ている方が効率が高いが、高速になると後退翼が必要になる。だから、映画「トップガン」に出てきたトムキャットのように、飛行中に主翼を後方へずらす飛行機もある。
空気があるからこのようなことが起こる。宇宙ではこういった心配はない。宇宙船はどんな形でも良く、マッハ100でも軽く出せる。
ちなみに、「非常に」の意味で「マッハ」を使う人がいる。「超凄い!」と同じように「マッハ凄い!」などと言う。「超音速」は「スーパ・ソニック」だから、「スーパ」と同じ意味で「マッハ」を捉えているのだとしたら、誤解である。
2007年08月20日(月曜日)
【HR】 金持ち喧嘩せず
6時起床。まず、パスカルを散歩に連れていく。昨夜は少し雨が降ったようだが、微量なので、軽く水やりをして、雑草取りもした。今日も素晴らしい晴天。今年は蚊が少ないかわりに蝉が多い、と思う。
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「クレィドゥ〜」のゲラを読み、最後まで。次は、「フラッタ〜」文庫版のゲラか、「φ〜」文庫版のゲラか。講談社の鉄道雑誌の取材は、話が今ひとつ噛み合わず、結局お断りした。そろそろ短編を執筆しなければならない。明後日くらいからにしようか。
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小説の仕事が一応半分ほど片づいたので、今日から工作を再開。工作室でクーラをつけて作業。ときどき炎天下の庭へ出て、保線作業も行った。主に、線路上に出てきた木の枝を切った。いつでも運行できるようにしておきたいからだ。8月になってから、まとまった雨が降っていないので、樹や草は苦しそう。枯れてしまった草も多数。まあ、自然の摂理なのでしかたがない。整備をしたら、走らせたくなって、電気機関車で2周ほど走った。
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「金持ち喧嘩せず」というのは、スバル氏がよく口にする言葉だ。スバル氏が考えた言葉だと思っていたのだが、広辞苑に載っていて、びっくりした。慣用句にしてはあまりにストレートではないか。思うに、喧嘩をしない寛容な人間が金持ちになる、という意味ではないだろう。金持ちになるためには、ある程度の喧嘩が必要だと想像する。そういった攻撃的な姿勢が、金持ち達成後には必要がなくなる、あるいは逆に防御する立場になる、という意味かもしれない。単純に、争いごとは平均的に損なので、損を避ける、というだけの意味かもしれない。しかし、世界の大国アメリカはずっと戦争をし続けている。この言葉が当てはまらない。
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ケーブルで「神風特攻隊」のドキュメントをやっていた。海外で作られた番組だ。沖縄に上陸したときに、かなり特攻隊によって連合軍に被害が出た。日本本土へ上陸すれば、さらに消耗戦となるだろう、日本人は自分の命を犠牲にしても立ち向かってくる、そういう民族だ、と彼等は認識した。また、日本政府もそう思わせることで、停戦交渉を有利に運ぼうとした。こうなると、(アメリカの言い分だが)兵士も一般人もない、上陸すれば、すべての日本人がゲリラと化して戦うだろう。それはもう一般人ではない、という判断から原爆投下になった、といいたかったようだ。本当にそうだったのか、単なるあとづけの言い訳か、は僕にはわからない。
このまえ、原爆のことで防衛大臣がおかしな発言をして辞任したが、しかし、そもそもどんな意図で、どんな判断で決定したのか、またそのとき日本はどんなふうだったのか、トップはどう考えていたのか、といったことが、教科書にもまったく書かれていなかったし、大人は誰も教えてくれなかった。何も知らなくても良いのだ、とにかく「平和を平和を」と祈りなさい、という教育を受けたように思う。それでは法然上人の「南無阿弥陀仏」と同じだな、と子供心に感じた。祈るだけで良いだろうか? 人を戦争に駆り立てるものは幾つかあるが、その1つは「宗教」だ。
【社会】 公害
英語では、public nuisance(社会的な迷惑行為)あるいは、pollution(汚染)というが、日本人のイメージとしては、工場が出す煙や排水などで大気や水が汚れてしまい、そのために出る被害。たぶん、水俣病とか、光化学スモッグとか、この近辺だと、四日市とか、あるいは記憶に新しいところでは、アスベストとか、そんなワードを思いつく。
大勢が被害に遭うという点で「公害」と呼ぶようだが、しかし、加害者はたいていの場合は工場、企業、つまり「民」である。それを容認・放置した「公」にも責任はあるけれど、そもそもは「民」が悪い。それに対する徹底的な責任追及は、日本の場合はあまりなされない。組織がやったことは、あくまでも個人の責任ではない、という思想が日本人にはあるかのようだ。また少なくとも、昔の日本では、大企業は「公」に近い存在だった。「個」は文句が言えず、我慢するしかなかった。それが「公害」の「公」の意味かもしれない。たとえば、構造設計における偽装によって大勢が被害を受けたが、あの事件も「公害」だろうか? それと同じレベルのものを、「公害」と呼んで、まるで自然災害の類するもののように許してきた歴史が今は見える。
もちろん、あとになって原因がわかることも多い。これが疑わしい、と絞り込まれても、明確に立証ができない、といった場合、「因果関係が不明である」という理由で放置される。「疑わしきは罰せず」ということらしい。しかし、それは罰する罰しないの問題だ。人命に対して危険性があるもの、しかも大勢に被害が及ぶ可能性が少しでもあるものは、因果関係が明らかになるまでは、少なくとも保留すべきではないか。保留というのは、放置するのではなく、使用を差し控える、という意味だ。「疑わしきは使わず」は安全の原則である。これだけのことができなくて、多くの被害を出してきた歴史も見える。
2007年08月19日(日曜日)
【HR】 パスカルと留守番
昨夜は、近くで花火大会があって、デッキから見物ができた。そのあと、遅くまでDVDで映画を見ていたので、やや寝不足。
6時起床。今朝も涼しい。庭の水やりは毎日だいたい30分くらい、朝夕合計1時間かかる。雑草取りもした。パスカルの散歩やご飯の世話は、スバル氏がしている。
スバル氏から借りている書斎は、昨夜12時頃までクーラがついていて、その後消して寝て、今朝入ったら、まだ空気が充分冷たかった。冷気が6時間も保持できるというのは、断熱が良いためだろう。こういうのは、日本の住宅には滅多にないと思う。しかし、この部屋は雨漏りがするので、今度屋根を補修することに(上に2階がなく平屋の部分)。
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ひたすら「クレィドゥ〜」のゲラを読んでいる。今日は60%まで読めそう。「MLA7」のカバーとオビの確認をした。「日経パソコン」の3枚めのイラストも送った。スバル氏は仕事が速い。彼女は今日も東京へ遊びにいった。このために仕事を急ピッチで片づけた模様。
