2007年06月30日(土曜日)
【HR】 指導的ハードル
昨夜も遅くまでずっと工作室に籠もっていたが、今朝も7時から工作開始。一応仮組みをして外に持ち出し、昨日完成した基礎に据え付けてみる。ターンテーブルである。だいたいの形にはなった。微調整や塗装などの作業がまだまだ残っているが、もうここまでくれば問題は少ない。詳しくは、欠伸軽便鉄道の掲示板に。
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スバル氏が出かけていったので、ガレージに籠もっていても荷物や郵便が届くごとに出ていかなければならない。そのたびに距離にして100m以上走る。自分の時間が他人に支配されるのは面倒なことである、とうんざりするものの、社会とはこういうものか。ゲートのところに宅配受取用ロッカを据え付けようかな。
工作の合間に小説も書いた。短編は4000文字書いて完成度70%に。明日で完成させれば順調。新聞のエッセィ4回分の配分を考えた。来週は、連載「銀河不動産」か、水柿君か、「キラレ×キラレ」手直しか、どれからにするか、順番が悩みどころだ。前者2つは〆切は20日頃だから、手直しがさきかな。手直しはできるだけ時間を置きたいのだが。来週末はトークショーだし。変だなあ、仕事を減らしているはずなのに、相変わらずの過密さ。
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世の中には、指導的ハードルが多数散りばめられている。どういうものかというと、「いうとおりにすれば、これだけ得だよ」というシステムのこと。企業がユーザ相手に仕組むものもあるし、親が子供に提示するものもある。僕の観察では、歳を取るほど、この指導的ハードルを避けて(つまり従って)得を選ぶようになる。若者ほど、損を覚悟でハードルを跳び越える。
だいぶまえになるが、長男S氏が初めて自分の車を買った。僕は、自分が好きな(乗りたい)車があったから、「これだったら半額出してあげるけど」と指導的ハードルを設けたが、彼はそれを跳び越えて、自分の好きな車を買ってしまった。若者とはそういうものだな、と思った。
うちは、家族4人で携帯電話にグループで加入している。4人なのに合計1万円を超えたことがない、という使用頻度である。全部まとめてスバル氏が払っているので、もう社会人になった子供たちはその恩恵にあずかっているわけだが、今日、長男S氏は他社の携帯電話がどうしても欲しいから、グループから脱会して、自分で新契約をしてきた。理由をきいたら、特に新しい機能があったからではなく、単に「格好良いから」だそうだ。スバル氏と「おお、若者は太っ腹やなあ」と感心した。
この店で買うとポイントが溜まるとか、親と一緒に住めば家が建てられるとか、ハードルの高さは様々なので、跳びたくても、ちょっとこれは跳び越えられない、というものもあるだろう。
ちなみに、僕はあらゆるポイント制や会員制をすべて無視。一切加入しない。ガソリンだって、全部その場で現金で払っている。割引セールがあるときは店に行かない。他人の支配を感じるのが嫌だ。損をしている感覚はない。これが普通だ。品物を安く買うことよりも、常に自分の意思で行動し、時間を有効に利用することの方が、無駄のない節約生活だと考えている。
【理科】 宇宙開発
人類が地球以外で立ったことがある星は、月だけである。これはアポロ11号で、もう40年近くまえのことだ。あまりにも昔なので、ときどきすべてが嘘だった、という文章を見かける。有名な映画がそれだった(ネタバレなので書かないが)。しかし、そんな国家的な嘘をつき、大勢の人間の口を封じる方が、月へ人間を送ることよりも危険だし、膨大な予算が必要だろう。まあ、エンジニアリングというものを知らない人が言っている戯言である。
さて、その後、人類はどこへも行っていない。次に近いのは火星だが、火星の石一つでも持って帰ってきた宇宙船は、無人のものでさえ存在しない。月は、いつも地球の近くにあるし、1週間くらいで行って帰ってこられる距離だが、火星までの飛行距離は最高に近づいたときでも、月の何百倍もあるし、なにかのトラブルで時期を逸すると、どんどん遠くなって、たちまち帰還が絶望的になる。行くだけならば簡単だが、帰ってくるとなると、向こうでも打ち上げをするわけで、そんな大量の燃料をどうするのか、という点が大問題である(一番有望なのは、火星の資源で燃料を作ることだが)。時間も長くなるから、その間に人体が受ける宇宙線の影響も心配される。危険は格段に多い。
かかる費用に比べて得られるものが少ない、ということで、宇宙開発は当初の予定よりもどんどん縮小あるいは延期されているように見える。僕が子供の頃の予定では、今頃、宇宙ステーションや月面基地はできていたはずなのに。
2007年06月29日(金曜日)
【HR】 個人から生まれるもの
雨が降るかと思われたけれど、午前中はまったく降らず。今日も左官屋さんと庭師さんが来た。作業はお昼頃にすべて終了。ガレージの東側の通路の舗装と、玄関横に庭園鉄道のターンテーブルの基礎が完成。土曜日までかかるか、という予測だったが、順調に進んで1日早く終わった。めでたし。もう1つ工事があって、これは2週間くらいあとになる見込み。
今日も工作室で鋼材に穴をあけ、その穴にネジを切ったりした。工作室で今日はエアコンをつけた。今年初めてだ。
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古い工作記事を読むと、今のようにパーツや素材が簡単に入手できない時代に、よくもこんな素晴らしい作品ができたものだ、と感心することが多い。だが、なによりも想像を絶するのは、工具である。今のように高精度で高耐久のものがまだなかったはずだし、入手も困難だっただろう。たとえば、ドリルの刃、ノコギリの刃、といった今では当たり前のものが、である。電動ツールなんかも、一般にはほとんど普及していなかったわけだから、すべて手動だ。そういうことを考えると、ますます凄いなと思う。
建物などは、重機がなくても、その分大勢の人出が使えたわけだから、そんなにびっくりしない。労力と時間さえかければ、これくらいのものは作れただろう、と古代遺跡を見ても感じる(ピラミッドとかも)。ようするに富と権力の凄まじさが見えるだけである。それよりは、一人の人間が作った工芸品の方が、その才能というか、技と精神力というのか、ずっと凄いと感じる。
人間というのは、大勢で力を合わせればたいていのことができる。チームワークを強調して、力を合わせることの美徳を説くものが実に多いけれど、たった一人の人間からこのすべてが生まれたのか、という感動の方が、身近で素直なもののように思う。たぶん、子供や若者が感動するのは、そういったものだろう。年齢を重ねるほど、力を合わせることの難しさもわかってくる、という図式ではないか。
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昨日の取材の記事に必要な写真を、スバル氏に撮ってもらった。どうして自分で撮らないのかというと、自分が写らなければならないからである。
オークションでまた洋書を落札できた。これが届いたので、読むのが楽しみ。こういうものが買えるようになったのも、ネットのおかげだ。
昼過ぎに、スバル氏とスーパへ出かけ、食料品を買ってきた。この頃、お茶や水を買うことが多いのだが、ジュースなどよりも値段が高い。低カロリィの方が高いのだ、飲みものは。行くまえは、「IY(スーパ名)は、おまんじゅうが充実しているから困る」とおっしゃっていたスバル氏だが、当のコーナへ行き着くと、「1個入りが売っていた!」とすかさず籠に入れていた。
短編は3000文字書いた。完成度30%。7月刊の「ZOKUDAM」のカバーデザインを確認。
夕方から予報どおり雨になった。といっても、ざっと降っただけ。ちょうどコンクリートやモルタルが濡れるから好都合である。水やりもしなくて良いし。
【社会】 ロンドンの駅
ロンドンに行ったことがある人は、ご存じだと思う。ロンドンには「ロンドン駅」がない。
イギリスは鉄道発祥の国で、19世紀に沢山の私鉄が発達した。どの私鉄も、競ってロンドンと地方の都市を結んだ。そして、それらの駅はロンドンの周囲に別々に存在する。これらを現在は地下鉄が結んでいる。私鉄なので、予算や政治力がないため、ロンドンの一番の中心地までは入ってこられなかった。また、自分の路線のためだけに駅を作るので、他社は乗り入れない、こうしてばらばらに駅が存在することになった。
ほんの少し想像すると、東京もそれらしく見えなくもない。東京駅で直接乗り換えられる私鉄は少ない。私鉄の駅は街の周囲にあって、山手線や地下鉄で結ばれている。日本の場合は、国鉄が最初から力を持っていたことも大きな違いである。鉄道は国策として計画する方が効率的だ、ということも、鉄道が発展していく過程で(特に戦争があったから)わかってきたことである。
イギリスの駅の特徴は、改札口がないことだ(地下鉄は例外)。誰でも自由にプラットホームまで入っていける。切符は車内で車掌がチェックをする。
日本にいると、鉄道はほとんど「電車」である。しかし、これは日本の特徴で、外国では電車は少ない。電気機関車が引っ張る客車の方がずっと多い。これは「電車」ではなく「列車」である。普通の人はまったく区別せずに「電車」という言葉を使うけれど、「生コン車」のことを「ミキサ車」というのと同じく、間違いです。
2007年06月28日(木曜日)
【HR】 インタヴューと悪事千里
どんどんどんと曇っている。昨日よりは日差しがない分、少し涼しい。
朝から左官屋さんが来て、工事の続き。庭師さんも来た。やっぱりプロの仕事は見ていて大変勉強になる。こんな順番で作るのか、といったような部分がだ。職人さんの作業を見ていると、考え込んでいる時間というのがまったくない。どんどん進んでいく。素直に凄いと感心。
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お昼頃、読売新聞社の人が来て、インタビューを受けた。「スカイ・クロラ」シリーズのことが中心。数年まえに「四季」のときに取材に来たN田氏だった。1時間ほど話をする。シリーズ5冊が出揃ったこと、それから映画化のこと、などが話題。どんな記事になるのかはわからないが、日曜版だそうだ。いつの日曜かは未定。
中央公論新社のN輪氏、M松氏、N倉氏も来宅。7/8のトークショーのことと、8月のJAMコンベンション(機関車製作部参照)のこと、それから今後の出版予定などで打合せをした。「スカイ・クロラ」は文庫版も重版が決まったそうだ。でも、ノベルス版が最も品切れになっているように(読者のメールなどから)僕は観察している。もちろん品薄状態になっていることは把握しているようなので、まもなく改善されるだろう。少々読みが甘かった、というのは確かだが。
午後には、ターンテーブルの土台はほとんど出来上がってしまった。工事は、ガレージの東側へ移ったが、こちらも昨日のうちにコンクリート打ちは終わっていて、今日は、線路を載せるためのレンガ橋脚を作る作業。午後は、雨が降りそうなくらい怪しい天気だったが、おかげで屋外の作業には適していた。
パスカルは、外が暑いので、冷房の効いた室内にずっといる。このため、逆に元気になっていて、遊んでくれ遊んでくれと煩いくらいだ。
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「悪事千里を走る」という言葉があるけれど、インターネットを観察していると、これがよくわかる。悪いニュースの方が早く伝わるのだ。どうしてそうなるのか、と考えてみたが、結局は、悪く伝えたい人間の方が、ニュースをよく見ている、口の悪い人間の方が世情に詳しい、ということだと思われる。人の悪口を言わない人間は、のんびりとしているためか、周囲のことに注意を払っていない。この差が現れるのだろう。
批判的な人が悪い、という意味ではない。批判的な目というのは、社会には必要なものだ。ある意味で、情報通であるからこそ批判的にもなるのだろうし、批判的だからこそ関心が増すこともある。
短編のタイトルを決めた。明日から書けそうだ。「キラレ×キラレ」を書き上げたあと、編集部へ送るのを忘れていた。4日遅れの日記を読んだ担当のK城氏から「そろそろでしょうか?」とのメールが来て、慌てて送った。もちろん、まだ手直しが必要だけれど……。
【算数】 ルート
平方根(ルート)は、小学校のときに教えてもらった。授業で出てきたのではなく、自分が考えた問題がどうしても解けないので、学校の先生に質問にいったら、「これを使わないと解けないよ」と教えてくれた。「中学で教えてもらえるからね」と最初は言われたが、「今教えてほしい」と粘ったところ、なんとか説明してもらえた、という記憶がある。
割り算の筆算に似た形の記号も魅力的だったし、その実際の計算方法も凄い(今は習わないらしい)。これを知ったことで、かなり沢山の問題を解くことができる。特に、ピタゴラスの定理を使う計算で需要が高く、つまり、距離や高さを求めるような図学や幾何学に利用され、これを知っているかいないかで、問題解決能力の差が著しい。ちょっとした日曜大工でも、ルートは必要だ。たとえば、立方根などはほとんど利用する機会がなく、知らなくても日常に支障がない、というのと好対照である。
ところで、「ルート66」といえば、アメリカンな文化の象徴のようなもの。音楽、ドラマ、映画、小説などによく登場するタームである。僕のガレージにあるネオンの時計も、この「ルート66」のデザインである。しかし、これを聞くたびに、「8.1くらい」と連想してしまう理系の人は多いことと思う。
2007年06月27日(水曜日)
【HR】 工事×工作
今日は工事があるので、6時に目が覚めた。それくらい楽しみなのかな、自分、と思う。
燃えないゴミをまず出した。スプレィ缶の捨て方がわかったので、10缶ほど捨てた。大変気持ちが良いことである(感嘆)。
