2007年07月13日(金曜日)
【HR】 冷蔵庫と絶対評価
今日も一日雨。でも、ほとんど小降りで傘がいらないくらい。火曜日からずっとハードな仕事をしているので、朝起きると、疲れていることがわかる。あと数日だから頑張ろう。
今日も朝からすぐに小説の仕事。「キラレ〜」の手直しを5時間。完成度は70%まで。あと2日か。「ゾラ〜」は昨夜予定どおり60%まで見た。こちらも、あと2日の予定。来週、集英社のW邉氏が取りにきてくれるから、それが〆切。急ピッチに進んでいる。「ゾラ〜」の方はオビや装丁のチェックなども連日メールで行っている。
先日のブックフェアで本を買って、森博嗣の名刺と交換で、自分の名刺を置いていかれた方が多かった。この名刺が今日、中公から届いたので、そこに書かれているメッセージなども読んだ。感謝。手紙を置いていかれた方も数人。いずれにしても、手紙の返信はしないので、連絡が必要な場合はメールで。
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新聞社の人と記事掲載のことでメールのやり取りをしているが、やはり新聞では、「ホームセンタ」といった表記はしないわけだから、僕が書いたエッセィに対して、このままで良いのか、ときかれた。では、新聞では「スリッパー」と書いているのか、と尋ねると、これは「スリッパ」だそうだ。「多くの日本人の発音に近い表記にしている」とのことだった。しかし、僕には、多くの日本人が「ホームセンタ」と発音しているように聞こえるし、英語でもその発音の方が近いと感じる。
それから、新聞に掲載される僕の略歴で、生まれやデビューが昭和や平成に直されていた。どうしてわざわざわかりにくい表記をするのか。西暦にすれば計算がすぐできるのに。縦書きを頑なに守っていることといい、やはり大衆(特に若い世代)を捉えてない、これでは新聞離れが広がる、という気がした。
先週スバル氏が買った冷蔵庫が来た。代わりに23年働きつづけていた古い冷蔵庫は運び出された。大きいからドアのところを通らず、取っ手などを分解し、ぎりぎりなんとか外へ出した。突然の解雇でびっくりしただろう。もう二度と会うことはない。去っていくものの方を写真に撮るべきだと思った。
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「評価」というのは、つまり「相対評価」のことである、というのが、仕事では常識だった。必ず、他と比べなければならない。比べなければ意味がないし、それこそが社会的な価値である、というふうに認識されている。ある人物が、ある組織が、ある商品が、どれくらい優れているのか、それは評価値によって他者と並べてみなければ判明しない。
これは確かにそのとおりだと思う。しかし、絶対的な評価ができるものもある。それは自分だ。自分で自分のことを評価するとき、自分と他人を比べる必要はない。もちろん、比べることはできるけれど、しかし、それは既に観測点の条件が違うため、そもそも客観的な相対評価が難しい。
このまえ、読書は宝石を拾うことだ、という譬え話を書いたが、他人が拾った宝石が自分にも宝石なのか、と気にすることは、自分を相対評価しようとしている行為だと僕には見える。
ただ、絶対評価をするためには、自分を見つめる沢山の視点を自分の中に持つ必要がある。世の中の人の多くは、案外自分に関心がなくて、他人との比較ばかりしているみたいに僕には見える。もっと自分に関心を持てば、自然に絶対的な評価眼が生まれるように思うのだが。