集英社から「ゾラ・一撃・さようなら」の見本が届いた。紙のせいか軽い。装丁はレトロな感じにしてもらおうと、レッド・ツェッペリンのあるアルバムのジャケットみたいにしてほしい、とお願いしたら、こうなった。今年4冊めの書き下ろしの小説(書き下ろしは、あと9月にもう1冊)。
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今日も涼しい部屋で読書をしたり、ケーブルで映画を見たりして過ごした。昼寝をしていると、パスカルが近くに来て甘える。夕方は水やりをしたあと、涼しくなってからパスカルを散歩に連れていった。雷がごろごろ鳴っていた。アスファルトの上、地面の近くを歩くのは大変だろう。しかも黒い毛皮を着込んで。
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株が下がっている、というニュースを見た。バブルの頃って、平均株価が3万円台だったし、誰だったか、偉い人が「5万円になるのも間近だ」みたいな発言をしていた。あれは何だったのだろうか? バブルが崩壊したことよりも、バブルになったのは誰の責任だったのか、ということは、どこかできちんと追求されたのだろうか。最後は公的資金で尻ぬぐいをしたわけだから、国民はもっと追求しても良かったように思うのだけれど、マスコミもそんなに騒がなかった。たぶん、日本の場合、企業の経営者がそんなに高い給料をもらっていないから、たとえ倒産してもほとんど責任追求をされなくて、結局はうやむやになって、国民の税金で補填する、そんな構図が素人目には見える。
それでも、裏でこそこそするような日本の伝統的経済活動は今や難しくなっているはずだ(と僕は信じる)。ということは、裏返せば、あのバブルのときの株価へは金輪際絶対に戻らない、という簡単な道理が導かれる。
【算数】 数の入った慣用句
【国語】で取り上げるべきかもしれないが、【算数】が難しいとのご意見が多いので……。
「一難去ってまた一難」:災難が順番に1つずつやってくるさま。同時に来ることに比べれば軽い。
「一期一会」:半期に一度の集中講義のためにやってくる非常勤の先生のこと。たいていは出席すれば単位になる。
「一石二鳥」:1つの石を2羽の鳥が力を合わせて運ぶさま。トランジスタが1つ入った鳥が2羽の意も。
「二人三脚」:二人とも、三脚だけ持ってきて、カメラを忘れてきたときの落胆を表現したもの。
「四面楚歌」:斜めや上下にはまだ味方がいるかもしれない、の意(「八方美人」を参照)。
「五里霧中」」約20kmにもわたる霧の中にいる、という意味だが、深い霧であれば、数m先も見えないわけなので、そんな状況において20kmも移動して霧が立ち込めていることを確かめた根性が凄いし、ちょっと信じられないくらい不思議だ。
「六十の手習い」:片っ端から通信講座を申し込んで、60もの資格を得る快挙をいう。「広く浅く」と同義。
「七転八起」:立った状態からスタートすると、1回は転ばないのに起きなければならないが、実は倒れたのではなく、すすんで寝た状態になったことを意味している。すなわち、人生の浮き沈みは激しいが、ときどき隠れて休みなさい、という教訓。
「七転八倒」:「十五転倒」でも良いのでは、という気がしないでもないが、細かい違いに拘る転倒のプロ(プロレスラに多い)の言葉。
「八方美人」:平面的な美人のことで、真上あるいは真下から見られたときに弱点があるの意。
「九死に一生を得る」:成功率10%のことである。確率1/9よりはやや低い。1人で臨んだ場合には、「九死に一生を得る」状況だと確かめることは困難(9回も死ねないからだ)。10人で臨んで9人が死んで、自分1人が生き残った、という確かめ方ならば可能。たしかに幸運ではあるものの、諸手を挙げて喜べない。
「十人十色」:10の階乗のこと。3,628,800とおり。ほら、なんとか【算数】だったでしょう?
2007年08月18日(土曜日)
【HR】 サイレント・ワークショップ
あっという間にもう週末である。今朝も入念に水やりをした。このところ、日照り続きで萎れがちな草木が多い。雑草取りも少しした。池の掃除もした。すぐに汗が噴き出すから、少しずつしかできない。
近所の多治見が40.9℃で記録更新というニュースをやっていたが、おかしい、岐阜なんかよく42℃とか43℃になっていたように記憶している。つまり、測り方が変わったのだろうか。今の測り方になって最高、という意味かも。だいたい、気象台発表の気温は、緑のある地面で、しかも多くは一日中日陰の場所で測定される温度のことだ。街中で人が歩くような場所は、これより3℃も4℃も高いのが普通である。
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明日から、少し涼しいらしいから、今日も日中は外に出ないような仕事に専念した。「MLA7」は昨夜電話で伝えて校了。これで2冊終わった。あとゲラはまだ3冊ある。次は、「クレィドゥ〜」ノベルス版で、これは今日20%まで読んだ。「日経パソコン」のイラストの2枚めをスバル氏が仕上げたので送った。あと2枚。ファン倶楽部用のイラストも発送した。いろいろ片づく。
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涼しい書斎の居心地が良すぎる。昨日と今日は珍しく読書三昧。といっても、小説ではない。わりと専門分野っぽいものを2冊読んだ。先週、よしもとさんから、目に効くビタミンのサプリをもらったので、2回ほど飲んでみた。効き目のほどはわからないが、昼寝をするだけで目の疲れはだいぶ取れる。夏は外が眩しいから運転などをすると目がとても疲れてしまう。夏だけではない、秋や冬でも晴天の空も眩しくて疲れるから、サングラスが手放せない。
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スバル氏の部屋は快適なのだが、音楽が聴けない。今さらiPodでもないし、もちろん、主力機のスピーカやアンプは重くて運べないし(1セットで軽く100kgはある)。小さいスピーカセットと、小さいアンプを持ってくれば良いのだが、CDデッキが1つしかない。これがネックだ。しばらくサイレント・ワークショップである。なんとかしたいが、そのまえに夏が終わるか……。
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炎天のため、庭の池の水温が高くなっていないかな、とスバル氏に話したら、「大丈夫、このまえ確かめてみたら、冷たかった」と言うので、温度計でも入れて測定したのか、しかし、そんな温度計は森家にはないはず(ガレージにはあるが)、と思って、「どうやって確かめたの?」と尋ねたら、「指を突っ込んで」とのことだった。そんなことで、1℃や2℃の差がわかるのか、指を突っ込んでわかるくらい熱くなっていたら、とっくにメダカが死ぬだろう、と思ったけれど、ぐっと堪えて黙っていた僕でした。
夕方、水やりに出たら、風がけっこう涼しかった。そろそろ秋が近づいている、と思いたい。
【国語】 〜しなくても良い