30度を超える暑い日になったので、母屋はクーラをつけ、パスカルは涼しい場所で昼寝をしていた。僕はガレージで工作をしていたが、まだ工作室ではクーラの必要はない。少し汗ばむ程度。けれど、これくらいの方がむしろ体調が良い。
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午前中に、庭師さんと左官屋さんが来て、玄関の横に穴を掘った。ターンテーブルの基礎を作る工事だ。同時に、ガレージの東側にコンクリートを打って、ここの抜け道を整備する工事も始まった。石畳やパーゴラや池を作ってくれたいつもの左官屋さんで、パスカルは大喜び。「あれ、まえの犬と違うね」なんて言われたが、色の違いにようやく気づかれた模様。パスカルは、暑いから外には長くいられない。人間の方が過酷な環境で働けるものである。
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ガレージでは、昨日切った鋼材に穴をあけて、ボルトで組み立てる工作をした。穴はドリル(ボール盤)であけるわけだが、その位置を決めるのが主な作業になる。重い材料を取り回すから、けっこう良い運動になる。
途中で疲れて30分ほど昼寝をした。お昼からは、掘った穴の周囲にレンガを並べて、モルタルで固定する工事に入った。外は暑い。特に、ガレージの西側なので、午後は日が当たる。
スバル氏は、お母さんの誕生日なので電話をしたところ、「平日は電話代がもったいない」と怒られた、とぼやいていた。このまえのつづきである。
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「ZOKUDAM」のカバーとオビの案を確認した。「悠悠おもちゃライフ」は2校が届き、校了。機関車製作部のレポートを現在書きつつある。「スカイ・クロラ」のハードカバーが重版で第5刷に。アマゾンはまだ在庫切れ。
明日は、「スカイ・クロラ」関係で新聞の取材を受ける。明後日くらいから短編2作めを書く予定。しかし、7月に入ったらまず新聞に掲載される鉄道模型のエッセィ4編を書いて、それから「別册文春」の連載。「キラレ×キラレ」の手直し、そして、久しぶりに「水柿君」シリーズも書く予定。もちろん、ゲラもどんどん来る。というわけで、遊んでいられるのは今だけ。7月はまたも非常にハード。1日だって休んではいられない、と思う。
昨日と今日と、久しぶりに工作に没頭できて嬉しい。汗を流し、肉体疲労するのも良い。
【国語】 紙一重
前回、へんてこりん(死語)な詩を披露したが、なかには、べつにおかしくないのでは、と感じた方もいるだろう。詩というのは、慣れないとそれがわからない。これは、絵に似ている。
絵を描くことに慣れない人は、デッサンの狂った変な顔を描いてしまう。描いている本人は気づかないが、ほかの人が見ると笑えてしまうことが多い。気持ち悪くなるときもある。もちろん、「へたうま」というジャンルもあるから、昔よりはアートの範囲は広くなっている(と僕は勝手に認識している)けれど、それでもやはり、慣れた人が見れば、「へたうま」か「ただのへた」かはすぐに判別がつく。
これと同じように、詩の場合も、沢山詩を読んでいるうちに、このデッサン力が身につく。自分で詩を書くと、さらにデッサン力が向上する。そうすることで、バランスが取れたものが書けるようになる。自分が書いた昔の詩が可笑しく感じられるようになり、初心者が書いたものを見て、どこを直せば良いかも指摘できるようになる。
ただし、プロとして通用するようなレベルは、やはり才能だと思う。そういう人は最初から上手い。これは、絵も同じである。たぶん、そういう「目」を持っているからだろう。
子供の頃に、やはり一番凄いな、と思ったのは、石川啄木だった。「石川啄木」という名前を書くだけで背筋がぞっとするほどである。優れた詩は、優れた絵と同じで、見れば、一瞬触れれば、素晴らしさがわかる。小説よりはずっと絵に近い。
素人が書いた笑える詩と、天才が書いた詩は、わからない人には紙一重だろう。しかし、その紙一枚の厚みは、永遠に越えられないギャップであり、どの言語に翻訳しても、失われることのない差である。
2007年06月26日(火曜日)
【HR】 ガレージが居場所
この2日ほど8時起床。よく眠れる。夜が涼しいからか。曇のち晴。気温が高く、蒸し暑くなった。夏らしいといえば夏らしい。昨日作ったゴミは、収集車が持っていってくれた。資源ゴミは、スバル氏が持っていってくれた。「2往復したよ」と愚痴を言われてしまった。次回挽回したい。
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今日は、予定どおり午前中から工作。ガレージでものを移動して、作業場所をなんとか捻出。長い鋼材を切った。これは手で切ったわけではなく、大型の電動ノコ(バンドソー)が出動。しかし、細かい切り粉が落ちるので、掃除機も待機。午前中に主要な材料をほぼ切り終わった。今日はここまでか、とすぐ休みたくなる。このあと、ドリルで穴をあけて、ボルトで組み立てるが、まだ、数日かかりそう。作っているものは、庭園鉄道の駅に設置するターンテーブル。
写真を整理して、機関車製作部のレポートも少し作った。数日後にアップする予定。この頃では月1回で、月刊になっている。これも、もう長いこと続いている。よく続いているものだ。
「ミニチュア庭園鉄道」という本を中央公論新社から3冊出して、そのあと国際鉄道模型コンベンションにも2回出展し、広報活動を精力的に行ったため、一応の知名度は得られたけれど、その後はじりじりと現状維持を続けている。まあ、これが当たり前の流れではある。
最近は、庭園鉄道関係の出版物は出していないし、出す予定もないが、そのかわり、今年は「悠悠おもちゃライフ」(講談社)と「工作少年の日々」(集英社)が文庫になるし、また、来年早々「森博嗣のTOOLBOX」の文庫化(中央公論新社)も予定されていて、やや工作系寄りのエッセィが人知れず続く。このため、鉄道関係は少し自重し、大人しくしているところである。また、そのうち、チャンスがあれば世に出したいとは考えている。出版については、今のうちにご提案いただきたい。
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夕方、スバル氏とスーパへ買い出しにいった。2人では持って歩けないくらい沢山買った。今週はお客さんがあるので、米や飲みものなどを大量に買ったため。
パスカルが暑そうにしていたのでクーラをつけてやった。夕方の散歩などは、彼にはかなり過酷だと思われる。毎日ブラッシングをして、毛を抜いているが、いっこうに減った感じはしない。まあ、元気だし、ばてている様子はまったくないが。
僕は、起きている時間の9割はガレージにいる。工作室だけはクーラが効くけれど、ガレージの2階にある書斎はクーラがない。自然換気だけで、夜は涼しいけれど、日中はいられなくなる時間もあるので、どうしても仕事があるときは、ノートを持って、工作室や寝室へ移動することにしている。昨年はたしか、その必要があまりなかった。今年は猛暑だというから、退避が必要になるだろうか。
【社会】 イギリスの機関車
鉄道模型の話だが、以前はアメリカの森林鉄道の蒸気機関車が好きだった。それがこの頃、わりとイギリスの蒸気機関車の比率が増した。いずれも、小型のものが好みである。
ところで、イギリスの機関車は、トーマスを見ればわかるが、色がカラフルであること、それから、シリンダが車輪の内側にあって外から見えないものが多いこと、などが特徴だ。色がカラフルなのは、石炭が良質だったから。シリンダが内側なのは、その方が力学的に優れているからで、メンテナンスが大変でも、合理主義を通すイギリス人らしい。
もっと目立つ特徴の1つとして、イギリスの機関車にはヘッドライトがない。アメリカの機関車にも日本の機関車にもヘッドライトがある。これは、どうしてなのか?
つまり、ヘッドライトが照らす範囲に、危険物があってブレーキをかけても、どうせそんな距離では停まれない、ということなのである。それよりは、踏切を立体交差にし、線路の中に人が入らないように柵をする、ということにイギリス人は労力を使った。ここにもやはり合理主義が現れている(ちなみに、小さな標識燈はある)。
日本の新幹線にはヘッドライトがある。踏切もないし、人が線路に入る心配もない。また、あの速度では、ライトで障害物が見えても、その手前で停めることはできない。あのヘッドライトは何のためのものだろうか?
2007年06月25日(月曜日)
【HR】 ショッピング
昨夜は、珍しく焼き肉を食べた。といって、食べにいったのではない。食卓で、ホットプレートで焼いて食べたのだ。肉ばかり食べることがあまりないので、その後、ちょっと調子が悪かった。焼き肉のあとに、いただきもののプリンやチョコを食べたのがいけなかった、との指摘もあるが。今朝はもう直った。
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昨日の日曜日、スバル氏はデパートへ行くつもりだったのに、雨が降っていたし、ぐずぐずしている間に出かけられなかった。だから、今日は絶対行く、と朝から気合いを入れていた。僕も昨夜執筆が終わったので、つき合うことにした。彼女に言わせると、日曜日の方が人が多くて、店員が話しかけてこないから、商品が見やすいのだそうだ。
2人で三越へ。非常に空いていた。まず、僕のシャツを3枚買った。8万円くらい。一昨日のジーンズが3本で2万円もしなかったから、ズボンは耐久性のわりに安いな、と思った。スバル氏がズボンも買えと言ったが、一昨日3本買ったばかりである。もう今年の夏に着る分は充分だと思う。
それから、スバル氏が自分のものを買う間、僕は書店にいた。こういうときは、写真集なんかを眺めていると、いくらでも時間が潰せる。
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スバル氏が、シャネルでバッグを買おうとしていたが、イヴ・サンローランのバッグを「これ、集英社のC塚氏が持っていたよ」と教えたら、むらむらと対抗意識を燃やしたらしく、「安物買いはしないでおこ」と言って結局買わなかった。毒をもって毒を制すとは、このことか。「あ、このバッグは良いね」と僕が見つけたものは、値段を聞いたら、180万円だった。まあ、機関車よりは安いか、とか思っても、どうも納得がいかない。どれだけ耐久性があるのだろう。めちゃくちゃ重いとか。
それにしても、平日のデパートって、老人が多いなあ、と思った。杖をついて、やっと歩けるくらいのおばあさんが買いものにきている。そんなに無理して来なくても、と思うのはきっと間違いで、たぶん、来たいから来ているのだろう。スバル氏によれば、「無理をしてでも出かけないと、自分がこのままどんどん駄目になるって感じちゃうんじゃない? 昨日の私がそうだった」とのことである。
結局、またパン屋でパイを買って、それを車の中で食べながら帰った。同じパターンのような気がする。
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帰宅後は、まずガレージのゴミを整理。明日のゴミの日に備えて4袋くらい作った。午後から、少し曇って、涼しくなった。夕方はコーヒーを飲みながら読書。明日から工作を始められるように、ターンテーブルの設計を確認した。明後日には、庭師さんと左官屋さんが来て、基礎工事をしてくれる段取りになった。
今日はHPのミステリィ制作部の近況報告を書いた。機関車製作部のレポートもそろそろ書かないと……。
【理科】 脆性材の補強
土壁には藁を入れる。ガラス繊維などをプラスティックに混入したものがFRP、強化プラスティックと呼ばれる。ガラスにも金網を入れたものがあって、割れにくいガラスとして認識されている。コンクリートやモルタルにも、鉄筋や金網が中に入っているものが多い。鉄筋コンクリートは、鉄筋で補強されたコンクリート構造のことである。
これら、乾燥した土、プラスティック、ガラス、モルタル、コンクリートなどの材料は、引っ張る力に弱い。別の言葉では「脆性」、すなわち「もろい」材料であり、「ひび」が入りやすい。押される場合はそこそこ強いのに、引っ張られると、ずっと弱い力で破断してしまう。
ガラスが割れるのは、通常ガラスが撓んで曲げられるからだ。曲げられると、片側は縮み、反対側は伸びる。縮んだ方が圧縮になるから壊れないが、伸びた側は引張になり、ひびが入る。断面中央は中立で、縮みも伸びもない。だから、断面中央に補強の繊維が入っていても、曲げによるひび割れを防止することはできない。この繊維が利くのは、ひびが開き、断面中央も伸び始めたとき、つまり、変形が進んだ場合である。
だから、ガラスの断面中央に網が入っているものは、ひびが入りにくいガラスではなく、割れても大変形しにくい、ばらばらになりにくいガラス、と考えた方が良い。
鉄筋コンクリートなどは、断面の中央に鉄筋を入れても曲げ強度改善には大きな効果がないので、伸びると予想される側にずらして鉄筋を配置する。力がどちらから来るか予想できない場合は、鉄筋は両側に入れておくしかない。
2007年06月24日(日曜日)
【HR】 雨の休日
朝から雨。でも小雨。少し寒いので長袖のシャツ。
「キラレ×キラレ」は15000文字書いて、完成度111%でほぼ終わり。あと1000文字くらい残しているけれど、今夜にも書いてしまうだろう。「日経パソコン」の4枚めのイラストはスバル氏が仕上げて発送。今月は、あと短編を1作書く予定。これは来月でも良いのだけれど、気を抜かずにいきたい。
工作もできた。機関車が1台、ほぼ完成した。作業台の上はごちゃごちゃだ。よくこれでものがなくならないものだ、と思う。いや、頻繁になくなっているが、いつの間にか出てくる、という巡り合わせの問題。
