2007年05月13日(日曜日)
【HR】 打合せ多数&補足
昨日の疲れか8時間くらい寝た。午前中は曇で午後は晴れた。水やりをしたあと、ゲラを読んだ。
午前中から中央公論新社のN倉氏が来宅。読み終わったばかりの「クレィドゥ〜」のゲラを手渡した。このほか、打合せを多数。スバル氏が作ったカレーをランチで食べてもらった。午後は、光文社のS木氏が「ZOKUDAM」のゲラを取りにきてくれた。その後も、もう1つ大事な打合せがあった。三時半頃にすべてが終了。
写真は、一昨日書いた原信太郎氏の本と、昨日、平岡幸三氏からいただいた本。
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5/8に古書の扱いと著作権について書いた。そんなに反響は多くはなかったものの、熱心なご意見を幾つかいただいた。感謝。補足の意味で、3点ほど改めて書く。既に過去に書いたことだが、要約して再度。
1点め。僕が書いたことは、「こうあるべきでは?」という僕の意見である。現状が(たとえば法的に)どうなっているか、これまでどういった経緯があったのか、それらがどう解釈されているのか、という点に関心はない。そうではなく、僕が観察して、「ここがおかしい」と思ったから書いた。
「こうするのが本来では?」という意見を出すと、「君は現状の規則について知らないのか?」と反論されることが(特に会議などで多く)ある。それに対しては毎回、「ええ、知りませんよ。べつに知りたいとも思いません。どういったかたちが理想か、という議論をしているのに、そんな知識が必要でしょうか?」と答えている。
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2点め。小説の著作権が特異な点は、知ることで消費が達成される商品であることだ。ほかの多くの発明などのアイデアは、それを知っても、応用や使用を伴わなければ価値が生じない。また同じ創作でも、音楽などは1度聴いて「知った」からもういらない、というものではない。小説も、何度も読みたい人は本を手放さないだろうが、それはごく一部のマニアであり、多くは、1度読んで、「知る」ことで消費される。
わかりやすい例を挙げるならば、たとえば、「クイズ」が類似しているだろう。もの凄く面白いクイズを誰かが考えたとしよう。しかし、問題と答を聞いただけで「知られて」しまうので、たとえば、本にして発表しても、立ち読みされたり、TVなどで形を変えて真似をされたりしたら、価値が失われてしまう。すると、そのクイズの知的所有権を持っていても、作者に充分な利益が還元されないことになり、結果的にそういったクイズを考えても儲からない社会になるから、才能がある人間はそんな割の合わないことに努力をしなくなる。著作権の議論とは、そもそも「社会がどんな文化を育てたいのか」という方向へ行き着くものだ。
工業製品が行きわたりつつある現代において、発想や創作などの知的な生産品は、国際的な競争力も含めて、今後の経済を左右する重要な資産となるものだ。だからこそ、創作者の権利を保護し、才能を育てる土壌というものが必要だと考える。
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3点め、図書館や古書店の話をすると、「でも、それで読者は増える」とか「これで本が売れる効果もある」という反論があるのだが、読者を増やそうとか本を売ろうという話をしているのではない。「それでは古本業者は死活問題だ」という声もあるが、それもテーマではない。著作権を守るにはどうすべきか、という話をしている。読者を増やしたり、本を多く売ることが目的ならば、それはまた別の方法で解決すべきである。
これ以外の、些末だが、ちょっと愉快だったことは明日また書こう。
以上の話は、すべて未来に向けてのことだ。僕は数年で小説の執筆を辞める予定なので、僕自身にはなんの影響もない。これらの問題は、社会がこれからの才能をどう育てるのか、という判断に委ねられる。小説なんか外国から輸入すれば良い、とみんなが考えるならば、まったく無用である。
ところで、僕のファンの方はご存じだろう、10年もまえから書いていることだが、僕は1度読んだ小説はほとんどすべて捨てている。だから本棚がない。お菓子も中身を食べたら箱は捨てる。箱を並べておく習慣は僕にはない。お菓子を食べて、箱を捨てたら、それはお菓子を作った人に失礼だろうか?