否定文に続いて「〜ても良い」が伴う表現、なにげなく使う言葉だが、なかなか奥が深い。たとえば、「お前は食べなくても良い」というのは、論理学的には、「食べなくても許される(もちろん、食べても良い)」という意味だが、通常はほとんど「食べるな」という意味で用いられる。「もう、あなたとは会わなくても良い」と言われたら、ほとんど「別れてくれ」という意味である。少しだけ和らげた言い方をしているうちに、それが一般的になった、ということだろう。言葉としては、「〜しない方が良い」よりは軟らかいのだが、ほぼ同じ意味合いで使われる場合が多い、ということである。
しかし、一人称で用いるときは、少し違ってくる。「僕は食べなくても良い」というのは、無理に食べる必要がない、あるいは、食べなくても不都合ではない、という意味になる。「会わなくても良い」とは、会いたくない相手を避けられる、という気持ちである。
「君は明日から会社に来なくて良い」と言われて、「うわ、来なくて良いのですか、やったぁ!」と喜ぶ人は少ないと思う。しかし、これは「君を解雇します」という意味ではないので、上司からこのように言われ、解雇されたと思い込んで会社に行かないと、結果的に無断欠勤になって、それが理由で解雇されるだろう(理由なく解雇できないために、この手を使う会社があるそうだ)。裁判では、「来なくても良い」が文字どおり、「来ても来なくても良い」という意味にしか解釈されないからだろうか。これは【社会】かな……。
2007年08月17日(金曜日)
【HR】 ヘンリィだらけ
今朝は6時に目が覚めた。山の上なので、朝は涼しく気持ちが良い。パスカルはスバル氏と散歩に、僕は庭に水やり。
スバル氏の部屋を借りて仕事をしている。ガレージに比べると、ここが非常に快適。デスクの周辺の写真を撮った。この古い机と椅子は、イギリスのアンティークだったと思う。スバル氏が気に入って買ったもの。ノートパソコンは、自分のメイン機を1台だけ持ってきて、もう1台はスバル氏のものを借りている。すぐ横にソファベッドがある。ソファからカラクリみたいにベッドが飛び出すものだが、写真は、広がってベッドになっている状態。妹一家が泊まっていったので、そのとき広げたままになっている。普段は折り畳んで普通のソファだ。ようするにトランスフォーマである。
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掃除機のヘンリィは、黄色い家にのっているが、これはディスプレィ・スタンドというか、特に機能も意味もない、のせるだけのものだけれど、可愛いので一緒に購入した。小さい方のヘンリィは、電池で動く(掃除機として機能する)おもちゃ。このほか、机の上で使う手動クリーナでもっと小さいヘンリィや、ゼンマイで走るさらに小さいヘンリィもある。もっともっと小さいフィギュアもあるし、ピンバッジもある。また、このまえのコンベンションでも、ヘンリィ関連グッズを沢山いただいた。あっという間にヘンリィだらけになってしまった。
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昨夜は、「キラレ×キラレ」を思い切って最後まで読み、夜遅くK城氏に電話で伝えて校了。昨日だけで8時間はゲラを読んでいた。今日は、朝から「MLA7」の2校を読んでいる。校閲のチェックが入ったところだけを見るつもり。今夜また電話でI子氏に伝えることになっている。あとは、「クレィドゥ〜」ノベルス、「フラッタ〜」文庫、「φ」文庫のゲラが待っている。まだまだ先は長い。
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吉本隆明氏の「ひきこもれ」を読んでびっくりした。つい数日まえにMLAに書いたことと、そっくり同じことが書いてあったのだ。これはまずい。まず、よしもとばなな氏に言い訳のメールを書いた。「真似したんやおまへん」というような内容である。できるだけ人が書かないだろうと思われることを書いているつもりなのだが、ようするに、気づいている人は気づいているし、そういう人にとっては常識的な内容なのだな、と再認識。理系なのに文章書き、という点に類似点はあるものの。
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最後の写真は、ファン倶楽部が作るグッズのために描いたパスカルのイラスト。僕が下書きをして、スバル氏がパソコンで仕上げてくれた。バッグやシールになるらしいが、残念ながら一般販売はされない。左下にある絵は、近年稀に見る傑作なので、なにかもっと利用できれば、と思っているが。
【社会】 祭りの伝承
夏になると、各地でさまざまな祭りが行われ、ニュースなどでもよく紹介されている。観光資源になっている有名なものもあれば、その街だけでひっそりと行われるものもある。
マスコミが取り上げる場合には、きまって、親から子へと引き継がれる伝統、といった切り口になる。過疎化が進んでいるけれど、「良い」若者は村に帰ってきて祭りに参加する、そこで老人と若者のコミュニケーションがある、というストーリィだ。それはそれで美しく見える。
ただ、そんな儀式的な風習が嫌いだから、村を出ていった若者も沢山いるのだ。子供のときから、祭りを見ていただろう。そして、「自分が大人になったとき、あんなことをやらされたんじゃたまらない。この村にはいられない」と感じた子供は多かったはずだ。つまり、祭りによって排除された人間も多いと想像する。僕は子供のときに、だいたいどの祭りを見ても、素直にそう感じた。ほとんど狂気の沙汰としか思えないものだってあるのだ。
幸い、僕が住んでいた場所は都会だったので、そういった近づきがたい祭りは身近になく、非常に楽しい盆踊りが行われていた。これは行くのが楽しみだった。田舎の祭りは大変だなあ、と子供心に思ったものだ。
祭りは、元来は大勢の参加者が楽しめるイベントだったはずだ。それが、伝統を守ることが第一優先となり、儀式を引き継ぐことが重荷になっているところもあるだろう。伝統というのは、メディアだろうか? 「楽しむ」「集う」というコンテンツを継承・伝承し、時代によってメディアが姿形を変えても、精神が伝わるようなものではいけないのだろうか? 日本の祭りは、あまりにも儀式とファッションに拘っているように僕には見える。
2007年08月16日(木曜日)
【HR】 剣を交えられる奇跡
名古屋は連日暑い(今日は39.4℃)。今年は関東の方で高温が観測されているが、名古屋は例年並み、あるいはやや涼しいかも、と感じる。これは「夏らしい夏」なのだろうか(しつこい)。もう今週がピークで、そろそろ涼しくなってくるだろう。
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スバル氏の部屋を借りて、そちらへパソコン等、仕事道具一式を移動し、臨時書斎とした。北側に張り出した大きな窓の近くにテーブルがあって、そこからはウッドデッキ越しに輝く緑を眺めながら仕事ができる。部屋はかなり涼しい。快適快適。タイトルでいうと「スズシ×スズシ」か。しかも、すぐ横にダブルのソファベッドが出ているので、いつでも昼寝ができる。
この快適書斎のおかげで、午前中から仕事が捗った。4時間ほどかけて「キラレ〜」2校を80%まで見た。明日終わるだろう。「ミステリーの館」の一文も書いて発送した。ファン倶楽部のグッズのためのイラストも描いた。ばったばったと片づけている。