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「クレィドゥ・ザ・スカイ」の感想メールがもう届き始めた。早い。映画化決定のシールは簡単に剥がせるので、邪魔だと思う人は移動させると良い。透明シート自体が邪魔で、これを外すのが本来の装丁。日本語もバーコードも、邪魔なものは全部消える。
パスカル・ピンズを購入した人からもメールが多数届く。感謝はファン倶楽部のスタッフへ。そういえば、ファン倶楽部では現在、9月の講演会の参加募集をしている。お見逃しなく。毎年6月に、会員の状況の報告があるが、9歳〜72歳で、平均は30歳、男女比は、42:57(不明1%)、というデータだった。1万人以上のデータなので、かなり正確な数字といえる。ただ、読者は、もっと男性が多い。比率では6割以上が男性だと思われる。
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6月もそろそろ終わり。1年も半分だ。夏至も過ぎたから、これから日が短くなる。今年は前半がとても忙しかったから、後半は少しのんびりしたい。長編はあと1作(たぶん、10月頃に)書けば良いだけになった。連載も減ったし、どんどん仕事を減らしている。嬉しい。
スバル氏が冷蔵庫を買おうか、と言いだしている。古いのだ。キッチンのリフォームのときに買い替えるつもりだったけれど、気に入ったものが見つからず、そのままになっている。20年以上まえの型だと思われるものを使っているが、暑い日にはちょっと喧しくなるらしい。僕は、デジタル一眼を買おうかと思っている。今度買ったら、もう4台めになるけれど、αがSONYになったから買っても良いかも。SONYって昔からソフトがMacと相性が良いから。
Macといえば、アニメ関係の人は使っている比率が高そうだった。僕はもう20年近く、Macしか買っていない。ときどき、「どちらが良いですか」というような質問を受けるが、どちらでも良いと思う。Winというのは、もともとMacの真似をして作られたシステムだ。今は追いついてきたのかもしれないけれど、10年くらいまえはとにかく酷かったから、これは一生使わないでおこうと決心するのには充分だった。繰り返すが、今の事情は知らない。Macがあるうちは、僕はこれを使おうと考えている。これまで、Macだったことでどれだけ得をしたかわからないし、今もWinに移る理由が1つもないからだ。
【算数】 累乗
6/19の特別講義で、西澤氏が「かけ算」について書かれていた。それは足し算を繰り返すことだと。これと同じことを、「累乗」を教えてもらったとき、感じた人は多いのではないか。2の3乗は、2を3回かけることである。23=2×2×2=8だ。
さて、かけ算は、整数どうしだけではない。2×3は、2を3つ足すことであるが、2×2.5は、2を2.5個足すことである。これを理解するためには、2の0.5個、つまり2×0.5という概念を理解する必要がある。つまり、2の半分のことだ。
同様に、2の2.5乗は、2を2.5回かけることであるから、これには、2の0.5乗を理解しなければならない。
23=22×21からもわかるように、22.5=22×20.5である。
この法則性から、同じ母数を累乗した結果どうしの乗算は、指数を足し算して、その累乗に等しいことがわかる。ということは、21=20.5×20.5であるはずだ。つまり、0.5乗というのは、平方根と等しいことがわかり、22.5=22×20.5=4×√2≒5.66と計算できる。
指数には、マイナスもあるし、もっといろいろな数でも大丈夫だ。累乗も、+や×のように演算の記号を作れば良かったと思うが、右上に小さく書くことにしたため、どうも一般的な「計算」でなくなってしまったような気がする。でも逆に、この記述方法がとても便利なことも多い。
「キラレ×キラレ」は、「キラレ2」とも書けるが、そういう意味ではない。
2007年06月23日(土曜日)
【HR】 ジーンズ10本穿き
朝から気持ちの良い晴天。デッキが明るい。パスカルはデッキが全然恐くない。子犬のときからここにいるからだ。
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スバル氏と話をしていて、「ジーンズを自分で穿いて確かめて買ってみたら?」と言われたので、軽く、「べつにいいけど」と答えたら、「じゃあ今から行こう」という話になってしまった。土曜日だから人混みへは出かけたくなかったが、しかたがないので、つき合った(どっちがつき合っているのか不明)。
ジーンズ屋さんで、スバル氏が持ってくるジーンズをつぎつぎ試着して、結局3本を買った。10本は穿いたと思う。そんなに買ってどうするのか、と思ったけれど、古いのを捨てれば良いのか。28インチと29インチを買ったと思う。28.5インチだったらちょうど良かったのではないか。
工作では、よくインチをmmに換算するが、28インチは72cmくらいだ。どうして、センチの表示にしないのだろう。靴はセンチなのに。ああ、そうか、アメリカから来ているからか。アメリカという国は本当に保守的というか、国粋的というか、どうしようもないな、とよく思う。
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お昼に、スバル氏につき合って、スーパで買ってきたお寿司を食べた。このように、2週間に1度くらい、つき合いでランチを軽く食べることがある。だから、正確には1日1食ではなく、1日1.07食くらいになるかも。
そういうわけで、午前中に小説の仕事ができず、午後、工作の合間に少しずつ書いた。10000文字書いて、「キラレ〜」は完成度96%。明日終われば、ちょうど2週間である。
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昨日書いたことで誤解があるかもしれないので補足。出版社は自分のところの本がアマゾンで品切れになっても知るすべがない。本が多いので全部を監視するわけにいかないからだ。という話を出版社の人が語った。そのとおりだと思う。「でも、できるだけ注意をして迅速に対処します」という返答だった。このように理由を説明したうえで「以後努力します」とつけ加えるのが文系的精神だ、という意味。非難しているわけではない。しかし、理系的精神があれば、それくらいのこと、チェックをするソフトを作れば良いではないか、と考える。人間が努力するようなことではないからだ。
全部の書店についてチェックするのは無理かもしれない。しかし、アマゾンは日本一の書店なのだから、やっても良いのでは、と僕は思う。難しいことではないだろう。一方、アマゾンの方も、自動的に出版社に品切れを知らせるシステムを構築することは、不可能ではないはず。なにか障害があるのかなあ(しばし想像)。
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ここからは一般論。日本も豊かな社会になった。会社に勤めて給料をもらっていれば、一定水準の生活ができる。もっと出世しよう、もっと仕事を取ろう、という意識は昔に比べて薄れた。これは、悪いことではない。むしろ、みんなが「欲のない善良な人間」になったようなものだ。
しかし、余計な努力をしたくない、とみんなが考えているため、組織内では、お互いに自分の負担が少しでも減ることに鎬を削るようになる。組織にとって合理化につながるアイデアを出しても、そのために自分の仕事が増えては困る。改革なんか面倒だ、という方向へみんなが考える。こうして、組織は競争力を失っていくのだ。それでも給料は出るから、特に問題はない、ということか。現に、公務員はずっとこんな歴史を重ねてきた。
では、どうすれば良いかの? 一度潰れれば良いのではないか、というのが僕の意見。そんなに悪い社会ではないと思う。逆の言い方をすれば、やる気のある人間や、アイデアを実現させた人間が、比較的簡単に稼ぐことができる。夢のある人には、夢が実現できる社会だといえる。悪くない。
【国語】 子供の詩
小学生のとき、よく詩を書かされた。あれは嫌なものだった。だいたい、先生好みの詩というのがあって、たとえばこんなふうだ。
青い青い空
僕は空が大好きだ
空は僕の友達だ
でも、ときどき心配になる
空が落ちてきたらどうしよう
きっと困ったことになる
でも、友達だからきっと
大丈夫だよね
自分でも笑いを噛み締めながら書いていると、意外にも大人が喜ぶ。馬鹿じゃないのか。なんで空が友達なんだ? ということをもう子供でも考えるわけだし、空って、落ちてこれるのか、くらいの科学知識も持っているわけで、ちゃんちゃら可笑しいのである。大人って、無邪気な子供を妄想しているのだ。
そういうわけで詩は大嫌いだった僕である(ここまで1分で書いた。あと1分書こう)。
さて、では、フォークソングも1つ作詞してみる。
君はきっと覚えているよね
あの夕暮れの山吹色の空を
綺麗だね、と僕が言うと
そうね、と君は頷いて
君の髪が、山吹色の風に揺れていたよ
遠い国の草原のように
君は、どこへ行きたかったのでしょう
僕は、君を連れて、どこへ行きたかったのでしょう
どこかへ、きっと、どこかへ
行けよ、どこへでも、と思ってしまうが、まあ、こういう可笑しさもあるわけで、困ったものだ。ついでに、シャンソンも作詞してみよう。
街の男たち、みんな私を呼び止めて
でも、駄目なのよ、今は
そう、待っていてね、大人しく
グラスを鳴らして、踊りましょう
腕に抱かれて、踊りましょう
私はあなたに夢中なの
気づいているかしら?
ねえ、気づいているかしら、あなた
そりゃ、気づくだろう、こんな自意識過剰な露骨な女、とか思わないように。洒落臭いぜ、シャンゼリーゼ。
2007年06月22日(金曜日)
【HR】 雨の日に大荷物
梅雨になってから雨は今日が2日め? 今日は大きな荷物が届く予定なので、ずっとガレージにいた。気温は低く、湿度は高い。
「キラレ〜」は10000文字書いて、完成度86%に。「ゾラ〜」のカバー案を確認。「日経パソコン」のゲラも処理。スバル氏が昨夜3枚めのイラストを仕上げたので、これも送った。幻冬舎コミックスの新人賞の審査員は、仕事を減らすために今回かぎりで辞退することにした。
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もう2日間も、アマゾンでスカイ・クロラシリーズが新刊以外すべて在庫切れになっている。なかには「3〜5週間以内に発送」という表示があって、これは、アマゾン的には「入荷絶望」のサインである(と利用者の多くは認識しているはず)。中央公論新社に問い合わせたところ、アマゾンへ本は送ったのでもうすぐ戻るはず、という連絡が来たが、半信半疑。
まえにも書いたが、ファンから「アマゾンで買えない」というメールが来て、それを僕が担当編集者に連絡する。それが営業に伝わって本が出荷される。もし、そういった連絡がなければ、アマゾンも出版社も、お互いに連絡はしないから、本は補充されない。なんとも「文系的やる気」を感じさせるシステムであるが、求められているのは「やる気」ではなく合理化だ。
なにか秘策でもあるのかもしれない、と疑ったくらい。わざと売り切れにして、稀少感を煽ろうとしているとしたら、面白い作戦だ、と。いずれにしても、買いたい人にとっては不便なことだ。
今だから書くけれど、たとえば、「MLA5」のとき、羽海野さんが、サンタクロースのカバー案を出してきて、僕はそれにOKを出した。ところが、出版社の営業が、「3月発行なのにサンタクロースは季節外れだ」とクレームをつけて、別の絵を羽海野さんに要求した。もちろん、「口を出すな」と注意し僕が元に戻した。本の内容(クリスマスで季節はぴったり)を見ずに、こういう余計なことを言うのが出版社の営業というところらしい。したがって、まったく良い印象を持っていない。ときどき、本当に売ろうとしているのか、単に自分の意見の影響範囲を確かめたいだけなのか、どちらだろう、と思うことがある。
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7/8のトークショーは、どうしたら聴けるのか、との問い合わせメールが多いので、中央公論新社に問い合わせてみた。返答をここにコピィしておく。
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森博嗣トークショー「スカイ・クロラを語る」のお知らせ
とき:2007年7月8日(日)15:45〜 (30分ほどの予定)
ところ:第14回東京国際ブックフェア会場(東京ビッグサイト)西1ホール「読売新聞・日本テレビグループ」ブース
着座席は20席ほどございますが、先着順となります。オープンスペースであるため、お立ち見をふくめ、できるだけ多くのお客様にご覧いただけるようにつとめますが、混雑の具合によりましては、ご希望に添えない場合もありますこと、ご了承ください。開場は午前10時となります。
なお、当日、名刺交換会はございませんが、開場時よりブースにて販売します「スカイ・クロラ」シリーズの単行本をお買い上げのお客様には、もれなく、映画で主人公たちが使用している(という設定の)ものと同デザインの「森博嗣」名の名刺を差し上げます。名刺受けも準備いたしますので、ぜひ、ご自身のお名刺もお持ちください。書籍・名刺とも十分な数を用意するつもりですが、万一品切れの際はご容赦ください。
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あちこちのサイトを回ってみると、スカイ・クロラシリーズが800万部売れているかのように書かれているところがあった。伝言ゲームみたいにして、情報がしだいに劣化している様を見るようである。このシリーズは、はっきりいえば、売れていないシリーズだ。ただ、ハードカバーとしては「スカイ・クロラ」が歴代で一番部数が多く出ている。カバーデザインのおかげだと思う。それから、本当は総部数はもう900万部を越えている(漫画、海外翻訳、技術書、アンソロジィなどを含まずに)。だが、「800万部突破」は数学的に真なので、このままで文句なし。