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土曜日にコンベンションの会場でよしもとばななさんと会ったが、彼女は結局、3時間以上会場にいて、ブースの裏側でときどきおしゃべりをした(先日の記述に対し、「かき氷を食べたのは私ではない」という指摘が来た)。普段も彼女からのメールが1日に3通くらい来るのが普通だ。だから、話題はいきなりディープになったりする。この頃の話題は、宗教のこと、オカルトのこと、人の生き方のこと、など。こういう話をしていると、まるで「ちゃんばら」をしているような感覚になる。この感覚は、研究者仲間で、特に同じ分野の同レベルの人と接するとき、稀にある。非常に特殊だ。奇跡的だと思う。ディープな会話の応酬とは、お互いの強さにバランスが取れていないと続かないし、もちろん、相互理解が基本で、つまりは相手に対する思いやりが不可欠である。
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オタクの人が、いきなりディープなところへ話題を振ったりするのは、場所も相手もかまわず刀を振り回しているようなもので、これでは会話が成立しない。「ああ、この人は剣を交えたがっているのだな」ということはわかる。それだけだ。そこに、刀を入れる気にはなれない。刃がこぼれるのが落ちで、得られるものがない。相手に対する思いやりの欠如が原因である。
それから、いきなり「先生がこれをご存じないのが残念です」と言ってくる人がたまにいる。それがその人の得意な領域で、そこで話をしたい、という気持ちなのだろう。こういった場合には、「それに僕が興味がないのを貴方がご存じなかったことが残念です」と答えるしかない。そもそも、この「残念に思う」という言葉は、影響を与える側の人間が相手を非難するときに意味を持つ言葉だが、影響を与えない側は、残念に感じるのは自由だけれど、残念だとを口にすることに意味がない。虚しい響きになってしまう。
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掃除機のHenryが届いた。ついでにいろいろグッズも買った。Tシャツも1枚選んで入手。ところが、この荷物が届くまえに、それと同じHenryのTシャツをスバル氏が着ているではないか。柄も色も豊富なのに、完全に同じものだ。バーゲンで1500円だったという。はっきりいって、悔しい。ペアルックになってしまって、恥ずかしいし……。
【理科】 掃除機の仕組み
掃除機がどのような仕組みになっているのか、あまり普通の人は考えないようだ。
風を送る装置としては、扇風機がある。しかし、掃除機の中を見回しても、プロペラのようなものはない。これは、ドライヤでも同様で、いわゆる飛行機や扇風機にあるようなプロペラはない。回転している部分には、放射状に羽がついているが、風は回転軸方向へ出るのではなく、遠心力で周囲へ送り出される。これを集めると吹き出し口になる。逆に、この回転部の中心では気圧が下がって、ここからホースが伸びると吸い込み口になる。液体を送り出すポンプにも同じ機構のものがある。
吸い込むものも、吹き出すものも、仕組みは同じである。流れる量が同じとき、パイプを細くすれば流れるスピードがその部分で速くなる。これは、庭で水を撒くとき、ホースの先を摘んで細くすると、水の勢いが増して、遠くへ飛ばせる理屈と同じ。掃除機も、ホースの先を細くするほど、吸い込む勢いが強くなる。ただ、細くすることで抵抗が増すので、トータルの流量は減少する。一定の太さのホースでも抵抗があるから、ホースが長くなるほど抵抗が増して、流れる量が減少する。
吸い込むだけならば簡単であるが、吸い込んだもののうち、ゴミは内部に留め、空気は排出しなければならない。この分別が、掃除機の最も重要な機能である。通常はフィルタと呼ばれる細かい網目を通す。網目が粗いと、細かいゴミが通り抜けてしまう。一方、網目を細かくすると、抵抗が増して吸引力が落ちる。難しいところだ。
フィルタを用いない方式(サイクロン式など)もある。こちらは、質量の差でゴミと空気を分別する。フィルタがないから、詰まったりしないというメリットがあるが、分別のためにエネルギィが必要になる。
僕は掃除機フリークなので、掃除機にはちょっと煩い方なのだが、最も大切なことはボディのデザインだと考えている。デザインの良い機種は、たいてい性能も良い。これは自動車など、他の工業製品でもほぼ成立する法則である。
2007年08月15日(水曜日)
【HR】 1日3食
朝と夕方の水やりを入念にした。午前中は、妹一家につき合って出かけ、途中で別れた。その後、スバル氏とアピタで買いもの。雨の日の散歩のために、パスカルにレインコートを買ってやることになったが、ビニルはごわごわして可哀相なので、Tシャツのような布のものを購入。毎日着るわけではないので、そのつど洗えば良いだろう。
今日も絶好調の夏空。暑さもそろそろピークで、日が短くなってきたおかげで朝夕が涼しくなっている。
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帰宅して昼寝を1時間ほど。気持ちが良い。「キラレ〜」のゲラに集中していて、50%まで進捗。講談社の「ミステリーの館」に一文書くことになった。ファン倶楽部が9月の講演会やオフ会のために作るグッズのデザインを頼まれていて、これも〆切が今週中だ。明日くらいなんとか時間が取れるか。溜まっていたメールのリプライも片づいて、ほぼ平常に。このほかには、特になにもしていないが、どんどん時間を消費している感じ。妹一家を泊めるために、スバル氏が一部屋を整理したので、今日はそこで仕事をした。涼しいし、非常に快適。
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ガレージで使う掃除機がもう1台欲しかった。東京で、よしもとさんと掃除機のHenryの話をしていて、買う決心をしたのだが、なんと、よしもとさんも同じシリーズのJamesを注文したらしい。帽子の形が違うやつだ。僕もネットで注文しておいた。明日くらいに届くだろう。楽しみ。
今朝は、妹一家と一緒にバイキング形式のような食事だったし、昼は長男S氏がいるからヨコイのスパゲッティを食べたし、夕食もいつもどおり食べたから、非常に珍しく1日3食だ。多すぎる。こういうときは1回分をできるだけ減らして調整する(というか、そもそもあまり食べられない)。幸い、今年は夏バテも夏風邪もなく、調子が良い。夏を乗り切るコツは、日中はクーラの部屋からできるかぎり出ないことである。外に出て作業をするときも、少し汗をかいたら、すぐに躰を休めて、冷やすこと。それから、ジュースじゃなくてお茶を飲むこと、くらいかな。
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涼しくなったら、やりたいことが沢山あって、とても楽しみ。運転をまだしていない機関車が4、5台ある。それだけでも楽しみだ。来週くらいは、母屋の屋根の工事があるし。ガーデニングも秋口に再開したい。新しい場所を見つけて線路も敷きたいし。いくら時間があっても足りない感じである。
【算数】 蚊取り線香
蚊取り線香は真っ直ぐに伸ばしたら、どれくらいの長さがあるだろう?