午後の雨の中、荷物が届いた。総重量で100kgほどあった。ガレージの中に場所を作って、なんとか納めた。箱を開けることが大変な作業になる。今日は時間がないので、明日以降。中身は、2台の機関車と1台の電動工具。嬉しい。楽しい。
昨日、スバル氏と買いものに出かけたとき、模型屋に寄って、塗料を買ってきた。停滞している工作にカツが入るか。
西澤保彦氏の特別講義、今日が最終回。感謝。5日間、束の間の休息だった。
【国語】 特別講義5
渡された教科書を、別に強制されたわけでもないのに、年度のはじめに全部読んでしまったことが、一度だけあります。小学2年生か、3年生のときだったと思うのですが、これがどうも、はっきりしません。仮に3年生だった、ということにしておきます。渡されたのは、国語の教科書でした。なんの気なしに、ぱらぱらと内容を確認していたわたしの目に留まったのが「学級新聞をつくってみよう」とかなんとか、そういう内容の文章でした。家庭や学校での身近な出来事をニュースにしてみようということで、例文が幾つか示されていました。そのなかに「連載小説(そんな表現ではなかったかもしれませんが、要するにそういう意味)もつけてみよう」という項目があり、これまた作例がイラスト入りで掲載されていたのです。ざっとこういう内容です。「太郎くん(仮名)は学校の帰りに、道に落ちている小箱を拾いました。ところが、どこから開けていいか判りません。試しに振ってみると、驚いたことに、なかから『そんなに振っちゃ駄目だよ』という声がしたのです」そして「つづく」と。いまなら、どうということはないんですけれど、当時のわたしは「なんだなんだ、いったいこの箱はなんなんだ?」と、「つづき」が気になって気になって仕方がない。どこに「つづき」があるんだろうと、渡されたばかりの教科書を最初から最後まで、目を皿のようにして読み通したのです。しかし(あたりまえのことですが)「つづき」は、どこにもありませんでした。この時点で、普通なら自分の勘違いに気づきそうなものなんですけれど、わたしは自分で言うのもなんですが、ちょっと茫洋とした頭の持ち主だったので、つーか、はっきり申しまして、ちょっとおバカな子供だったので、これはあくまでも作例だという事実にまったく思い当たらず、こう閃いたのでした。「そうか! 判った。このつづきは、4年生になったら読めるんだな」と。いくらなんでも、話をつくってるんじゃないか、と思われるかもしれません。わたしも、そうであればどんなにいいかと思います。が、これはほんとうのことなのです。ほんとうにわたしは翌年、新しい国語の教科書をもらったとき、真っ先に、くだんの「つづき」を探したのでした。自分の勘違いに気づいたのは、多分、5年生になってからだったと思います。もっと早く気づけ、オレ。
2007年06月21日(木曜日)
【HR】 爽やかな初夏みたいな
昨夜から今日にかけて、メールが多数届いた。映画化発表の影響。リプライは少し遅れる見込み。ネット書店でもシリーズが1日で売り切れになった。このニュースに触れているブログも多い。これくらいの「効果」がある、と認識した。
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スバル氏は、ブート・キャンプを買おう、2人でやろう、と提案してきたが、断った。僕は絶対最後までやってしまって、疲れるだけだし、彼女は絶対に途中で投げ出すだろう。火を見るより明らかである。それから、こんなこともおっしゃっていた。「牛肉コロッケに牛肉が入っていると思っている方が、私は信じられん」と。まあ、僕も、とあるカレーが「牛肉100%」と宣伝しているのを見て、「カレーは入っていないのか?」と思ったクチだが。そうそう、そういえば、「スバル氏って誰ですか?」というメールが最近増えている。意地でも答えないぞ。
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今日も梅雨らしからぬ晴天で気温が上昇。午前中に小説の仕事をした。「キラレ〜」は10000文字書いて、完成度は76%に。あまり天気が良いし、窓から庭を覗くと、パスカルが水浴びをして走り回っているので、誘惑に負けて、つい庭に出てしまう。日向に10分もいたら日焼けするにちがいない。
少しだけ鉄道を運行した。草木が伸びているため、乗りながら身をかわさなければならない。しかし、線路には異常なし。この時期に走れるのは珍しい。気候が良いせいだ。明日、大きな機関車が2台届くことになっているが、すぐに運転をするには、少々暑いだろうか。今日の最初の写真は、カーナビを装備した3号機グース(レールトラック)。あとの2枚は、12号機を運転しながら撮った風景。
コーヒーを淹れて、また書斎に戻って、仕事の続きをした。今でも、書斎にいるときは、ずっと音楽をかけている。オーディオ装置にはまったく異状がない。自分が作ったアンプも今のところどれも健在。スピーカが慣れてきたような気がする。気温が上がったせいかもしれない。
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午後から、講談社のK木氏、M澤氏、O村氏が来宅。なんと、講談社の最初の担当だったK木氏が、今度は文庫の部長になった。M澤氏はもうすぐ海外研修なので、O村氏が担当を引き継ぐ。7月刊の「悠悠おもちゃライフ」のゲラを手渡した。この次は11月刊の「φは壊れたね」になる。いよいよGシリーズも文庫化だ。それから、また記念グッズを作る話を少しした。今度はフィギュアか。
知らないうちに、今年出る本が25冊になっている。昨年に迫る数だ。これだけ本が出ることで、一番の問題は自分の本の整理。今、まったくそれができていない。見本として送ってくるものを箱のまま積み上げているので、誤植などの指摘があったとき、本はどこにあったっけ、と探す機会が実に多い。こうなると、いよいよ本棚でも作らないと駄目だろうか。それには、まず木材をホームセンタへ買いにいかなくては、電動ノコも新しいのが欲しいな、という方向へ思考が進むことが危険。
【社会】 特別講義4
小学生の頃、わたしが尊敬してやまなかったのは、各都道府県の名前や県庁所在地を諳じている子供たちでした。なにしろ暗記が大の苦手なので、例えば世界の国名や首都をすらすら口にしているところを見たりなんかすると、もう同じ人類とは思えないほど。わたしなんか、四国四県の名前がもうあやしかった。いや、地元の「高知県」ですら「高地県」とまちがえて記したことに気づかず、後で大恥をかいてしまったのは、墓まで持ってゆかねばならぬ秘密です。そもそも地図を見るのが苦手だったなあ。何県、何市がどこら辺にあるのか、何度教えられても、まったくイメージできないんだもの。それどころじゃない。日本地図なのに、しげしげ眺めた後「アメリカはどこ?」と大真面目に訊いて、親を失笑させたこともありましたっけ。
そうそう、アメリカといえば、倉多江美さんのマンガでしたか(記憶違いだったら、ごめんなさい)、外国といえば「アメリカしか思いつかないんだから」と揶揄される女の子が登場してましたが、わたしがまさにそのクチ。友だちからビートルズのレコードを借りて聴いても、なんとなく「このひとたち、アメリカ人なんだなあ」などと思ったり。これは小学生ではなくて高校生のときですけど、『グローイングアップ』という青春映画があって、これもアメリカ映画だと、長らく勘違いしてました。
これらが単に笑ってすませられる昔話なら、まだいいんですけれど、実は現在もあまり変わっていないかも。相変わらず世界各国の位置関係はよく判らないし、国名や首都などもあやしい。日本国内だって「福島」とか「福井」とか「福岡」とか、響きが似通っている地名の(似てねーじゃん、と、ごもっともなツッコミを入れるのはごかんべんくだせえ)位置関係が頭のなかで、きっちり整理がついてないフシがある。外国といえばアメリカしか知らなかった縁でかどうかはともかく、そのアメリカに留学していたというのに、では「アメリカの首都はどこ?」と質問されて、即答できるかどうか。って。それって暗記が苦手云々以前に、要するに常識がないだけじゃん、という話ですね。てなわけで「地図を見ると、いろいろイメージが湧いてきて楽しい」というひとに憧れるわたしです。
2007年06月20日(水曜日)
【HR】 ブログその日暮らし
どんよりとはしているものの、明るい晴天。風もあって暑くはない。庭掃除もした。
今日はまずイラストを描いた。文庫の栞に印刷されるものだが、少し大きめに描いた。非常に写実的に描いたつもりである。まあ、こんなものでしょう。
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それから、「キラレ〜」を10000文字書いて、完成度は66%に。「悠悠〜」のゲラは最後まで見た。単行本では未収録だった4編が増えたし、水野先生の文とイラストもあるし、フルカラーだし、文庫がお買い得だと思う。それでも、とにかく小説以外の本は、部数が圧倒的に少ないので、書店では見つからないかもしれない(正直に書くが、見つからない方が嬉しい)。
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6/13に書いたインターネット事情で、非常に沢山の方からメールをいただいた。わりと多かったのが、「ブログを最近はやめました」とか「疑問を感じている」というもの。日本は今や世界一のブログ大国。ブログ自体の歴史がまだ浅いが、今後どのように社会に定着していくのか、興味のあるところである。
そもそも、「ブログ=日記」ではない。ブログとは、ウェブサイトをブラウザだけで簡単に構築するシステムと、それによって作られたサイトの名称だ。
本来、自分が持っている情報のうち他人にも価値がありそうなものを公開する、というのがインターネットの精神だった(と僕は理解している)けれど、ブログのシステムが作られたとき、誰でもが気軽に毎日書き足せるよう設計した。この設計に乗せられて、日記ばかりが普及したものと思われる。ようするに、大勢がシステムの仕様に乗せられた感が強い。
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僕は、以前の日記はhtmlをエディタで書いていたが、このMLAでは初めてブログのシステムを採用した。はっきり言うと、非常に不自由だ。融通が利かない。ただ、ホテルのパソコンからでも操作ができるのは便利。自分のパソコンを常に持ち歩いているのなら、ブログである必要は感じないが。
インターネットで日々の話題をアップをするようになると、毎日アップできるものを探すような生活になりがちだ。たとえば、週に1度の習い事なら、1週間かけて練習できる。年に1度のコンテストならば、1年間かけた作品を発表できる。本来は、見つけたから発表する、という順番なのだが、つい締切に間に合わせて、発表するために見つける、という行動を取るようになる。毎日アップする生活では、ついつい1日で見つけられる手近なものを求めやすい。時間をかけて作るコンテンツは減少する傾向にある。達成しやすいものが増え、コンテンツは小粒になりがちだ。
良い悪いを論じているのではない。自分の行動の理由を自覚していれば、なにも問題はない。支配されている人が多いのではないか、と感じるだけである。
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今日の午後、「スカイ・クロラ」アニメ化の正式発表があった。内緒のことが減って、少しほっとしている。
【音楽】 特別講義3
みなさんもご経験されていると思いますが、リコーダーっていうんですか、縦笛、ありますよね。わたし、小学生のとき、あれが壊滅的にヘタだったらしくて。「らしい」というのは、あまり自覚がなかったからなんですが、親は危機感を抱いたらしくて、知り合いの先生に頼んで、息子にフルートを習わせたほどでした。
フルートは横笛なんで、似て非なるものという気もしますが、まあ、なにもしないよりはマシだと思ったのでしょう。あるいは、情操教育というか、なにか習い事をさせたいという目的がまずあって、その口実にしただけなのかもしれませんが。それはともかく。フルートを習ったことがきっかけになって、わたしはいろいろ楽器に手を出しました。中学高校と吹奏楽部に所属し、一時は音大の器楽科へ進学するべくピアノやソルフェージュも習ってました。が、母親がこれに大反対。そもそもわたしにフルートの先生を紹介したのがこの母だったのですが、息子が音大なんてとんでもない、と息巻く息巻く。反対するその理由というのがまたぶっ飛んでいて、「音大なんか出たって、音楽の教師くらいにしかなれない」と言うんですね。音楽の先生に対してずいぶん失礼という以前に、そもそも母自身、自宅でピアノ教室をひらいたり、短大の非常勤講師をしたりしている「音楽のセンセイ」だったんですけどねえ。結局、母の反対というより、わたし自身の情熱が続かなかったせいで、音大進学は断念しましたが。
この話には後日談がありまして。大学卒業後、いまで言う引き籠もり生活をしながら、わたしは来る日も来る日も、活字になる当てのない原稿を書いてました。文筆で飯が喰えるようになるという自信はあまりなかったんですが、なんとなく他のこともしたくなくて。一応、大学の非常勤講師とか、女子校の講師とか、四年ほど勤めもしたんですけれど、原稿に集中したかったので、全部辞めました。無職になると同時に結婚してしまった息子に呆れたんでしょう。父が持ってきた臨時教員の話まで断ったわたしに向かって、母はこう言いました。「あんたが作家なんかになれるワケ、ないでしょ。もっと冷静になりなさい。分相応に学校の先生になって、まじめに働きなさい」と。おいおい。天国のお母さん、あなた、自分の息子にいったい、どうなって欲しかったんですか?