真っ直ぐに伸ばそうとすると折れてしまうから、実験的な方法では計測は困難だ。燃焼時間から逆算することは可能であるが、これは誤差が大きいだろう。
いろいろな方法がある。たとえば、2つの蚊取り線香が重なっている状態で、ほぼ円形に満たされているわけだから、1つ分の線香は、面積(あるいは体積)の約半分だとわかる。したがって、線香の太さ(上から見たときの蔓の幅)で、円の面積の半分を割ることによって長さが概算できる。
たとえば、円の半径が6cmであれば、円の面積は6×6×π=36πであり、その半分は18πだ。線香の太さが6mmならば、18π÷0.6=30πとなり、長さが約1mであると計算できる。
力学の授業で実際に出した問題がある。「蚊取り線香の中心部が固定されているとき、外側の一番端に糸を結び、円から離れる(中心を通る軸上の)方向へ引っ張ると、蚊取り線香のどの部分で折れるか?」という問題である。こちらは、算数ではなく理科になるが。(メールおよび掲示板書き込み禁止)
2007年08月14日(火曜日)
【HR】 ストレスから生まれるオリジナリティ
夜、少し雨が降ったようだ。でも、朝に水やりをした。パスカルはもの凄く元気。午前中に、横浜から妹G氏一家がやってきて、すぐにまた科学館へ遊びにいってしまう。
お昼に、スバル氏と買いものにダイエーへ。古いCDがより取り4枚で1000円だったので、僕が3枚、スバル氏が1枚選んだ。めちゃくちゃ怪しいCDが多かった。DVDなんかも、新しい映画なのに1000円だった。映画館へ行くよりも安い。こんなことをして大丈夫なのだろうか。でも、ケーブルで見た方がもっと安いから買わなかったけれど。
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なんだか目がちかちかしたので昼寝を1時間。夕方も水やりをした。その他は、メールの処理、細かい仕事の処理。ゲラは「キラレ×キラレ」を20%まで見た。折返しに使う写真を撮影して、ポエムも書いて発送。模型関係はまったく手がつけられない。とにかく、これからどんどんゲラが押し寄せる季節。
お盆といっても、森家はなにもしないので、安気である。妹G氏一家4人が泊まっていくことになった。夕食も一緒に食べた。スバル氏が部屋を片づけて、ベッドなどを出したのだ。凄い。パスカルが驚いていた。
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これまで、いろいろな分野で天才あるいは達人と呼ばれる人たちにお会いしてきたが、ほぼ共通していることに気づいた。それは、「自分よりも上手い人間は沢山いる。とてもかなわない」と口にすることだ。これは謙遜ではなく、正直に感じているところだろう。劣等感とまではいかないまでも、優越感を持つようなところへはまったく到達できない、という気持ちが、なんらかの新しい道を彼らに思いつかせるようだ。自分にしかないものを強く求めるベクトルが、ここで生じる。もし、彼らがその分野で客観的にも主観的にもトップクラスの技術を持っていたら、現れなかった方向性かもしれない。オリジナリティとは、このように、ある種のストレス(あるいは諦め)から吹き出もののように突然生まれるものかもしれない、と感じる。
もう1つ重要なことは、他の才能との差異に敏感であるのに、けっして排除しないことだ。「あれはね、僕が目指すものとは明らかに違う。でも、面白いよね」と彼らは言う。おそらく、こうした広い視野や柔軟な視点を持っていることが、第2の条件だと思う。認めるのではなく、なにものも嫌わない、したがっていつでもどこへでも向かえる、という姿勢だ。
クリエータは基本的に天の邪鬼でなければならない、というのも真理だと思う。人から褒められれば、もう二度とそれをやりたくなくなる。人から貶されれば、何度でも繰り返す。そんな気質がある。
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念のために自分の気持ちを少し書いておくが、創作において自分が人よりも優れていると感じたことはほとんどない。上手な人間が周囲にいつもいて、彼らには絶対にかなわない、と思い続けてきた。ただ、研究は別だ。これは、やればわかるが、世界をリードする位置に立って、初めて一人前の研究者になれた、という気がする。そこにしかアイデンティティがない、ともいえる。
【国語】 とりあえず2
8/6に「とりあえず」について書いた。そのとき、触れなかったことがある。
そもそも、どうしてこの言葉がこんなにまで多くの人に広まったのか。それは、「謙遜」の意味で使われていたからだ。ようするに、自分としては精一杯頑張ってことに当たったのち、それを「とりあえず、やりました」と控えめに口にするのである。そもそもの使用法はこれだったのだろう。「いちおう」においても同様である。謙遜に受け取られるような場面であれば、全然悪くない。どこにその境界があるだろうか、と考えてみた。
目の前にもの凄く立派な作品がある。それを見た人から「凄いですね、これは貴方が作られたのですか?」と尋ねられる。「はい、とりあえず、作ってみただけですが」と答える。このような場合は、謙遜だとわかる。立派な作品が現に存在しているからだ。すなわち、行いが明らかに優れていることがわかっているときには、「とりあえず」や「いちおう」を使っても悪い印象はない。立派さが見えないような場合、あるいはその力がなさそうな人間が使うと、謙遜に受け取られない、ということだろうか。
また、人に依頼する場合も、「とりあえず、なんとかしていただけないでしょうか」と言えば、「応急処置でも良いから、早く処理をしてほしい」という意味だが、これも、控えめにお願いしている場合が多い。つまり、本当はきちんとやってもらいたいのだけれど、そこまで強くは言わないのが礼儀だろう、という判断だ。素直に受け取って、「わかりました、とりあえずの処置をしておきましょう」では、相手はむっとするかもしれない。
2007年08月13日(月曜日)
【HR】 ナビ様のいうとおり
晴天。都内を少しだけ走ってから高速に乗って西へ向かって走る。スバル氏と一緒。
渋滞は最初だけで、その後はするすると走った。カーナビがいろいろ教えてくれるから、本当に気楽に走れる。さきざきの情報がわかるし、指示のままに走れば良いだけだ。次の目標までの距離がリアルタイムで表示されるのも、僕にとっては良い環境だ。数字を見せられると、とりあえず眠くならない。便利になったものである。
サービスエリアが混雑しているだけ。みんな一家で移動しているから、車のわりに人が多いわけだ。途中で五平餅とかオレンジソフトなどを食べた。こういう生活を毎日しているとお腹を壊すだろう。
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3時半に帰宅。荷物をガレージの前で下ろした。それから庭に水やりをした。パスカルが大喜びした。可愛い。
またゲラが届いていた。「φは壊れたね」文庫版の初校ゲラだ。今週は「MLA7」の2校も来る。「クレィドゥ〜」ノベルス版のゲラも来る。2カ月分くらいは充分にある。何を見て、何をまだ見ていなかったのか、わからなくなるほどある。この頃、他人の本を読む暇はまったくない。