2007年06月19日(火曜日)
【HR】 透明のオビ
まだ朝夕は涼しい。夜は窓を開けていると肌寒い。今日は少し寝坊して、起きたらもうスバル氏がゴミを出したあとだった。そうか、ゴミの日か。
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午前中にパスカルのシャンプーをした。スバル氏と2人がかりだ。彼女が顔の方を、僕がお尻の方を洗う。これは、トーマのときからこのフォーメーションである。洗ったあと、完全に乾くのに半日は優にかかる。
濡れたパスカルを留守番させて、スバル氏がいうところのフルコースへ。これは、ホームセンタ、クロネコ、書店、スーパの4つを全部回ることを意味している。ホームセンタは日用品ばかりで、工作のものは買わず。子犬を沢山見てきた。ペットショップを見るごとに、スバル氏は「私にはあの仕事はできん」とおっしゃる。まあ、たいていの仕事が、彼女には向いていないと思うけれど。
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イギリスから機関車が1台届いた。走らせる時間はまだない。ここ最近、模型の購入品が集中している(ともう書いたな)。スバル氏に、「ちょっと機関車とかが集中しちゃって」とそれとなく話したら、「まあ、そういうときもあるよね」という理解あるお言葉を得た。ありがたき幸せである。はっきりいうと、今月だけで500万円くらいのおもちゃ代になりそうだ。
だから、ちゃんと小説の仕事をしよう。「キラレ〜」は10000文字書いて、完成度56%に。「悠悠〜」のゲラは95%まで。この文庫につける栞のイラストの依頼があったので、明日にでも描こう。それから、講談社から鉄道模型の週刊雑誌が出るそうで、そこから取材の申し込みがあった。7月から毎週発行するらしい。そうそう、7月には、新聞にも鉄道模型のエッセィの連載を頼まれている。こちら方面の仕事はできるかぎり断らないようにしたい、とは思う。
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「クレィドゥ・ザ・スカイ」の見本が届いた。「映画化決定!」のシールが貼られている。このスカイ・クロラシリーズのハードカバーは、透明シートが巻かれているが、これが「オビ」だ。カバーではない。したがって、このオビを外した状態が本来の表紙であって、オビは捨ててもらってかまわない(と過去にも書いた)。
僕は普段、本もCDもオビは読みもせずにすぐ捨てることにしている(というより、オビの付いた本を買うことが滅多にない)が、スカイ・クロラシリーズの透明オビは、邪魔ではあるけれど、ちょっと捨てられない。
最初の本の初版と第2版は、透明シートの表側に印刷されていたが、インクが削れるトラブルがあったため、その後は透明シートの裏側から印刷されている。つまり文字を裏返しに印刷するわけだ。
そもそも、僕は本のオビが嫌いだ。あれは表紙のデザインを台無しにしている。そう考えていたので、「オビのないデザインにしてほしい」と依頼した。「カバーには英語のタイトルだけで良い」とも言ったと思う。どちらも無理だと思っていたが、そういった意見が鈴木成一氏に伝わって、この素晴らしいデザインになった。個人的には、「女王の百年密室」のハードカバーのデザインが最も好きだ。あれは、見たときに心底凄いと思った。
特別講義は、西澤保彦氏の第2回です。
【算数】 特別講義2
小学校低学年だったわたしにとって、最大の不安が算数でした。「どうやらいずれ、掛け算という、とてつもなくムズカシイものを習わされるらしい」との噂を耳にしていたからです。足し算とか引き算なら、計算そのものはあまり得意ではないものの、まあなんとかぎりぎり判る。そんな程度の頭で、なに、なんですと、カケザンなんて面妖なものが、はたして理解できるようになるのであろうか、と。まだ実際に習う前から半泣きでありました。すると、何年生に進級したときだったか忘れましたが、教室の黒板の上に、九九の早見表が貼ってあるではありませんか。お、これが噂のカケザンか。どれどれ、と順番に見ていったところ。「え?」2×2=4とあるではありませんか。え。え? するとなに、カケザンて、足し算と同じものなの? それならオレでも判ると、ホッとしかけたのも束の間、2×3=6とあるではありませんか。「え? え、えええーっ?」すると、なんだろうか、カケザンとは足し算の結果に1を加えるとか、そういう決まり事でもあるのだろうかとアホなことを考えつつ次を見ると、2×4=8だ、と。この段階で、もうわたしの頭は大混乱です。どうやら足し算の結果に幾つ加えるとか、そういう単純な法則ではないらしい。ひょっとして、まさか。まさかとは思うが、式ごとに違う決まり事があって、それを九九全部、別個に覚えなきゃいけないんじゃあるまいな、と。もしそうだったらどうしようと、ただでさえ暗記が苦手な身、半泣きどころか、いまにもマジ泣きしそうな思いで、掛け算の授業を受けるその日を、びくびくしながら待っていたことを、いまでもよく覚えております。
さて。いよいよその日がやってきました。先生の説明はこうでした。「掛け算は、掛ける数の分だけ足し算をするんです」と。つまり2×3なら、2+2+2と同じ結果が、2×5なら、2+2+2+2+2と同じ結果になる、と。生涯、あれほど納得できた授業は、他にちょっと思い当たりません。なによりもわたしは「よ、よかった、法則がたったひとつだけで」という発見に心底、安堵し、ほとんど脱力状態でした。あまりにも安心したものだから、その後すっかり学習意欲を失ってしまい、学業から脱落してしまったことは、一生の秘密です。
2007年06月18日(月曜日)
【HR】 いろいろにしたい
朝から雨。でも、小雨なので、傘をさしてパスカルを少しだけ散歩させる。帰ってきて、タオルで躰を拭いてやったら、とてつもなく膨らんだ。気温がまた下がったので、長袖のシャツを着ている。今日も、アンプは発熱型を選択。夕方には雨はあがった。
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「キラレ〜」を9000文字ほど書いて、完成度46%まで。「悠悠おもちゃライフ」のゲラは、85%まで。4月に幻冬舎コミックスで再版された「黒猫の三角」(皇なつき画)が重版になった。同社に引き受けてもらった手前、これは嬉しい。
4/18に書いた「探偵伯爵と僕」の件。編集部の理解を得て、今年の11月に講談社ノベルスとして発行することが決まった。文庫はその1年後になる。もうしばらくお待ちいただければ、と。
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11時頃、東京からスバル氏が帰ってきた。パスカルが大喜び。お土産にシャツを3着買ってきてくれた。着るものでもそうだし、自動車を買うときもそうだけれど、スバル氏の方が、渋い色を選ぶ。僕が決めると、原色に近いものになる傾向がある。そういえば、機関車も赤や青やオレンジに塗ってしまう。黒い機関車は少ない。インテリアも、色を統一しようという方向へはいかない。あらゆる色が散らばっている方が好きだ。
ちょっと想像してみた。ある陶芸家が美しい青色の器を作った。みんながそれに魅入られる。それで、その陶芸家に器を注文する。青色の器をみんなが欲しがる。しかし、陶芸家は、もう青い器は作ったのだから、別の色を出してみたい、と考えているのである。
普通の人は、自分が好きなものを自分で限定する傾向にある。あるとき、青を見れば自分は青が好きだ、と感じる。そのあとも、ずっと自分は青が好きだと思い込む。そうやって決めた方が楽だからだ。部屋の中に青いものばかりになる。それも、いかにも統一されていて美しく見える。ほかの人からも、その統一性を褒められる。それは、褒めやすいし、わかりやすい。何が好きか、その傾向も言葉にしやすい。しかし、そうやって決めれば、何が美しいかを常に感じなくても良くなる。
青い器を見て良いな、と思ったとき、「この青のように美しい赤い器を今度は作ってほしい」と言える人は少ない。でも、陶芸家が望んでいる声は、そちらである。
子供が描く絵を見ればわかるだろう。とんでもない色を持ってくる。自由な直感に支配されているからだ。もちろん、そうやって自由にしていると、失敗もある。変な具合になるときも多い。同じ色や、統一された調和を求めるのは、結局は、このような失敗を恐れた結果、より容易な安全を選択したものだとも思う。
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先日、スバル氏が行ったレッチリだが、同じコンサートによしもとばなな氏もいたらしい。コンサートとか試写会って、そういう出会いというか、すれ違いというか、接近というかが、とくに意味はないのだが、ある。
本日より、特別講義が始まる。講師は西澤保彦氏。5日間の日程である。最初がいきなり「給食」なので、これをカテゴリィにすべきかどうか、若干の議論があった。結局、「保健体育」に入れることで決着。いずれにしても、感謝。
【体育】 特別講義1「給食」
って。おい。「特別講義」のはずが、いきなり「給食」かいっ。と自分にツッコミを入れてる西澤保彦です。そもそも小・中・高と、わたしが通っていた学校に給食はなかったにもかかわらず。従って「給食係」なるものも経験したことがありません。ただ「牛乳係」なら、やったことがあるんですね。牛乳係とは、その言葉通り、昼休みになるとクラスの生徒全員に牛乳を配る係です。生徒たちは毎日、持参した弁当か、もしくは学校指定業者が売りに来るパンを、牛乳といっしょにいただかなければいけないことになっていたのでした。
自分で言うのもなんですが、わたしは当時から至って素直な子供で(単に思慮に欠けてるだけとも言えますが)大人の言うことはすべて正しいのだと鵜呑みにしがちでした。ところが、そんなわたしですら「牛乳は身体にいい」とは、とても信じ難い。こんなまずいもの、しかも無料ならともかく、お金まで払って飲まなきゃいけないなんて。絶対になにか、まちがってる。不条理に思いながらも、表立って反抗もできず、ただ苦行に耐えていたのでした。いまでこそ、他の動物の乳を人間が横どりするなんて不自然じゃないか、といった理屈も思いつきますけれど、当時は「食べ物の好き嫌いは悪であり、ワガママ」といったお題目に反論できる術はなかったのです。しかし、あのマズイものをむりやり飲まされたという恨みは、大人になっても消えるどころか、いや増すばかり。そんなわたしの興味を惹いたのが「牛乳は身体に悪い」という説です。
牛乳はカルシウムが豊富で、骨が丈夫になるとされている。ところが、その牛乳のカルシウムを吸収するためにはラクターゼという酵素が必要で、日本人の腸にはこれが少ないらしいんですね。おまけに世界一の牛乳消費量を誇るノルウェーでは、骨粗鬆症の発生率が、なんと日本の五倍。骨が丈夫どころか、弱くなるんじゃねえかって話です。これが正しいか否かはともかく、恨み骨髄のわたしは現在、大いばりで「牛乳は嫌いだ、身体に悪い」と公言するようになってます。そんなこと言いながら実はチーズなどの加工食品はけっこう口に入れたりしてるので、言行不一致と非難されても仕方がないんですけれど。要するに、これも「喰いものの恨みは怖い」ってことですね。って。意味がちがいますかそうですか。
2007年06月17日(日曜日)
【HR】 噂の真相
晴天の日曜日。6時に起きて、まずパスカルの散歩に出かける。スバル氏がいないときは、藁をも掴む勢いでパスカルが体当たりで甘えてくるので楽しい。庭の水やりをしてから、小説を書いた。
「キラレ×キラレ」は8000文字ほど書いて、完成度37%まで。それから、「悠悠おもちゃライフ」のゲラは、70%まで見た。昨日よりは涼しいので、発熱量の多いアンプで音楽を聴く。今日は、荷物は3つしか届かなかったから、少しゆっくりできた。パスカルはクロネコのトラックにだけ吠える。ただ、配達員の人にはとても懐いていて、車が発車して去っていくときに吠えるので、たぶん、仲間だと認識して「群を離れるな!」と注意しているのだと思う。
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非常に今の気候が自分には適していると感じる。ずっとこのままだったら良い。今日の天気はもの凄く飛行機日和だったけれど、残念ながら、その予定も準備もしていなかった。スバル氏がいないから、長時間出かけるわけにいかないし。
午後には、機関車を走らせた。アルコールを燃料にして走る蒸気機関車で、スケールは30分の1くらい。これは小さいから乗れない。10分くらい動く。このほか、細かい工作もできた。今は塗装作業が多い。信じられないくらい爽やかな風が網戸から入って、気持ちが良い。なんだろう、ここだけ良い季節なのだろうか。天国みたいだ(予想)。
夕方、日曜日なのに3時間ほど研究関係の打合せで出かけていく。顔を合わせないと進められないことも、僅かだがまだ残っているようだ。
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さて、もうかなり以前から噂が広まっていて、期待している人、信じられない人、さまざまだと思うけれど、以下に本当のことを書こう。正式な発表は20日の午後なので、今日の日記がアップされるのは、そのあとになる。
「スカイ・クロラ」がアニメーションで映画化される。監督は、「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」「イノセンス」の押井守。制作は、プロダクション I.G 。配給は、ワーナー・ブラザース映画で、タイトルは「スカイ・クロラ」である。来年に公開される予定。公式サイトも発表後にはオープンしているはず。
実は、このオファがあったのは3年以上まえになる。だから、3年間も僕は黙っていたのだ。何度か、口が裂けそうになった。もちろん、押井氏とは何度も会っている。昨年の秋だったか、僕の庭園鉄道にも乗ってもらった。プロダクションI.G へ作業風景を見学に行ったこともある。だが、すべて日記には書けなかった。逆にこれからは、いろいろあちこちに情報が出てくるだろう(幻冬舎の「GOETHE」の8月号に、最新情報が載るらしい)。
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もうすぐ、このシリーズの5冊めの「クレィドゥ・ザ・スカイ」(中央公論新社刊)が書店に並ぶ(23日くらいらしい)。今度はどんな空だ? と楽しみにしている方には、少し申し訳ないが、5冊が並んだ写真をご覧に入れよう。
そして、お気づきだと思うけれど、このシリーズの正しい並び方は、この写真のとおりである。「クレィドゥ・ザ・スカイ」は最後に発行されたが、最終巻ではない。「スカイ・クロラ」が最終巻だ。ノベルスや文庫が出揃ったあとには、このシリーズを読む人は、「ナ・バ・テア」から読むことになるだろう。いつも書いているが、シリーズを順番どおり読まなくても問題はない。それを示すために、意図的に最終巻から出した。2カ月まえの近況報告で、「ちょっとした発表がある」と書いたのは、このことである。
【体育】 病気と薬
またまた「保健」である。
病気で一番確率的に多いのは風邪だろう。僕も何度か風邪をひいた。これは本当に辛い。
僕は十代までもの凄く病気が多く、入院も何度かした。いつも医者にかかっていた。風邪もよくひいた。体力がないから、ちょっと体調が悪くなるだけでなにもできなくなってしまう。逆にいえば、ほんの少しの兆候をいつも気にするようになった。
大人になってから、とにかく自分の体調を維持することがとても大事だと考えた。仕事をするためには、これが第一だ。そこで、それまでの治療方法を疑うことにした。注射を打たれ、薬を飲むが、そのせいで体調が悪化するような気がしていたのである。
またあるときは、医学部の中国留学生(50歳くらいだったけれど)が、風邪薬を飲んで風邪を治すと、それが躰に残り、20年後くらいにいろいろな障害として現れる、と教えてくれた。さらに、スバル氏がその頃ぜんそくに苦しんでいて、いろいろ薬を試していたが、そのうちにアスピリンのアレルギィになってしまい、大変なことになった。薬は恐いものだ。
それで、僕は薬を飲まないことに決めた。以来30年間、薬を飲んでいない。例外として、2回だけ、どうしても出席しなければならない学会のために、通常は2、3錠の風邪薬を割って、半錠飲んだ。それだけである。頭痛薬も飲まない。胃腸薬も一切飲まない。そうして以来、一度も医者にかかっていない。幸い、大きな怪我もしていない。歯医者は28歳のときに通ったけれど、それで懲りて、毎日欠かさず歯を磨くことにして、その後、一度も行っていない。
風邪をひいたときはどうすれば良いか。そのまえに、まず、ひかないことだ。ひきそうなときに、すぐに休むこと。睡眠が一番効果的である。そして、具合が悪くなったら食事をしない。水分だけを取る。消化で体力を消耗しないためだ。元気を出そうとして食べようと考えるけれど、それは逆。病気になったときはなにも食べない。動物はみんなそうしている。そもそも動物は皆、病気を治す力を持っている、と信じよう。
大事なことは、自分の躰の調子に注意することだと思う。幸いにも、自力で治せないような大病には、その後かかっていない、というだけのことだが。
2007年06月16日(土曜日)
【HR】 本質と年寄り
土曜日らしい。雲一つない爽やかな晴天。そよ風が清々しく、朝は窓を開けるのが寒いくらいだったが、すぐに気温が上昇した。パスカルも元気。スバル氏は朝から東京へ遊びにいった。僕も体調は良い。ガレージの中はちょうど良い温度で過ごしやすい。朝はやらなかったが、夕方は水やりをした。これでも梅雨?