長男S氏が来ているので、夜は3人で焼き肉を食べた。
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コンベンションでいただいた名刺やメッセージはまだ全部見る時間がない。メールは600通くらいリプライしなくてはいけないものが溜まってしまった。仕事に関係があるものから、処理をしている。ゲラも莫大な量あるし、イラストも依頼されているし、写真も依頼されているし、ポエムも書かないといけないし、各方面にとりあえず頭を下げておきます。
今日もコンベンションの写真をご紹介。いずれも井上氏の旧作。何十年もまえに作られたライブスチームの機関車たち。実物が拝見できただけでも幸せだった。
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コンベンションの期間中に、作家ではよしもと氏、映画監督の樋口氏、アニメ監督の佐藤氏とお会いしたのだが、そこで感じたのは、コンベンションのブースで個人展示をしているモデラとの共通点である。話をするとひしひしと感じることがある。そこがとてもよく似ている。やはり、クリエータというのか、自分でなにかを生み出そう、それを人に見せよう、という人はどこかしら、普通の人とは違う波長を持っているように思える。強い弱いはあるし、波長だけでなく、波形の違いも大いにあるのだけれど、発していることでは共通している。大多数の人たちが、受信したがっていることと対比される特徴といえる。言葉が多い、口数が多いという意味ではない。むしろその逆だ。
面白いのは、発信者どうし、受信者どうしが、気が合って、グループになりやすい、ということだろうか。
【社会】 引き籠もり力
8/8に【HR】で少し書いた。「引き籠もり」という言葉が、マスコミの過剰な報道によってマイナスのイメージになった。これは明らかな間違いである。多くの才能は、引き籠もりによって仕事を成す。引き籠もらない才能の方が少ない。社会を引っ張っていくのも、また、社会を豊かにする発想も、すべて引き籠もって生まれたものだ。この場合、引き籠もり、というのは、他人に邪魔をされない自分の時間に集中することである。それができない人間は、多くの場合、仕事ができない人間だと思ってまずまちがいない。
外見上、人間が引き籠もっている部分は、見えない。つまり、外側からは観察できない。観察できるのは、出てきたときの様子だけである。だから、仕事をなした人間、あるいは才能に触れるとき、どうしても、外に向かってアピールしている場面ばかりを目にすることになる。その印象で、ついその人物の仕事を評価してしまう傾向があるだけだ。たとえるならば、論文を学会で発表している研究者、新刊を上梓しファンにサインをする作家、テレビのインタビューに登場する有名人、などなど、そんな場面だけが目に見える。けれども、その人物をその立場に立たせたのは、見えないところに籠もって彼らが励んでいた行為によるものだ。発表だけする才能というのはありえない。
これは企業や国家にもいえる。日本の企業は、昔のようにもっと引き籠もって研究開発に力を注ぐべきではないか、と最近感じる。また、そういった努力の集合として、国家の力が現れるだろう。
2007年08月12日(日曜日)
【HR】 コンベンション3日め
昨夜はBS2で押井氏の「アヴァロン」を見ていたので、少し寝不足。ゆりかもめに乗って9時半過ぎにビッグサイトに到着した。コンベンションの最終日である。
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今日も盛況で、一日恙無く展示が終わった。集英社のW邉氏がお昼頃遊びにきてくれた。2時半頃、エフエム東京のK西氏と初めてお会いした。これは、来年からのエッセィ連載の打合せ。その後、横浜の妹G氏一家も遊びに来た。車で来たらしい。スバル氏は12時頃電話をしたとき、既に東京にいて、長女M氏と恵比寿で食事中だった。ビッグサイトには4時頃いらっしゃった。ブース付近には、スバル氏を一目見たい、というファンが数名集まった。
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5時には車に荷物を積み込む。スタッフが大勢いるので、あっという間だった。スバル氏を乗せて新橋付近の駐車場へ移動。ほんのちょっと渋滞していただけ。一昨日とほぼ同じ、博品館の交差点へ向かい、とあるレストランで、手伝ってくれたスタッフの皆さんと打上げの食事会。
コンベンションの来年の企画などを話し合った。どうしたものかな。3年も連続で参加したので、来年はお休みにしようと思っていた。見にいくだけ、という方が気楽だし。このあたりはもう少し考えよう。
これで、今年の夏の大イベントが終了した。昨年は、機関車のコントローラが焼けるなどのトラブルがあったけれど、今年はこれといって大きなトラブルもなく(広報部長N倉氏が持ってきた人形のゾウが1匹行方不明らしいが)、少し慣れてきた感じだった。もし来年も参加するならば、なんらかの新企画が必要だろう。
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さて、次は9月の日工大。楽しみである。こちらは、参加者のうち2/3はファン倶楽部会員で、残りは非常に濃厚なモデラ諸氏という、コンベンションのバランスとは正反対の混合ではあるけれど、極めてアンバランスなことにはちがいなく、講演はやりにくい。
コンベンションに見にきて下さった方から多数メールが届いていた。リプライは少し遅れますが、感謝。
仕事の方は明後日からになる。コンベンションの間にも、ブースまで届いたゲラがあるし、溜まっている仕事が多数。ゲラはたしか、本4冊分を現在抱えているはず。執筆は短編1作。これくらいが8月のノルマか。ただ、大きなものはない。8月から9月前半までは比較的のんびりできるのではないだろうか。
今日の写真も、コンベンションの展示品(すべて他ブース)で、僕が好きなジャンルのもの。1枚めは、たらいの中でぐるぐる回る風景のレイアウト。2枚めは、ボール紙で作ったGゲージサイズの蒸気機関車。3枚めは、ナローゲージの可愛らしい車両(ガソリンエンジンカー)とレイアウト。
【理科】 火薬と爆薬
花火を見ながら、映画監督樋口氏とおしゃべりをしていたとき、「映画では爆弾が使えない。使えるのは花火だけです」とおっしゃっていた。たしかに、映画に登場する爆発シーン(西部警察なんかを連想するけれど)は、火炎が上がりすぎる。爆発はもっと燃焼が速いし、あっという間になにも見えなくなってしまうだろう。
火薬と爆薬は、爆発の速度が違う。たしか、音速よりも速いものが爆薬だ、と聞いたことがある。ガソリンに火をつけるのは、単なる燃焼であって爆発ではない。火薬は主に、銃や大砲など、ものを押し出す力を得るために用いられるし、爆薬はもっと瞬発的で、ダイナマイトのようにものを破壊する目的で利用される。ちなみに、このダイナマイトは19世紀にノーベルが発明した(ノーベル賞は、彼の設立した基金によるもの)。
花火に火をつけた状態で、たとえば水の中に入れて空気を遮断しても、火は燃え続ける。子供の頃にロケッティという科学玩具があったが、これも火をつけると水の中でも推進した。これらは、自己反応性と呼ばれるもので、酸素の供給を必要としない。だから、火薬、爆薬に引火した場合、普通の消火器(酸素を遮断する方式)では消すことができない(というか、引火したらもう一瞬で終わってしまうが)。
2007年08月11日(土曜日)
【HR】 コンベンション2日め
朝は7時半頃起床。ゆりかもめに乗って、有明のビッグサイトに9時半に到着。今日も暑くなりそう。それでも、東京はやっぱり名古屋よりは涼しい。
コンベンションのブースには、もうスタッフのみんなが集合していて、今日は2日め。お隣のブースの井上氏の機関車を幾つかお借りして、壁際にあったテーブルの上で写真を撮らせてもらっていたら、知らないうちに開場になって、お客さんが来ていた。
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土曜日だから昨日よりもさらに人出が多い。一昨年も同じ会場だったが、そのときに比べるとクーラが効いている。でも、外からいらっしゃる人がみんな「暑い暑い」と口にしていた。今年の来場者は、子供連れが少々減って、年配者が増えた印象である。熱心に質問をする人も多くなった。産経新聞を読まれた方もいたし、「悠悠おもちゃライフ」の影響も確認できた。「ミニチュア庭園鉄道」3冊を持っている方に、特製のパスカル・ピンバッジをプレゼントしていたが、これは、昨日は30人、今日は15人くらいだった。僕が予想していた数字よりはやや多い。小説の読者の方、ファン倶楽部の会員も沢山いらっしゃって、名刺交換会よりも10倍はゆっくりお話ができた。鉄道や模型に興味がなくても、遠くからわざわざ来た人も多数。講演会やトークショーや名刺交換会の抽選倍率や混雑ぶりに比べると、雲泥の差でゆったりできるのに、実に不思議。先月、この同じ会場でブックフェアのトークショーがあったが、あれと比較してしまう。それから、ご丁寧にも沢山の差し入れをいただいた。大感謝。
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今日の写真は、1枚めが、お隣の星野氏ブースに展示されていた古いライブスチームのおもちゃ。2枚めは、井上氏の古い作品で、シリンダをサイドで縦型に配置する機関車(シェイ)。3枚めは、レストランのテーブルに映ったグラス。
お昼頃、文藝春秋のI井氏がゲラを取りにきてくれた。これで、今回東京で手渡すゲラが全部終わってほっとした。2時からは、エモーションのT梨氏とアニメ監督の佐藤順一氏がブースへいらっしゃって、展示パネルの裏で1時間ほどお話ができた。その途中に、突然よしもとばなな氏が現れ、たちまちまた姿を消された。あとで、聞いたところによると、トーマスに3回乗ってから、かき氷を食べてきた、とか。彼女に、お隣ブースの機関車について説明ができて良かった。
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夕方、講談社のK城氏、M澤氏、O村氏が来場。ヴァンサンカン3人衆みたいで目立った。特に、M澤氏はチャイナドレスである。その場にいた鉄道関係者からは、「コスプレだ」と認識されたはず。せいぜい、花火大会に合わせたファッションか、と好意的に取られたくらいか。しかし、のちにそうではないことが判明。ホテルがオリエンタルな雰囲気のところだったので、それにコーディネートしていたのだった。こういう点がマイナである。そのホテルのレストランで、映画監督の樋口真嗣氏と合流して、おしゃべりと夕食。樋口氏には、文庫の「四季」(限定版と普及版の両方)のカバーデザインをしていただいていたが、もうすぐ出るGシリーズの文庫のカバーデザインもトータルでお願いしている。料理は美味しかった。話も面白かった。花火も見えたけれど、レストランの方が倍くらい高いので、見下ろす感じだった。樋口氏から、デジカメで夜景を撮るテクニックを伝授。まだ試していないがそのうち……。
【算数】 数式のビジュアルイメージ
デザインの中に数式を使いたい、という希望が過去幾度かデザイナから寄せられたことがある。たとえば、こんな式を使いたいという要望、あるいは、使えそうな適当な式はありませんかという問合わせだ。森博嗣の本のデザインをするとき、理系のイメージとして、モチーフに数式を使いたい、との希望である。しかし、残念ながら実現していない。これはどうしてか。
つまり、式を扱う人間から見ると、式は記号であり、言葉なのである。デザインに使える適当な文章を考えてほしい、なにかタイトルに合う文章はないか、というような依頼と同じなのだ。たとえば、外国人が日本の漢字をデザインに使ったりするが、我々から見ると、それは文字なので読めてしまうから、どうしてもグラフィックスとして見ることができない。英語を読めない人には、Tシャツに英語の文章が書いてあっても、それはただのファッションの意味になるけれど、英語がネイティブの人が見ると、それは読みものなので、笑えてしまうかもしれない。同様に、式が読めない人には、それがモチーフとして使えるマークでしかないけれど、読める人間からすれば、どうしてこんな無関係な式が書いてあるのか、この式は違っているではないか、全然意味をなさない式が何故ここにあるのか、間違っているではないか、という感覚がさきに立ち上がるため、ファッションや模様として認識が遅れる、という逆効果しかない。
Tシャツの胸のところに、「1+1=2」と書かれていたら、格好良いだろう。それは、哲学的だし、その人のポリシィとしても、なかなか深いものが感じられるかもしれない。しかし、Tシャツに三角関数の公式や因数分解の公式が書いてあったら、「こいつは馬鹿か」と理系の人間が見れば受け取る可能性が高い。オイラーの公式が書いてあっても、ちょっと首を捻る。「意味がわかっているのか?」と疑われるだけだ。フェルマーの定理くらいなら、まあ流行のファッション程度には受け取られるかもしれないけれど。
2007年08月10日(金曜日)
【HR】 コンベンション1日め
ゆりかもめに乗って有明のビッグサイトへ。JAM国際鉄道模型コンベンションの1日め。9時半にブースに入った。隣の井上氏と星野氏のブースに、もの凄い模型が並んでいるので、しばしそちらに見とれているうちに、欠伸軽便のスタッフ(実はファン倶楽部のスタッフの方々)も集合して、準備を始める。まあ、いつものとおりの展示である。東京へ大きな機関車を持ち込んだのは今回が初めて。あとは、庭園鉄道のビデオが3年分、20分ずつ3巻あるので、それの上映。
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今回、「ミニチュア庭園鉄道」シリーズ全3冊を持ってきた人(株主)に、記念グッズを配布することになっていた(詳しくは機関車製作部参照)。いつも機関車製作部を見ている人は少数だから、そんなに多くないだろう、と考えていたが、そのとおりだった(笑)。