「キラレ〜」は午前中に7000文字を書いて、完成度は29%。明日で1週間だから、最初の1週間で30%のノルマは軽く達成できそう。「悠悠〜」のゲラを50%まで見た。こちらは、ちょっと時間のあるときに、家の方々で読んでいる。
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目に見えるものは形である。しかし、形に本質があるものばかりではない。むしろ、具体的な形に惑わされ、本質を見失うことの方が多い。
たとえば、ある人が海外で生活をしている。とても有意義な生活に見える。その人が書いたものを読んで感動した人が、自分もそんな体験がしたい、と同じ国へ行く。同じ国ではなくても、海外へ行く。海外へ行かないまでも、同じような部屋に住もうとする。それが無理なら、同じ家具が欲しくなる。自分にできることは、そういった具体的なものだから、必然的にそうなりやすい。しかし、そもそもどこに本質があったのか。それは、その人物の感性だ。その感性を持っていれば、どこにいても有意義な生活をしただろう。形に囚われて、形を真似ても、本質を得ることはできない。真似ているうちに、それに気づくことがあれば、まだ儲けものだが。
身近なところで小説の例を考えて書いてみよう。ある小説を読んで感動した。この感動を他人に伝えたい。そこで、こんな話だったんだよ、と人に伝える。それを聞いた人は、まずその聞いた話で小説をイメージする。でも、よくわからない。むしろ、話を聞いたかぎりではつまらなくさえ感じられる。なかには、実際に同じ小説を読む人もいる。しかし、やっぱりわからない。どこに本質があったのか。それは小説を読んだ人間の感性だ。その感性があるときある境遇で読んで感じたものが本質である。それは、誰にも二度と経験ができない。同一人物でももう経験できないものである。この感動を他人に伝えよう、というのは、ほとんど「刻舟求剣」に終わる(6/1の【国語】参照)。
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あるもので経験豊かになることは、別の言葉でいうと「年寄り」である。年齢ではない。たとえば、本を沢山読んだ人は、「本の年寄り」だ。模型を沢山作れば、「模型の年寄り」になる。
年寄りになると、自分の経験を語りたくなる。若者にアドバイスをして、苦労や失敗を回避するように促す。しかし、その苦労や失敗にこそ、自分の経験の本質があったのではないだろうか。この原理でいくと、素直に年寄りのアドバイスに従っていると、本質を得る機会からはむしろ遠ざかることになる。
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何が言いたいのか。本質とは、言葉にはできないものである(残念)。ただ少なくとも、他人から伝わってくるものではない。だから、本質を掴みたかったら、外ばかりを探していてはいけない。自分で感じ、考え、悩んで、自分の頭の中から生まれるものを逃さないことである。
【音楽】 歌
カラオケというものが普及したのは、25年ほどまえだったかと思う。それまでは、たとえ酔っ払ったからといって、一般人がマイクを持って歌うなんていう機会は、結婚式か、あるいは喉自慢大会くらいしかなかった。もちろん、音楽のクラブやサークルに所属して歌っている人たちはいただろうけれど、それはあくまでも趣味である。だから、そこそこのレベルにあった。ところが、普通の人が歌い始めたために、その場に居合わせた人たちは、とんでもなく下手な歌を聴かされるはめになったのである。しかも、どんなに劣悪でも、途中で鐘は鳴らないし、打ち首にもならないので、一曲が終わるまでそれが続く、というシチュエーションだ。人類史上かつてなかったものといえる。
煩くて話もできない。それでも、自分が歌っているときは、きっと気持ちが良いのだろう。みんなが聴いてくれている、という錯覚も容易い。まるで、インターネットでブログを書くような仄かな期待感が味わえる。わからないでもない。
しかし、もう近頃ではあまりみんな歌わなくなった。歌っている人もいるとは思うけれど、少なくとも話をしたい人は歌わなくなった。「お前も一曲歌え」という台詞も、一気飲みと同様に、廃れていったようである。
僕は歌は不得意ではない。前回書いた100曲の自作は、すべてボーカルが入る。歌詞があって、演奏のほかに、歌も入れてテープも作った。しかし、やはりプログレすぎて社会には受け入れられなかった。時代が早すぎたようである。
一言だけいいたい。みんな、己を知ろう!
2007年06月15日(金曜日)
【HR】 いろいろした日
梅雨入りだそうだが、そのおかげか、今日はからっとした爽やかな晴天。これは五月晴れかな。
「キラレ〜」は午前中に6000文字を書いて、完成度は22%まで。まずまずのペース。「悠悠〜」のゲラを35%まで見た。執筆よりも、ゲラの方に多くの時間を取られている。細かい仕事もいくつか片づけた。締切よりだいぶまえだが、漫画の新人賞の審査も、評価とコメントを送って、終わり。
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パスカルはブラシを毎日かけてもらっている。この時期は毛が抜けるからだ。小さい頃はブラシを嫌がったけれど、最近少し気持ち良いと感じているみたいで、わりと大人しくしている。大人になったかな。
先月に飛ばした飛行機を引退させて、ガレージに飾ることにした。まず場所を移動するために分解して宅配便で送っておいた。それを昨夜組み立て直した。翼長2mもなく、ラジコンとしてはそんなに大きい部類ではない。
お昼まえに、集英社のW邉氏が来宅。「ゾラ・一撃・さようなら」のゲラを取りにきてくれた。パスカルが大喜びしたが、ちょうどお昼寝の時間だったためか、僅か3分ほどで大人しくなり、横倒しになって眠ってしまった。夏が越せるだろうか。人間はまだクーラが必要なほどではないが、パスカルは暑そうである。「ゾラ〜」については、カバーのデザイン案も既に出ている。発行は8月下旬。先日渡し忘れていた修理済みのネズミのおもちゃ(C塚氏のもの)も手渡すことができた。
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夕方は、デッキで模型のエンジンを回した。今日はガソリンの2気筒水平対向エンジン。今回が2回目の運転で、なかなか調子が良かった。煩いから高回転にはとてもできない。ちなみに、写真の赤い飛行機のエンジンは、星形3気筒で、15ccくらいの小さなもの。
工作の方は、今週はずっとキットの組立て。長編を執筆している期間中は、あまり創造的な工作はできなくて、地道な手作業が向いているように感じる。バランスを取っているのだろうか。つまり、頭を使わずに、言われるままに作業をする自分を利用して、このときとばかりにキットを組んでもらうわけである。
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昨日一日雨だったので、今日も水やりをしていない。鉢植えはスバル氏の担当だが、彼女は水やりをしていた。それよりも、パスカルが水浴びをしたくてしょうがないようだ。庭に飛び出すたびに水道のところへ行って待っている。この頃は、車に乗るのも大好きで、僕とスバル氏が同時に家を出ると、必ず車のところへ走っていき、後部のドアの前に座って、それが開くのを待っている。自動ドアなので無線で開けてやるのだが、もしかしたら、おすわりをしたらドアが開く、と勘違いしているのかもしれない。
【音楽】 楽器は苦手
これまでに自分で演奏したことがある楽器を挙げてみよう。
ピアノ、リコーダ、ハモニカ、オルガン、アコーデオン、ギター、エレキ、マンドリン、バンジョー、ウクレレ、琴、ハープ、エレクトーン、ドラム、カスタネット、シンバル、トライアングル、木琴、トランペット、オカリナ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン。
これくらいしか思いつかなかった。もっとあると思う。ただし、得意なものは一つとしてない(ただし、これらほとんどを所有はしている)。本当は、自分では苦手だとは思っていない、単にプログレッシブすぎる、と分析しているだけだ。
まあ、比較的長く触ったことがあるのは、エレキとドラムであるが、しかし、もう30年以上昔のことだ。ギターなんか、右手か左手か、どちらで弾くのだったかも思い出せない(これはスポーツも同様)。
作曲をしたことは、実はある。100曲くらいは作った(この話は何度か書いたが、深入りしないように)。ネックは、それが自分で常に同じように演奏できないことだった。今だったら、コンピュータがあるから簡単だが、その当時はプログラムによる自動演奏が一般的ではなかった。小説だって、ワープロが登場したから書けたのである。つまり、支援ツールがないと創作ができない、という才能もある、ということをわかってほしい(ジョークのつもりです)。
しかし、学校の音楽の時間ほどつまらないものはなかった。あれはどうしてなのだろう? 好きな音楽を聴けないからだろうか。まあ、国語の時間だって、好きな文章が読めるわけではない。手法を学ぶことがいかに退屈であるか、ということに尽きる。これは、算数や理科にもいえることだ。学校の「勉強」が面白いなんてことは絶対にない。面白くする必要もない。
学ぶことが楽しくなるのは、もう少しあとだ。また、学んだことで楽しめるのも、ずっとあとのことだ。人間とは、この「将来の楽しみ」が察知できる生物だ、と信じる以外にない。
2007年06月14日(木曜日)
【HR】 きついもの言いと不親切なシステム
小雨。Tシャツでいられるけれど、窓は開けると寒い。こういうときは、発熱量の多いアンプを起用する。
「キラレ〜」は午前中に6000文字を書いて、完成度は16%まで。「悠悠〜」のゲラを10%ほど見た。こちらは来週末が締切。「日経パソコン」は2枚めのイラストをスバル氏が完成させて、編集部へ発送。飛行機の絵だったので、僕の注文が多く、やり直しが数回。スバル氏は不平たらたらだった。
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一昨日だったか、ある道を車で走っていたら、スバル氏が「この通りはケーキ屋さんが多い。つぶし合いやね」とおっしゃった。「つぶし合い」の一言がきらりと光る。
また、あるとき、大阪の彼女の実家へなにかを贈る話になった。「なにを贈っても文句を言われるから、贈りたくないんだけど」などとぶつぶつ言いながら品物を探した。僕が、ある瓶詰めのセットを、「これなんかどう?」と彼女に提案したら、「あかん、割れものやん」とばっさり一言。そのときは、べつに反論しなかったものの、2日後くらいに、「ああいう一言が、お母さんに似ているような気もする」とソフトに指摘したら、笑って受け止めてもらえた。なにを贈っても文句を言われる、というのは、つまり口のきき方なんだろうな、と……。まあ、人の発言でかちんときても、自分の何気ない口調には、誰も気を遣っていないのが普通である。
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年金の問題がまだ話題になっているようだ。お金を払ったのにもらえなかった、という事例が多いという。今のシステムでは当然そうなる。そういうデザインのシステムなのだ。つまり、もらえる年齢になってもお金を自動的に振り込んでくれるわけではない。面倒な手続きを本人がしないといけない。その本人が病気だったり、ぼけてしまったら、そのままだ。
生命保険だって、自分が死んだときに子供のために、と考えて加入していても、本人が死んでしまうと、それっきりだ。証書を見つけて誰かが手続きしないかぎり支払われない。銀行の預金だって、本人が死んだあと、誰も気づかなかったら、その資産は銀行にずっとある。そのままだ。実の子供であっても、引き出すのは沢山の書類を揃えて、大変な手続きが必要である。通帳と印鑑があっても、なくても、ほとんど労力は同じ。
少なくとも個人がある年齢に達することは、客観的にわかることなのだから、支払いが自動的に行われるシステムを築くことは、ごく当たり前のサービスだと思われる。また、個人が死んだ場合には、その情報が当該の機関へ伝わり、その人の財産をどうするのか、というアプローチを遺族にすべきではないだろうか。このあたりが、何度も書いているように、「金を取るときはサービスしても、金を支払うことではサービスしない」という基本的姿勢の問題だと思う。
僕は、とにかくすっかり懲りたので、生命保険はすべて解約した。年金は一応加入しているが、自分が受け取ることはまったく期待していない。自分の親が年金をもらっているわけだから、その分を今支払っているのだ、と解釈している。
先日のリフォームをしてくれた設計士さんとシステムキッチンのメーカの人が訪ねてきた。その後どうですか、というアフタケアである。今のところ全然問題はない。
【社会】 ダンピング?
夕張のダム工事で、大手ゼネコンのJV(共同企業体)がとんでもなく安い値段で落札した。これに対して、公取委が独占禁止法違反の恐れがある、との警告をした、というニュースが流れた。
大手が安く受注するのは、体力のない中小を潰す、という意味でのダンピングの疑いがある、と公取委は判断したわけである。この判断は間違いではないと思う。
しかし、ゼネコン側はどうだったのだろう。夕張だから援助しよう、という広報的な効果があるという判断だったのだろうか。もちろん、大勢の人間を抱えている場合、工事をしなくても賃金は支払わなければならないので、たとえ工事費が半額であっても、仕事をしないで遊ばせておく状態よりはましだ、との判断もある。
一方、住民側にしてみると、これは迷惑な話ではない。公共の支出がそれだけ少なくなるのだから、赤字の自治体にしてみても願ってもないことだろう。
こういうときに、「安い工事をさせると品質低下が問題だ」という声も聞かれるが、これはまた別の問題だと思う。では、「金さえ出せば高品質で安全が買えるのか」ということの裏返しだ。品質を守るためには、しっかりとした要求条件と、適切な検査が必要であって、そういったことがちゃんと行われているのか、という方向へ目を向けるべき。
談合ができなくなったので、本来の自由競争になり、いろいろこういった問題がこれから起こってくるだろうな、と感じた。少なくとも、談合が当たり前だった時代よりは前進しているし、悪くない状況だと思われる。
2007年06月13日(水曜日)
【HR】 近頃のインターネット
昨日よりは多少涼しい晴天。朝は水やり。パスカルはスバル氏がホースを持つと、スイッチが入って周囲を疾走する。
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今日は午後から、研究関係で用事があるため、午前中に小説の仕事を片づけた。「キラレ〜」は5000文字を書いて、完成度は10%に。「ゾラ・一撃・さようなら」のカバー案が来た。「悠悠おもちゃライフ」の2校ゲラが到着。けっこうカラー写真が大きく入っていた。文庫でも遜色ない感じ。
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この頃、ネットを巡回していて気づいたことを思いつくまま箇条書きで書く。
1)ブログが増えたおかげで、みんな書くことに一所懸命だ。他人のページを読む人間が激減しているだろう。
2)検索エンジンの効率は、無駄なサイトの出現でますます低くなっている。薄まったという印象。
3)いい加減な情報が増えた。間違った情報がどんどん増殖する培養液のようだ。
4)誰も元の情報を確かめない。自分の周囲のページに書かれていれば信じる人が多い。
5)ブログの中で一番つまらないのは、バトンと呼ばれるもので、誰が読むのか、と思う。カラオケのようだ。
6)掲示板などは明らかに衰退している。これは逆に、本来の掲示板として、ちょうど良い情報量になったと思う。
7)チャットなんてものも、ほとんど消えているのではないだろうか。
8)「html」が何かを知らない人がインターネット利用者の90%以上だろう、と感じる。
9)掲示板への書込みを、「メール」であると認識している人が多い。フリーメールの影響か。
10)ブラウザのバージョンを制限しているページは減ったが、相変わらず正しく見えないページは多い。
11)インターネットが友達とのおしゃべりのためだけに利用されているとしたら、ケータイとどこが違うのか。もしかして同じ?