展示は、今回は動かないものが多いので、調整の必要もなく、気楽だった。始まってから、すぐに沢山の来場者があって、盛況だったと思う。僕は、ときどき方々の展示を見て回った。昨年の大阪に比べると来場者がとても多い。出展も多い気がする。
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大勢の人たちと話をしたので、少し喉が嗄れてしまった。日頃ほとんど話をしないためである。モデラやメーカの人ともいろいろ情報交換ができた。メーカのブースで2つほど買いものをした。
今日の3枚の写真は、最初がお隣の井上氏のもの凄い旧作のロケット号。2枚めが、外で乗せてもらった7.5インチゲージのでっかいライブスチーム。3枚めが、僕が子供の頃に読んだ本に載っていた名作レイアウトをレストアした展示。
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6時に無事に終了して、井上氏、星野氏、平岡氏、諸星氏ほか、スペシャルオープンディのときのモデラ8人、それに中公のN倉氏とともに、ゆりかもめで新橋へ移動。しかし、途中で故障で止まってしまい、汐留から歩いた。食事は、博品館の向かいの天国(てんくに)。天麩羅を食べながら、とても楽しい話ばかりで、あっという間に終わってしまった。
コンベンションに参加するのは、今年が4回め。出展するのは3回めだ。重い荷物を持っていき、ブースに自分の模型を並べ、ただ3日間友達とおしゃべりをする、というイベントであって、これが何の役に立つのか、といった不可思議な行動ではあるのだけれど、最も大きな効果は、やはり素晴らしい模型、そして、素晴らしい創作魂に接して、やる気がわくことである。
帰ったら、ちょうどNHKのBS2で押井監督が「スカイ・クロラ」について語る番組をやっていた。
【国語】 はにかみ
「はにかむ」と聞けば、理系の場合は即座に六角形を連想するだろう。それを連想しつつも、相手の顔を真っ直ぐに見つめることができないから、床を見るしかなく、神経は相手に集中しているものの、それ以上に、自分が相手から見られているという意識が上回って、自分の表情の方が気になり、もっと簡単にいえば、「恥ずかしい」に似ているようで、似ていないようで、なんとか表面だけを繕いたい、すなわち、相手にできるだけ自分を良く見てもらいたい、という気持ちが強く、その意味では、単に「恥ずかしい」という感情とは一線を画しているような、なんとももじもじした、少し困っているみたいな、それとも、感覚が多少麻痺しつつあるような、そういう状態を「はにかむ」というのだと思ったりして、思わなかったりして……。
にこにこ笑いながら、相手の質問に答えるような状況を「はにかんでいる」とは言わないと思う。それは、「照れ笑い」ではないだろうか。しかし、辞書によると、「はにかむ」とは、もともと「歯をむき出しにする」という意味らしい。それだと、笑っているイメージがあるのだろうか。でも、明朗な笑顔ではない。ちらちらと耳にする「ハニカミ王子」なる人は、下を向いたまま、顔を赤らめ、言葉も発せられない王子のこと、と僕は思うのだが、違うだろうな、きっと、でも、どっちでもいいや、べつに……、関係ないし……。
2007年08月09日(木曜日)
【HR】 高速と解説
朝8時半に出発した。快晴。スバル氏と2人。パスカルは留守番だが、長男S氏と長女M氏も一緒なので大丈夫だろう。本当のところ、パスカルを連れていきたいのだが、長いドライブに慣れていないので、しかたがない。このまえ、200kmくらい走ったらお腹を壊したので、今回は距離もその倍だし、断念した。
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高速道路は、名古屋近辺と首都高で10kmくらいの渋滞があっただけで、案外あっさりと予定どおりに到着した。ずっと天気が良く、富士山も見えた。サービスエリアにはコンビニができて、なかなか便利になってはいるが、古いレストランや土産物売り場が対照的である。高速道路を走っていてこの頃感じることは、もの凄く飛ばして危険な運転をしている人がいなくなったこと、坂道で遅くなって迷惑をかける貨物車両がいなくなったこと、黒煙を吹き上げる車もいなくなったこと、など。そうそう、渋滞しても排気ガスの臭いが以前のように立ち込めないことも。
ビッグサイトに到着したら、友人2人、それから中公のN倉氏、N輪氏が待っていてくれて、荷物を会場内に運び込み、たちまち展示の準備が整った。スバル氏はここで新幹線で名古屋へとんぼ返り。
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そういえば、昨日、幻冬舎のS儀氏から電話がかかってきて、今、ビッグサイトで待っているんですが、と言う。約束の日に2日も早い間違いだった。このように、日にちを間違えて待ち合わせをしてしまう、ということが過去に10回くらいあっただろうか。普通は1日間違えて、というのが多いのだが、2日間違えて、というのは初めてだった(1週間間違えて、というのはあったが)。
それで、S儀氏と連絡を取って、会うことにした。中華を食べながら、2時間ほど打ち合わせ。ゲラは「星星峡」の連載と「水柿逡巡」文庫版を手渡すことができた。この「水柿逡巡」はよしもとばなな氏に解説をお願いし、それも今夜読ませてもらった。感謝。
僕はそもそも小説家に解説を書いてもらう、という機会が非常に少ない。これまでに6,7人しかいないと思う(書評家はもっと少ない)。しかも2回も解説を書いていただいた小説家は、彼女が初めてである。また、よしもとばなな氏は解説を書かない作家だし、2回も同じ人に書いたことはないそうだ。
【社会】 東京の方角
名古屋から東京へ向かうときは、普通は東海道である。東海道新幹線でも東名高速道路でも、だいたい東海道に沿っている。だから、愛知県の名古屋から出発すると、まず電車は南下する。南東を向き、だんだん東へ向かっていく。だから、東京というのは東にある、という意識がある。大阪へ行くときは逆に、最初北上する。そして北西へ向く。関ヶ原を抜けて、南西へ下る。
東京へ向かう道はもう1本ある。それは中山道である。これは山の中へ入っていく道で、長野を通る。鉄道ならば中央線、道路ならば中央自動車道である。この場合、名古屋にいる人間の意識からすると、東の東京へ向かうのに、わざわざ北へ大回りをしているイメージがつきまとう。大阪へ向かうときも、関西線や国道1号線が通る路線があって、幾つか別のルートがあるが、どうしても新幹線や名神高速道路の道筋が本道にイメージされてしまう。
日本地図を眺めてみると、東名高速道路も中央自動車道も、名古屋東京間の道のりはほとんど同じだ。ナビでも確かめてみたが、距離はほぼ同じだった。ただ、現在では、中央線はまったく便利ではない。道路は、もしかしたら同じくらい便利かもしれないが、中央自動車道経由はあまり利用されない。
東京は、名古屋から見ると、北東にある