12)単に他のサイトの引用をするだけのサイトが増加している。これが検索エンジンの精度を落とす原因。
13)遅いサーバや表示に時間がかかるページはなくなったものの、混み合っているサーバはまだある。
14)検索して調べろよ、と言いたくなることが多いが、初心者が調べても、これでは情報が多すぎてわからない。
15)そうはいっても、平均すれば便利になったし、生活に欠かせないものにはなった。大きな文句はない。
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午後から出かけて、2つの用事を片づけて夕方帰宅。スバル氏にデッキで髪を切ってもらった。パスカルにケープを被せたら、もの凄く嫌な顔をした。
【理科】 無着陸無給油世界一周
無着陸無給油世界一周は、1986年にボイジャという飛行機が達成した大記録である。ついこのまえのことのように思うが、もう19年も経った。これは、気球で世界一周が達成されるよりも早かった。
このボイジャは、4万km以上の距離を9日間かけて飛び続け、地球を一周した。これまでにも、飛行機が無着陸で世界一周をした記録はあったけれど、途中で空中給油をしている。ボイジャの凄いところは、すべての燃料を離陸のときに積み込んでいたことだ。
どれくらいの燃料が必要だったか、というと、機体の重量の約9倍だった。ようするに、総重量の90%近くが燃料だったわけである。こうなると、最大の難関は、一番重い状態で離陸しなければならないことである。この離陸のために、2機めのエンジンが必要だっただろうし、非常に長い滑走路が不可欠だった。逆に、着陸したときには10分の1に軽くなっていたわけだから技術的には難しくない。
搭乗員は2名だった。機体は、この分野の天才といわれるルータンの設計。胴体が3つあり、エンジンは中央の胴体の前後に2機。燃費の関係から、プロペラ機だった。
ちなみに、2005年には、無着陸無給油を搭乗員1人で成し遂げた記録が生まれるが、これはジェット機。そして、設計者はやはりルータンである。
飛んだ人間はもちろん讃えられるべきだが、偉業のほとんどは、設計者のものだろう。
2007年06月12日(火曜日)
【HR】 ものが多い
昨日と同じ大晴天。ただ、扇風機が必要なほど暑くはない。良い季候だ。
朝から、ゴミを出して、水やりをして、雑草も抜いて、デッキの掃除もした。落ち葉はピークが過ぎて、少し楽になった。
「キラレ〜」は昨夜予定どおり1000文字を書いた。今日は午前中に4000文字を書いて、完成度は5%に。順調な滑り出し。今週は30%が目標。今日も工作が気持ち良くできて幸せだった。
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ここ最近、模型関係の買いものが集中してしまった。良い出物が重なったり、注文品が届いたり、といった偶然のため、しかたがない。お金の問題ではなく、置き場所が問題だ。そして、郵送されてくるから、その梱包材のゴミの問題も大きい。きちんと整理をしないと、もう飾っておく場所がない。僕は、模型を買ったら、箱に入れて仕舞っておくことはしない。全部出して、すぐに動かしてみるし、そのあとは、見えるところに飾っておきたい。油がついたり、埃を被ってもまったく気にならない。人に見せるためのものではないのだから。
箱は、今度引越をするときに必要かもしれないから、と考えてしばらく保存しておくけれど、いざというときには、箱なんていちいち探していられない。過去の引越(6、7回している)でも、適当なものに入れて運んだ。したがって、箱も捨てた方が良いと最近気づいた。一度手に入れた模型を人に売ることは、これまでなかった。
しかし、箱に入ったままのものもある。たとえば、キットは組み立てるまえなので、箱に入っている。これがクロゼットなどの中にぎっしり積み上げられていて、ときどき探しものをすると、「お、こんなものを買ったんだった」と思い出して、大変嬉しい。
庭園鉄道が敷かれている今の自宅へ8年まえに引っ越したときは、家具も荷物もなにも持ってこなかった。車を移動させただけである。つまり、ここにあるものは、ここに住み始めてから購入したものばかり。まえの家にあったものは、まえの家にそのまま今もある。さらに、もう1軒家があって、そこにはそのまえに持っていたものがすべて置いてある。たいしたものはないけれど、古いものが大量にある。車は、ほかにガレージがあって、分散して置いている。飛行機も、ここにあるのは引退した機体で、現役機は少し遠いところに置いてある。ちょっとものが多すぎる。
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まえにも書いたが、60歳になってまだ生きていたら、少しずつオークションで売って、その売上げで生きていこうか、とスバル氏と話しているくらい。つまり、骨董屋さんになるわけだ。死ぬときに売り切れ状態になっていたらベストだ。いつ死ぬかがわかっていれば、本気でそうしたいけれど、こればかりは予定が立てにくい。だいたい、売るという行為がもの凄く面倒だろうと予測。
そうはいっても、欲しいものがあるとつい買ってしまうのだ。ただ、たとえば、生きものは欲しくても買えない。育てるのが大変だからである。買えるかどうかは、お金の問題以外に、時間と空間の制約を受け、むしろそちらの方がクリティカルだろう。
【算数】 長い式
数式が長くなることがある。小学校で最初に習った数式は、演算は1度だけだ。それが複数になり、かけ算と割り算はさきにすると習い、順番を明確にするために括弧が現れ、それも小括弧、中括弧、大括弧になったりして、どんどん膨れ上がっていく。
こういった長い式、複雑な式というのは、数字と演算だけでできているのではない。数字ならば、その場で計算ができるから、複雑になるまえに、かたっぱしから計算していけば良い。ところが、アルファベットなどで表される変数や常数になると、計算しても滅多なことで文字は減らないわけで、どんどん長くなってしまう。
長いときには、式が数行にわたる、なんていうのはごく普通で、ときどき、ノートの1ページに収まらない、という事態にさえ陥る。こうなると、主要な部分に名前をつけ、分けて書いたりすることになる。
どんどん式が長くなっているときは、先行きが不安になる。これは、経済でいうと不況みたいなものだ。一方、変数が相殺されて、式が短くなってくると、心も軽くなる。上昇気流に乗った感じで、好景気だ。
さて、こうして、もうこれ以上は計算ができない、してもしかたがない、というところへ行き着く。それが結果、あるいは解答になるわけだ。そして、それをプログラムに組み込んで計算させることも、近頃では多い。コンピュータにしてみると、簡単でも、少々複雑でも、べつにどうってことはない。一瞬で答をはじき出してしまう。
そうなると、人間が苦労して計算しなくても、最初の式のままプログラミングした方が早い。人間は計算ミスをするから、むしろそちらの方が良い。エレガントな展開よりも、ノーミスの方が大事だ。
ちなみに、複雑な式のままコンピュータに計算させ、その結果を図示したところ、非常に綺麗な曲線だったことがある。それを見て、「あれ、もしかして」と式を展開したら、もの凄く単純な結果が得られた。コンピュータも馬鹿にしてはいけない。
2007年06月11日(月曜日)
【HR】 キャラ萌え
朝からもの凄い晴天。非常に爽やか。
今日は、スバル氏のミニが点検の日。彼女が運転して車を持っていった。そのまま電車でショッピングへ出かけるコース。お昼過ぎに電話がかかってきて、駅へ迎えにいった。こういう場合は、いつもパスカルを車に乗せていく。
気温が上がったためか、体調が良くなり、朝から精力的に工作をした。大きなものではなく、小さなキットを2つ同時に組み立てることにした。スケールも違うし、関係はない。1つが嫌になっても、もう1つがある、という感じで、自分にはこのマルチ方式が合っている。
工作室の網戸から、気持ちの良いそよ風が入る。ガレージにはロックが流れている。こんな環境でのんびり工作ができるなんて、なんという幸せか。
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昨日の夜、リビングを通りかかったら、スバル氏が映画を見ていた。英語で聴いているので、「わかるの?」と尋ねたら、「わからないけど、どんな声なのか聴きたいから」と言うので、「だったら、字幕を出したら?」とリモコンでやり方を教えた。しかし、画面に文字が出ると、「凄い邪魔じゃん」と言ってやっぱりすぐに消してしまった。肝心の俳優の姿に文字が重なるかららしい。物語の意味なんかわからなくても良い。これが本当のキャラ萌えだろうか(キャラというより、それを演じている俳優萌えだが)。
そのあと、またきいてみたら、「どっちにしても、話は全然わからなかった」とのことだった。「まあ、映画ってだいたいわからないもんだから」ともおっしゃっていた。たしかに、馬鹿みたいに懇切丁寧な超過保護脚本の説明口調の台詞回しの学芸会的なTVドラマに比べたら、劇場映画は多少わかりにくいかもしれない。それでも、自分で経験する「現実」というドラマよりは、ずっとわかりやすいのだが。
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今日から、Xシリーズの2作めを書き始める。とりあえず、人物表とトビラの引用を決めた。今夜、1000文字くらい書けたら、素晴らしい滑り出しである。「日経パソコン」は43回めのイラストをスバル氏が完成させて発送。
【国語】 買う
「買う」というのは、お金を支払って商品を受け取ることだが、それ以外にも買えるものは多い。
たとえば、「君の努力を買おう」というような場合、これは、努力に金を出そう、という意味ではない。同様に、「彼の才能が買われたんだ」みたいに、価値を認めて優遇あるいは起用する、というような意味に使われる。「仕事を任せるリスク」を支払っている、ということか。
また、「その任務を買って出た」のように、自分から進んで引き受ける場合にも使う。お金を払って引き受けたわけではない。何を払ったのだろう。その仕事に価値を見出し、自分の「労力」や「時間」を支払ったのか。
さらに、「彼は周囲の反感を買った」とか、「みんなの顰蹙(ひんしゅく)を買った」のように、悪い状況を招くような意味でも、「買う」が使われる。買いたくないのに、つい買ってしまうわけである。この場合も、何を支払っているのか。本当は、もっと違う良い結果になると考えて行ったことが、支払ったものであり、それに対して、商品として悪いものが来てしまった、という意味だと思う。
「買い言葉」というのは、「売り言葉」の反対。これは、悪口を言われたとき(これが売り言葉だが)、言い返す言葉のことである。「売る」行為に対して、返す行為が「買う」になる。売りつけてきたから、金を支払ってバランスを取った、ということだろうか。喧嘩も売られれば、買うことができる。
2007年06月10日(日曜日)
【HR】 講演会について
夜のうち雨だった。午前中は降っていたが、お昼前に晴れてきて、午後は晴天。まだ梅雨入りしていないのかな。もう梅雨入りにした方が良くないだろうか。べつに、どちらでも良いことだけれど。
「ゾラ〜」のゲラを最後まで読んだ。これで、明日から気持ち良く新作を執筆できる。2週間ではちょっと無理かもしれないが、今月中には書けると思う。余裕があれば、「スカイ・クロラ」シリーズの短編を6月中に1作書きたい(2作め)。
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先週は講演会の依頼が2つあったが、いずれも今年後半のもの。大変光栄だが、お断りをした。今年の予定はフィックスされ、既に来年の予定を組み始めている。
講演会について少し書いておく。まず、引き受ける条件だが、これは時期的なタイミングによる。僕は1年さきくらいまでは仕事の予定を組むから、それと照らし合わせて、その頃に余裕があるかどうか予想して決めることがほとんど。
次に、講演料だが、参加者が森博嗣のファンであれば、基本的に無料で引き受ける。そうではなく、主催者が一般の人を呼ぶ場合は(つまり客寄せのために森博嗣を呼ぶのだから)規定の講演料を要求することにしている。
講演会で話すことは、ほとんど既にどこかに書いた内容だ。著作やHPをすべて見ている人には退屈だと思う。「ここだけの話」をすることもあるけれど、それらもいずれはどこかに書く。だから、講演会に出なければ得られない情報はない。講演会でしゃべったことを本にしないか、という提案はときどき出版社からもいただくけれど、この理由から一度もお受けしていない。だいいち、本にするとなれば、もっと起承転結のしっかり通った脈絡のある話をしなければならない。そうなると、聴いている人が眠くなってしまうのだ。人間、さきが予想できる話にはつい退屈するものである。
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ファンからのメールで、是非どこどこでも講演会をして下さい、という希望を沢山いただく。思い違いをされているのだと思う。講演会は、僕が企画・開催しているのではない。主催者がいるのだ。つまり、是非今度は集英社から本を出して下さい、という希望と同様で、僕に言われても困る、とお答えする以外にない。ただ、話す内容については、かなりの部分、僕の自由である。
ちょっと以前ならば、講演会だけの特別サービスの話もしたけれど、今は沢山の人がブログを書いていて、話したことを書かれてしまう。いくら書かないでくれと頼んでも絶対に書かれる。だから、秘密の話はできなくなった。まさに、情報公開の時代である。
【体育】 睡眠
今日も保健である。
「どうも寝足りない」とこぼす人が多い。もっと寝ていたかったのに起こされた、それが体調が悪い原因だ、と考えているようだ。これは、僕もそのとおりだと以前は思っていた。そして何度か、思いっきり、もうこれ以上寝たくない、というまで寝ていよう、と実際に試したことがある。しかし、どの場合もやはりすっきりはしなかった。どちらかというと、寝過ぎると体調が悪くなる。そのあとリズムが狂うし、全然良いことはない。
何時間眠ったか、と時計を見て計算することも、あまり良いとは思えない。それよりも、寝たいときに眠り、目が覚めたときに起きる、という方が自然だ。動物は、時計など持っていない。時計を持っている方が健康的、ということはないだろう。
ただ、そうはいっても、やはり体調を長く維持することが、この社会では要求される。疲れたからといって、いつでも休めるわけではない。そうなると、そこそこのコンディションを維持することが必要だ。最高のコンディションを週に1度だけ実現すれば良い、といった仕事は、プロ野球のピッチャのような特殊な職業だけで、たいていの人は、最高ではなくても、週の5日はそこそこの状態を保ちたい、というところが希望だろう。
いろいろ試してみて、僕が至った結論が1つある。それは、毎日を同じパターンで過ごすことだ。寝る時刻、起きる時刻を、毎日ほとんど同じにするのが良い。それは時計を見つめた生活ではないか、というと、そうではない。同じパターンを繰り返すうちに時計などいらなくなる。同じ頃に眠くなり、同じ頃に目が覚める。「規則正しい生活」なんていうと、いかにも説教臭くなってしまうが、これがどんなものよりも有効だ、と今は考えている。土日も同じパターンで通す方が良い。特別な日を作らない。特別なことをしない。
つまらない生活だな、と思われるかもしれない。しかし、面白いかつまらないかは、生活のパターンではない。そのパターンの中で何をするか、ではないだろうか。
もちろん、そんな毎日はつまらないと感じる人は、しない方が良い。昨日書いた食事法も、今日の生活法も、けっしておすすめしているわけではない。
2007年06月09日(土曜日)
【HR】 趣味人の集い
昨日の夕方から雷が鳴って雨。今朝まで降っていたけれど、日中は晴れ間も見えた。涼しいし、蒸し暑くもない。
「日経パソコン」の4回分のイラストの下描きをして、文字や難しい箇所のペン入れをした。僕の仕事はこれで終わり。あとはスバル氏の担当。「ゾラ〜」のゲラは85%まで。こちらも順調。明日で終わる。
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今日は飛行機を飛ばす予定だったけれど、少々天気(特に風が)が悪いので中止。飛行機の仲間と一緒に3時間ほどおしゃべりをした。みんな僕よりも年上である。作るのが好きな人と、飛ばすのが好きな人に分かれるけれど、とにかく、飛行機の話しかしないから、誰がどんな職業なのか、どこでどんな生活をしているのか、などなど、まったくわからない。
だいたい、普通はこのくらいの年齢の人になると、最近は自分の躰のどこが具合が悪いとか、家族や近所の人の誰かの愚痴かあるいは不幸話とか、そういった話しかしないものであるが、趣味の仲間内では、その種のつまらない話が一切出ないのが素敵だ。子供が集まっておしゃべりしている状況と似ている。だからこそ、年齢に関係なく趣味人は集うことができる、という原理だろう。
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僕は、ここ10年ほど、どちらかというと機関車の方に力を入れてきたので、飛行機はあまり目立った新作がない。この10年で7機だから、1年に1機以下のペースだ。一番マイブームだったときには2カ月に1機は作っていたものである。飛行機と機関車とどちらが好きか、というような比較はしたことがない。何故なら、これは同じ1つのものだ、と僕は認識しているからだ。強いていえば、目的に応じて、軽いか重いかの違いがあることと、遊ぶ場所が違うことくらいか。
しかし、仲間を眺めたところ、飛行機と機関車の両方をする人はわりと少ない。といっても、片方だけしか経験がない人はむしろ珍しい。いろいろな模型をやってみて、どれかに決めた、という人がほとんどだ。
電子工作でも、無線かアンプか、つまり高周波か低周波か、という選択があって、あまり両方やっている人は見かけないけれど、どちらもやってみて、自分に合う方に決めるわけだ。僕の場合は、これが決められないだけ、ということかも。自分に向くものというのは、そのときどきではたしかにわかるけれど、少し時間が経つと、もう自分が変化する(飽き性だ)から、可能ならば、これだと決めない方が良い、というのが僕の方針。これは一般的には、いかがかと思う。決めた方が効率が良く、また明らかに経済的である。
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ターンテーブルは、まだデザインをフィックスしていない。星野氏がイギリスで撮影されたビデオを90分も見て、マン島へ行ったときのことを思い出した。機関庫も作りたいな、なんて考えている。僕の場合、「これは素晴らしい」というものを見ると、「そこへ行きたい」とは思わず、それを「自分の身近に作りたい」という方向へ思考するようだ。
【体育】 朝ご飯抜き
「体育」だが、雨降りなので「保健」になった、と思ってほしい。そんな懐かしいディテールは無用か……。
朝ご飯を抜くことは健康に良くない、あるいは、活発な生活のためにもマイナスだ、と聞く。なかには、頭が働かないとか、頭が悪くなるとか、かなり極端な意見も耳にする。
しかし、僕の周囲では、朝ご飯を食べる人はかなり少数派である。ほとんどの人が、朝ご飯を食べない。しかし、誰も仕事ができないとか、頭が回らない人はいない。朝ご飯を食べなくても有能な人ばかりだ。
僕自身、朝ご飯を食べるのをやめてから30年近くになるが、それ以前と比べて、圧倒的に健康になった。食べない方が調子が断然良い。ときどき食べてみると、すぐに駄目になる。
そもそも3食きちんと食べなければならない、という理由がどうも納得がいかない。僕は現在1日に1食だが、これは、すべてを試してみて、最も自分に合っているとわかったからである。それぞれ、数年間も試した。
もちろん、自分が良いと信じる生活をすれば、それで良い。「朝ご飯を食べるな」という話をしているのではない。どうか他人に対して、「朝ご飯は食べるべきだ」なんて押しつけがましいことを言わないでもらいたいだけである。食べても食べなくても、どちらでも良いではないか。
ただし、過酷な肉体労働をする人の場合はエネルギィが必要だろうし、また、成長期の子供も3食きちんと摂るべきだと思う。動物でもそうだが、子供のときはたいてい大人の3倍くらい食べる。だから、人間も大人になったら、子供のときの3分の1程度に減らすのが自然だろう、というのが僕の意見。
大勢が食事の回数を減らすと、それは経済的なダウンに繋がるはずだ。農業、工業、サービス業、あらゆる産業が不況になる。きちんとした食事をしよう、というキャンペーンは、こんなところから発しているのではないか、と思えるほどだ。しかし、食事を減らすことは、自然環境には明らかに良い。大食いは地球環境を破壊している、といっても過言ではない。
自信を持っていえるのは、食欲がないときに無理に食べるな、ということ。食欲がなくなったときに飲む薬があるが、あれが信じられない。食べたくないときに、薬を飲んでまで、無理に食べるなよ、と思うのだが……、まあ、これも個人の勝手か。
2007年06月08日(金曜日)
【HR】 記号の答を求める
晴ときどき曇。涼しいので過ごしやすい。パスカルは水浴びをして、ハリネズミになってから散歩にいくので、近所の人々から「パスカル君、また水をかけられたの?」という同情の声を集めている。完全な誤解である。
お昼頃、スバル氏と銀行とスーパと書店へ。久しぶりに、ゲラを持っていき、駐車場で待っている間にゲラを読んだ。こういった機会に仕事をすると、時間が有効に使えて非常に気持ちが良い。
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6/3の瓶のパズル。案の定、メールが殺到した。皆さん、「メールは禁止とありましたが……」と謝ったうえでのお問い合わせである。かように、わからないものに対する探求心というのは根強いものなのだ、と改めて感じたしだいだが、以前に比べると、現代はインターネットもケータイもあって、「自分で考えるまえに、手軽に質問できてしまう」時代なのかもしれない。
特に、ミステリィを読むような人は、一般よりは平均して、この答を知りたい欲求が強いかもしれない。どうだろう。わからない。むしろ逆かもしれないな、と思うときもある。というのも、ミステリィの答って、単なる解釈というか、記号でしかないからだ。「こんなもので満足できるのか」と不思議に思うことが多いのも事実。
正解をここに書いておこう。この瓶のパズルには、実はタネはない。仕掛けはないのである。フェアな文で説明したとおり、瓶も棒もボルトもナットも、ごく普通のもので、「これが種明かしです」と説明できる部分は存在しない。では、どうやったらできるのか?
実物を手に取って、いろいろいじっているうちに解決する。棒を動かしているうちに、少しずつ、なんとかボルトのナットを緩めることができるのだ。5分もあれば、瓶の中のボルトを抜いて、棒を引き抜くことができるだろう。逆に元に戻す方が多少時間がかかるものの、それでも10分もはかからない。案ずるより産むが易し、というのか、いくら考えてもわからないけれど、手に取れば、たちまち解決する好例として、僕はこのパズルを学生に見せている。
研究でもそうだし、あるいは他の分野でもきっと同じだろう。「どうやったら解決できるのか?」と首を捻った難問が、実際にやり始めてみると、なんとかなるものである。世の中の謎のほとんどは、ミステリィのネタのように、「ここがトリックでした」と言葉で明解に説明できるようなものではない。「こうすれば解決しますよ」と一言でクリアされるような問題は、現実には稀である。
本当の難題とは、解決策が言葉では説明できない。たとえば、「どうすれば3割バッタになれるのか?」「どうすれば幸せになれるのか?」のように。
この瓶のパズルの解答を聞いたとき、「肩すかしを食らった」とミステリィファンは感じるだろう。これは、一般の感覚とは逆だ。既にずれている。記号化された答でしかないミステリィの種明かしに慣れてしまっているせいだ。実は、ミステリィ的な答の方が、聞いて脱力するものではないだろうか。ミステリィが今ひとつメジャにならないのは、この脱力感にある、という分析は多く見受けられるところである。
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「日経パソコン」の連載4回分の推敲をした。残るは、イラストの下描き。「ゾラ〜」のゲラは70%まで。あと2日か。
【社会】 銀行の支店と出張所
この頃は、送金や支払いのほとんどは、自動引き落としか、あるいはネット上で振込手続きをする。それでもときどき、銀行へ出向いて、書類に記入して窓口に出す必要がある。銀行の口座は、銀行名、支店名、預金種類、口座番号、名義、などの情報によって識別されている。ちなみに、ネット上から振込をするときは、名義はカタカナで入力するので、請求書に漢字しか書かれていない場合、読み方を確認するために問い合わせる必要がある。少しでも読み方が違うと、振り込んだものが戻ってきてしまうからだ。
僕がかつてメインバンクにしていたのは当時のT銀行で、その後名前が2回変わった。あるとき、「A支店」だったものが、「B支店A出張所」と変わった。知らせの手紙が来て、「以後は『A支店』では振込ができなくなるから、関係者に知らせて下さい」とハガキが何枚か同封されていた。これには腹が立ったので、「『A支店』で受け付けないようならば解約する」と抗議したところ、「『A支店』でも受け付けることになりました」という方針変更の返答が来た。
5年以上経った現在でも、この銀行の振込用紙には、「支店名」のところに「出張所」という文字はない(普通、どこの用紙にもない)。こうなると、支店名としては「B支店」なのだから、そう記入してしまう。すると、これが通らない。「A出張所と書いて下さい。支店の文字を消して、出張所と書き直して下さい」と言われるのだ。
自分たちの都合で勝手に名前を変えておいて、どういう了見だろうか? 内部の組織が「出張所」になったとしても、ユーザには関係がないことである。何故、ユーザのために、識別の名称だけでも「支店」のままにできなかったのか? なにか決まりがあって、それに従ったものと思われるが、だとしたら、その決まりが間違っている、と何故考えなかったのか?
2007年06月07日(木曜日)
【HR】 パスカル模様
7時に起きたら、パスカルがドアの外で座って待っていた。すぐに散歩に出かける。リードを付けてやるときに、なむなむ言うのが面白い。思わず笑えてしまう。宅配便が来たときも、一緒にゲートまで取りにいくのだが、このときも、一目散に駆けだしていくのではなく、数メートル前をとぼとぼ歩く。後ろを振り返りながら、一緒に歩くのだ。案内をしているつもりかも。面白い。荷物をもらって、家へ引き返してくると、ソファに飛び乗り、その荷物を開けろと促す。開封しているときも、すぐ横から顔(鼻)を出して、一緒に中を覗くので、非常に邪魔なのだが、これも笑えてくる。匂いを嗅ぐだけで、口でくわえたりはしない。子犬のときは、ダンボール箱の端を噛んでいたが、この頃しなくなった。
ササミがないので、ボーロを幾つかやった。スバル氏がいるときよりも、絶対にヘルシィだと思う。
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久しぶりにピンバッジを作った。1つは、ファン倶楽部会員向けのもの。もう1つは、欠伸軽便鉄道の記念バッジである。今年はパスカルでシンプルなデザインにしてみた。前者は、ファン倶楽部内で販売される。後者も、一般には入手困難である(見せただけ〜)。